本当はコワい「てるてる坊主」!?
絶対に晴れて欲しいイベントを控えた前夜、「てるてる坊主」の童謡を口ずさみながら、小さな人形を窓辺に吊るした経験を持つ人もいるのでは?「おしトピ by 教えて!goo」で、「てるてる坊主まつわる思い出を教えて!」と聞いたところ、さまざまな声が寄せられた。
■多くの人が晴れるように祈りをこめた経験アリ
「運動会や遠足前は吊るしていましたね。必ず晴れていましたよ」(Panda1969さん)と、楽しい思い出を支えてもらった体験を教えてくれる方がいる一方で、「当たり外れが大きかったかな」(yuuchan_00さん)、「てるてる坊主を作る程雨が降る・・・」(aikoさん)、「1個では心配なので、軒下いっぱいに吊るしたが、結局は雨。数の問題ではないようだ」(サム蔵さん)、「昔やったけどあまり効果がなかったのでそれ以降吊るのをやめた」(マイウエチャンさん)などと、効き目を実感できなかったという意見が優勢だった。
中には、晴れたので「お礼にお酒を飲ませてあげたら、顔がにじんでしまった。子どもだったので、焦りました」(よっぽっぽさん)、「どう作っても頭が重くなるのかバランスが悪いのか、吊るすと必ず逆さま。晴れることはなかった」(まるx2さん)といった、「てるてる坊主」をそのものの作成体験での苦労話を寄せてくれた方もいた。
ところで、そもそも「晴天を祈る(=雨振りを止める)」ための「おまじない」として、何故「てるてる坊主」を吊るすのだろうか?
■そもそも「てるてる坊主」ってなに?
日本での歴史を紐解くと、平安時代に中国から伝来した風習といわれ、19世紀のはじめに記された『嬉遊笑覧』という江戸時代後期の風俗・習慣を紹介した随筆本に紹介されているのを見つけることができる。もしかしたら長屋や寺子屋の軒先に、子供たちが「てるてる坊主」を吊るしていたのかもしれない。
作り方にも諸説あるが、一般的なのは、紙を丸めて玉を作り、それをさらに別の紙の中心に置いて包み、玉の根元を紐や輪ゴムで縛って人型にする方法。ここで気になるのが「顔」だ。祈願アイテムとしてポピュラーな「だるまさん」のように、「願いがかなったときまで左目を入れない」という節もあれば、「顔自体を描いてはいけない」という言い伝えもあるらしい。
あとは、これを窓辺や軒先など「空が近くに見えて、太陽に向かう南向き」に吊るせばOKである。筆者は南向きに吊るすことを初めて知ったのだが、雨が降ってしまったという方はこの方角を筆者のように知らなかったからかもしれない。
なお、人形が逆さまになってしまうと、効果は真逆になる。あえて雨が降ることを祈るために逆さまに吊るす「あめあめ坊主」「ふりふり坊主」と呼ばれる正反対のおまじないになってしまうからだ。そう――「おまじない(お呪い)」=「呪術」である以上、ひとたび「作法」を間違えれば、「災い」を招いてしまうこともあるのだ。
■「てるてる坊主」のルーツは我が身を捧げた中国の少女
「てるてる坊主」を日本に伝えたともされる中国。そのルーツを探ると「晴娘(チンニャン)」という名の娘にちなんだ伝説が元になったことが分かる。
「晴娘」は北京に住む、切り紙細工が得意な美しく利発な娘で、その評判は皇宮にも伝わり、お后たちから注文がくるほどの腕前だった。ある年の6月、北京を大雨が襲った。何日も続く豪雨に城内は水浸しに。人々はお香を焚いて天に祈りを捧げたがまったく効果はなかった。ある夜更け、「晴娘」は崩れかけたある家の屋根にあがると、天に向かって一刻も早く雨があがるように祈りを捧げた。すると、とてつもなく大きな声が空に響き渡った。
「晴娘よ、東海龍王(海を統治する4人の竜王のうち最強の王。雲と雨を操り、その怒りに触れると都市に洪水を起こす)がお前をご子息の嫁にと望んでおいでだ。もしも、従わねば北京を水底に沈めてしまうぞ」と。
「晴娘」はすかさず空に向かって叫んだ。
「この街を救うためならば、喜んでこの身を龍王に捧げます。ですから、どうか雨をこれ以上降らせないでください!」
その途端、一陣の突風が吹いてきたかと思うと、「晴娘」の姿は忽然と消えた。そして、それまでの長雨が嘘のように止み、空には星空が広がった――。
それ以来、北京の人々は、「晴娘」のことを偲んで、6月に雨が続くと、「掛掃晴娘(グアサオチンニャン)と名付けた、人の形の切り紙(形代)を娘たちに作らせ、門口にかけるようになったのだ。
中国では北京の街と人を守るために、異界の王に我が身を捧げた恐ろしくも悲しい物語が下地となっているのだ。
■ほんとうに吊るしたお坊さんの首!!
