蝙蝠侯爵と死の支配者 作:澪加 江
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「モモンガ殿、先程は本当に助かりました」
陰気な顔に精一杯友好的な笑みを作り、和かに怪しい魔法詠唱者にエリアス・ブラント・デイル・レエブンは話しかけた。
「いえ、あれくらい大したことないですから。それに私の方こそ先程は取り乱してすみません」
現在はたまたま逃げていた馬を呼び戻して馬上の人となっているエリアス。そのエリアスを見上げるのはモンスターに襲われているところを救ってくれた漆黒のローブを纏った人物だ。恩人に歩かせるのは忍びないが、馬が怖がって乗せてくれないので仕方なく歩いてもらっている。声や背格好から判断すれば間違いなく男なのだが、肌も顔も籠手や仮面で隠されており明確な判断が難しい。その人物は自らをモモンガと名乗った。
エリアスはその耳慣れぬ響きの名前を訝しく思う。取り乱していた時に上がったいくつかの単語の意味は分からなかった。その上一目でわかる高級品に身を包んでいるモモンガははっきりと言ってしまえば得体がしれない人物である。
きっと文化圏の違う遠方の国の貴人なのだろう。
エリアスはそう当たりをつけた。しかしそれではモモンガから感じる立ち振る舞いの未熟さが気になる。国が違うから作法が違うと言われればそれまでなのだが、エリアスにはどうも別の面が感じられた。
「エリアスさんには色々と教えてもらいましたし、今もこうして街まで案内してもらって助かります」
高難度のモンスターを相手にしながら、大したことはないと言い放つ魔法詠唱者。
貴族を相手に話しているとは思えない気軽な言動にヒヤヒヤしているのは、エリアスが護衛として雇ったオリハルコン冒険者のロックマイヤー。もっともこの緊張は上級貴族であるエリアスに、男がまるで対等な身分であるかの様な振る舞いをしているだけが理由ではない。
身分の違いの事ならば能力が高いものには普段から一定の敬意をもって接しているエリアスであるのでそこまでの心配はない。しかし何事にも限度がある。万一の時に命令され直接手を下す事になるのは自分だ。こんな得体のしれない魔法詠唱者に敵対するなど、ロックマイヤーの優秀な勘が危機感を訴えている。エリアスがその心配が薄いとは言っても、この国の貴族の多くは身分に厳しいものが多い。先程のモンスターが襲って来た時とは別種の緊張を感じながら、ロックマイヤーは己の護衛対象と同行者を見つめた。
自分が雇った護衛がそんな緊張に包まれているとはつゆ知らず、護衛対象であるエリアスは自分の野望の前途多難さを改めて感じていた。
数年前に隣国で戴冠した皇帝は従来の貴族という身分が持つ力を弱めて自分への一極集中を図っている。それは数十年前まで王国の様に腐敗が進んでいたらしき帝国の方針転換の成果だろう。
しかし一方でこの国では逆に、権力は分散傾向にある。大きく分けて貴族派と王族派。二つの大きな勢力に分かれ、少しずつ権力闘争は表面化しつつある。現王の二人の息子が成長するに従って浮き上がってきた問題は、第一王子の結婚をきっかけに激しく動いた。
そんな状況だからこそ、エリアスの野望を抱いて邁進できるのだ。ゆくゆくは王家を簒奪し、そして、この非合理な王国を変えて自分の優秀さを証明する。そんな向こう見ずとも言える目標をエリアスは心の内に抱いていた。
しかし今は自分の野望よりも大事な事が二つある。
一つ目はエリアスの命を狙った賊を差し向けてきた叔父だ。
エリアスの知る叔父は小物で要領が悪い。今回の様に万全のお膳立てをしていたにもかかわらず標的であるエリアスを排除できない程だ。しかし、これから正式に自分がレエブン侯爵家を継ぐための障害になる事がわかった。
ならば排除しなければならない。
ゆくゆくはこの国を乗っ取るつもりなのだ。自分の領地くらいで躓いてはいられない。
