集団にボコられているイビルアイの助けに入るモモンガ!
そしてテンパる漆黒聖典達!
「がはっ…!」
それは唐突に訪れた。
意識の外から飛来したその魔法にイビルアイは反応出来なかったのだ。
普段ならば反応できただろう。
だが今はその意識の全てを前方に向けていた為、後方からの魔法に気付けなかった。
結果、《フライ/飛行》で飛んでいたイビルアイは墜落し地面に叩きつけられた。
その衝撃で一時的に思考が真っ白になる。
何が起きたのか。
そもそも自分は何をしようとしていたのかと。
夜の帝都。
一人の女性をモモンガが高位の魔法で殺す瞬間を目撃してしまったイビルアイ。
彼女の倫理が、道徳が、正義感がそれを許しはしなかった。
帝都を襲った奇妙な違和感から、もしかするとモモンガが悪人でないのではないかと考えたがそれはただの幻想でまやかしだった。
相手は憎むべきアンデッド。
だからモモンガを打ち倒すべくイビルアイはその背を追ったのだ。
しかし彼女を襲ったのは第三者による後方からの攻撃。
墜落後、すぐに立ち上がるイビルアイだがその前に複数の者達が立ちふさがった。
直接は会った事がないものの、その容姿や装備のいくつかは友人から聞いた事があった。
(ほ、法国――!? な、なぜ奴らがここに…! いやそれどころではない! ま、まずいぞ、このままでは…)
イビルアイのその不安はすぐに現実のものとなった。
一人の男が槍でイビルアイの仮面をはじき飛ばし、その正体を暴く。
アンデッド。
吸血鬼たるイビルアイの素顔を前に彼等は武器を握りしめる。
なぜならそれは人類至上主義を掲げる法国にとって相容れぬものであったからだ。
そして、幾つもの凶刃がイビルアイを襲った。
◇
イビルアイが墜落した直後、それを目撃していたデイバーノックはすぐにモモンガへと声をかけた。
「モ、モモンガさん! 何が起きたか分かりませんが今の内に逃げましょう!」
「え、ええ!」
同じく遠目に見ていたモモンガも正直な話、これ幸いと逃げようとした。だが。
「な、なにをやっているんだ奴等は…!」
逃げる前にふと建物の影から覗いたモモンガの目に映ったのは地面に落ちた小さな女の子を大の大人が寄ってたかってボコボコにするという絵面。
事情を知らないモモンガからすれば彼女はただの強い女の子という認識であり「この世界は実力があれば子供でも冒険者できるんだ、ふーん」という程度の認識だった。つまり深く考えてなかったのだ。
それに冒険者と名乗る以上、こういう騒ぎも日常の一部なのだろうがそれでもこの世界の人間でないモモンガからすれば気分が悪いと思える状況だったのだ。
そのボコボコにされている女の子はモモンガに問答無用で攻撃を仕掛けてきたりする気に食わない子供なのだが、デイバーノックから聞いた話によると彼女は冒険者として人々から多大な支持を得ているとの事で結構良い奴らしいのだ。モモンガからすれば全くもって信じられない話だが。
と、そういう事情は知っているのだが、元の世界の感覚と常識に引っ張られ考えてしまった。
いくらなんでも小さな女の子を複数の大人でボコボコにするのはマズイだろう、と。
「モ、モモンガさん…!? ど、どうなされたのですか…!?」
逃げようとしていた足を止め、反対方向へと進みだすモモンガを驚いた様子でデイバーノックが止める。
「ごめんなさい、デイバーノックさん…。あの子は正直言うとムカつくまでありますけど、それでもあんな小さな子が大人たちにボコボコにされてるのは見逃せませんよ…」
「し、しかしモモンガさん…! 彼女は冒険者です! 色々なしがらみもあるでしょうし、恨みを買う事もあるでしょう! そこに我々が首を突っ込む必要はありません! それに何より、その…。し、失礼ですが、わ、私の勘違いでなければ相手は…」
何かを言い淀むデイバーノック。
それを見透かしたようにモモンガが告げる。
「分かってますよ、向こうの方が強いんじゃないかって言いたいんでしょう?」
その返事を聞いてデイバーノックが押し黙る。
そして沈黙のまま、なぜそれでも向かうのかという視線を向ける。
「一応勝機が無い事は無いんですよ。レベル、って言って伝わりますかね? まぁなんていうかその、肉体能力及び魔力量だけが戦力の決定的な差ではないって事です」
知り合いの受け売りですけど、とモモンガが続ける。
「ただまぁ力の差は結構ありそうなんでデイバーノックさんは逃げて下さい、ここは俺だけで…うわっ!」
いつの間にかモモンガの眼前にデイバーノックが迫っていた。
「お、御一人で行かせはしません! しませんとも! 何か勝機があるならば私がいればもっと上がるでしょう! ですから…!」
デイバーノックの言葉にモモンガは心を打たれる。「そうか、デイバーノックさんも女の子がボコボコにされてるのは嫌なんだな」と思って。
「ありがとうございます。でも大丈夫です。どうしてもと言うならデイバーノックさんは隙を見てあの子を連れて逃げて下さい。間違っても相手と戦おうとは思わないで欲しいんです」
「は、はい。分かりましたが、それでモモンガさんは大丈夫なのでしょうか?」
「まぁやってみますよ。別に相手を全滅させるのが目的じゃないですから。それに無視できないアイテムが見えたものでそれの対策をと。対策って程じゃないんですが俺に使わざるを得ない状況に持ち込みます。多分デイバーノックさんが食らったらレジスト出来ないと思うので…」
「?? よ、よくわかりませんがわかりました」
モモンガは絶対に無視出来ないアイテムに酷似した存在を目にした。
ユグドラシル時代、どんな強者だろうと逃げ出すような代物だ。
モモンガとてそれを見た瞬間すぐにでも逃げ出したくなる衝動に駆られたが、ふとクレマンティーヌの事を思い出したのだ。
彼女は自分の命が危ないと知ってなお、囚われている子供達を逃がした。もしモモンガがあそこに行かなければ後々に子供を逃がした事が組織とやらにバレ、彼女はその組織の連中に殺されていたかもしれないのに、だ。
そんな危険な状況にも関わらず幼い子供達を助けた。
それだけの覚悟を持った彼女を見た直後だからだろうか。
自分も感化されたのかもしれない。
身の安全の為だけに逃げ出すよりも、危険な目に遭っている女の子を助けたいという気持ちが僅かに勝ってしまったのだ。
愚かしい、と思う。
格上相手に、しかも勝率の高くない勝負を挑もうなどとは。
それにユグドラシルと違って自分がちゃんと蘇生出来るのかの保証は無い。
とりあえずこの世界で蘇生の実験をと思っていたがその被験者たる女性は今自分が抱えている。悔しいが今は蘇生する時間はないので後回しにせざるを得ない。
そもそもこの実験が自分にも同じかどうかの保証すら無いのだが。
以上のように悩ましい点が多いものの、今は腹をくくるしかない。
とは言ってもむざむざ死ぬ気はもちろん無い。
それに勝負して彼等と決着を付けるのが目的ではない。モモンガは相手を倒さなくてもいいのだ。デイバーノックに告げた通り最終目標は敵の殲滅ではない。
あの女の子を助け、逃げ延びる。
それがモモンガにとっての勝利条件。
ならば、勝機は十分にある。
「あくまで目的は戦闘の合間に彼女を拾って逃げる事です。回収したら
「はい!」
そうしてモモンガとデイバーノックが話し込んでいる内に、気付けばイビルアイにトドメの一撃が刺されそうになる。
「ま、まずい! 行きますよデイバーノックさん!」
モモンガは一気に飛翔し、イビルアイの元へ全力で飛んで行く。
その後、勢いよく隊長とイビルアイの間へと着地した。
(見ていて下さい、たっちさん…! 受けた恩は返します…!)
