「呂500」の写真を手に思い出を語る元乗組員の小坂さん=6月18日、福井新聞武生支社

 第2次世界大戦直後に若狭湾に沈められ、湾内で探索調査が進行中の旧日本海軍潜水艦「呂500」の元乗組員男性が、福井県越前市内で存命であることが6月18日分かった。男性は死を覚悟した戦時下を振り返り、「多くの戦友が死んだ。戦争ほどむごいものはない」と平和を願いながら、同日始まった調査の結果を心待ちにしている。

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 男性は小坂茂さん(92)。越前市内で家族と暮らしている。1945年、10代で二等下士官として呂500の砲撃手になった。小坂さんによると、当時約60人いた呂500の乗組員のうち福井県民は小坂さんだけで、戦友会の仲間も「今は2、3人」という。17日付の福井新聞報道で呂500の調査を知り福井新聞武生支社を訪ねた。

 小坂さんは、南洋諸島トラック島での任務や、神奈川県横須賀市の砲術学校、広島県呉市にあった潜水艦基地などを経て、1945年に二等下士官として同艦の砲撃手になった。当時まだ10代。基地を出撃した多くの友艦が帰ってこないのを見ていて「潜水艦に乗るのは正直嫌だった。撃沈されれば脱出する術がない。全員死ぬんだから」。

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