二つ目は今現在共に行動しているこの貴人らしい魔法詠唱者についてだ。
王国の大部分である無能な貴族ならば、魔法使いなど下賤だと一顧だにしなかっただろう。しかし、エリアスは違う。懇意にしているロックマイヤーのチームの魔法詠唱者──ルンドクヴィストから聞いている。
第一階位魔法である〈魔法の矢〉は、術者の力によって出現する矢の個数が違う。魔法詠唱者として大成したと言われる第三階位を使えるルンドクヴィストは三個。
しかしこの男は一度に三十もの光弾を生み出していた。
はっきり言ってしまえば人外の領域だ。現在護衛として雇っているロックマイヤーをして警戒するに足りる、むしろ警戒したところでどうしようもない問題でもある。
しかし、だからこそ。
だからこそエリアスはその力が欲しい。
醜悪で愚鈍な貴族と、暗愚な王族からこの国を奪い自分が王位につき、素晴らしい国を作るために一番足りないのは兵力だ。単純な兵力では第一王子のバルブロの後見人であるボウロロープ候の領兵には遠く及ばない。しかし、もしモモンガを味方に引き入れる事が出来たのならば力関係は改善される、それ程の力がモモンガにあるとエリアスは確信していた。
その為にもぜひ強者であるモモンガとは友好関係を築いておきたかった。
(街に着いたらどうやって引き止めるか。この見事な服を普段使いにしているのだから金や宝石では無理だろうな……)
この魔法詠唱者は森の中ですら、金糸で縁取られた夜の闇のように光を吸い込む漆黒のローブを着ていた。そのローブ一枚でひょっとしたらこの王国の数年分の価値があるかもしれないものを、だ。しかも、エリアスの審美眼が確かならばその服は魔法がかけられている。
気が遠くなるほど貴重なのだ。本来はこんな汚れるだろう森の中で着るものではない。
手にはめている籠手もそうだ。何回か面会した王都のアダマンタイト級冒険者達。人類最高の強さと名誉をもち、それに相応しい稼ぎをしている彼等ですらもこの籠手と同等の物を持っているかは怪しい。
(情に訴えるのが確実だろうな。適当な女をあてがうか? いや、しかし、本当に男だろうか?)
英雄色を好むという言葉がある。一切の露出の無い服装だが、おそらくモモンガは男だろう。と思う。
魔法詠唱者が英雄であるかは謎だが、色仕掛けでなくとも、人と人の繋がりで縛るのは良い案だ。気の置けない友人、お気に入りの場所。そう言ったものをなんとか用意しなければ。
金銭に変えられない借りは大いに利子をつけて返してもらえる。既に恩自体は感じてもらっている様子なのでうまく行くだろう。しかし、そこまで考えてエリアスは疑問に思う。この凄腕の魔法詠唱者はなぜ、供回りも連れずに一人で森にいたのか、と。
エリアスがそう考えていると街道がひらけた。
目の前に広がるのは二日前に見たエ・レエブルにもっとも近い街の外壁。
森にほど近くモンスターの脅威に常にさらされるここら辺の街は頑丈な石を積み上げた壁で囲んである。壁の所々には小窓があり、万一の時はそこから様々なものを投げて相手を追い払う。度々使われてきただろう傷ついた壁は日頃からの戦いの跡が残っていた。
「すごいですね……」
モモンガから感嘆の声が漏れ、エリアスはそれに少し得意になる。
「この街は確かに歴史は古いが、エ・レエブルはもっと優美ですよ。王国一栄えている、とは言えないがこの数倍は見所があると約束しよう」
「王国……確かここはリ・エスティーゼ王国でしたよね」
「そうですよモモンガ殿。モモンガ殿は確か……」
「ユグドラシルのヘルヘイムから来ました。もう一度念のために聞きますけど、聞き覚えはないんですよね?」
「残念ながら。ロックマイヤー、君はどうだね?」
「残念ですけど聞き覚えはこれっぽっちも無いですね。そんなに有名なんですか?」