そして、戦いが始まる。
ただ一人、放置されたレイナースが遠くで寂しそうに横たわっているように見えるが多分気のせいだろう。
◇
突如、上空から飛来したモモンガに漆黒聖典の面々は戸惑いを隠せない。
後方にはもう一体の
不穏な気配と強者の圧力が場を支配し、漆黒聖典全員の動きが止まる。
だがその中で隊長が即座に声を張り上げた。
「これの相手は私がやる…! お前達はもう一人の
「「了解!」」
それを合図にして他の漆黒聖典達も動き出す。
だがモモンガはそれを許さない。
即座にスキルによる絶望のオーラⅢを発動して足止めする。
「うっ…!」
「な、なんだ…!?」
漆黒聖典達の動きが途端に鈍る。
彼等の全身が例えようのない悪寒と恐怖に晒された為だ。
唯一隊長だけはそれを前に動じずにいる事が出来たが、仲間の状況から自らも攻撃に移る事が出来ない。
「やっぱりⅢじゃこんなものか…」
自身のレベルダウンの為、絶望のオーラⅤは発動出来ないモモンガ。
だがⅢでも十分だと踏んでいた。
なぜなら、すでにモモンガはこの場にいる者達のおおよその強さを把握していたのだから。
この場に現れる前に物陰から、そして上空に飛び着地するまでの間、すでにいくつかの魔法を発動している。
《シースルー/看破》で幻術及び、魔法による阻害を警戒。
このレベルで扱える強化系魔法全般の発動。
次に《ライフ・エッセンス/生命の精髄》と《マナ・エッセンス/魔力の精髄》で相手のHP、MPの総量及び残量を調べる。問題はこの二つの魔法で調べた際のHPとMPの総量だ。《フォールスデータ ライフ/虚偽情報 生命》等で残量を偽る事は出来るが総量を偽る事は出来ない。どうしても総量を隠したいとするならば、魔法によって探知自体を阻害せねばならない。
だがそんな阻害など入る事なくモモンガは容易く情報を入手する事が出来た。
次に考えるべきはそのHPとMPの量からこの者達のおおよそのレベルの計算。そしてその比率、装備から戦士系か魔術師系かを推測する。
(やはりレベル的に高いのは一人だけ…。他は35前後と言った所か? しかし杜撰だな…。最もレベルの高いこの者は戦士系だろうが、だからこそ魔法による攻撃を警戒するべきだろう…。アイテム等による対策を何も施していないとは…。しかも装備こそほとんどの者が
まるでその者に合わせた装備というより、着れる中で最も防御力の高い物を着ました的な印象だ。
(プレイヤーを警戒していたが少なくともこの中にはいなそうだ。ならば彼等の仲間にプレイヤーは? いないとは断言出来ないが、もしプレイヤーがいるならばもう少しまともな采配をする筈だ。何より、
モモンガの頭がフル稼働する。
ユグドラシルにおいて考えられぬ非常識さに混乱するモモンガ。
(《センス・エネミー/敵感知》で他の敵は確認出来ないが、今の俺の魔法ではカンスト級の相手であればそれを認識するのは難しい…。この状況が格上の相手による偽りの情報という可能性は否定できない。しかし、だ…。そもそもそんな強者がいるなら俺のレベルすら見抜いている筈…。駆け引きなどする間も無く、こちらを蹂躙できる…。それなのにしないという事は、いないと考えるしかない…)
モモンガの中で推測が確定事項として固まっていく。
だが疑念は尽きない。
(何より最もおかしいのは、
今のモモンガは《アプレーザル・マジックアイテム/道具鑑定》までしか使えない。それでは
きっと蒼の薔薇と遭遇した際もこのくらい冷静であれば王都での事件は違った結末になっていただろうが本人のあずかり知る所ではない。
(やはり一度ぶつかるしかないか…)
動けずにいる漆黒聖典達とそれを守るように立ちはだかる隊長。
相手が動かないのを見てモモンガが手を空へ掲げ魔法を発動する。
「《ナパーム/焼夷》」
モモンガがそう口にすると上空に魔法陣が描かれ、そこから漆黒聖典目掛けて無数の謎の塊が落とされた。
それらは地面に触れると瞬間的に燃え上がり、高熱を発する炎となる。
「うわぁぁああっ!」
「な、なんだこれはっ!?」
直撃させぬようにモモンガは魔法を放った。
だがそれでも漆黒聖典達の周りはあっという間に火の海となった。
舞い散る火の粉が体へと触れる度に爆炎を発生させ、彼等を囲む高温の炎は喉や肌を焼く。炎に囲まれた今、次第に酸素も足りなくなるだろう。
直撃すればそれだけで隊長以外は全滅だったが、それでなくとも時間経過で全滅に近い状態にまで追い込めてしまう威力。それほどに強力で規格外。
それを知らぬはモモンガただ一人。
(ば、馬鹿なっ…! なんで防御スキルを発動しない!? 仲間が死ぬだろ!? 攻撃スキルによる相殺だって出来た筈だ! 俺よりも上のレベルならばいくらでも対抗手段はあるだろうに! まさか、あれらは仲間じゃないのか…? 使い捨ての駒…、そう言う事か…!)
自身の魔法を防がなかった理由に納得し、隊長を睨むモモンガ。
隊長もまたモモンガを激しく睨む。
「ば、化け物め…!」
隊長は手に持つ槍を握りしめる。
敵は
それは正しい。
隊長とモモンガのレベル差は大きい。ユグドラシルであれば10以上離れると勝負にならないと言われている。それ以上に両者の差は大きいのだ。
だがそれはスペックだけの話。
この世界はユグドラシル程に効率的ではない。
故にモモンガの扱う魔法を知る者などいないし、対策など出来る筈も無い。モモンガのスペックが隊長を下回るとしても、その魔法は隊長にとって十分に脅威なのだ。
さらには戦士系のクラスがユグドラシルのようなスキルを有していない事も挙げられる。この世界特有の武技を使えはするものの、ユグドラシルにおけるスキルの方が強力なのは言うまでもない。
あるいは魔法と同様にそのレベルに相応しいスキルを使用出来ないだけという事も考えられるが。
なにはともあれ、防御手段に乏しい隊長に向かってモモンガは再び魔法を発動させようと手を掲げる。
「させるかっ!」
だが今度は様子見などせず、モモンガの元へ一気に駆ける隊長。発動前に止めなければマズいと理解したからだ。仮に間に合わなくとも魔法の直撃と引き換えに一撃を入れる。
しかしモモンガはそれを読んでいた。
「そうするしか、ないでしょうね」
自身へ突っ込んでくる隊長を見てモモンガがボソリと呟く。
それを無視し隊長は手に持つ槍を全力で突き出す。
走った勢いも乗せた全身全霊の一撃。
レベル差を考えればこの一撃でモモンガに十分なダメージを与える事が出来るだろう。
だがそれは叶わない。
「《テレポーテーション/転移》」
隊長の槍は空を斬る。
そこにいた筈のモモンガが一瞬にして消えた。
「なっ…」
慌てて周囲を見回すもモモンガはどこにもいない。
そして不意に顔を上げた隊長の目に映ったのは、上空に佇む魔王の姿だ。
「ば、馬鹿な…」
隊長が驚くのは無理もない。
モモンガが先ほどまで着ていた装備は上質ながらも外見だけなら普通のローブと変わらなかったからだ。
だが今のモモンガは違う。
《テレポーテーション/転移》で移動すると同時に装備を入れ替えたのだ。
胸部を露出させた漆黒のローブ。
両肩には真紅のオーブ、そこから骨のような角が生えていた。
まさに魔王と形容すべき禍々しき姿。
全身を
あまりの制作難易度の高さに一つも持っていない100レベルプレイヤーも珍しくないと言われる
さらには拠点制作に力を入れていたとされるギルド・アインズ・ウール・ゴウンでさえNPCには一つか二つしか持たせられなかったアイテムだ。
それを全身フル装備。
廃人であるモモンガだからこそできた極致である。
「……」
誰もが息を飲んでいた。
上空から漂う気配は勿論の事、その装備の荘厳さと上質さに誰もが目を奪われたのだ。
神の遺産と称される漆黒聖典達の装備ですら届かぬ領域。厳密には法国の深部にいくつか保管されているがここに存在しない以上関係ない。
今ならば隊長とモモンガの差はレベル程の開きは無いだろう。
さらにこれは漆黒聖典の面々は知らぬことであるが、モモンガのこの装備はモモンガ用にカスタマイズされた装備であり、その性能を十分に引き出すことが出来る。
