死の騎士が帝都を救う!そして知らない所で助かっていた双子!
さらには漆黒聖典が動き出す!?
イビルアイは助け出した双子を送り届けた後、帝都の中を歩いていた。
アンデッドの腐肉や濁った血で街並みは酷い事になっている。
塀や家などは至る所で壊れており、まるで戦争の跡か何かのようだ。
その様子は王都の惨状を思い起こさせる。
だが決定的に違うのは、死者が出ていないという事だろう。
(アイツは何をしようとしていたんだ…?)
混乱するイビルアイの脳内で、かつてのクライムの言葉が反芻される。
『だ、だから誤解なのです!』
『何言ってんだ童貞! 誤解もクソもあるか! ここまでやられて見過ごせって言うのか!』
王国崩壊後、蒼の薔薇を前にクライムが必死に言葉を並べる。
それを前にガガーランは憤怒の表情で反論していた事を思い出す。
『そ、そういう事ではありません! し、しかしあの方がいなければ…』
『あの方とか言ってる』
『洗脳されてる可能性』
クライムの叫びにティアとティナが返す。
『でもクライムから何か魔法を掛けられたような痕跡は感じられないわ…。ただレェブン侯も様子がおかしいのは事実だし決して油断は出来ないけど…』
冷静にラキュースはそう判断する。
この時クライムは王都を襲ったあのアンデッドの行動を誤解だと言い放ったのだ。
皆が見ている前であれだけ残酷に人を殺した相手を擁護するなど信じられなかった。
誰もがクライムが狂ったと思った。
もちろん大事になる前に蒼の薔薇がクライムに口止めをした。
公にそんな事を言い出せば色々と問題がある。
レェブン侯はもうしょうがないがクライムに悪評が付くと元王女であるラナーにも面倒がかかるだろう。
そういった事もあり、最終的にクライムは大人しくなったが王国内で度々囁かれるあのアンデッドへの暴言を苦しそうに聞いていた。
(クライム…、もしかしてお前は何か知っていたのか…?)
あの時クライムは何と弁明していただろう。
誰もがクライムの話す内容を真面目に聞いていなかった。聞く価値があるとはとても思えなかったからだ。
その言葉の断片を必死にイビルアイは思い出す。
『あの御方は皆を救ってくれたのです! 犠牲者も八本指の者達しか…! ああっ、皆さんお待ちください! あのポーションだって本当は…!』
誰も耳を貸さなかった。
色々とやる事も多く、そんな妄言に付き合っている暇はなかったからだ。
それに最後まで発言を許してしまえば、それを聞いてしまえばクライムを処罰せねばならなくなると思っていたから。
だがもしそうではなかったら?
(犠牲者は八本指しか…? そういえばあの事件で八本指が全滅したというのは聞いている。その証拠も発見され、関係者の多くも自白したとか…)
王都はその惨状に比べ、確かに死者の数は思いのほか少なかった。
クライムの言葉から推察すると犠牲者は八本指の者達だけだったという事なのだろうか。
(それにあのポーションがどうたらとも言っていたな。あれはレェブン侯が他国から密かに輸入していた品だと聞かされていたが…)
イビルアイはそのポーションを見ていない。
ただ、かなり性能の高い物で多くの人々を救ったとは聞いている。
だが冷静に考えてみれば市場に出回っている以上の性能のポーションをなぜレェブン侯が大量に入手していたのかという疑問は尽きない。
それにそれをいとも容易く提供するなど。
(そもそもそんなポーションが大量にあるという事実も妙だ…。そんなものを買うとなれば金がいくらあっても足りないし、他国だってその希少性から売りになど出さないだろう…)
考えれば考えるほど、奇妙な違和感が拭えない。
もしそれらにあのアンデッドが関わっていたとしたら?
様々な違和感の断片を今回の帝都の事件と照らし合わせていくとどうだろう。
一つの可能性が浮上してくる。
それはイビルアイの想定と全く逆であり、考えもしなかった答え。
あのアンデッドは人々を救おうとしていたのではないか、と。
だがイビルアイの理性が、王都で感じたあの禍々しい気配がそれを否定する。
しかしもしクライムの言う通り犠牲者が八本指の者だけだったとするならば、今回のように何らかの行動を起こした八本指から人々を救おうとしたのかもしれない。
そしてあのポーションの出どころがあのアンデッドならば?