それでは、日本の場合はどうか? 冒頭の童謡「てるてる坊主」(浅原鏡村作詞・中山晋平作曲 1921年発表)も、歌い進んで3番になると、とんでもない残酷な歌詞が出てくる。それは晴れずに曇ったら首をチョン切るというものである。
こちらは、経を唱えれば降り続く雨をあがらせることで評判だったお坊さんが、ある時、殿様の命令で祈願したが失敗し、その罰として首をはねられた――という民話が元になっているようだ。そのお坊さんの首を白い布でくるみ吊るすと、次の日は嘘のように空が晴れ渡った……という、なんともおぞましい結末である。
■日本史の裏に埋もれた恨みの歴史――
最後にとっておきの「恐いエピソード」を。「てるてる坊主」が大正時代に作られたオリジナルの童話ではなく、「てんてる坊主」と歌う伝承歌が元になっている――とする歴史伝奇ロマン小説がある。
著者は五木寛之氏。その中の一冊は『日ノ影村の一族』。文庫版の表紙では、そのものズバリ、夜の峠道をいくつもの「てるてる坊主」がくだってくるイラストがあしらわれている。実在する九州のある村に、「歴史」に背を向けて生き抜いてきた一族の歴史が語られていくのだが……。作品がミステリー・タッチであるために、これ以上の「ネタばれ」は差し控えたい。
でも、ヒントを――「てんてるぼうず」が「てんてる坊主」ではなく、「天照亡ず」と歌っているとしたら――日本の歴史に詳しく、勘の鋭いあなたなら背筋が思わずゾクっとなるのでは?
●参考文献など
『嬉遊笑覧』(喜多村信節 1830) 岩波文庫版&近代デジタルライブラリー
窪徳忠『道教の神々』平河出版社(1986)
『日ノ影村の一族』(1978 文藝春秋刊)
北京市観光局オフィシャルウェブサイト
日本気象協会HP
森林セラピー協議会HP
教えて!goo スタッフ(Oshiete Staff)
■多くの人が晴れるように祈りをこめた経験アリ
「運動会や遠足前は吊るしていましたね。必ず晴れていましたよ」(Panda1969さん)と、楽しい思い出を支えてもらった体験を教えてくれる方がいる一方で、「当たり外れが大きかったかな」(yuuchan_00さん)、「てるてる坊主を作る程雨が降る・・・」(aikoさん)、「1個では心配なので、軒下いっぱいに吊るしたが、結局は雨。数の問題ではないようだ」(サム蔵さん)、「昔やったけどあまり効果がなかったのでそれ以降吊るのをやめた」(マイウエチャンさん)などと、効き目を実感できなかったという意見が優勢だった。
中には、晴れたので「お礼にお酒を飲ませてあげたら、顔がにじんでしまった。子どもだったので、焦りました」(よっぽっぽさん)、「どう作っても頭が重くなるのかバランスが悪いのか、吊るすと必ず逆さま。晴れることはなかった」(まるx2さん)といった、「てるてる坊主」をそのものの作成体験での苦労話を寄せてくれた方もいた。
ところで、そもそも「晴天を祈る(=雨振りを止める)」ための「おまじない」として、何故「てるてる坊主」を吊るすのだろうか?
■そもそも「てるてる坊主」ってなに?