漆黒聖典のように、与えられた装備を身に纏っているのとは意味が違うのだ。
「見ているだけか? ならばこちらから行くぞ? おっとその前に」
《ナパーム/焼夷》による炎で漆黒聖典の隊員達が全滅しそうなので指をパチンと鳴らし解除しておく。
それを見た隊長が反射的に叫ぶ。炎を消したのが敵の余裕からくるものであろうが、罠であっても構わない。一人の老婆が行動可能になった事に意味があるのだ。
「――使えっ!」
その言葉を受け、漆黒聖典の隊員達に守られていた老婆が祈るように両手を合わせた。
それと同時に老婆の体、いや着ているチャイナ服から光り輝く龍が天空へ飛翔する。
傾城傾国。
六大神が残した
完全耐性を持つ相手すら洗脳する逸品。
そんな回避不能の絶対攻撃がモモンガへと襲いかかる。
老婆が傾城傾国を発動した瞬間、隊長を含め漆黒聖典の面々の顔にわずかな安堵がもたらされた。
絶対なる神の力。
それは何者をも支配する究極の力だからだ。
これで
当初の予定通り。
自分達を凌駕する相手であるとしても恐れる事はない。神の力で御すれば良いだけなのだから。
傾城傾国から飛翔した龍は周囲を真っ白に染めながらモモンガの身体へと舞い落ちる。
そうして神の力によりモモンガ、もとい
しかし――
「驚いたな、本物か…!」
飛来した光の龍はモモンガに触れると同時に弾け飛び、あっけなく霧散した。
誰もが理解出来なかった。
現実を受け入れられず、次第に顔からは表情が消え落ちる。
ただ、傾城傾国の一撃を受けてなお平然とするモモンガの姿を眺めるしかできない。
しばしの時間を置いてゆっくりと理解が広がっていく。
絶対と信じていた神の力が届かなったという現実に。
「あぁぁぁっ…」
「う、嘘だ…、そんな筈ない…」
漆黒聖典達の顔がこの世のものとは思えぬほど蒼白になっていく。
自分達の切り札が、最強の一撃が通じなかったという事に絶望する。
訪れるのは恐慌。
誰もが叫び出しそうな状況の中、それを遮るよう隊長が声を上げた。
「落ち着けっ!」
隊長の言葉で皆が我に返る。
しかし気づくのだ、あの隊長の声でさえ震えているという事に。
「た、隊長…!」
「よ、予定変更だ…! 俺はここでこいつを抑える…! お前達はすぐにここから離脱しろっ…!」
「し、しかし隊長…!」
「口答えは許さん! この情報は何としても祖国に持ち帰らねばならない…! 行けっ! すぐにだ!」
決死の表情を浮かべた隊長を見て、漆黒聖典の隊員達が苦しそうな表情を浮かべる。
しかしすぐに意を決したようにこの場から撤退を始めた。自分達に出来る事など何一つないと理解しているからだ。
それを見たモモンガは心の中でホッとしていた。
(当初の予定ではあの子を連れてこっちが逃げる予定だったけど…、まあ向こうが逃げてくれるんならそれでOKだよな。しかし傾城傾国か…。あれは間違いなく本物だった…。この世界に
と考えるモモンガだが隊長がいるため傾城傾国は諦める事にする。
モモンガと隊長はしばしの間、見つめ合う。少しするとモモンガが疑問を提示した。
「あの…、貴方は行かないんですか? 仲間の方達はもう行っちゃいましたけど…」
「私はこの命に代えててでもお前を止める…! 仲間達を追わせはしない!」
「え…? べ、別に追いませんけど…」
「ふん、そう言って後ろから我らを攻撃するつもりなのだろう? そうはいかない」
何やらおかしな空気になったと感じるモモンガ。
モモンガ的には相手の方が格上なので逃げてくれるなら逃げて欲しいのだがどうもそうはいかないらしい。そもそも追撃など考えてもいない。
「しかしこのような事が…。やはりかつてこの地に降臨された神と同等の存在という事か…。だがその神でさえ支配せしめるこの力が届かないとは、まるで
全てが腑に落ちたという顔をして頷く隊長。
「カタス――、何?」
「世界を滅ぼさんとする邪悪な存在よ! この命に代えてでも貴様をここから先には行かせない! 私が滅んでも人類の守り手が必ずや貴様を滅ぼしてくれるだろう!」
そう言って隊長は地面を蹴り、建物を駆け、宙に浮かぶモモンガへと迫る。
隊長は自分ならば勝てるかもしれないと感じていた。
仲間である漆黒聖典の隊員達がいなければ守る者もいない。十分に戦う事が出来る。
とはいえ多くの知らない魔法、それも高位の魔法を使う相手。肉体能力だけならば勝機はありそうだがそれは希望的観測だろう。先ほどのように高位の魔法を放たれれば隊長とて遅れを取りかねない。
だからこそ隊長は祖国である法国と番外席次を信じ、この戦いに賭けた。自分が犠牲になっても部下がその情報を祖国に持ち帰れば決して無駄にはならないからだ。
「うわ、ちょ――!」
慌てて後方へと飛び退くモモンガ。
装備の差で力の差は埋まったものの、未だその絶対なるレベルの差を埋めるには至らない。
この世界において高位の魔法を使えるモモンガだが、それでもこのレベル差を覆すのは少々厳しいと言わざるを得ない。
隊長を瀕死まで追い込む事は出来るだろう。だがいずれの方法を取ってもモモンガが敗北するのは間違いない。
それがモモンガの見立てだった。
(ま、まずい! この人本気でやる気だ! く、くそ! こうなるなら仲間の人達が逃げるのを放っておくんじゃなかった! 彼等がいれば人質とか出来たのに! ていうか一緒に逃げろよな!)
段々とムカムカしてきたモモンガ。
しかし現実が変わる訳ではない。
冷静にどうするべきか考える。
(レベル差を考えるとデイバーノックさんに介入して貰うのは避けた方がいい…、一撃でやられる…。となると
「デイバーノックさん! 今すぐその子を連れてこの場を離れて下さい!」
むしろまだ逃げていなかったのかと文句を言いたくなったがモモンガが優勢にしか見えない状況も良くなかったのだろうと反省する。
「し、しかしモモンガさん!」
「この場にいたら邪魔なんです! 早く!」
「――っ! わ、分かりました!」
そうしてデイバーノックがイビルアイの元へと駆け寄る。
「さぁお嬢さん逃げましょう!」
「ば、馬鹿言え! 私を助けてくれたあの人を置いていける訳ないだろ! それとお前デイバーノックだと!? 六腕の一人の! ここで会ったが百年目!」
「あ、乱暴はやめてっ! い、今はそれどころじゃないでしょう!?」
相手の胸倉を強引に掴むイビルアイと必死に説得を試みるデイバーノック。
「あの二人は何してんだよ、もう! って、わっ!」
デイバーノック達の方を見ていたモモンガを隊長の槍が襲う。
「余所見とは余裕じゃないか!」
慌てて躱すものの、わずかに体を槍が抉る。
(槍、刺突系だったのが幸いしたか…。しかし防具とは裏腹に武器はみすぼらしいな…。もしこの防具を残したのが昔転移したとプレイヤーだとするならば、防具とは違い武器はこの人が装備できる物が無かったという所か? まぁ防具に比べ武器の方が専門的にカスタマイズされる傾向にあるからな、そうだとしても不思議は無い)
モモンガにとって隊長の装備が格落ちなのは幸運だったろう。
もし隊長の武器及び装備が彼のレベルに相応しいものであったならその一撃は脅威どころの話ではないからだ。
「どうしてもやる気だというなら仕方ありませんね…! 《トリプレットマジック/魔法三重化》《コール・サンダー/雷の撃滅》!」
モモンガが唱えると3本の落雷が隊長の身体を貫く。
「ぐぅぅうううう!」
隊長は自身の命が大きく削られるのを感じた。
だがこんなもので彼は止まらない。
彼はもっと強い攻撃を、一撃で全てを刈り取られるような攻撃を知っている。
「はぁっ!」
雷に体を貫かれながらも隊長は空高く飛び上がると槍を振りかぶり、その横っ腹でモモンガを殴打する。
「ぐはっ!」
直撃したモモンガは勢いよく地面へと叩き落される。
その衝撃で仮面が外れ、その素顔が露わになる。
(ま、まずい…! 俺の今の魔法じゃダメージは通ってもその動きを止めるには至らないか…! このままダメージ交換を続けてしまえば先に力尽きるのは俺だ…!)