そうするとクライムの言葉も繋がってくるし、今回の帝都での事件とそう矛盾しない。
「まさか私は…、いや私達はとんでもない勘違いをしていたのでは…?」
その考えに驚愕し、焦燥するイビルアイ。
アンデッドが生者を憎むのはこの世界の常識だ。
だからこそ疑問にも思わなかったし、そんな事を考える事も無かった。
しかしそれが全てでは無い事は自分の身体が証明している。
アンデッドであるイビルアイが正義を為そうとしている以上、そんなアンデッドが他にいないと誰が断言できるだろう。
「……」
思えば最初に遭遇した時もあのアンデッドは何かをずっと口にしていた。
もしあの時イビルアイ達がそれに耳を貸せば違った未来があったのだろうか。
そう逡巡し、ふと気づくとイビルアイは自分が街の中心から遠くまで歩いていた事に気付く。
目の前には墓地が見える。
確かこの辺りからアンデッドが出現したと兵士が叫んでいた気がする。
だが今現在ここに兵士達の姿は無い。
今は市民の避難の事もありこちらに人を回す余裕が無いのだろうが、すぐに確認の為に様子を見に来るだろう。
そう考えたイビルアイはそれらに遭遇しないようにとこの場を離れようとする。
しかし、その視線の先に一人の女性が跪いているのが見えた。
何事だろうと気配を消してイビルアイが近づく。
そして信じられぬものを見た。
「……!」
その女性、甲冑を着ている所からこの国の兵士であろう。
随分と身分が高そうな装備だ。
それがまるで命乞いでもするかのように一人の男の足元に縋っている。
痴話喧嘩、あるいは面倒事だとしてもイビルアイは介入するか悩んだろう。
ここは王国ではなく帝国なのだ。
生き死にが関わっている場合でない限り、王国の関係者である自分の身を晒す事は避けたかったのだ。
だがそんな考えは全て吹き飛ぶ。
その女性が縋っている男、いや正確には性別は分からない。
顔には奇妙な仮面を付けていたのだから。
しかしその
あの時と違い、一目で分かる魔王のような禍々しく派手で豪奢なローブでは無いがこの異様な気配は忘れようがない。
間違いない、とイビルアイは思う。
あれは王国を滅ぼしたアンデッドだと。
(こ、こんな所に…! だがどうする…? 奴の目的がもし本当に人々を助ける事ならば話をすれば分かり合えるのだろうか…? し、しかし私はあの者に…)
あのアンデッドの言い分も聞かずに一方的に攻撃したのは自分だ。
恐らく自分は敵だと認識されているだろう。
そう考え出ていくかどうか悩むイビルアイ。
だがどちらにせよ話をせねば進展は無い。
それにあのアンデッドが人々を助けたという事は希望的観測でしかないのだ。そうでない可能性も十分にある。
(どちらにせよ一度言葉を交わすしかないか…。もし全て私の思い過ごしで当初の想定通り悪であるならばこの身を犠牲にして倒すだけだ…。だがもしそうでなければ…)
手を取り合えるかもしれない。
そんな考えを抱きながらそのアンデッドへと近づくイビルアイ。
しかし、現実はイビルアイの望んだものでは無かった。
近づいていく事でようやくその女性とアンデッドの会話が聞こえてくる。
「……します! お願いします! どうか、どうか…!」
何やら女性が必死に懇願している。
傍からみればまさに命乞いか何かのようだ。
それに対し、仮面を被っているあのアンデッドは煩わしそうにそれを見下ろしている。
そして。
おもむろにその女性に向け、手をかざした。
嫌な予感がイビルアイに走る。
なぜならその手からは強い魔力が感じられたのだから。
「っ!? ま、待て! 何をするつもりだ貴様っ! や、やめろっ!」
思わず物陰から飛び出し、駆けだすイビルアイ。
だがもう遅い。
放たれる魔法を止める事は出来ない。
「《デス/死》」
それは紛れもなくあのアンデッドの声だった。
言葉と共にそのアンデッドの足元へと縋っていた女性が静かに崩れ落ちた。
その魔法自体は知らないが、その言葉からどんな魔法なのかは想像がつく。
地に倒れるその女性の顔の半分は長い布で覆われており、表情までは読み取れないがもはや生気は無い。
一目で死んでいると理解出来た。
美しい金髪が揺れ、体に遅れて地面へと触れる。
まるで時が止まったかのようだった。
イビルアイはそのアンデッドを信じてもいいと思い始めていた。
むしろ、信じたいとさえ思った。
自分のように人の心を持つアンデッドなのではないかと。
だがそれは全て幻想で、間違いだった。
このように命乞いをする女性をも殺す、無慈悲なるアンデッドだった。
「貴様ぁーーっ!」
唐突な怒りと悲しみに支配され、イビルアイは吠えた。
◇
時は少し遡り、イビルアイが墓地に辿り着く前。
モモンガはデイバーノックや
その後ろには気まずそうにしているクレマンティーヌがいる。
「あ、あのー……」
外に出た所でモモンガに対して怯えながら声をかけるクレマンティーヌ。
「ん、どうした?」
「じ、実はですね…。あの…。わ、私のこと、死んだ事にしてもらえないかなーって…」
クレマンティーヌの口から出てきた言葉に不思議そうにモモンガが頭を捻る。
「え? 死んだ事に? なんで?」
「あ、いやその…、子供達を逃がしたって組織にバレたら殺されるかもしれないので…」
クレマンティーヌは一刻も早くこの場から去りたかった。
このアンデッドに対して子供を逃がしたと話を合わせ嘘を吐いたがそれが露見すれば即座に殺されるだろう。
何がどうしてそんな事が起き、そんな話になっているか分からないが、このままここにいてはいけないとクレマンティーヌの本能が告げている。
そもそも目の前の謎のアンデッド達の目的も不明であるし、理由は分からないが今現在帝都をカジット達が襲っている様子も無く静かだ。
もしかすると何かの間違いでカジットはこのアンデッド達と敵対したのかもしれない。
少しすれば盟主達も来るだろうし、変に話が拗れれば自分の居場所などなくなると考えるクレマンティーヌ。
揉め事が起きるより先にこの場から離脱するのが最善なのだ。
「組織にバレたら殺される…? ま、まさかそんな危険を冒してまで助けてくれていたのか…!? 君には頭が上がらないな…、本当に感謝する」
クレマンティーヌの言葉にモモンガが深々と頭を下げる。
むしろクレマンティーヌからすれば相手の対応が紳士であればある程、嘘が露見した時の恐怖が募るのでそんな事はやめて欲しいと願っているのだが。
