サッカー・ワールドカップ(W杯)ロシア大会に出場する日本代表が決まった。開幕直前の監督交代というかつてない逆風下の船出だ。西野朗監督が目指す「日本らしさ」とチームに期待したい。
日本は六大会連続六度目の出場となる。一次リーグの相手国ではポーランドこそ八度目だが、コロンビアが同じ六度目、セネガルは二度目。日本はもはや常連国だ。
しかし、一次リーグを突破したのは、地元開催の日韓大会(二〇〇二年)を含め二度しかない。弱小国とみなされ存在感も希薄だが、何より「これが日本のサッカーだ」というものが見えない。強豪といわれる国には大きく分けて二つの「文化」が存在する。
一つは、南米やイタリアなどラテン系の国々。勝つためには挑発行為やいわゆるアンフェアなプレーもいとわない。ポルトガル語で「ずる賢い」を意味する「マリーシア」に徹する。
象徴は〇六年ドイツ大会の決勝。イタリアのマテラッツィ選手は相手フランスのエース、ジダン選手を執拗(しつよう)に挑発。頭突きを食らわせたジダン選手は退場となり、イタリアが栄冠を手にした。
対照的に、サッカーの母国・イングランドやゲルマン魂で知られるドイツは違う「文化」がある。プレーは荒々しいが、フェアに戦うスポーツマンシップが根付く。
一九九八年フランス大会でイングランドの若きスター、ベッカム選手はアルゼンチン選手に度重なるファウルを受け、つまらない報復行為で一発退場。残る十人で健闘するもイングランドは敗れた。英紙は「十人の勇者と一人の愚か者」と彼を容赦なく非難した。
これには後日談がつく。ベッカム選手は四年後、日韓大会のアルゼンチン戦でゴール、勝利に導いた。重い十字架からようやく解放されたのである。
日本は前回大会の敗退後、同じように小柄ながら強豪国と肩を並べるメキシコを手本とし、俊敏な動きと連係プレーに活路を求めた。同国出身のアギーレ氏を監督に招聘(しょうへい)したが、過去の八百長疑惑で同氏の契約を解除。そこから迷走が始まった。
ハリルホジッチ前監督の解任が遅すぎたと嘆いても仕方ない。時間がない分、経験値の高いベテラン、中堅選手で代表を編成したのは妥当だろう。前回大会など多くの蹉跌(さてつ)を経て、現在は世界一流のリーグで活躍している彼らである。その熱き思いに期待である。
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