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私が知らないだけで、そうした努力をしている有名エンジニアは実は多いのかもしれない。「優雅に見える白鳥も、水面下では絶え間なく水をかいている」というたとえ話がある。人には見えない努力を続けているからこそ、有名であり続けているという面はあるだろう。
もちろん、すべての有名エンジニアをこうした三つのパターンに分類できると考えるのは乱暴だ。「自分は技術にしか興味がなく、人からどう見えているかを気にしたことはない」というエンジニアもいるかもしれない。実際には、1人のエンジニアの中にこうした三つのパターンの気持ちが少しずつあると考えるほうが自然だろう。
「他の人よりも偉い」と考える罠
私が知名度に対してこのようにいろいろと考えるようになったのは、知名度には強烈な副作用があると実感しているからだ。
IT業界の話ではないが、いわゆる「ネット有名人」にはインターネットで過激な発言をして炎上する人が多い。仕事で一時代を築いた人のはずなのに、なぜそんなことをするのか不思議だった。
そんなときに知ったのが「上流階級バイアス」という言葉だ。社会的なステータスが高い人ほど非道徳的な振る舞いをするという意味で、これを社会実験で確かめた研究者がいるという。例えば、「横断歩道を渡ろうとしている歩行者がいる場合、高級車のほうが止まる比率が低い」「社会的ステータスが高い人ほど、交渉の際に不誠実な説明をする」といった実験結果を得られている。
おそらく上流階級バイアスで重要なのは、客観的な地位の高さよりも「自分が他の人よりも上位の存在である」と認識することなのだろう。ネット有名人は、自分が他のつまらない人間とは違う特別な存在だと思うからこそ、人を人とも思わない発言ができるのだ。
そして、そうした罠に最もはまりやすい職業の一つが記者である。例えば、私が書いたWeb記事は何千人、あるいはそれ以上の人数の読者に読まれる。その事実に対して「自分は特別だ」という気持ちを完全に消し去ることはできない。ましてや、もっと多くの人に影響を与える新聞やテレビに携わっていれば、より大きい特別感を持っても不思議ではない。
記者が自分を特別だと思ってしまうと、取材相手に対して傲慢な態度を取ったり、自分の文章で世論を操作できると考えたりしてしまう。つくづく自制が必要な職業だと感じている。