「そ、そんな事しなくていいですから…! あ、頭を上げて下さい! 自分が勝手にやった事ですから…!」
「おお、君はとても優しい人なんだな…。最初は殺そうとして本当に済まなかった…。しかしお礼と言ってはなんだがそんなけしからん連中がいるなら俺が代わりにこらしめようか?」
モモンガの提案にクレマンティーヌの身体が強張る。
もしクレマンティーヌのせいでこのアンデッドが盟主達と敵対する事になれば地獄だ。
かといって嘘がバレれば目の前のアンデッドに殺される。
八方塞がり。
「わ、私の為にそんな事してくれなくていいですから! そ、それに組織の連中は凄く強いんです…! そ、その貴方も凄く強そうだけど奴等に勝てるかは分かりません! だからそんな事しなくて、いやしないで下さい!」
もちろんモモンガの事を心配したクレマンティーヌではない。
少しでも自分に余計な火の粉が飛んで来るのを心配しただけである。
だが同時にこの言葉は本心でもあった。
盟主とこのアンデッド。
クレマンティーヌにはどちらが強いのか分からないのだ。
「う、うむ、そ、そうか…」
クレマンティーヌの鬼気迫る説得にたじろぐモモンガ。
生贄にされそうな子供達を助けただけでなく、見ず知らずの自分の事をこれだけ心配してくれるとはなんて優しい女性なのだろうと心の中で評価を上げる。
とはいえこの女性の言うように相手が強者であるならばモモンガも無闇に戦うつもりはない。
王都に続き、帝都でも義憤にかられ暴走してしまったがそれもいつまで続くか分からないだろう。
(困っている人を放ってはおけないけど…、今の俺じゃ限界がある…。流石に自分よりも強い者に喧嘩を仕掛けようとは思わないし…。やられてしまったら終わりだからな…)
冷静になり自分の置かれた状況を考えるモモンガ。
少なくともこれからはもう少し敵対する者について知る必要があるかもしれない。
さんざんやらかしておいて今更そんな事を考える。
「力になれなくて申し訳ない…」
「いや! 全然! 全然大丈夫ですから! じゃ、じゃあ私はこれで…」
そそくさとその場を離れようとするクレマンティーヌ。
「分かりました…。もし何か困った事があれば俺を訪ねて下さい。助けになりますよ。なんたって貴方は恩人ですから」
「ひっ…! い、いえお構いなく…! そ、それじゃあっ!」
そうして猛ダッシュでこの場を離れていくクレマンティーヌ。
その姿はすぐに小さくなり見えなくなった。
「あの女性は大分急がれていましたね」
「ええ…」
横に控えていたデイバーノックがモモンガへと声をかける。
「あそこまで必死になるという事はそれだけ危険な奴らが相手という事でしょうか? モモンガさんに対抗できるような者がそうそういるとは思えませんが…」
「いや、デイバーノックさん油断は禁物です。世の中何があるか分かりませんからね。警戒するにこした事はありませんよ」
「なるほど、確かに…」
「ま、とりあえずは霊廟の外で捕まえたハゲに話を聞きに行きましょう」
「はい!」
そうしてデイバーノックとモモンガは捕まえたカジットの元へと歩んでいく。
ただ一人、これから起こる騒動に巻き込まれる事なく帝都からの離脱に成功したクレマンティーヌ。
彼女の選択は正しく、そして幸運だった。
だが彼女の苦難の日々はまだ始まったばかりに過ぎない。
誰が知るだろう。
近い将来、彼女がこの世で最も重要なカギの一つを握る人物になろうとは。
クレマンティーヌを含め、その事実はまだ誰も知らない。
その事に気付くのはまだ少しの時を要するのだ。
誰かがそれに気づいた瞬間、きっと彼女の平穏は終わりを告げる。
◇
墓地内で
しばらくするとモモンガとデイバーノックがカジットの元へと帰ってきた。
「儀式をしていた連中は全員死んだぞ」
開口一番モモンガがカジットへと告げる。
カジットも馬鹿ではない、その言葉の意味する事を察する。
恐らく子供達を生贄にした事で儀式をしていた貴族達は不興を買って殺されたのだと理解した。
真実はそうではないのだがカジットにそれが分かる筈もない。
「……つ、次は我々…、そ、そういうことですか…?」
分かり切っているであろう結末をカジットが尋ねる。
この問いに意味が無いと思っているが問わずにはいられなかった。
「? いや、子供達は…」
「モモンガさん」
口を開こうとしたモモンガをデイバーノックが制止する。
子供達は無事だったからもうお前達に用は無い、そう言おうとしたがそれがマズイという事に気付く。
ここに来るまでに子供達は無事だが消息が掴めないという情報をアルシェにメッセージの魔法で伝えたのだがその時にちょうど妹達と会えていたらしい。
妹達は金髪の女の人が助けてくれたと言っているらしくクレマンティーヌと一致する。
他の子供達も無事に親元に返されたのを見たと妹達が言っていたらしいのでそちらの心配も無い。
だがどうするべきか?
子供達は逃げたと目の前のハゲに正直に言うべきだろうか?
しかしそうなると必然的にクレマンティーヌの行動も明らかになってくる。
本人が死んだ事にしてくれとまで懇願したのだ。
軽々しく口にするべきではない。
クレマンティーヌの事を考え、色々と有耶無耶にする方がいいだろうと判断する。
「…子供を生贄にするという非人道的な行為、許せるものではない」
肝心な事は曖昧にしつつとりあえず怒っている風を装う。
子供達が無事だった時点でもう怒りは失せた。
この都市を襲ったという事も上げられるが今回は死者も出ていないし、何より前回と同じ轍を踏む訳にはいかない。
王国で人を殺すという事に何の忌避感も感じなかった事に驚いたがそれでも今後進んで殺そうとも思わない。
詳しくは知らないが自分のせいで王国は混乱したようなので今回は自重する事にしたのだ。
だが見逃す訳ではない。
「お前は人として許されない事をした。それは自覚しているな? ならば罪は償わなければならない」
「は、はい…」
カジットが震えながら答える。
「だからお前をこの国の役人に突き出す」
「え…、はっ…?」
殺されると思っていたカジットは唖然とする。
弟子達も同様だ。
誰もがそんな事になるとは想定もしていなかったという顔をしている。
「俺はこの国の法律も何も分からないからな。この国で起きた事件はこの国に任す」
そうしてモモンガは
肝心の連れていかれるカジット達は最後までポカンとした表情を浮かべていた。
「ま、あのクレマンティーヌという女の心配もしてたようだし、殺す事もないだろ」