相手が
だが戦士はダメだ。
単純明快な攻撃手段ゆえ、それを魔法のみで防ぐのは難しいのだ。何よりそのレベルによる単純なスペックの差が戦術の入り込む余地を無くす。
「<能力向上>、<能力超向上>!」
僅かな隙を見つけ、この世界特有のスキルとも言うべき武技を発動する隊長。
これにより隊長の身体能力が大きく向上する。
見た事のないスキルに戸惑うも、モモンガはそれを魔法で迎撃しようと構える。
「《マキシマイズマジック/魔法最強化》《チェイン・ドラゴン――/連鎖する――》」
「<流水加速>!」
次の魔法が放たれるより先に、動きが加速した隊長の一撃が地面に倒れた状態のモモンガの腹部へと突き刺さる。
槍を腹部に刺し地面に縫い付けたまま、隊長はモモンガへと拳や足による無数の攻撃を叩きこむ。
同時に倒れたモモンガが背にしている石畳が蜘蛛の巣のようにヒビ割れていく。
「かっ! く、くそっ!」
手や杖から発動するタイプの魔法は隊長の猛攻の前に発動出来ない。
故にこの状態からでも発動出来る数少ない魔法を放つ。
「《ネガティブバースト/負の爆裂》!」
ズンと大気が震えた。
光が反転したような、黒い光の波動がモモンガを中心に周辺を飲み込む。
レベルに応じてその範囲と効果が広がるが、今のように至近距離の相手であれば関係無い。十分に範囲内だ。
「ぐぁあぁぁぁ!!!」
隊長の身体を火傷のような、あるいは電気のような形容し難い痛みが走る。
そしてその黒い光の波動に弾き飛ばされ、近くにあった家の壁へと激しく叩きつけられると口から血が零れた。
「がふっ…。な、なんという力…! こ、これ程の魔法を受けたのは…、初めてだ…!」
奇しくも隊長を上回る神人たる番外席次も戦士系。
故に隊長には強大な
その経験の浅さもモモンガと隊長の力量差を埋める一因だったのだろう。追撃で放たれた次の魔法にも対応できなかった。
隊長が吹き飛ぶと共に槍を腹から引き抜き、即座に立ち上がるモモンガ。
「《マキシマイズマジック/魔法最強化》《エクスプロード/破裂》!」
モモンガのその魔法で隊長の左腕が弾け飛んだ。
本能的に危険を察知し避けた為、モモンガの狙いである胴体が破裂する事は無かったが代償として左腕を失ってしまった。大きく肉が抉れ肘から先は無い。大量の血が傷口から零れ落ちる。
「うぐぅあ…! う、腕が…! こ、こんな魔法があるのか…!」
《エクスプロード/破裂》は強烈な魔法故に発動には少しのタメを要する。レベルが上がればその時間を短縮できるものの、両者のレベル差からすればその動きは隊長が十分に認識できるものだ。
吹き飛んだ隊長への追撃としては一応成功したがそれでも狙いは外された。さらには一度見せてしまった以上、もう二度とこの魔法は通用しないだろう。
モモンガは考える。
この敵の動きを止められる他の魔法はないか、と。
一言で言えば、難しいと言わざるを得ない。
局所的な威力だけならば現状のモモンガの中では《エクスプロード/破裂》が最高クラス。
狙いは外れたとはいえそれでも格上の相手の腕一つを使えなくする威力だ。
レベル差を考えれば十分すぎる一撃だが、それだけでは盤面は覆せない。
ここからモモンガが打てる手は、最初と同様に魔法を放つと同時に攻撃を喰らうというダメージ交換のみだ。そして先に力尽きるのはモモンガ。
「デ、
もうなりふり構っていられない。
後方に待機させていた
命令を受けた
この隙にモモンガは逃走を計る。
最終手段としてこの逃走が出来るからこそモモンガはイビルアイの救助に入ったとも言える。腐ってもユグドラシルのPVPにおいて驚異的な勝率を誇るモモンガ。いくら他人に感化されたとはいえ、勝利の目も、追い詰められた時の策も無く飛び出す男ではない。
しかし――
「だ、だから今はそれどころじゃないでしょう!?」
「ば、馬鹿言うな! 私に悪を見逃せと言うのか! そんなこと出来るか!」
そこではまだイビルアイとデイバーノックが喧嘩していた。
「な、何してるんですか二人ともぉぉ!!」
「も、申し訳ありませんモモンガさん! こ、この方が中々言う事を聞いてくれなくて…! イタタタ! や、やめて下さい! 関節技を仕掛けないで下さい! 折れてしまいます!」
「う、五月蠅い! 蒼の薔薇のイビルアイの前に出てきたのが運の尽きだと知れ! 善人のような振りをしても私は騙されんぞ!」
この状況にモモンガは頭を抱えた。
チラリと後ろを振り返る。
隊長の手によって
どんな攻撃を受けてもHPが1だけ残る特性のおかげで一体につき二手必要とさせる為、足止めや壁役として有能な
逃がすべき目の前の小さな女の子はなぜか逃げていなかった。
「もうバカ! 本当バカ! 何してるんですか!」
モモンガの言葉にイビルアイがビクッと体を震わす。
「バ、バカってなんだよ…! ひ、酷い…! 酷すぎる! そこまで言う事ないだろ! わ、私はただ正義の為に…!」
少し泣き声になるイビルアイ。
彼女は自分でもなぜバカと言われただけでこんな悲しい気持ちになるのか理解出来なかった。暴言など今まで数え切れない程浴びてきたのに。
ただなぜか、目の前のアンデッドにそう言われたのが無性に悲しかったのだ。
「っ! 下がって下さい!」
そう逡巡しているイビルアイを急にモモンガが突き飛ばす。
「わっ! いくらなんでも手を上げる事ないじゃないか!」
そう非難するイビルアイだが何が起きたのかすぐに理解した。
目の前では胸部に槍の刺さったモモンガが立っていたからだ。
「お、お前まさか…、わ、私を庇って…?」
モモンガはその一撃を避けようと思えば避ける事が出来たが斜線上にはイビルアイがいた。彼女を庇うようにモモンガはその攻撃を受けてしまったのだ。
致命傷に近い一撃。
モモンガは力なくその場へ膝から崩れ落ちる。
「な、なんで私を庇ったんだっ! お、お前なら避けられたんじゃないのかっ!?」
「な、なんででしょうね…? でもこんな小さい子を見殺しになんて…、俺には出来ませんよ」
「っ!?」
突如イビルアイの背筋を電流のようなものが走り抜け、小さな体を震わせる。
250年もの間、動いていない心臓が一つ跳ねた気がした。
小さい子だなどと、どこぞの男に言われたら吹っ飛ばしている所だろう。
だがそれを言ったのは自分よりも強い男だった。その身が傷つくことを厭わず自分を庇ってくれた初めての男。
それにアンデッドでもある。
もしかすると小さい子、というのは本当なのかもしれない。
自分より永い時を過ごした強大なアンデッド。
そのような存在であれば自分など子供のように映るのもしれないと。
「さ、さぁ早く行って下さい…、少しだけなら…、まだ足止め出来ますから…」
その言葉にイビルアイの心が震えた。
この状況で他人を思いやる事が出来るその寛大さに胸を打たれたのだ。
「わ、私だって…」
「?」
「私だってお前を見捨てない! 私を見殺しにしなかったお前を見捨てる事なんて出来るか! 今度は私がお前を守ってやる!」
そう言って膝を付くモモンガの前に両手を広げイビルアイが立ち塞がる。迫る隊長からモモンガを守るように。
一見すると感動的なシーンではあるのだがモモンガ的には迷惑であった。
(ちょっと何してるのこの子! 俺は死んでも即復活出来る指輪があるからいいんだよ! 相手の片腕使えなくしてるから復活して全回復すればギリギリで押し勝てそうだし! 実は
劣勢であろうとも抜け目の無いモモンガ、自分の死すら計算に入れている。
とはいえそんなモモンガの心の中などイビルアイに分かる筈も無い。
「お前だけ置いてなんて行けない…! もし死ぬと言うなら二人一緒に…! ふ、二人一緒!? わ、私は何を言ってるんだ!?」
自分の発言に慌てふためくイビルアイ。
横にいたデイバーノックが小さな声で「三人ですけど」と呟くが彼女の耳には入らない。
その様子を隊長が怪訝そうに見つめていた。
「アンデッドの癖に人間のような真似をするのですね…、そんなもので私の心が動くとでも?」
隊長からすれば自分を騙しこの場をやり過ごす為の三文芝居にしか見えなかった。
何より
そう心に決め、再び足を進める。
「我々人類の為に貴方達はここで滅びて下さい!」
そしてモモンガ達を滅ぼす為にトドメの一撃を繰り出そうとモモンガの目の前へと迫り、その胸に刺さっている槍へと手を伸ばす。
自分を庇おうと立ちはだかるイビルアイを押しのけ前に出るモモンガ。横ではそんなモモンガを止めようとデイバーノックが手を伸ばしている。だが間に合わない。
誰よりも早く隊長の手が槍に触れ、モモンガの身体を引き裂こうとしたその刹那。
モモンガが乱入した時のような奇跡が再び起きた。
何者かによって槍を掴もうとした隊長の手が止められたのだ。
モモンガではない。
イビルアイでもない。
デイバーノックですらない。