日本での歴史を紐解くと、平安時代に中国から伝来した風習といわれ、19世紀のはじめに記された『嬉遊笑覧』という江戸時代後期の風俗・習慣を紹介した随筆本に紹介されているのを見つけることができる。もしかしたら長屋や寺子屋の軒先に、子供たちが「てるてる坊主」を吊るしていたのかもしれない。
作り方にも諸説あるが、一般的なのは、紙を丸めて玉を作り、それをさらに別の紙の中心に置いて包み、玉の根元を紐や輪ゴムで縛って人型にする方法。ここで気になるのが「顔」だ。祈願アイテムとしてポピュラーな「だるまさん」のように、「願いがかなったときまで左目を入れない」という節もあれば、「顔自体を描いてはいけない」という言い伝えもあるらしい。
あとは、これを窓辺や軒先など「空が近くに見えて、太陽に向かう南向き」に吊るせばOKである。筆者は南向きに吊るすことを初めて知ったのだが、雨が降ってしまったという方はこの方角を筆者のように知らなかったからかもしれない。
なお、人形が逆さまになってしまうと、効果は真逆になる。あえて雨が降ることを祈るために逆さまに吊るす「あめあめ坊主」「ふりふり坊主」と呼ばれる正反対のおまじないになってしまうからだ。そう――「おまじない(お呪い)」=「呪術」である以上、ひとたび「作法」を間違えれば、「災い」を招いてしまうこともあるのだ。
■「てるてる坊主」のルーツは我が身を捧げた中国の少女
「てるてる坊主」を日本に伝えたともされる中国。そのルーツを探ると「晴娘(チンニャン)」という名の娘にちなんだ伝説が元になったことが分かる。
「晴娘」は北京に住む、切り紙細工が得意な美しく利発な娘で、その評判は皇宮にも伝わり、お后たちから注文がくるほどの腕前だった。ある年の6月、北京を大雨が襲った。何日も続く豪雨に城内は水浸しに。人々はお香を焚いて天に祈りを捧げたがまったく効果はなかった。ある夜更け、「晴娘」は崩れかけたある家の屋根にあがると、天に向かって一刻も早く雨があがるように祈りを捧げた。すると、とてつもなく大きな声が空に響き渡った。
「晴娘よ、東海龍王(海を統治する4人の竜王のうち最強の王。雲と雨を操り、その怒りに触れると都市に洪水を起こす)がお前をご子息の嫁にと望んでおいでだ。もしも、従わねば北京を水底に沈めてしまうぞ」と。
「晴娘」はすかさず空に向かって叫んだ。
「この街を救うためならば、喜んでこの身を龍王に捧げます。ですから、どうか雨をこれ以上降らせないでください!」
その途端、一陣の突風が吹いてきたかと思うと、「晴娘」の姿は忽然と消えた。そして、それまでの長雨が嘘のように止み、空には星空が広がった――。
それ以来、北京の人々は、「晴娘」のことを偲んで、6月に雨が続くと、「掛掃晴娘(グアサオチンニャン)と名付けた、人の形の切り紙(形代)を娘たちに作らせ、門口にかけるようになったのだ。
中国では北京の街と人を守るために、異界の王に我が身を捧げた恐ろしくも悲しい物語が下地となっているのだ。
■ほんとうに吊るしたお坊さんの首!!
それでは、日本の場合はどうか? 冒頭の童謡「てるてる坊主」(浅原鏡村作詞・中山晋平作曲 1921年発表)も、歌い進んで3番になると、とんでもない残酷な歌詞が出てくる。それは晴れずに曇ったら首をチョン切るというものである。
こちらは、経を唱えれば降り続く雨をあがらせることで評判だったお坊さんが、ある時、殿様の命令で祈願したが失敗し、その罰として首をはねられた――という民話が元になっているようだ。そのお坊さんの首を白い布でくるみ吊るすと、次の日は嘘のように空が晴れ渡った……という、なんともおぞましい結末である。
■日本史の裏に埋もれた恨みの歴史――
最後にとっておきの「恐いエピソード」を。「てるてる坊主」が大正時代に作られたオリジナルの童話ではなく、「てんてる坊主」と歌う伝承歌が元になっている――とする歴史伝奇ロマン小説がある。
著者は五木寛之氏。その中の一冊は『日ノ影村の一族』。文庫版の表紙では、そのものズバリ、夜の峠道をいくつもの「てるてる坊主」がくだってくるイラストがあしらわれている。実在する九州のある村に、「歴史」に背を向けて生き抜いてきた一族の歴史が語られていくのだが……。作品がミステリー・タッチであるために、これ以上の「ネタばれ」は差し控えたい。
でも、ヒントを――「てんてるぼうず」が「てんてる坊主」ではなく、「天照亡ず」と歌っているとしたら――日本の歴史に詳しく、勘の鋭いあなたなら背筋が思わずゾクっとなるのでは?
●参考文献など
『嬉遊笑覧』(喜多村信節 1830) 岩波文庫版&近代デジタルライブラリー
窪徳忠『道教の神々』平河出版社(1986)
『日ノ影村の一族』(1978 文藝春秋刊)
北京市観光局オフィシャルウェブサイト
日本気象協会HP
森林セラピー協議会HP
教えて!goo スタッフ(Oshiete Staff)