「流石はモモンガ様。確かにあの男は有能でした。反省さえすれば共に深遠へと至る盟友となれるかもしれないとお考えになったのですね?」
「えっ」
「それにあの男すらも何者かに踊らされていた可能性を考慮なされたのでしょう? その洞察力と慈悲深さ、このデイバーノック感服するばかりです」
「…う、うん」
何を言っているのか分からない。
モモンガとしては面倒くさくなってきたしこの国に丸投げしようとしただけなのだが、アンデッドのくせにデイバーノックが少年のような眼差しを向けるのでつい頷いてしまった。
とりあえず面倒事は一段落したのでアルシェ達と合流しようと墓地を出ようとするモモンガ達。
その前に一人の女性が立ちふさがった。
「はぁはぁ、さ、探しましたわ…。貴方がその強大なアンデッドを従える
肩で息を切らした女性がモモンガへと声をかける。
顔の半分を大きな布地で覆っている特徴的な女性だ。
身なりからするとこの国の兵士か何かであろう。
「え、ええ、そうです。あ、迷惑でしたか? すいません、これそのうち消えるんで…」
「お願いがあります!」
モモンガの声を遮るようにその女性、レイナースは叫んだ。
本来ならばこんな危険な相手を前にするなど愚の骨頂。
何が何でも逃げるべきだろう。
だが四騎士よりも強大なアンデッドが複数という絶望的な状況で逃げてもさほど意味はない。
どうせならばと一か八かの賭けに出たのだ。
何よりこの強大なアンデッド達が市民に手を出していない事が気になった。
それだけ明確な命令を下す、あるいは理由があるならばその主は話が通じるのではないかと考えたのだ。
徒労に終わるかもしれない。
無為に命を散らすかもしれない。
だがレイナースはこの規格外の相手はそのリスクを負うだけの価値のある相手だと踏んだのだ。
「お、お願い…?」
「これです」
そうしてレイナースは自身の顔半分を覆っている布をめくりあげた。
中にあったのは醜く膿んだ顔の右半分。
残りの左側が端正な顔立ちゆえその醜さがより引き立てられる。
時折、膿が顔から垂れ落ちておりモモンガがアンデッドでなければ顔をしかめていただろう。
「これは…、呪い…?」
「…っ! そ、その通りです!」
モモンガの他愛ない返答に喜色を浮かべ返事をするレイナース。
「で、これがどうしたと?」
「あ、貴方様ならばこれを解呪する方法をご存知なのではないかと思いまして…!」
「はぁ?」
何を言ってるんだとモモンガは思う。
「いや、神官に頼んだらいいんじゃないですか? 俺は神官じゃないし解呪できないですよ」
モモンガの返答に一気に顔を暗くするレイナース。
しかし彼女は諦めず食い下がる。
「そ、そうなのですか…。し、しかしこの呪いは強力で解呪できる神官は国中を探してもいないのです…」
その言葉に驚いたのはモモンガだ。
この呪いは中位程度の呪いでしかない。
解呪事態は難しくないしいくらでも方法はあるだろうと考える。
この時モモンガはデイバーノックをチラリと見る。
その視線の先で静かに頷くデイバーノック。
これだけでレイナースの話が本当なのだとモモンガは判断した。
だがどうしたものかと悩む。
解呪自体は簡単だ。
高位の神聖治癒魔法が込められたスクロールか解呪のアイテムでも使えばいい。
ただモモンガは神聖系のクラスを取得していないのでその類のスクロールは使えない。
仮に取得していたとしてもアンデッドの特性で治癒系の魔法は行使できない為どちらにせよ使用できない。
さらに不運な事にモモンガはアンデッドであり、呪いとは無縁だった為に解呪のアイテムもさほど持っていない。あるにはあるがコレクター的な物ばかりである意味貴重なのだ。
神聖魔法の込められたスクロールを上げてもいいが解呪のアイテムと同様の理由で数を持っていない。
見ず知らずの人にタダで上げるのは少し惜しいと思う程度しかないのだ。
「うーん…」
悩む素振りを見せるモモンガが何かを知っていると判断したのかレイナースは地面に膝を付きモモンガに懇願する。
「お、お願いします! 呪いが解けるならば何でもします! わ、私にできる事なら何でも…!」
(ペロロンチーノさんが聞いたら喜びそうなセリフだな…)
そんな事を思いながらもモモンガは逡巡する。
困っている人を助けるのは当たり前。
とはいっても右も左も分からぬこの世界で貴重なアイテムを差し出す気にはならなかった。
王都の時と違い、人の生き死にがかかっているわけではない。
別に今すぐに呪いを解かなくても命に別状は無いのだ。
それに高位の神官がいればアイテムも何も消費しなくて済む。
「残念ですけど俺には真っ当な方法じゃ解けませんよ。命に別状がある訳じゃないし気長に解呪の魔法を使える神官を探されては…」
「もう探しました! 何年も何年も…! 皇帝の力を借りても未だに叶わぬのです! 方法だけでも良いのです! もし知っているのならどんな些細な情報でも構いません! どうか…どうか…!」
泣きながらモモンガの足元に突っ伏すレイナース。
それを見ていて居た堪れなくなるモモンガ。
そしてふと思う、なんでこんな事になったんだろうと。
「そ、そう言われてもですね…」
「先ほど貴方様は真っ当な方法では解けないと仰られました! それはつまり…、真っ当でない方法ならば呪いを解けるという事ではないのですか!?」
モモンガの言葉尻をつかむようにレイナースが言う。
揚げ足を取るような物言いだがあながち間違いではない。
呪いを解く、という条件を満たすだけならばモモンガにも可能ではあるのだ。
「いやでもあんまりオススメは出来ないですよ…? 俺もこの世界に来たばかりで良く分からない事も多いし…」
「構いません! 呪いが解けるならば何が起きても…!」
レイナースの強い意志の前にこりゃ無理だなと諦めるモモンガ。
「本当にオススメ出来ませんし後で文句を言われても困るんですが…」
「決して文句は言いません! この呪いが解けるならばどんな事にだって耐えられます!」
悪魔の取引のようにどれだけ法外なものを要求されてもレイナースは構わないと思っていた。
彼女にとって人生の中でこれが最優先されるべき事なのだ。
金銀財宝も、名誉さえ、呪いが解けるという事実の前には霞む。
「お願いします! お願いします! どうか、どうか…!」
泣きながらモモンガの足元へと縋るレイナース。
その姿を見てモモンガも気持ちが固まった。