隊長を止めたのは土。突如として地面から突き出て腕を貫いた土の塊だ。モモンガやデイバーノックのリアクションが両者の仕業ではないと告げていた。
気配を感じたのは背後。
「な、何者だっ!」
隊長は咄嗟に後ろを振り返る。
そこにいたのはモモンガとデイバーノックが被っていた仮面と同様の物を身に付けた男。
泣いているような怒っているような表情が派手に彫り込まれた不思議な仮面。
ユグドラシルにおいて嫉妬する者達のマスクと呼ばれる物だ。
「助けが間に合ったようで良かった」
演じるように心配そうな仕草をする仮面の男。
それは先ほどまで遥か上空でこの戦いを見守っていたズーラーノーンその人だった。
◇
「助けに…、だと…?」
突如現れた仮面の男に隊長が構える。
仮面の男は隊長が先ほどまで戦っていたモモンガと同等以上の力を感じさせた。
その台詞、モモンガ達と同様の仮面を付けている事からすぐに仲間だと判断した。
隊長の中で警鐘が鳴り響く。
モモンガ一体ですら厳しい戦いだったのだ。
それと同等の存在が現れればもう隊長に勝機は無い。
「あぁ。我が仲間にしてアンデッドたる同胞。それを傷付けたお前は許し難い。ここでお前を滅ぼしてもいいが…、まぁこっちもこれ以上怪我をしたくないからな…。ここは手打ちという事でどうだろう?」
仮面の奥から嘲るような声を上げるズーラーノーン。それと同時に指でパチンと音を立て隊長の腕を突き刺していた土の塊を消した。これは先ほどモモンガが炎を消した動作と同じもの。つまりは最初から全てを見ていたという事に他ならないが誰もそれには気づかない。
ズーラーノーンの言葉を聞き、隊長は怒りを露わに声を上げる。
「ここでお前達を見逃せと…?」
「ああ。その方がお互いに得だと思うがね。それに見逃せというよりも、こちらが見逃す。そう言っているつもりだが? 応じないというのならお前の仲間も道連れにしても構わないんだぞ?」
「っ!」
ズーラーノーンの脅し文句に反応する隊長。
ここで応じなければそれを実行すると思わせる説得力が目の前の男にはあった。
隊長の仲間の一人である老婆は六大神の残した至宝を持っている。何があってもあれだけは奪われる訳にはいかないのだ。それを考えるとここでモメる訳にはいかない。
「く…! 次は無いぞ…!」
しばらく逡巡した隊長だが、やがて諦めたようにモモンガの胸から自らの槍を引き抜くとこの場を後にした。意地を張ってこの場に残っても無為に殺されるだけだと理解しているのだ。どちらにせよ選択肢は無い。
一瞬にして建物の屋根までジャンプし、そのまま屋根の上を駆けていく。
すぐに隊長の姿は見えなくなり、その気配が消えると共にズーラーノーンがゆっくりとモモンガの元へと歩み寄る。
「急に仲間だなどと口にして悪かった。あの場では仲間だと思わせた方が良いと思ってね。俺はズーラーノーン。ただの
挨拶と共に仮面を取る。
中にあったのは死者の証たる骸骨。モモンガ及びデイバーノックと同様のものだ。
「ズ、ズーラーノーンだと!? あ、あの秘密結社の!?」
最初に反応したのはイビルアイ。
「知っているんですか?」
それに対してモモンガが疑問を口にした。
「あ、あぁ…。永きに渡り様々な国で数々の悲劇を起こしてきた邪悪な魔術結社として各国で敵視されている危険な奴等だ…!」
敵意のこもったイビルアイの視線をやれやれといった感じで受け流すズーラーノーン。
「全て誤解だ」
「ご、誤解だと!?」
「ああ。全て法国が俺達を陥れる為にやったことさ。俺達は世界の平和の為に働こうとしてきた。だがアンデッドというだけで迫害され、追いやられた。今回もこの国で法国が事件を起こすという情報を入手して助けに来たんだ。まぁ俺が偵察に出ている間に部下達は先程の者達に殺されてしまったのだがね…」
つらつらと語るズーラーノーンを訝し気に見るイビルアイ。それを諭すようにズーラーノーンが続ける。
「急にこんな話をしても信じられないのは分かる。とはいえ今はそれを論じても仕方あるまい?」
肩をすくませそう返答すると次はモモンガへと向き直る。
「それよりこの都市の墓地にアンデッドを使役していた男はいなかったか?」
「あぁ、いました。あのハゲ頭の事ですか?」
「そうだ。彼はあろうことか我ら秘密結社ズーラーノーンを名乗り悪事を働いていたのだ。法国の人間でありながらね。法国はそうやって自分達の悪事を全てズーラーノーンという組織に擦り付けてきた。表では人類の為だなどと口にしているが裏でやっている事は酷いもんだ。弁明出来る機会を持たない俺達はそうして陥れられるだけだったのさ」
悲しそうに頭を振るズーラーノーン。
それを同情した様子でモモンガが見つめる。
「そ、そんな事が…。辛かったでしょう…」
「いやいや。それより帝都が無事に済んでホッとしているんだ。やはり罪なき者達が酷い目に遭うのは心苦しいからね。で、その肝心のハゲ頭はどうなったのかな?」
ズーラーノーンの仮面の奥で眼窩の光が揺れる。
「あの人なら帝国に突き出しちゃいました。ま、まずかったですか?」
「…いや問題ない。国に突き出したならば安心できる。きっとこの国の法によって裁かれるだろうし。それと他の者達は?」
「え? 他の人達? もしかして墓地の霊廟で儀式をしていた人たちですか? 彼等なら皆死んじゃいましたけど…」
「そうか。それならばいい。彼等とて法国と繋がり帝都を陥れようとした者達。許されるものではないからな。でもその中に金髪の女性がいなかったかな?」
「金髪の女性? ああ」
モモンガはクレマンティーヌの事だなと思い至るが、どう言ったものかと悩む。
彼女からは死んだ事にしてくれと頼まれているのだ。
とはいえ目の前の男になら言っても大丈夫かなと考えていると先にデイバーノックが答えた。
「…殺しました。同情できる点はありましたが助ける必要性を感じなかったので」
「それは確かか…?」
「ええ、私がこの手で直接殺しましたから。蘇生も出来ない程グチャグチャに。で、私を責めますか?」
それを聞いたズーラーノーンは悲しそうに答える。
「いやそんな事はないとも。しかし、そうか…。なんという悲劇…。まぁ彼女も法国の人間。先ほど戦っていた者達の仲間だ。彼女にも色々と事情があったのだろうが…、死んでしまったのなら仕方ない。死ぬだけの理由はある人間だったからな」
そんなズーラーノーンの言葉にモモンガの中で線が繋がる。
(そうか、あいつら…。法国の奴等が命令をしてたのか…。やはりクレマンティーヌは利用されていただけ…。なるほど、その死を偽装してまで奴等から逃げたかったという事か…。それに先ほどの話を合わせると色々と腑に落ちる…。法国は帝都を襲おうとしていたが上手くいかなかったから先ほどの連中が様子を見に来たという所だな…。それに運悪く俺達が遭遇してしまったと…)
ズーラーノーンの出まかせを信じるモモンガ。
この世界の事情に詳しくなく、ましてや命の恩人とも言える者の言葉を疑う事など出来なかったのだ。
「お、おい。今の話を信じるのか!? 本当だという証拠などどこにもないぞ!?」
イビルアイがモモンガの肩を掴み揺すりながら問う。
「ええ。でも俺達を助けてくれた人がわざわざ嘘を吐くとも思えないですし…。何より俺もアンデッドですから、この世界でどういう扱いを受けるかは知っているつもりです」
「うっ! そ、それは…」
モモンガのその言葉に王都での事を思い出すイビルアイ。
自分もかつてはモモンガを迫害した側なのだ。それを考えるとこれ以上何も言えなかった。
「ありがとうございます、ズーラーノーンさん。助けてくれて」
「いやいや、同じアンデッドだろう。困った時はお互い様さ」
そうしてモモンガとズーラーノーンは握手をする。
この空気を前にもはやイビルアイも口を挟む事を諦めた。
「名前を聞いても?」
「ああ、これは失礼。モモンガといいます」
その名を聞いた瞬間、ズーラーノーンの身体が僅かに揺れた。
誰も気が付かぬ程、僅かではあるが。
「で、他の方は?」
「私はイビルアイ」
「……デイバーノック」
そうして自己紹介が終わると再びズーラーノーンが口を開く。
「俺はこれから法国の連中が本当に帝都から去ったか確認してくる。君達も法国にその存在が知られてしまったのなら早くここを立ち去った方がいい」
「ま、待って下さいズーラーノーンさん。彼等を追うんですか? 危険ですよ!」
「別に戦いを挑むわけじゃない。彼等がここを去ったかキチンと確認するだけだ。もしかしたら逃げたフリをしているだけかもしれないからな。まぁマズイと思ったらすぐに逃げる。それに一人の方が色々と楽なんだよ」
「し、しかし…。いや、分かりました。気を付けて下さい」
「ああ、勿論。それと一つお願いがあるんだが…」
「はい、何でしょう?」
