蝙蝠侯爵と死の支配者 作:澪加 江
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みるきぃさんが死んでいた。
別に特別に親しい友人ではなかった。自分のギルドメンバーの、そのフレンドの一人なだけだ。アインズ・ウール・ゴウンの全盛期が終わって、くしの歯が欠けるようにメンバーが抜けていっていた頃紹介されて、何度か素材狩りを手伝っただけの仲だ。
その後は紹介してくれたギルドメンバーもログイン回数が減って、ただフレンド一覧に居るだけの存在だった。
そんな彼女から連絡が来たのは最終日。休みを貰って早朝からずっとログインしていた時だった。〈伝言〉が繋がったと驚いたら彼女で、ずっと昔の狩りのお礼と、最後のあいさつだった。後、共通の友人がログインするかどうかの確認だったのだが、結局彼は最終日に姿を現す事はなかった。
彼女は鍛治職を極めたプレイヤーで、中でも装飾品、とりわけ仮面に異常なほどの情熱を注いでいた。そんな彼女は最後に自分が作った作品達とお別れをする為に久しぶりにログインしたらしい。最高傑作の仮面をつけて強制ログアウトまでスクリーンショットを撮りながらヘルヘイムを練り歩くのだと笑っていた。
その彼女が死んだ。
なんで、だってこのレベル帯が低い世界で? ありえない。
男は何か恐ろしいものが隠れているのかと危機を感じた。
そしてそれは正しかったのだ。
〈飛行〉を使って男が居るのは地上10メートルの空中。そこにいてもなお見上げるほど巨大な樹木は空気の層がわかるほど遠くに居た。遠近感が狂った相手は、これまたおかしな程大きな触手を振り回す。木の根に似た触手の表面がひどく固い事は先程身をもって味わった。当たった時の激痛を思い出して男は身震いする。巨体に似合わぬ俊敏な動きは、〈飛行〉の魔法では避けることが精一杯だ。
現実世界であるここに適正レベルなんて概念はないだろう。相手がレイドボスクラスのモンスターなのは明らかで、プレイヤー一人で倒せる存在とは思えなかった。
しかし、放っておくのは更にまずいだろう。この世界がゲームでないなら、木はそこに存在するだけで成長するのだから。一時期ユグドラシルでも似たコンセプトのイベントがあった。日数経過で適正レベルと難易度が跳ね上がる植物系のモンスターがワールド各地に設置されたのだ。最初は50レベルからスタートしたが、気がついた時には100を優に超え、最終的に当時のトップギルド、その更に上位層がいくつものパーティを組んで討伐を完了した。
男の所属していたギルドもそのイベントに参加したが、単純にギルドメンバーの数が足りず、満足にパーティを組めなかったので諦めた。41人しかメンバーがおらず、その中でも生産職などの非戦闘員がいる中では流石に強さを求めたトップには数段劣ってしまうのだ。
懐かしい回想。あれは一体何年前のイベントだっただろうか。
ともあれ、ゲームの世界ですらも採用された成長要素、それがゲームの設定が現実世界と混ざって居るこの世界でどう作用するかはわかりきっている。このモンスターを放って置く事は出来ない。それが男の出した絶対の結論だった。
「まずは小手調べといこうか! 〈時間停止〉!」
初手で時間を止める事で相手のレベルを測る。本来ならレンジャー系の職業を持つメンバーにレベルや弱点などを見てもらうのだが、モモンガにはそういった事はできない。こうやって魔法を使って相手の反応を見る事で大凡のあたりをつけるのが精一杯だ。
時間停止に対する対策が施されているのならば、相手は70レベル以上という事になる。一時は環境を支配したこの凶悪な魔法は、その対抗手段が山のように用意されていた為に覇権とまではいかなかった。その対抗手段が出てくるのが大凡70前後。この魔法で動きが止まれば良し、止まらなければ一発、超位魔法でも撃ち込んでみるしかない。脳筋な考えに一瞬やまいこの台詞が脳裏をよぎる。殴ってから考えれば良い、なんて思慮深くあるべき教師の発言とは思えない。
はたして、巨大なモンスターは触手をいくつも振り上げた体勢で不自然に停止した。その後にゆっくりと、だが確実に触手をうねらせる。つまり時間停止の対策がされていたという事だ。確実にレベルは70以上、男は緊張に無いはずの喉を鳴らす。