目の前の女性の事は知らないし事情も分からないがここまで呪いを解きたいというならば叶えてもいいだろう。
モモンガにとっては造作も無い事だ。
唯一モモンガができる解呪方法。
「分かりました、では目を瞑っていて下さい」
モモンガの言葉にレイナースが目を閉じる。
そしてモモンガは魔法を唱える。
格下では絶対不可避の即死魔法を。
「《デス/死》」
死とは状態異常の最上位である。
毒も麻痺も混乱も睡眠も何もかも。
死によって上書きされる。
中には強力で死後、蘇生されても引き継ぐものもあるがそれは例外的なものであり、普通は死亡した段階で状態異常は全て上書きされるのだ。
つまりは蘇生後にはほとんどの状態異常は消え去っている。
とはいえ呪いは少し特殊で、魂と結びついてしまうと状態異常とカウントされず死後もずっと引き継いでしまうというものも存在する。
レイナースにかかっている呪いがどれだったのかはもう分からない。
なぜならモモンガの即死魔法は高位に位置するもので非常に強力なのだ。
その肉体に結びついているものですら殺す。
呪いでさえ例外ではない。
位階において格下の呪いなど、死の魔法で上書きし無に帰せる。
ただユグドラシルと同じようにこちらの世界でも死亡してしまえば復活できたとしてもデスペナルティがあるらしい。その辺りの細かい事情はデイバーノックから聞いていた。
その痛みを誰よりも理解しているモモンガからすれば苦肉の策といったところだ。
どうしてもと請われたから実行しただけであり本来ならば気持ち的にはやりたくなかった。だがここまで求められればしょうがない。デスペナルティは自己責任として受け入れて貰うしかない。
後は
このアイテムに関しては多くの数を持っているので使っても惜しくないと判断したのだ。実際にこの目でデスペナルティを確かめてみたいという欲求もあった。
そして
「貴様ぁーーっ!」
唐突に叫び声が聞こえ、一つの影がモモンガへと襲いかかった。
◇
イビルアイは憤慨していた。
僅かでも目の前のアンデッドに気を許しそうになっていた自分に。
王都をあれだけの惨状に陥れたこのアンデッドが人を救うなどあり得ぬ事だったのだ。
「《クリスタルランス/水晶騎士槍》!」
魔法を勢いよく放つイビルアイ。
「わっ、ちょ!」
慌てながらも咄嗟に魔法で防御するモモンガ。
「クソ、やはり通じないか…」
「あ、貴方は王国で出会った冒険者…!?」
「久しぶりだ、あの時は世話になったな…!」
困惑するモモンガを他所にイビルアイは距離を詰めていく。
「ちょ、ちょっと何なんですか! またですか! 俺が何をしたって言うんですか!」
「しらばっくれる気か貴様! 王国であれだけの被害を出しておいて…!」
「王国? ま、待って下さい! あれは…! 話せば分かりますって!」
「くどいっ!」
言葉を並べながら距離を取るモモンガに対してイビルアイは容赦無しとばかりに距離を詰める。
「お前はどうしてそんな簡単に人を傷付ける事が出来るんだ! その女性がお前に何をした!? どうしてそんな簡単に命を奪う事が出来る!?」
「だから誤解ですって!」
「何が誤解なものか! 私はこの目で確かに見たぞ!」
《フライ/飛行》で一気に上空へと退避したモモンガを追うようにイビルアイが《フライ/飛行》を放ち、続けて魔法を唱える。
「《リヴァース・グラビティ/重力反転》!」
自身の重力を反転し、《フライ/飛行》を使ったまま上空へと落ちるように飛翔する。
「おわっ!」
そして一気にモモンガまで距離を詰めると再び魔法を詠唱する。
「《シャード・バックショット/結晶散弾》!」
細かい水晶の粒が爆発したようにモモンガを襲う。
並みの者であれば肉体が削られ無事では済まないだろう。
だがモモンガの魔法防御を突破する程ではない。
「うわ、ビックリしたなもう!」
「化け物め…!」
イビルアイが唇を噛む。
感情に任せて攻撃を仕掛けてしまったがやはり間違いだったかと考える。
イビルアイの魔法は全く通じない。
やはり魔法では勝負になどならない。
「ならばっ!」
今度は《リヴァース・グラビティ/重力反転》をモモンガのいる方向へと発動し、突進する推進力へと変える。
《フライ/飛行》も全力で発動し、その勢いの全てを拳にかける。
この一撃を喰らえば純戦士であるガガーランさえ倒れるだろう。
それだけの一撃。
吸血鬼の力にものを言わせたマジ殴りだ。
「うぉぉおおおお!!!」
「そこまでです」
下からイビルアイの斜線上に大量の火球が飛んで来る。
炎に耐性のあるイビルアイだがこの中に突っ込めば多少のダメージを受けるし、拳の狙いも逸れるだろう。
故に止まるしかなかった。
「だ、誰だっ…!」
下を見ると
「話も聞かずに暴れるなど…、真っ当な冒険者のする事ではありませんね」
「ぐっ…!」
図星、というのもあるがイビルアイが動揺したのはもう一つある。
先ほど放たれたのは恐らく《ファイヤーボール/火球》。
それを一度にあれほどの数、しかも込められた魔力もかなりのものだった。
純粋に
そんな化け物が目の前のアンデッドの他にまだいた事にイビルアイは驚きを隠せなかったのだ。
(マズイぞ…、
自分の目論見が簡単に破れた事を悟るイビルアイ。
こうなれば万に一つの可能性もないだろう。
だからイビルアイは覚悟を決める。
玉砕覚悟でどちらか片方だけでも道連れにするのだと。
しかし。
「デイバーノックさん逃げますよ!」
「あぁっ、モモンガさんお待ち下さいっ!」
急に例のアンデッドが逃走を始めた。
一瞬何が起きたのか分からずイビルアイはフリーズした。
だがすぐに思考が戻る。
「デ、デイバーノックだとっ!?」
この隙をチャンスと見て逃走するべきだったとイビルアイは思う。
だがそんな事が出来る筈が無い。
デイバーノック。
それは王国で暗躍していた最悪の犯罪組織である八本指に所属する六腕の一人。
八本指関係者は全て死ぬか捕まったと聞いていたがここに生き残りがいた。
アンデッドである奴だけは消息が不明だったが、滅び身体もろとも消え去っていたのだと考えられていた。
だが違った。奴はここにいて例のアンデッドと手を組んでいたのだ。
(デイバーノック…! まだ生きていたとは…! しかしあのアンデッドとはどんな関係なのだ…! ま、まさか奴がデイバーノックを操って八本指に潜入させていた…!? そして用済みとなった八本指を始末した…。そう考えれば辻褄が合う…!)