「どうやら貴方達は旅をしている様子。良ければ俺もモモンガさんと共に行かせて貰えないだろうか? 先ほど言った通り気の良い部下達は法国に皆殺しにされてしまったのでね。天涯孤独というやつさ…。これから一人だと思うと…その、ね…」
ズーラーノーンの言葉にモモンガは自分の胸を締め付けられたような痛みを覚えた。
一人の辛さは知っている。孤独の寂しさにどれだけ悩まされてきたことか。
だからこそ、ズーラーノーンの気持ちが分かるような気がした。
「も、もちろんです、是非!」
「おお、本当か。じゃあ夜明けに帝都の南門の外で待ち合わせしよう」
「はい!」
そうして嬉しそうに約束を交わすズーラーノーンとモモンガ。
モモンガも本当ならばズーラーノーンを一人にしないよう自分も付いて行きたかったが、その結果としてデイバーノック達を連れていく事になるかもしれないと思って口にしなかった。
それに自分にはまだ一仕事残っている。
置きっぱなしにした死体が一つそのままだったからだ。
実はさっきまで忘れていたが今しがた思い出したのだ。
◇
優しい感触が全身を撫でる。
深い水面から引き上げようとする誰かの手。
思わずレイナースはそれを振り払いそうになる。
その手の先にあるおぞましい感触に嫌な気配を感じたからだ。
だがその気配に覚えがある。
自分が呪いを解いてくれと懇願した強大な
それに気づくと慌ててレイナースはその手を取った。
すると一気に引き上げられ、視界が白く染まった。
感じたのは異常な疲労感。
その中でレイナースは重い瞼を必死に開けた。
そこにいたのは――
「気が付いたようですね。ふむ、
「そ、そせい…? の、のろいは…?」
少し拙い言葉でレイナースが問う。まだ状況を把握できていない。覚えているのは目の前の
「確認しましたが解けてますよ」
そう言われるや否や持っている手鏡を懐から出し自分の顔を見つめるレイナース。
そこにあったのは染み一つない綺麗な顔だった。
呪いの痕もなければ、呪いがあったような形跡すらない。
数年振りに見る穢れの無い綺麗な自分の顔。
最初は信じられないという感情だった。だが何度も手で触りそれが嘘ではないと理解すると次第に感情がこみ上げてくる。
呪いを受け、婚約者に捨てられ家からも追放された。それと同時に死んだと思っていた心が、荒み切ったと思っていた心が熱く震えるのを感じた。
涙が溢れ、嗚咽が止まらない。
「あ、ありがと…うござい…ます…! あり…がとう…ございます…!」
何が起きたのか全容はまだ理解出来てはいないが、それでも地に伏しモモンガに対して何度も頭を下げるレイナース。
当のモモンガはそれを気まずそうに見ていた。
「ほ、本当だったんだな…。呪いを解くために…。しかしいやまさかそんな信じられん…」
その様子を見ていたイビルアイは心から驚いていた。
「だから説明したじゃないですか。呪いを解く為に一時的に即死魔法を撃っただけですぐに生き返すつもりだったんですよ。それを貴方が急に襲ってくるから…」
「い、いやでもあんな所を見たら普通は、な…? いや、いい。私の勘違いだった、すまなかった…」
そう言ってモモンガに深く頭を下げるイビルアイ。
「や、やめて下さいよ。分かってもらえればそれでいいですって」
「とは言っても非常識すぎるぞ。もっとこう、なんというか他にやりようは無かったのか…」
モモンガとイビルアイがそんなやり取りをしていると不意にデイバーノックが物陰に向かって声を張り上げた。
「誰だっ!」
その声に当てられたのか物陰からよたよたと一人の老人が歩み出てきた。
「す、素晴らしい…。そ、そんなアイテムが…? ど、どうか私にも見せて下され…」
目の焦点が合わず、足元もおぼつかない老人の登場に妙な空気が辺りを包む。
しかしそれはレイナースの言葉で霧散した。
「パラダインさま? なぜここに?」
「な、なぜ? なぜとな!? あれだけ大規模な数多の魔法が発生したのだ! 確認せずにはいられなかろう!」
先ほどまでのよたよたとした様子は吹き飛び血走った目でレイナースを睨みつけるフールーダ。
モモンガと隊長の戦いは遠くからでも確認できる程に派手だった。
その魔法を目撃してフールーダがこの場に現れても何の不思議も無い。
「魔法? ああ、モモンガさんが放った魔法の事では?」
デイバーノックの言葉にフールーダが反応し、その視線の先にいるモモンガを見やる。
「おおお…! あ、貴方様が使用された魔法なのですか!? わ、私は他者の使用できる位階を見る事が出来る
レイナース同様、大量の涙を流しながらモモンガへと近寄るフールーダ。だがその意味は少し違う。
その様子はまさに狂信者そのもの。不穏な気配を醸していた。
「な、何ですか貴方は…。や、やめて下さい近づかないで…」
「ああ、どうか私に教えを…。私は貴方様の偉大な魔法の力に魅せられ、その強大な力を一端でも欲するものです。この全てを捧げる代わりに、貴方様の叡智、そして魔法の技を伝授していただければと思います! 何卒、お許しくださいますよう、お願い致します! 何卒、何卒、私を弟子にして下さい!」
「い、いやそんな事、急に言われても…」
「何でも致します! 何でも致しますから! 舐めろと言われれば足でも舐めます! ほらこのように! どうか! どうかぁぁああ!!!」
そして命令されてもいないのに自らの意思でモモンガの足に縋り付き舌を這わせるフールーダ。
突然の事に悲鳴を上げるモモンガとそれを止めに入るデイバーノックとイビルアイ。
「き、貴様! なんとうらやま…、けしからん事を! モモンガさんのおみ足は貴様のものではない!」
「そ、そうだ! これは私の…、いやなんでもない! というかジジイの癖に破廉恥だぞ! すけべだ!」
怒り狂う両者によって無理やり引き剥がされるフールーダ。だがその目はまるで情欲に塗れているように妖しく輝いており、決してモモンガから目を逸らさない。
モモンガは恐怖のあまり逃げ出す。しかし逃がさぬとばかりにフールーダはぬるりとデイバーノックとイビルアイの手から抜け出しモモンガの後を追う。
「ひ、ひぃ! 思ったより早い! レ、レイナースさん! その人知り合いなんでしょう!? お、俺に恩を感じてくれているならその人を止めて下さい! お願いします!」
モモンガの命令が嬉しかったのだろう。レイナースは満面の笑みで答える。
「はい! どうかおまかせください!」
呂律の廻っていない口で返事をするもその動きは淀みない。蘇生された直後というのが嘘と思える程あっという間にフールーダの手足を絡め取り、その場に突っ伏させる。
「なっ! レイナース離せ離さんか! 師が、師が行ってしまうではないか!」
「もうしわけありません、パラダインさま。おんじんのめいれいですので」
蘇生の影響で弱体化しているにも関わらずフールーダを完璧に抑え込むレイナース。弱体化したとはいえ単純な肉体能力ならばまだレイナースの方が上なので仕方の無い事なのだ。
小さくなるモモンガの背を眺めながらフールーダはただ泣き叫んだ。
悲しみによるその魂の叫びは一昼夜続いたという。
◇
モモンガと別れたズーラーノーンは漆黒聖典を追って、はいなかった。
いたのは帝都アーウィンタールの中心たる皇城の牢屋。
そこに捕らわれているのはカジットとその弟子達。
衛兵に見つかる事なく、彼等の前に一つの影が姿を現した。
「誰だ…?」
カジットの問いにその影は仮面を外した。
その下にあったのは骸骨の顔。
盟主ズーラーノーンのものだ。
「め、盟主様っ!? な、なぜここへ!? ま、まさか計画に失敗した我々を…」
カジットのその言葉に弟子たちも絶望に顔を染める。
計画に失敗した自分達を盟主が断罪しに来たのだと信じて。
「いや、そうじゃない」
優しい声で答えるズーラーノーン。
カジットは知らない。
こんな声で話す盟主を一度も目にした事が無い。
「計画は変更、もう十二高弟は必要無くなった。それどころか今となっては邪魔ともいえる。お前達がいたら私のやった悪事がバレるだろ?」
誰に?そう問おうとしたカジットだがやめた。
この後に及んで何を問うても意味は無いと悟ったからだ。
「ここにいない者達は俺が殺した。アンデッドだった奴は滅びたし、人間だった奴も私に殺された時点で簡単に蘇生に応じる事はないだろう。それとクレマンティーヌも死んだらしい。つまり、残ってるのはお前達だけだということだ」
カジットとその弟子達に恐怖が伝播する。
盟主の言っている事が何一つ理解出来ないからだ。
「安心しろ。苦痛は与えない。すぐに終わるさ」
「め、盟主? な、何を…」
そう口にしたカジットだったが何をされるかなど分かり切っている。
自分はここで盟主に殺される。
もう自分は母親を生き返す事は出来ないし、二度と会う事もできない。
その事にただただ絶望し打ちひしがれる。
「おかぁ……」