「つい5年くらい前までは最盛期で、界隈で知らない者は居ないってくらいだったんですけどね……時間の流れは残酷だなぁ……」
そう言って遠くを見つめるモモンガにエリアスは顔をしかめる。まるでこちらが無知であるかの様な言い草だ。しかし実際知らないのだから仕方がない。界隈で知らない者は居なかったという言葉に、自分の無知さを改めて感じさせられる。気分を変えるために軽くため息をつくと、街道に沿って進み街の門へと向かう。
ユグドラシルという国の、ヘルヘイムという地方から来たこの身分の高いだろうモモンガという人物。魔法詠唱者としての実力だけではなく、人当たりの良さや、その専門的な知識をもっている。
やはりなんとか味方に引き入れたい。エリアスはそう思った。
壁の中に入るための待機列に並んだエリアス達は、ロックマイヤーを門番の所へ送り出す。ロックマイヤーは門の外で検問をしていた門番に声をかけ、数度のやりとりの後に特別な許可をもらってきた。もっとも、領主の息子がいるのだからそこは融通をきかせてもらえるのだろう。
無事に中へ入ることができた一行は、中に入ると馬を門番の詰所へと預ける。
詰所は平民のものらしく簡素で作りが悪い掘っ建て小屋。普段ならこんなみすぼらしい所に用はないエリアスだが、何時間ぶりかの揺れない椅子に腰を落ち着けたかった。多少の無理を通して中の休憩室で、クッションの張られていない椅子に腰を落ち着ける。座り心地は残念だが、何時間も馬に乗り揺さぶられていたことに比べると悪くない。
突然の領主の訪問に、運悪く休憩時間の被っていた衛士が震える手でお茶を持ってきた。ふちのかけたカップに入れられた紅茶は砕けた茶葉の粉末が多く底に溜まっていた。
エリアスは少し眉間に皺を寄せた後に振舞われたお茶を飲んで一息つく。味は出涸らしかと思うほど薄く、変なえぐみがあったが、急に押しかけてきたのだ文句は言えない。それでも隠さず眉を顰めながら対面に座る男を盗みみる。
出されたお茶は三人分。
同じテーブルには自分とモモンガ。護衛であるロックマイヤーはお茶の入ったカップを持ち立っている。モモンガも流石にお茶を飲むときは仮面を外すだろうと思っていたのだが、一向にその気配はない。
「失礼モモンガ殿。流石にこんな質の悪いお茶では気分を害されたかな?」
エリアスの言葉にモモンガは大袈裟な身ぶりで答える。
「い、いや、そういうわけじゃあないんですけど。ちょっと体質的にお茶が受け付けないってだけで。匂いだけ楽しませてもらいます」
そういうとカップを持って仮面に近づける。軽く揺らしながら、モモンガはわざとらしく匂いを嗅ぐ音を出した。
成る程、と、エリアスは納得する。つまりは素顔を見られたくないのだろう。余程の醜男か、顔に酷い傷でも残っているのかもしれない。
(もしくは本当に他国のお忍びかもしれないな)
もうすぐ建国200年を祝って王都の方で盛大な式典がある。それに向かう途中なのだろう。顔を見られないのは残念だが、声はしっかりと覚えた。もし式典後の懇親会であった時でも見つけることができるだろう。
カップの中のお茶が半分になった頃、入り口近くに立っていたロックマイヤーが少し動いた。しばらく後に礼儀正しいノックの音。どうやら待ち人であるこの街の執政官が来たようだ。
「失礼。待ち人が来たので私とロックマイヤーは暫く席を外させてもらおう。モモンガ殿には今回本当に世話になったので是非お礼をさせてもらいたい。後で話し合いたいのでこちらでまってもらっても?」
「え。構いませんよ、ここで待っておきます。それにここを出たところで行く場所も土地勘もありませんし。エリアスさんに教えてもらえたら助かります」
ノックの音に出て行っていたロックマイヤーがエリアスを呼ぶ。
それでは、と断りを入れてエリアスはロックマイヤーが開いた扉を潜った。
残されたモモンガは、三人の足跡が完全に聞こえなくなった後で、深い深いため息をついた。