そもそもアンデッドを生き残りと言っていいのかという疑問はおいておくとして、王国での事件をそう考える事でイビルアイの中で不完全ながらも線が繋がっていく。
(やはり私の見立てに狂いはなかった…! 間違いなく奴は悪…! その狙いこそ分からないものの、ここで見逃す訳にはいかん…!)
少なくともここで向こうが逃走を開始するという事は何か都合の悪い事があるのだと判断する。
危険な賭けではあるが、まともに戦えば勝率など皆無なのだ。
もし弱みの一つでも握れるならば万々歳だとイビルアイは考える。
「モ、モモンガさんなぜ逃げるのですか!?」
「この人の蘇生もまだだし、あの人は何か勘違いしてるだけですよ! 無理に戦う必要は無いですって!」
「し、しかし…! いえ、分かりましたモモンガさんがそうおっしゃるのならば…」
デイバーノックからの話も含め、蒼の薔薇の情報は耳に入っていた。
多くの人々から支持される有名な冒険者チームなのだとか。
モモンガとしてはそんな真っ当な彼女達と敵対したくないという気持ちがあった。王都でもいきなり攻撃を仕掛けられ困っていたが彼女達は自分と誰かを勘違いしていた様子もある。
悪意を持って傷つけられたのならばともかく、正しい事をしようとしていたらしい彼女達の間違いに怒る気にはなれなかった。
まぁ本音を言うと仲間の忍者が強いかもしれないので怖いというのもあるのだが。
なにはともあれモモンガはイビルアイと敵対したくなかったのだ。
故に逃走。
ただ、デイバーノックと二人ならば簡単にイビルアイを撒けただろうが数体の
単純に目立ちすぎるのだ。
しかも片手はレイナースの遺体を担いで塞がっている。
「待て貴様等ぁっ! 絶対に逃がさん!」
イビルアイが叫びながら魔法を連発する。
いくつもの結晶の塊が家や地面に突き刺さっていく。
「どうしますかモモンガさん。このままじゃ逃げ切れなそうですし、彼女もあれでは話は通じそうにないですよ」
「うーん、困りましたね…」
逃げながら追ってくるイビルアイの様子を見るモモンガとデイバーノック。
二人は上手く建物の影に身を隠せても
これは
「がはっ…!」
そのまま力なくイビルアイがひょろひょろと地面へと墜落していく。
モモンガは見た。
魔法が飛んできたその先にいた謎の集団を。
◇
帝都の郊外で盟主及び高弟達の遺体を発見した後、隊長へ決断を下した。
幸いここには漆黒聖典の主力の多くが揃っている。
戦うならば今を置いて他に無いと判断したのだ。
「これから帝都へと潜入。例のアンデッドらしき存在を捕捉し次第、交戦する」
この場にいた漆黒の誰もが驚きの表情を浮かべた。
ハッキリ言って敵は規格外。
ここで撤退したとしても上層部は文句を言わないだろう。
「皆の気持ちは分かる…。だが今はカイレもおりケイ・セケ・コゥクもある。どちらにせよ
隊長の言葉に皆が意を決したように頷く。
そして漆黒聖典が帝都内部へと侵入する。
幸い人々の多くはすでに避難しており無用にその姿を晒す必要は無さそうだった。
そして魔力を辿り、例のアンデッドの元へと向かう。
やがて魔力の出どころである墓地周辺まで進行した時にそれは起きた。
叫び声と共に魔法が発動されるのを感じ取ったのだ。
「た、隊長! こ、これは…!」
「うむ! 皆行くぞ! 例のアンデッドの可能性が高い! 気を引き締めろ!」
そして建物の屋根の上を走りながら追っていく。
すると視界の先に都市の中を走る複数の
「あ、あれは…?」
「あれが例のアンデッドか!」
「確かに強そうではあるが…、人っぽいぞ」
「だがこれだけの
「でもまぁそこまで絶望的って程じゃないな」
その
もっと規格外の化け物を想像していた彼等は安堵の息を吐きそうになる。
「油断するな! あれだけの
隊長は思う。
あの
自分以外の漆黒聖典では勝てないだろう。
だが自分ならば勝てる。
盟主達を倒した事を考えれば間違いなく奥の手がある。とすればアイテムか何かかもしれない。
それにいざとなればこちらにはケイ・セケ・コゥクがあるのだ。
負けはない、そう考える。
幸か不幸か、この時漆黒聖典側からは建物の影に隠れ逃げ惑うモモンガとデイバーノックの姿は視界に入らなかった。
故にイビルアイこそがその元凶だと早合点してしまった。
これはイビルアイが強大な力を持っていたのも原因の一つであろう。
傍から見れば
「今だ! 魔法を放て! その間に我々が距離を詰める!」
"神聖呪歌"にそう命令し、隊長は"巨盾万壁"、"神領縛鎖"、"人間最強"、“天上天下”を引き連れ一気に接近する。
"一人師団"はカイレの護衛をしつつ共に彼等の後を追う。
そして"神聖呪歌"の魔法がその
◇
帝都の遥か頭上。
気配を消し闇夜に紛れそれはいた。
高弟達を殺し、自分の死さえ偽装した男。
ズーラーノーン。
彼は見ていた。
墓地の一角で例のアンデッドが即死魔法を一人の女性に使う所、そしてそれを見た謎の
「あっはっはっは! 面白い! 例のアンデッドをやっと肉眼で見つけたと思ったら変な事になってるな! このまま漆黒聖典とぶつかると思っていたが不思議な闖入者もいたものだ」
愉快そうに、まるで盤上を眺めるように優雅にズーラーノーンは帝都を見下ろす。
「ふむ、ようやく漆黒聖典も来たか。しかし、やはりな…」