カジットが何かを言い終える前にズーラーノーンは魔法を発動させる。
それにより、カジットとその弟子達はこの世から消え去った。
◇
謎の足舐めジジイからの逃亡に成功したモモンガ。
彼はアルシェ達に挨拶をすると同時に帝都を去る事を告げた。
アルシェには止められたが、法国の存在がある為モモンガに選択の余地は無かった。
そうして日が昇る事、モモンガとデイバーノックはズーラーノーンと約束していた南門の外へと向かっていた。
「帝国も色々と後始末でバタバタしているみたいですね」
「そうでしょうね。人的被害こそ無かったものの、昨晩の戦いではかなり街を破壊してしまいましたから…」
正直言ってすぐに帝都を出る決断をしたのには他の理由もある。あのまま残っていた場合、街を壊した犯人だとバレて損害賠償を請求されるのが怖かったというのもある。
なにはともあれ二人並んで歩くモモンガとデイバーノック。だがイビルアイの姿は無い。
それはアルシェとの別れを告げ、南門に向かおうとした途中。
『わ、私はまだ完全にお前の事を、し、信用した訳じゃないからなっ! そ、それに私には冒険者としての役目があるんだっ! お、お前と旅なんて出来る筈ないだろ! で、でも、どうしてもというなら、その、考えてやってもいいが…』
とチラチラとモモンガを見ながら言うイビルアイ。
空気の読める男であるモモンガはそんなイビルアイに決して無理強いなどしなかった。
ていうかモモンガとしてはなんで自分を追ってきたであろうイビルアイが急に一緒に旅をするなんて事を言い出したのか分からないのだ。もしかしたらズーラーノーンとの会話もあり自分も旅に誘われたと勘違いしたのかもしれないなと思っていた。ここで女性の顔を潰すような事はしない。社会人的スキルを持つモモンガはキチンとイビルアイに話を合わせる。
『そうですか。イビルアイさんには冒険者としての仕事があるんですもんね。わかりました。じゃあここで別れましょう。体には気を付けて下さいね。無理しちゃ駄目ですよ』
『あ、ちょっと待っ…。え、本当に行くの? いやそのどうしてもっていうなら別に私は…、おーい…』
そうしてイビルアイと別れたモモンガ。
彼は決して人に無理強いなどしないのだ。
「やぁ待ってたぞモモンガさん」
モモンガとデイバーノックの歩く先、道の横にある岩に腰かけた男がいた。
それを見たモモンガが嬉しそうに走り寄る。何の問題も無く、こうしてズーラーノーンと無事に合流できたモモンガ達。
他愛無い話をしながら彼等は歩いていく。
三人旅ならぬ三骨旅。
新たな門出を感じながらもモモンガはずっと聞きたかった疑問を口にした。
「ズーラーノーンさん」
「なんだ」
「ズーラーノーンさんもその仮面を持っているという事は、その、プレイヤーなんですか?」
モモンガの質問にズーラーノーンは首を横に振る。
「いいや、違う。これはプレイヤーだった友人から貰ったものだ。で、これと同じものを持っているという事はモモンガさんもプレイヤーだろ?」
「はい、そうです」
「やはり。いや正直に言うとプレイヤーだと思ったから助けに入ったんだ。今は亡きその友人を思い出してしまってね…」
仮面の奥で遠くを見つめるような仕草でズーラーノーンが呟く。それは様々な感情を有しているように思えた。
「聞きたいんだが、他に仲間はいるのか? あとモモンガさんはギルド拠点というものを持っているのか?」
「いいえ、仲間はいません…。それにギルド拠点…、向こうにはありましたがこちらの世界に来た時は一人だけでした…」
「そうか。まぁこの世界を訪れるプレイヤーというのもいくつかパターンがあるようだ。単身での転移は珍しくない。八欲王のように拠点ごと転移してくる奴等もいるがね。少なくとも俺が知る限り今の時代に他のプレイヤーは存在していないと思う」
「そう…、ですか」
その言葉にモモンガの胸がズキリと痛む。期待はしていなかったがそれでも心のどこかで、もしかしたら仲間がいるかも、そう考えていたのだ。
「しかし、モモンガさんは単身でこの世界に来た。そしてこの世界には他に頼れるプレイヤーはいない。だからこそ一つ提案があるんだが聞いてもらえるか?」
「? ええ、構いませんよ」
仮面の奥で骨の表情を歪ませズーラーノーンは言葉を紡ぐ。
「ここからずっと先にある南方の砂漠にはエリュエンティウと呼ばれる都市があり、その上空には浮遊した城がある」
「浮遊…した城?」
「ああ。さっき話した八欲王という500年程前に現れたプレイヤーのものだ。城には多くのマジックアイテム等が眠っていると聞く」
浮遊した城と聞いてモモンガが思い浮かべるのはユグドラシル時代に存在したアースガルズの天空城だ。
もしその浮遊した城がそれならば、八欲王とはアースガルズの天空城を保有したギルドの可能性が高い。だがモモンガには八欲王という言葉に聞き覚えは無かった。それにアースガルズの天空城を保有したギルドは――
「モモンガさんは知ってるか? 八欲王の話を」
「え、ええ。以前デイバーノックさんから概要だけは聞きました。その圧倒的な力でドラゴンとの争いに勝利し世界を支配したが、欲深く互いの物を欲して争ってしまい最後には皆死んでしまったという話ですよね?」
「そうだな…」
仮面の奥でズーラーノーンの眼窩の灯が小さく揺れる。
「モモンガさんはどう思う? 彼等は欲望の為に争ったと思うか?」
その問いに不思議な感情が込められているようにモモンガは感じた。
「わ、分かりません…。で、でも人の欲望に際限は無いとも言いますからね。異世界に来てタガが外れてしまったのかも…」
「俺はそうは思わないんだよ」
力強くズーラーノーンが口を開く。
「もしそのプレイヤーと呼ばれる者たちが自分達の拠点と共にこの世界に来たとして、どうやってそれを維持したんだろうな?」
「あ…」
その言葉でモモンガは一つの事に気付いた
もしギルド拠点もこの世界に転移したのだとしたら、一体どうやってギルド拠点の維持費を稼げばいいのだろう。ユグドラシルではゲームの為、何千枚何億枚と金貨を取得できるがこの世界ではどうなのだろう。ギルド拠点が大きければ大きい程その維持費は大きくなる。この世界でどれ程の金貨を稼げるものなのか。
モモンガとてユグドラシルの最後は一人でナザリックの維持費を稼いでいたがあくまでそれはゲームの中の話であり、さらには拠点の無駄な機能を全て切っていた。だがもし仮に、異世界故に危機対策の一環として防衛機能をフル活用し、なおかつ敵対者に拠点を破壊された場合の修理費等を考えるとどうだろう。さらに高レベルNPC等が殺されればそれだけで億の金貨が飛ぶ。
さらにアースガルズの天空城。空に浮かぶという他には無い大きな利点から、ユグドラシルに数多く存在するギルド拠点の中でも破格の維持費を要求されると聞いた事がある。
それが本当ならばこの世界においてどうやってそれだけの金貨を取得していたのだろうか。
「ドラゴンの素材は非常に価値が高いらしい。もしかすると彼等はその素材が欲しかった、とは考えられないだろうか? 世界を支配したのも、他のプレイヤーを殺したのも全てギルドを維持する為だったとしたら?」
モモンガの中で一つ腑に落ちた。
確かに異世界でその力を遺憾無く発揮し暴れたかっただけというのもありえるだろう。
だが全員が全員本当にそんな事を望んだのだろうか。
ゲームの中ならばともかく、この世界もまた一つの現実だ。
いくらゲーム時代の身体を手に入れたとて、ただの一般人が欲望の為だけにそこまで殺し合いを出来るものだろうか。
「これは友人から聞いた話だが、八欲王は複合ギルドというものだったらしい。八人からなるギルド。その証としてギルド武器は8つに別たれたとか」
「……」
「彼等にはそれぞれNPCと呼ばれる従者がいたらしい。彼等はそれを自らの子供のように可愛がったとか…。拠点もそうだろうが、そんな自分の子供みたいな者達が殺され死んだとしたらどれだけ莫大な金貨が必要だとしても生き返らせたくなる、そう思わないか?」
モモンガは何も言えなかった。
もし自分が、ナザリック地下大墳墓がこの地にあってそのNPC達がいた場合、そのように思うのだろうか。
思うかもしれない。
自分にとっては仲間達が残してくれた忘れ形見のようなものだからだ。
「ドラゴン達との戦争で想定以上に被害を被った八欲王たち。分かり易く大赤字とでも言い換えるか。そうなった彼等は自分達の拠点やNPCの為にきっと多くの金貨が必要になっただろう。だがドラゴンを滅ぼし、世界を支配し、他のプレイヤーまで手にかけた後、大量の金貨なんてこの世界のどこにも残っていない。それに将来を見据えれば保険として少しでも多くの金貨を手に入れておきたいだろう。何せ金貨は減っていく一方なのだから。ではどうすればよいのか?」
モモンガは思う。
