170
耀美さん以外は、卒業した伊万里様含め全員が瑞鸞生なので、挨拶はスムーズに行われた。
そういえば璃々奈は中等科に入学してきた当初は鏑木を追っかけまわしていたけど、円城にガツンと言われてからすっかりおとなしくなったんだっけな。あれ以来、璃々奈から鏑木が好きだとかっていう話は聞かないけれど、もうそういった恋愛感情は一切なくなったのかな。
…うん、なさそうだね、この顔からすると。警戒心しか見えない。誰に警戒してるんだ?この様子だと鏑木よりもどちらかというと円城、かな?まぁ、あれだけ厳しいことを言ってきた相手だから苦手意識が出来ちゃったのかも。
円城は社交辞令的に私達女子3人を適当に褒めたが、鏑木の口から出たのは、パーティーの規模と「ここの料理は美味いな」だった。褒めどころ、そこ~?!でも私にとって一番嬉しい褒め言葉だったりするけどさ。
「吉祥院会長は、グルメ社長、美食会長なんて言われているからね」
えっ、そうなの?!世間で狸がそんなあだ名で呼ばれているとは全く知らなかった!狸のくせに美食家気取りか。
鏑木になにか食べたか聞かれたけれど、私と璃々奈は飲み物しか飲んでいなかった。すると鏑木は「またくだらないダイエットでもしているのか」と言った。
「いえ、そういったわけでは…。いらしてくださったお客様方へのご挨拶があって、口にするタイミングがなかったのですわ」
「私も…」
私と璃々奈がそう言い訳をすると、鏑木は疑わしげに私達を見た。
「ふ…ん。俺はシェフが腕によりをかけて作った料理を、ダイエットをしているからと平気で残したり、一口も食べない人間は嫌いだ」
うっ、と私達は息を詰まらせた。
「吉祥院さんはそんな子じゃないでしょう。いつもランチをしっかり完食しているし、ピヴォワーヌでもよくお菓子を食べているんだから」
「そうそう。だいたい吉祥院家の主催するパーティーの料理がおいしいと評判なのは、麗華ちゃんが吉祥院会長に進言したからだって、貴輝が言っていたよ」
円城と伊万里様のフォローに、鏑木は「確かに…」と頷いた。納得してくれたようだ。
次に鏑木の視線に晒された耀美さんは、怯えたように「私は、手まり寿司がおいしかったと思います…」と小声で申告した。
耀美さんはさっき無神経なバカ男に傷つけられたばかりだ。頼むから酷いことを言ってくれるなよと祈るような気持ちでいたら、予想に反し鏑木は「あぁ、女性が好きそうな料理ですね。俺は肉料理の方が好きですが」と笑った。
鏑木にとって、きちんと料理をおいしく食べている耀美さんの答えは合格だったようだ。それから鏑木は耀美さんに自分が食べておいしかった料理の話をしていたが、鏑木、あんたさぁ、ご令嬢というか年頃の女の子に振る話題が食べ物ってどうなのよ?いつもパーティーで取り囲んでくるお嬢様方には、もうちょっと取り繕った会話をしているくせに。
カサノヴァ村に短期留学して、女性の扱いスキルを学んできたらどうだろう?
耀美さんは鏑木に話しかけられて緊張がピークに達しているのか、目が泳ぎまくっている。頑張れ、耀美さん!
「そういえば吉祥院はこの前、ジョギングという名の牛歩をしていたけど、効果はあまり見られないな」
「は…?」
効果?効果ってなにが?ジョギングをしているのに体力が付いていないってこと?足が遅いってこと?それともダイエットの効果がまるで出ていないって言いたいのかーっ!
殺す!こいつ、絶対に呪い殺す!牛歩ってなんだ、牛歩って!あれは立派なジョギングだ!
すると、今までほとんど話に加わらなかった璃々奈が鏑木と対峙するように前に出ると、私のおなかに手を当て、「あら、失礼ですわ!麗華さんは一時期本当に太っていたけれど、今はほらこの通り、おなかだって引っ込んでいますわ!」と、ぽんぽこ叩いて反論した。
全員が私のおなかを直視した。
璃々奈は、どうだ、言ってやったわ!とドヤ顔だけど、私は恥ずかしさで倒れそうになった。
このバカ璃々奈がっ!!善意が時に人に止めを刺すということを知れ!
耀美さんは眩い男子3人に囲まれ、お嬢様方の嫉妬と羨望の眼差しにそろそろ耐えきれなくなったようで、「私、酔ってしまったようなので、少しあちらの椅子に座って休ませていただきますわ…」と言った。それを聞いて伊万里様が「大丈夫?では席までエスコートしましょう」と、耀美さんに優しく手を差し出した。やめろ、カサノヴァ村長!そっちにも違う止めを刺さすな!