ズーラーノーンが一人の老婆の姿を見て溜息を吐く。
「傾城傾国…。面倒な物を持って来やがって…。まぁいいさ、いざとなれば使われる前に殺すだけだ」
ニヤリと笑うズーラーノーン。
一歩間違えば自分が支配されると知っていながらもその余裕は崩れない。
「さてさて、あいつが傾城傾国にどう対処するのか見物だな…。プレイヤーならあれの恐ろしさを十分に理解している筈…。もしそうでないならそれはそれで構わない」
心底楽しそうに、ズーラーノーンは歪んだ笑みを浮かべる。
上手くいけば計画を大幅に前倒しに出来るだろう。
「漆黒聖典…、せいぜい派手に踊ってくれよ…?」
◇
「がはっ…!」
突如、後方から飛来した尖った岩の塊に体を貫かれるイビルアイ。
全ての注意を前方のモモンガとデイバーノックに向けていた為、対応できなかった。
そのまま力なく、地面へと墜落する。
だが行動不能な程に深刻なダメージではない。
吸血鬼たるイビルアイならば腹に風穴が開いても死にはしないのだ。
「ぐっ…!」
すぐに立ち上がろうとしたイビルアイだが気付くと目の前には複数の男達が立ちふさがっていた。
「あの傷ですぐに立てるとは…! 一見するとただの人に見えますが…」
そう言って先頭に立つ男、漆黒聖典の隊長は手に持った槍でイビルアイの仮面をはじいた。
仮面が飛び、イビルアイの素顔が露わになる。
「しまっ…!」
イビルアイが反射的に顔を押さえるがもう遅い。
「白い肌に真紅の瞳…! 口からわずかに覗かせる尖った牙…! ま、間違いありません! 吸血鬼です!」
それを見た漆黒聖典の一人が叫ぶ。
その声に合わせ、他の隊員達も一様に武器を構える。
「なるほど…、アンデッドと聞いていましたが吸血鬼だとは思っていませんでした…。どうやって気配を誤魔化しているかは知りませんが人類の敵はここで排除しなければいけません」
「ま、待て! わ、私は…!」
続きを言おうとしてイビルアイは口ごもる。
ここで正体が露見した自分が蒼の薔薇の一員だと口にすれば仲間達に迷惑がかかるだろう。
その装備と気配からイビルアイには彼等の正体の予想がついた。
(法国か…! ま、まずいぞ…、ここで奴等と遭遇するとは…! しかし、そうか…。法国も例のアンデッドの為に秘密裏に動いていたのか…! なんてことだ…、こんな所で、しかも奴等に顔を見られるとは…)
イビルアイは吸血鬼であるが、人としての心を持つ。
アンデッドは生者を憎むというのがこの世界において不変と思われているがそうではない。彼女のような例外もいる。
だが誰もそんな事は信じないだろう。
だからこそ正体を隠していたのだ。
イビルアイの正体を知りつつ彼女を信用しているのはかつての十三英雄の仲間と、その十三英雄の一人であるリグリットから紹介された蒼の薔薇だけなのだ。
ローブル聖王国とスレイン法国。
この二国は相手として最悪だ。それぞれアンデッドの敵視と人類至上主義を掲げており、イビルアイの正体が知れ渡ったら大変な事になると踏んでいた。
そしてそれは現実となったのだ。
「わ、私は人間の敵じゃない…! 誰にも危害を加える気などない…!」
「その言葉を信用できると思いますか?」
そう、アンデッドの言葉など信用出来ないのが当たり前なのだ。
だからイビルアイ自身もモモンガの言葉を信用しなかった。
目の前の男も同様だろう。
隊長がイビルアイへと歩み寄る。
一歩近付く毎にイビルアイの生存本能が刺激され、足の先まで怖気が走る。
250年以上生きてきて様々な強者を目にしてきた。
その中でもこの男はかなりの強者に属するオーラを放っている。
これより強い存在は真なる竜王以外にはいないだろう。それほどの相手。
後ろにいる他の者達はそうではないが、この男だけは伝説と呼ばれたイビルアイをもってして相手にならないと断言できる。
「人類の為、ここで死んで貰いましょう」
言い終わると同時に隊長が踏み込み、イビルアイの身体へと槍を突き立てる。
が、咄嗟に体を捻り回避するイビルアイ。全身全霊を掛けたその回避は成功し、マントだけが槍に貫かれ体から剥がれる。
「こ、ここでやられる訳にはっ…!」
だがその攻撃は囮だった。
逃れた先には筋骨隆々の大男が大斧を構え待ち構えていた。
そしてイビルアイ目掛けてその大斧を振りかぶる。
「フンッ!」
咄嗟に両腕で防御するイビルアイだが、両腕からミシミシと嫌な音が響く。
勢いを殺せる筈もなくそのまま力任せに吹き飛ばされる。
「ぐっ!」
空中を吹き飛ぶイビルアイに重なるように影が動く。
顔を動かし後ろを見るとそこには防具を着ていながらも身軽そうな男がそこにいた。
その男は空中で体を回し、カカト落としをイビルアイに叩きこむ。
今度はその勢いで垂直に地面へと落下させられる。
地面の石畳を砕き、土煙を上げながら起き上がったイビルアイの前には大盾を持った男が立ちはだかっていた。
その男が起き上がったイビルアイを大盾で押さえつける。
「今だ!」
その男がそう叫ぶと後方から魔法が飛んで来る。
最初にイビルアイの身体を貫いた鋭い岩の塊だ。
それが何本も飛来し、イビルアイの四肢を貫く。
「あがぁっっ!!」
そして次の瞬間、崩れ落ちるイビルアイをそうさせぬとばかりにジャラリと鎖が現れ体を拘束する。