詳しい、詳しすぎる。
まるでズーラーノーン本人がプレイヤーなのではと思う程に。
「やがて彼等は簡単な事に気付いたのさ。金貨ならば横にいる仲間達が大量に持っているじゃないか、とね。いつしか彼等は疑心暗鬼になり…」
ここから先は語るまでもない。御伽噺と同じだ。
「まぁ結局は自分の為なのだから欲望の為に争ったという言い伝えもあながち間違いではない、か。ともかくそんな彼等の努力の甲斐あってか、むしろそんな仲間割れまでしたのに浮遊都市は健在。今もなお30人からなる都市守護者なる者達によって守られていると聞く。結果としてだが、彼等が守ろうとした拠点やNPCとやらは今も無事に残っているという訳だ」
おしまいとでも言うように手を広げるズーラーノーン。
「長くなってしまったが俺が言いたいのは共にそのエリュエンティウへ行かないか?ということだ。かつて十三英雄と呼ばれた者達も魔神と戦う際にいくつかのマジックアイテムの持ち出しを許可されている。俺達も同様に力を借りればよいのではないかと思うんだ。法国と敵対した以上、このままでは滅ぼされてしまうだけだからな」
「い、いきなり話が飛びましたね。というかですよ、そもそもそんな簡単に貸し出してくれるのですか?」
「正直貸し出してくれるかは行ってみなければ分からないが…、いずれにせよ力を借りる必要性はあるだろう。再び法国の者達に襲われても今のままであれば遅れを取る可能性がある。向こうはきっとこちらを殺す気で仕掛けてくるぞ。こちらにその気がなくとも向こうがやる気ならば備えなければなるまい。それに、法国にはもっと強い者も控えている。プレイヤー的に言うならカンスト級という程にね」
「なっ…!」
絶句するモモンガ。
100レベル級が出てくれば今の自分では相手になどならない。簡単に消し飛ばされるだろう。
「だから行こう。プレイヤーの遺産を借り受け、悪しき法国を打ち破るんだ。これは俺達の安全の為でもあり、世界の為でもある。どうか協力してくれ」
モモンガは気楽に世界を旅して回りたいと思っていた。
だがその法国とやらがいるとそれも出来ないのだろう。
顔も割れている。
故に今はズーラーノーンの言葉に従うしかないと考える。
「わ、分かりました…。どこまで出来るか分かりませんが俺に出来る範囲なら協力しますよ」
「ああ! 良かった! ありがとう! 共に世界を救おう!」
そうしてズーラーノーンは嬉しそうにモモンガと肩を組む。
彼の目的は八欲王の残した浮遊都市。
今の身体は他人の物で、その力も全盛期に比べ大幅にダウンしている。この身体がこの世界のものであるというのも良くないのだろう。彼はモモンガのように多彩なアンデッドのスキルを使う事が出来ない。使えるのはあくまでその身体の持ち主であった本当のズーラーノーンが使えたものだけなのだ。
故に彼だけでは目的を達成できない。目的の為には力がいる。
その為の秘密結社、その為の十二高弟。
だがもう全ていらない。
当初の予定ではモモンガが無慈悲なアンデッドという情報だった為、そのまま接触しようとしたがどうやら情報に間違いがあったらしい。彼はこの世界に来た多くのプレイヤーのように人として真っ当な心を持つようだ。
だがそれでも構わない。その為だけに秘密結社も十二高弟も全て切り捨てて構わない。
なぜならたった一人でそれよりも強大なモモンガを味方に引き入れる事が出来たのだから。
自らの取り繕った嘘など目的遂行まで持てば良いだけのもの、少しの間だけ誤魔化せればそれで充分といえる。
上手くいったと仮面の下で愉悦に笑うズーラーノーン。近い将来、自分の目的が遂げられるであろう瞬間を想い描くとズーラーノーンはとても愉快な気持ちになるのだ。
だがこの場において、デイバーノックだけが言い様の無い不安を覚えていた。
嫉妬や欲望などというくだらない感情ではない。
もっと人間の奥底に眠る悪しき感情の気配を感じているのだ。
腐っても六腕という犯罪組織に所属していたデイバーノック。
そういった者達は数多く見てきた。
モモンガの放つ闇を絶対的で超越的と形容するならば、ズーラーノーンの放つ闇はまた違う。
(蠢き捻じ曲がり、揺らいでいる…!)
確証など何も無い。
ただ勘だけではあるがデイバーノックの中ではズーラーノーンという存在に警鐘を鳴らしていた。ズーラーノーンの語る内容もどこか腑に落ちない。八欲王に関する話はそうなのかもしれないが、それを話すズーラーノーンの言葉自体がどことなく作り物めいて聞こえるのだ。
デイバーノックの中で疑念が渦巻いていく。
そうした様々な感情を孕んだまま三体のアンデッドが並んで歩く。
いずれもこの世界と乖離し始めているアンデッド達だ。
彼等がこの世界に齎すのは、幸か不幸か。
「ところでモモンガさん、一つ気になっていたんだが…」
「なんですかズーラーノーンさん」
「ずっと後ろを付いて来てるの、なんだ?」
「え?」
言われて後ろを振り返る。
モモンガが振り返ると同時に木の後ろに隠れたのだろうがはみ出て見えている。それは。
「イ、イビルアイさん? ど、どうしたんですか?」
モモンガに名を呼ばれイビルアイがもそもそと木の影から姿を現す。
「い、いやそのあれだ…。わ、私は冒険者としてお前を…、その、追うと仲間に約束したんだ…。だ、だからそのここで帰るとだな、いや別にお前が悪しきアンデッドではないのは分かっているのだが、それでも、な? それを証明する者がいなければなるまい? だから、その…私なら証明できると思うんだ。それに、あの、私も南に用事が無いわけでもないというかだな…」
もじもじと両手の人差し指を体の前で合わせるイビルアイ。
「はぁ。よく分かりませんが目的地が一緒ならイビルアイさんも一緒に行きますか?」
モモンガの言葉にイビルアイの表情がパァっと明るくなる。
その顔は仮面に隠されていて見えないのだが。
「しょ、しょうがないな! ど、どうしてもっていうなら私もやぶさかではない! い、一緒に行ってやるぞ!」
そうして三骨に加え、吸血鬼が仲間になった。
奇妙なマスクを被った四体のアンデッド達。
どう見ても不審者である彼等は足並みを揃えて南へと向かう。
向かうは南方の砂漠に位置する首都エリュエンティウ。
だが法国を避けて進むにはカッツェ平野を通り、竜王国を通らなければならない。
エリュエンティウへの道のりはまだまだ遠い。
◇
一晩明けてなおクレマンティーヌは走り続けていた。
一睡もしないまま泥だらけで、ただただ全力で遠くへ逃げるように。
当初は聖王国へと逃げようと画策していたクレマンティーヌだが考えを改めた。
盟主への恐怖と例のアンデッドの存在、さらには法国の追っ手。
どこで何が起こるか分からぬ故、最も遠くの都市であるエリュエンティウへ向かう事にしたのだ。
いくらなんでも南方の砂漠まで奴らが出張ってくる事はないだろうと踏んだのだ。
そしてその遠くの地でやり直そうと誓った。
(慎ましく生きよう…! 目立たずひっそりと…! 法国のクレマンティーヌは死んで、新しい土地で新しい人生をやり直すんだ…! 休みの日には教会に祈りに行ってもいい…! 退屈な説教を聞いたっていいさ…! 人を殺すのも一か月に一人くらいで済ませよう…! 真面目な振りをして人の目を誤魔化しながら真っ当に生きていくんだ…!)
希望を胸にクレマンティーヌは駆けていく。
その先には自分の望む平穏があると信じて。
だがクレマンティーヌは知らない。
盟主ズーラーノーンの本性を知るのはもはやこの世に彼女ただ一人だという事を。
ズーラーノーンの嘘と欺瞞を証明できるのは今や彼女しか存在しない。
さらにはその向かう先もまるで運命に引き寄せられるように最悪を進んでいる。
しかし今の彼女にはそんなこと知る由も無いのだ。
最悪の時代は終わりを告げ、明るい未来へ向かっていると信じて疑わない。
彼女の受難はこれから始まるというのに。
隊長「勝てなかったよ…」
モモンガ「仲間出来た」
ズラノン「世界を救う(嘘)」
デイバー「この骨裏切りそう」
イビルアイ「仕方なく同行してあげるんだからね!」
クレマン「疾風逃走」
今回も文字数が多くなってしまいました
なんでこんな毎回毎回長くなるんだろう…
とはいえ安易に分割するとキリが悪くなる気がして出来ないのです、ご容赦を…
そしてやっと本筋に入れたと思っています
この辺りからは原作で描写されてない箇所が多くなってくると思うので捏造度が上がっていくと思いますが、あまり皆さんの拒否反応が出ないように頑張って行きたいなぁと思っております
基本的にオリジナルキャラは登場しません。登場するのはあくまで原作でもその存在が確認及び示唆された人物だけです。ただ描写が無い者については捏造が入らざるを得ないので、それを踏まえて読んで頂けると幸いです
どうかよろしくお願いします