腹を括った男は、〈時間停止〉の魔法を放ってから密かに数えていた数字に口を開く。
「〈魔法遅延化〉〈魔法最強化〉〈隕石落下〉」
時間停止中は対抗手段を持った相手も、仕掛けた側の自分も動ける。が、攻撃はできない。
しかし、〈魔法遅延化〉を使う事で、時間停止が解けた瞬間に高火力で封殺するコンボがある。俗に言われる時間停止コンボ。完全なるプレイヤースキルに依存したコンボであり、習得には多くの練習が必要だ。ユグドラシルプレイヤー全体を見ても、使いこなしていた者は少ない。そんな高難易度を久しぶりに使うとあって男は緊張した。失敗したところで見るものはいないが、ギルド資金を稼ぐだけの日々ですっかり腕が鈍ってしまっている事を突きつけられる事になるだろう。今から自分と同等の強さや、ひょっとしたら自分よりも強い相手に出会うかもしれない中でそれは遠慮したかった。
魔法のタイミングはばっちり、 狙いも甘いが相手も大きい事を考えれば許容範囲内。
心の中でカウントがゼロになると同時に、止まっていた時間は再び動き出す。
時を置かずして、巨大な隕石がモンスターへと降る。
余波でローブがたなびき、被っていたフードが後ろに流される。隕石のもたらした破壊の力は地形を変えた。森は衝撃でなぎ倒された木が放物線状に倒れ、中心部分は大地がえぐり返されて黒い土がシュウシュウと湯気をあげていた。
どれほどの破壊の力が働いたのかは明らかだった。
しかし、男は前を睨みつけたままだ。なぜなら、視線の先には未だ健在の化け物がいたからだ。全体的に煤けており、ガードに回した触手二本が使い物にならなくなっている。樹皮は剥がれ、中がよく見えた。傷の断面からは樹液が漏れ出しており、元から悍ましかった見た目は更に迫力を増している。
ダメージが通った事にひとまず安堵の息を吐く。アンデッドの身体には必要ない事だというのにまだ中身は人間なのだ。
思ったよりも相手のレベルが高くない。男は戻った時間の中二重、三重に魔法を重ねる。
衝撃。
熱。
冷気。
雷。
幽体に。
実体に。
直接的に。
間接的に。
強化の施された魔法は一撃一撃相手を体力と共に削り取る。
ボロボロに脆くなって、葉も枯れ果てた後。
トドメに放ったのは<現断>。モモンガの友人にして恩人、たっち・みーの最強の技。その魔法版だ。
最後の一発が見事に決まると、モンスターは小さな木片となって辺りに散る。
命の危機を脱した勝利だというのに、男の胸にあったのは苦い気持ちだけだった。
勝利の余韻は甘美なものではなかった。
少し気の抜けていたモモンガはぼんやりと改めて今後の身の振り方を考えた。
いくら低レベル層が多いと言っても、先ほどのような存在がまだいないとは限らない。今回は一人で対処できたが、次もそうなるとは思えなかった。
「やっぱり情報がほしい。強いやつの情報と、後、ほかのプレイヤーの情報が必要だ」
ゲーム時代の自らの悪役っぷりには頭が痛いが、ここでは出来るだけプレイヤー同士協力するべきだ。
その為にはやはり人間に近づく必要がある。亜人や異形種は徒党を組まない。だからその分情報の集まりが悪い。人間は違う。設定上は弱い存在としてある彼等は徒党を組み情報を共有する。やはり人間に混じりながら情報を集めるのが一番早いだろう。
その為の伝はできている。もうすぐエ・レエブルの領主になるエリアス達とは知人以上の仲だ。
まずエリアス。彼にとって自分は命の恩人のはずで、実際、落ち着いた後に褒賞を貰える事になっていた。
自分が飛び出して来るまでは。
次にその叔父のイエレミアス。彼とはもっとも親しい間柄になれたと思っている。毎日数時間、話をしたりお茶を飲んだり、楽しい時間を共有していた。
自分が飛び出して来るまでは。
最後にロックマイヤー。元冒険者だという彼ともこの数日で屋敷内や街の案内など多くの時間を共に過ごした。けして嫌々やっていたようには見えなかったから関係性は確実に良好な筈だ。
自分が何の言伝もなく飛び出して来るまでは。
「戻るの気まずいなぁ……」
身から出た錆だとは言え、衝動のまま行動した数時間前の自分が恨めしかった。