連続して受けたダメージとその鎖の拘束によって身動きが取れなくなるイビルアイ。
恐ろしい程のコンビネーションだった。
攻撃を仕掛けた者達はいずれも単体で勝負すればイビルアイの敵では無い。
そもそも最初に不意打ちで魔法を受けたという事もあるが、格上であるイビルアイをこうまで一方的に完封できるものかと驚愕せざるを得ない。
「使役しているアンデッドを呼ぶ前に始末するとしよう」
何の事を言っているのかイビルアイには分からぬがもう逃げられない。
ここでイビルアイは無名の吸血鬼としてその屍を晒す事になるだろう。
(すまん…。ラキュース、ガガーラン、ティア、ティナ…。私はここまでのようだ…。例のアンデッドを屠るどころか、正体が露見し人類の敵として断罪される事になるとは…。やはり一人で何かを成し遂げよう等と考えた私が愚かだったのだな…。もし、お前達がいれば…、一人ならばこうはならなかったのだろうか…)
仲間の事を思い出し懺悔するイビルアイ。
(とはいえやはりお前達をこんな危険な目に遭わせる訳にはいかないからな…。この行動を後悔してはいない…。だが、こんな私を仲間だと言ってくれてありがとう…、そしてすまなかった…)
自分のせいで仲間に迷惑がかからぬようにと、ただ祈りながら。
(リグリット、ツアー…)
死を受け入れ、最後に古き友の名を呼ぶ。
(後は、任せた…)
槍を持つ隊長がイビルアイへと近寄り、トドメを刺そうとしたその瞬間――
何かがけたたましい音を立て、二人の間に落ちた。
その衝撃で激しく土埃が舞い上がる。
そこにいたのは着地の衝撃で身を屈めるようにしていた
隊長から突き出された槍は手に持っていた杖で軌道を逸らしている。
漆黒の艶やかなローブは月光の光を飲み込み、魔性とも言うべき美しさに彩られていた。
顔には、泣いているような怒っているような表情が派手に彫り込まれた不思議な仮面。相反する感情を一つにしたような矛盾を孕んでいるそれは、まるでアンデッドでありながら人としての側面を持つ主の心を反映したかのように。
それは王都を滅ぼしたアンデッド。
イビルアイが絶対悪と断じ、命を狙っていた者だ。
「あ…」
なぜあのアンデッドが間に入ってきたのかイビルアイには理解できないし想像もできない。
あのアンデッドからすれば法国とは敵対したくない筈だ。
ここはイビルアイを囮にすれば逃げ切れたのに、そう考える。
「な、なんで私を…」
敵対した自分を助けるように割って入ったアンデッドの目的がまるで見えない。
再びイビルアイの頭は混乱の渦に巻き込まれる。
だがなぜだろうか。
あれだけ憎いと、敵だと思っていた相手なのに。
隊長の前にイビルアイを庇うように立ちはだかった瞬間、イビルアイは大きな城壁が自分の前に生まれたような気分になった。
心の底から安堵と安心感が沸き上がってくる。
先ほど感じた恐怖など嘘のように消え去っていた。
それと同時に、ふと思う。
自分よりも強い男に身を挺して庇われたのは初めてかもしれない、と。
隊長も突然の事に驚いているのか、目を見開き息を凝らしている。
「感心しないな…」
夜空を切り裂くように、仮面の下から冷ややかな声が聞こえた。
「こんな小さな子供を相手に大人が寄ってたかって…、恥ずかしくないのか!?」
誰もが唖然とする間抜けな言葉が周囲に響く。
だがそれを笑い飛ばせる者など誰もいない。
その声に合わせ、同様のマスクを被った
さらにその後ろには戻ってきたであろう複数体の
「た、隊長…、こ、これは…!」
漆黒聖典の1人が後ずさりながら声を上げる。
「ああ、間違いない…! こいつが例のアンデッドだ!」
それに答えた隊長の声を聞き、漆黒聖典達が改めて構えなおす。
疑問の余地無く誰もが直感的にその言葉が正しいと悟った。
なぜならその
気配、というだけなら強者たる貫禄を確かに持っている。
だが妙なのだ。
この
もし魔力を感知する
それにそういった手段でなくとも歴戦の強者達は肌でその強さを僅かだが感じる事が出来る。戦士であっても数々の経験を得たものならば空気の揺れや密度から感覚的に推測できたりするのだ。
それは当然
だからこそ誰もが困惑したのだ。
その存在感に反して、この
風は爽やかで、淀みは無い。
身を押しつぶすような圧力さえ感じない。
だが死者特有とも言うべき、禍々しき気配だけは確かに存在する。
そのアンバランスさが奇妙で、恐ろしい。
間違いなく、その力を隠しているのだと誰もが疑わない。
しかもその
「デ、
「なるほど…、まさに
漆黒聖典の誰もが納得せざるを得ない。
それだけ妙な説得力を目の前の
「これの相手は私がやる…! お前達はもう一人の
「おう!」
「了解!」
そうしてここにいる全ての者が臨戦態勢へと入った。
遥か上空ではそれを楽しそうに眺めている男がいる。
誰もそれに気づかぬまま、戦いの火蓋が切られた。
隊長「いけるぞ、やれー!」
隊員達「うぉー!」ボコボコ
イビルアイ「ぎゃああ」
モモンガ「虐待反対!」
レイナース「まさかの放置プレイ」
更新が一か月過ぎてしまいました…、遅れてしまって申し訳ないです。
展開的にも次はあまり待たせないようにしたいと思っています。
少なくとも一か月以内には!
が、頑張ります…