顔を真っ赤にして若干足取りもおぼつかない耀美さんと、その耀美さんをエスコートする伊万里様に、璃々奈が「私も一緒に付いて行きます」と、伊万里様から守るように耀美さんにくっついた。
まぁ、璃々奈がいれば伊万里様ファンのお嬢様方から耀美さんが仮に嫌味でも言われても、しっかり反撃してくれるだろう。
……ん?
って、あれ?私、このふたりの間に置いて行かれた?げっ、待って!私も一緒に行く!
それなのにここにきて、今度は円城のお母様が現れた。ぐわっ、逃げるタイミングが!
「秀介さん、ここにいたのね?こんばんは、麗華さん。息子がいつもお世話になっております」
円城のお母様とは卒業式などで数回顔を合わせたくらいで、あまり面識がない。私が年齢を言い訳に、パーティーなどに顔を出さないからなぁ。
「こちらこそ、秀介様にはいつもご迷惑をかけてばかりで…」
私も貼り付けた笑顔で挨拶をした。円城のお母様は、凛とした鏑木夫人と違って儚げな美人だ。もしかしたらあの唯衣子さんは、円城のお母様の親戚筋かもしれないなぁ。
あ、そういえば、今日のパーティーには円城夫妻とともに円城も来ている。ということは…。
「あの…、今日は雪野君はひとりでお留守番ですか?」
まだ小さいのにひとりでお留守番なんて、寂しくないのかな。私の時は両親がパーティーなどで夜家にいなくても、お兄様がいたから全然寂しくなかったけれど。
「ええ。シッターさんに来てもらっているの。今頃は家庭教師の先生とのお勉強も終わった頃かしら」
「まぁ、家庭教師…」
雪野君はまだ小学1年生なのに、家庭教師を付けられて勉強とは大変だ。
「雪野は入退院を繰り返しているから、学校の授業の遅れを家で取り戻さないといけないんだ」
私の気持ちを察したのか、円城がそう補足してくれた。なるほど、そういうことか。あぁ、でも考えてみれば私も1年の時から塾に通っていたっけ?
「吉祥院さんには雪野が凄く懐いているんだ」
「まぁ、あの子は気難しいところがあるのに珍しいわね?」
気難しい?天使で優しい雪野君が?
「雪野君は優しくって、とってもいい子だと思いますよ?」
私が本心からそう言うと、円城夫人は微笑んだ。
「どうもありがとう。雪野は小さい頃から病気がちだったので、ちょっと我がままだったりするかもしれないですけど、どうぞよろしくね?」
「こちらこそ。可愛い雪野君と仲良くさせていただけて、とても楽しいですわ」
「雪野のヤツ、最近秀介の影響でラテアートをやったりしてるよな。この前秀介の家に行った時もハートのラテが出てきたぞ。今度吉祥院にも作ってやると言っていたから、吉祥院はハートよりも干支の動物のほうが喜ぶと教えておいてやった」
鏑木、雪野君に変なことを吹き込んだ犯人はあんたかーーっ!
「干支…?そういえば最近、雪野が牛の絵を練習していたけど…。それって麗華さんの影響…?」
「ネズミはすでに攻略済みだと教えてやったからな。良かったな、吉祥院」
いいから、お前は少し黙れ!
雪野君のお母様、違うんです!私は干支好きの変わり者なんかじゃ、決してないんです!可愛い息子に悪影響を及ぼす女と思わないでください!
そんな中、円城はひとり余裕の笑みで私達を見ていた。親友の暴走を止めろ!そして私に対する自分の母親の誤解を解くんだ!
するとそこに鏑木夫人までがやってきて、気がつけば完全なアウェー状態。四方八方敵だらけ。伊万里様、耀美さん、璃々奈、戻ってきて~!
そんな私の心の叫びが彼らに聞こえるはずもなく、私は鏑木夫人のクリスマスパーティーのお誘いを「お友達から先にお誘いを受けていまして…」と必死でかわした。どんなお友達とか聞かないで~!全部嘘なんだから!胃がキューッとしてきた。もうムリ…。
結局、私を助け出してくれたのはお兄様だった。以心伝心ですね、お兄様!やっぱり最後に頼りになるのはお兄様だけだよ~!
私は家に帰って、テイクアウトした手まり寿司を片手に、鏑木をイメージした黒豹のニードルフェルトをザクザク作った。
呪い、呪い、呪い、呪い、呪い……。
耀美さんからは“いつも壁の花の私が、夢のような時間を過ごせました”とメールが届いた。楽しんでくれたのならいいけど、伊万里様だけは好きになっちゃいけませんよ、耀美さん!