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日本で難民として暮らすのは大変だ。 支援団体の人に聞いてみた

増え続ける難民と、日本での難民申請。どう向き合うべきなのか。

6月20日は世界難民の日。戦乱や迫害などにより自宅を追われた人は2017年末で6800万人を超える。日本での難民申請も年々増え、2017年は過去最高の19623人となった。

日本は難民と、そして外国人とどう向き合うべきなのか。NPO法人「難民支援協会」の野津美由紀さんに聞いた。

極端に少ない日本の難民受け入れ

日本は難民条約を批准している。国際的な条約に従って、難民を受け入れる意思を示している国の一つということだ。日本は条約を批准した際、地理的条件を問わないと宣言しており、制度上は世界どこの難民も受け入れることになっている。

以下は2016年の状況をG7諸国で比較したグラフだ。

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G7諸国の中で日本の認定率は際立って低い。なおこの年、隣の韓国は57人を受け入れ、認定率は1%だった。

「難民をどうするか、その政治的意思がない」

なぜ日本の難民認定数は少ないのか。

野津さんは「紛争や迫害を逃れた難民を受け入れようという、政治的意思がないことが、そもそもの原因」と指摘する。

日本が難民条約に加盟することを国会で承認したのは1981年。野津さんは、その理由は「外圧」だったと説明する。

1975年にベトナム戦争が終わると、共産政権による南北ベトナム統一で迫害された人々が大量にベトナム国外に逃れた。当時はベトナムだけでなく、カンボジア、ラオスなどインドシナ各地で混乱が続き、多くの人々が難民となった。

特に注目を集めたのは、小舟で南シナ海に逃れ、通りがかる貨物船やタンカーに救助される、いわゆる「ボートピープル」だ。

ベトナムの共産政権などを逃れた人々がボートピープルとなり、周辺国や日本にたどり着いた。

外圧で始まったインドシナ難民受け入れ

日本は当初、こうした難民の定住を受け入れず、主に米国に送っていたが、やがて米国などから「経済大国である日本も難民を受け入れるべきだ」と求められるようになった。

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こうした外圧を受け、日本は1978年にまず、ベトナム難民に定住許可を出すことを閣議了解した。日本は当時まだ難民条約に加入しておらず、条約に基づく受け入れとは別に、政治主導でつくられた枠組みで行われた。受け入れ枠を順次広げた結果、約1万1000人のインドシナ難民を受け入れた。神奈川県大和市などに定住促進センターがつくられた。

だが、インドシナ情勢が落ち着くとともに、今度は出稼ぎなど経済的な理由による流出が目立つようになり、1989年からは個別に難民としての要件を満たしているかどうかを審査(スクリーニング)するようになり、インドシナ難民の受け入れは激減した。

アフガニスタンやシリアをはじめ、難民はその後も世界各地で発生し続け、その数は年々増加傾向にある。しかし「インドシナ難民受け入れ以降、日本では難民をどうするかという議論がないままの状況が続いている」と野津さんは語る。

厳しすぎる審査

受け入れるという意思の欠如によって起きているのが、難民の審査が厳しすぎるという問題だ。

日本で申請をすると、法務省が個別の事情を審査し、受け入れの可否を決める仕組みとなっている。立証責任は申請者本人にあり、資料はすべて日本語で提出しなければならない。審査には平均2〜3年かかる。

たまたまたどり着いた先が日本

難民支援協会は2016年度、73ヵ国出身の人々を支援し、約1100件の相談を受けた。その48%はアフリカ諸国出身者で、中東と南アジアがそれぞれ約20%だった。

その多くは「たまたまたどり着いた先が日本だった」という人々だ。

シリア出身のヨセフ・ジュディさんは、2012年、混乱するシリアを逃れ、きょうだいが先に難民認定を受けた英国を目指した。だが行き着けず、たまたま日本で難民申請をした。

ジュディさんは頼ったブローカーに渡された航空券でドバイに飛び、そこから成田空港で欧州便に乗り継いだ。だが、着いた先はフランスだった。ブローカーはそのまま、ジュディさんのパスポートを持って姿をくらませてしまった。

中東やアフリカでは、海外旅行をしたことがない人が難民となりブローカーを頼ることが多い。地中海沿岸各地でゴムボートに乗った大勢の難民が保護されているが、こうしたボートも、ブローカーが有料で乗せている。ブローカーに騙されたり、トラブルに陥る人も珍しくないのが現実だ。

