備忘録

何かあったとき用に

落ちるときは落ちるもんだ

タイトルから分かる通り、東京工業大学第5類, 第1類ともに落ちました。
正直、私が思っていることとしては「当然」という思いが強くそこまでショックはうけませんでした。
何故受からなかったのか自分の言い訳と欲求のためにこれから話そうと思います。 嫌なら見ないでいいです。

持病

一部の人なら知ってたり察してたりしてるかもしれませんが、公の場で言うのはこれが初めてなので改めて公表したいと思います。

私は鬱病を患っています、そしてそれは今でも続いています。

鬱病の傾向はけっこう前からあったのですが酷くなったのは昨年の12月(高校2年生)のときで、原因は主に家族にあると私は考えています。
元々うちの家族は父が単身赴任、家には姉と母という女家庭で生まれてきたので他人の愚痴は日常茶飯事であり、抑圧がかなり酷かったです。
人格否定等などが当たり前だったので自分自身反抗期など向かえられず未だにどういう感情が正しいのかわかりません。
特に酷いのは夜で酒を飲んだ母と姉との口論は聞くに耐えませんでした。

こういうストレスが溜まり、最終的には鬱病になりました。

病気にかかってから

病気にかかってからの生活は(今までもつらかったですが)よりつらいものになりました。

まず治療(自分の場合は薬服用)を始めて1ヶ月ぐらいは食欲はほとんどなくなり、体重が5kgぐらい減りました。
現在は食欲は戻ったどころか以前より増えてしまって体重が大幅に増加しまいました。(最低時から+10kg)

次に、何に対してもやる気がでないです。
今までやっててもつらくなったことが途端につらくなってしまい、続行不可能になることが多くなりました。
好きなことにも打ち込めず、ストレスが余計溜まりました。
また、それによって学校もつらくなり不登校がちになってしまいました。勿論、授業も出れないため基礎ができませんでした。

最後に、睡眠をとることが困難になりました。
現在は不眠症用の薬を処方してもらって寝ていますが未だに深い眠りについた心地がしないです。

学校に行けなくなってから

やる気の喪失によって集中力も低下し、授業を続けるとき吐き気などに襲われるのは当たり前になりました。
そのため、学校を休みがちになり高2の時点では進級は確定してたものの高3で単位不足で卒業できるか危うい状況になりました。
そして、学校に行ったとしても大体は授業を休んでしまうため勉強はほぼ独学でやる必要がありました。
勿論、独学をするためのやる気も出ないので基礎内容ができず応用内容にも手をつけられない悪循環に陥りました。

これが自分の言っていた受からなかった"言い訳"です。

これからのこと

はっきり言うと、また受験勉強するほどの身体的、精神的余裕がないため今後は父の家でゆっくり療養したいと考えています。
未来のことなんて考えるつもりは全くないのでその場その場で判断したいと思います。

最後になりますが、自分の長い言い訳と欲求を見てくれた皆様、ありがとうございます。