ジュディさんはもともと英国での難民申請を希望していたので、フランスで難民申請をしなかった。だがパスポートがないため再び英国に向かうことはできず、フランスの入管の措置で、一つ前の経由地の成田空港に逆送された。

成田のもう一つ前の経由地、ドバイ空港のあるアラブ首長国連邦がシリア難民を全く受け入れないことは、中東では良く知られている。成田からそのままドバイに逆送されれば、シリアまで戻されてしまうことが確実なため、ジュディさんは成田で難民申請を申し入れた。

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内紛が悪化したカメルーンやコンゴ民主共和国などアフリカ諸国では、いくつかの国のビザを得ようとして、日本の観光ビザがたまたま最初に出たため、日本に向かったという人が多いという。

日本語が話せず、日本の状況を調べる時間も余裕もないまま、一刻も早く故郷の戦乱や殺戮から逃れるために飛び立つのだ。

日本の制度に涙を流す難民ら

「入国してから人づてに支援協会のことを聞いたり、中には入管から『ここに連絡を』と協会の連絡先を渡されたりした人が相談に来て、私たちが日本の難民認定の厳しさを説明すると、みんな愕然とする。涙を流す人もいます」と野津さんは語る。

ロシアとの戦乱が続くウクライナからも日本で難民申請する人が出ており、2016年には15人のウクライナ人が、難民とは認められなかったが、法務省の裁量による「人道的配慮による在留特別許可を受けた。

世界中のシリア難民が難民ではなくなる判決

ジュディさんも難民申請を却下され、人道的配慮による在留特別許可が出た。

許可が出たことでシリアに戻らず日本に滞在することはできるが、1年ごとに更新する必要があるうえ、難民に対してパスポートがわりに発給される「難民旅行証明書」の受け取りや各種の福祉制度などの公的支援は得られない。今はさいたま市浦和区で小さなカフェを経営している。

ジュディさんはシリアのアサド政権と対立しており、アサド政権が管轄する駐日シリア大使館に出向いても、パスポートを支給してもらえない可能性が高い。

このため、日本の難民認定を受けて旅行証明書を支給されるか、迫害を覚悟でシリアに戻るかしない限り、日本から出ることができない状況が続いている。

ジュディさんは難民認定を求める裁判を起こしたが、東京地裁は2018年3月、却下の判決を出した。主な理由は「迫害の恐れがあるという客観的な証拠を示していない」というものだった。

この判決は、これまで何度も現場に入りシリアの内戦を取材してきた筆者(貫洞)も、おかしいと感じている。

シリアは混乱が続き、アサド政権が支配する地域では、治安機関による恣意的な拘束や拷問が相次いでいる。筆者の複数のシリア人の知人も突然、治安機関に何の容疑も示されず拘束され、拷問を受けた。

いまも危険があり得るため、具体的に記すことは控えるが、ある人は数週間も拷問を受けたのち、何の説明もなく傷だらけで釈放された。なぜこのような目に遭ったのか、今も分からないままだ。連行されたまま行方知れずの人もいるし、釈放されたのち今度は反体制派のイスラム過激派に拉致され、殺された人もいる。

不可能に近い「証拠」の提示

法治主義が崩壊して日本の常識が通用しない国で、例えば逮捕状や判決文のような「客観的な証拠」を入手して示すことは極めて難しい。

また、難民の定義を狭く取る日本は、政府による迫害ではなく、反政府組織や過激派による迫害を受けた人をなかなか難民に認定しない。しかし政府が頼りにならず自国民を保護しないような国だからこそ、過激派や反体制派の反乱や内戦が起きるという現実は、厳然と存在する。

ジュディさんは一審判決後の会見で「日本の政府と国民には敬意を表している」としたうえで「このような判決がまかり通れば、世界中のシリア難民が難民と認められなくなる」と語り、控訴した。

難民支援協会もジュディさんの支援に入っている。

宙ぶらりんのまま置かれる裁量行政

これまで69人のシリア人が難民認定を申請し、認められたのは7人。却下されたうちジュディさんを含む52人が、人道的配慮による在留許可となった。

難民とは認めないものの「配慮」で日本にはとどまらせるという、申請者から見れば宙ぶらりんの状態に置かれる裁量行政が続いているということだ。

野津さんは「戻ったら命が危ないというシリア情勢を理解はしているということだろうが、なぜ難民認定ではなく、あいまいな『人道的配慮』ばかりなのか。ほかの国の人には、それすら出ないことがほとんど」と指摘する。

偽装難民ばかりなのか

日本への難民申請は年々増加し、2017年は過去最高を記録した。法務省は2018年1月、「制度を悪用し、就労することが目的の偽装難民申請が目立つ」として、制度の変更を発表した。「失踪した技能実習や退学した留学生」による就労目的の申請が多いため、と法務省側は説明している。

従来は申請から6ヶ月後から、結果が出るまでの間の就労許可が出た。だが、今年からは申請から2カ月以内に、1)難民の可能性が高い、2)明らかに難民に該当しない、3)同じ理由の再申請、4)その他、に分類し、2と3については就労許可を出さず、在留期限が切れたら退去を求める。

法務省の担当者はロイター通信に、2017年1-9月の申請者のうち難民の可能性が高いと判断される人は「1%未満ではないか」と語っている。

本当に支援が必要な人を排除する危険

野津さんは、「就労目的で難民申請を出す人の存在は否定しない」としたうえで、二つの問題点を指摘する。

2016年は28人が難民に認定され、97人が「人道的配慮の特別許可」を認められた。野津さんによると、日本に滞在できるようになった計125人のうち26人は、再申請者だったという。

もし26人の再申請が今年にずれ込んでいたら、就労許可が出ず困窮し、場合によっては退去させられていたことになる。「本当に保護が必要な人を苦しめることになる可能性が高い」という。

もう一つは、就労目的の偽装申請者だとしても受け入れるほどの人手不足が続く、日本の労働市場の問題だ。「なぜ日本の労働の現場で、そのような人が必要とされているのか、問題の根本を考える必要がある」という。

深刻な人手不足を埋める外国人

日本の外国人労働者は、「技能を学ぶこと」を名目に3年の年限で安い給料で働く技能実習生と、ブラジルなど南米出身の日系人が2本柱で、これに留学生や就学生が加わる。

地方では、農業・漁業や建設業、縫製業などの現場を、こうした人々が支えている。東京などの都市部では、コンビニや飲食店の従業員がみんな外国人という光景が、すでに当たり前になっている。

建設作業に従事するために来日した技能実習生が、福島で放射能の除染作業に従事していた問題も浮上。「技能を伝える」という趣旨が霞み、安価な労働者として使われている実態が改めて問題となっている。

「都合のいい労働者」はどこに?

少子高齢化が進む日本は労働者不足が深刻だ。すでに約127万人の外国人労働者がおり、労働者の50人に1人は外国人だ。2040年度には、2018年度に比べ15−64歳人口がさらに1500万人減る見通しだ。

産業界からの要請も強まる中、政府は6月、技能実習生の滞在期間を5年に延長し、さらなる長期滞在も認める可能性を示した。一方で「移民政策ではない」として、家族帯同は許さないという。

野津さんは「5年も単身赴任で日本人よりも安い給料で働くというような都合のいい人を、これからも日本がそんなに集められるのか」と疑問を呈する。

中国やベトナムなど、これまで日本に技能実習生を送り出してきた国々では、急速な経済発展が続き、日本との賃金格差は年々縮小している。また、韓国や台湾などが外国人労働者の受け入れ制度を拡充させ、アジア人の働き先として人気を集めている。

かつて日本の技能研修生をモデルにした制度を導入していた韓国では、外国人の雇用許可を出し、韓国人と同じ労働法制を適用し、差別を禁止している。台湾は10年以上滞在できる制度だ。アジアだけでなく、カナダなどは介護職などに門戸を広げており、一定の資格を満たせば永住権取得の道も開けるため、フィリピンなどでは行き先として人気を集める。

日本は今後、人手不足が深刻な介護職でも外国人の受け入れを広げる方針だ。しかし、もし自分が働く者の立場だとすると、制約の多い日本を選ぶだろうか。

必要なのは統合的な政策に向けた議論

野津さんは「今の日本に必要なのは、まず人権問題として、難民をどうするかを考えること」と語る。

日本で難民の認定作業を行うのは法務省の入国管理局だ。

入管は本来、水際で犯罪者などの入国を防ぐという役割を担う。

「それはそれで大切な職務だが、その人を日本に入れると問題が起きるかどうかを審査するという入管が培ってきた能力と、その人を母国に戻すとどんな問題が起き、どんな保護が必要かを考える難民審査に必要な能力は、全く異なる。制度そのものがおかしい」という。

そのうえで「労働者不足という状況からなし崩しに進む労働者受け入れではなく、国として今後、難民と労働者を含めた外国人全般をどうしていくのかという統合的な政策を考えることが必要です」と話した。


Yoshihiro Kandoに連絡する メールアドレス:yoshihiro.kando@buzzfeed.com.

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