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葵ちゃんから、あのしつこかった瑞鸞の男子が、塾ですっかり葵ちゃんを避けるようになったと報告があった。「何度言っても諦めてくれなかったのに、麗華ちゃん凄い!いったいどうやったの?」と聞かれたけれど、ちょっとお話をしただけなんですよ?
若葉ちゃんへの嫌がらせもやめたようだし、改心してくれて良かったよ。ひとの成績を妬む前に、自力で順位を上げる努力をするべきだね、うん。
なんて私も他人事のように言っている場合じゃない。もうすぐ期末テストだ。ぎりぎりで順位表にしがみついている私としては、必死で頑張らないと。常に成績上位の若葉ちゃんは、いったいどんな勉強の仕方をしているのかなぁ。
と、テスト勉強に一直線の決意をしたのに、吉祥院家の会社のパーティーにどうしても出るようにとお父様達に言われてしまった。
私はまだ未成年の高校生だから、企業のパーティーにはなるべく出たくないと常々言っているのだけれど、今回は自社の会長の娘として顔を出さないわけにはいかないらしい。うえ~。
張り切ったお母様にパーティーのためのドレス選びに引っ張り出されたり、エステだヘアサロンだと放り込まれるので、テスト勉強をする時間がない。まずい、非常にまずい。
こうなったら睡眠時間を少し削ってでも勉強するしかないか。うがーっ!
それでも学校では、私は特にガリガリ勉強なんてしていませんのよというポーズを取っているので、休み時間は参考書を開くようなこともせず、お友達と楽しくおしゃべり。
「知ってます?鏑木様は円城様のクラスに毎日顔を出されているんですって」
「聞いているわ。それで毎回高道さんに声を掛けているんでしょう?鏑木様ったらどういうおつもりなのかしら」
「ただの気まぐれだとは思うけど…」
「ねぇ?」
鏑木が若葉ちゃんを好きだというのは、ほぼ間違いないな。みんなも内心ではそう思っているのだろうけど、認めたくはないらしい。
蔓花さん達以外の女子達からも目の敵にされている若葉ちゃんは、今もあちこちでチクチクいびられているけれど、鏑木の目を気にしてそこまであからさまなものはあまりない。
だからなのか、君ドルではとっくに皇帝と若葉ちゃんはドキドキわくわくの恋愛展開になっていたのに、こちらではいまひとつ進展していない。
やっぱりマンガの吉祥院麗華のような明確な障害がないと話が進まないのかなぁ。だからといって私がその役を買って出るようなことは、絶対にしないけどね。障害なんかなくたって、自分達でどうにかして欲しい。
でもそれ以外にも、鏑木や若葉ちゃんがマンガとはずいぶん違うということも関係していると思う。
君ドルの鏑木はもっと大人で普段はクールだけど若葉ちゃんには情熱的という、乙女心をくすぐるキャラクターだったのに、どこをどう間違って体育祭バカのお子ちゃま皇帝が出来上がってしまったんだか。
若葉ちゃんだって…、マンガではもう少し普通だった…。気が付くと口をぽけーっと開いていたり、長靴を履いて登校したり、瑞鸞の森で山菜摘んだり、ましてやいじめを全く気にしない鋼の精神の持ち主なんかじゃ絶対になかった。読者が感情移入しちゃうような、健気で一生懸命な頑張り屋さんだった。いや、もちろん今の若葉ちゃんも頑張っているのはわかっているんだけどさー。
でもあの若葉ちゃんは、私の知っている若葉ちゃんとは完全な別物だと思わざるを得ない。
本当に、どうするんだかねー。
テスト前なので手芸部はお休み。でもピヴォワーヌのサロンには顔を出さないといけない。あぁ、付き合いって大変。
会長とその一派は最近、なにやら難しい顔でよく話し合っている。その話の内容はなんなのだろうね。怖いなぁ…。でも若葉ちゃんや生徒会絡みの気がするんだよなぁ。触らぬ神に祟りなし。私はなにも見ないし、聞かない。目の前のお菓子のことしか頭にありませんとも。
今日のお菓子はシャルロット・オ・ポンムだ。林檎のほのかな酸味がおいしい。私はアップルパイが好きだけど、たまにはシャルロットもいいね。
そうして私がお菓子に逃避していると、なんと初等科の雪野君が円城と一緒にサロンにやってきた!
「雪野君!」
「麗華お姉さん!」
雪野君は私を見つけると、ぱーっと笑顔で走ってきた。
「雪野君、今日はどうしたんですの?」
「えへへ、兄様にお願いして遊びに来ちゃいました」
あぁっ!この天使の笑顔!最近の疲れた私の心を一瞬で癒してくれます!
「雪野、先にみなさんにご挨拶は」
後ろから円城が雪野君の頭にポンと手を置いた。雪野君は「あ、いけない」と振り返った。
「円城雪野です、こんにちは」
雪野君はサロンにいるメンバーにちょこんと頭を下げて挨拶をした。もちろん天使の笑顔付きで。
そんな雪野君の登場に、サロンの空気が一気に明るくなった。特に女子メンバーは雪野君の可愛さに心を奪われてしまっている。
「円城様の弟様が遊びにいらしてくれるなんて、今日はなんて素敵な日なのでしょう!雪野様、どうぞこちらにいらして」
会長は雪野君を真ん中のソファに座らせると、テーブルにお茶とお菓子を用意させた。雪野君は大勢のお姉様方に囲まれ、ちょっと困った顔をしながらも、次々に聞かれる質問に笑顔で答えていた。
「雪野がね、吉祥院さんにどうしても会いたいって言うから、しょうがなく連れてきたんだ」
私の横に座った円城が、雪野君を取り囲む輪を見ながら言った。
「まぁ、とても嬉しいですわ!」
雪野君が私に会いたいと思っていてくれたなんて!私だって雪野君に会いたかったよ!
でも今雪野君は会長達に取られてしまったので、戻ってきてくれるまでおとなしく待っていることにする。
それまで円城と世間話でもするかな~。
「今日は鏑木様はご一緒ではありませんの?」
「なんだか用事があるみたいだよ」
「そうなんですか」
鏑木の用事ねぇ。まさか若葉ちゃんのケーキ屋さんに行ったのではあるまいな。
「雅哉もなんだか最近浮き足立っているからね」
円城がそう言って、うっすらと笑った。その微笑みが怖い。
「そうなんですか」
ここは当たり障りなく流すのが正解だろう。
「うん。僕のクラスにもなぜかよく来るしね。目当ては僕ではないみたいだけど」
げっ!それを私に言う?!
「まぁ、そうなんですか」
「そうなんですよ」
私達はにっこりと微笑み合った。雪野君、早く戻ってきてー!貴方のお兄さんが怖いのー!
会長達に解放された雪野君が戻ってきた頃には、私は腹の探り合いですっかりくたびれてしまっていた。鏑木の真意を知りたいとは思うのだけど、なんとなく今ここで円城から聞くのはまずい気がするんだよ。円城がこういう微笑みをする時は、たいていなにかを企んでいる時なんだから。
腹黒な兄に全然似ていない雪野君は、最近練習しているラテアートの話をしてくれた。
「麗華お姉さん、干支の動物にこだわりがあるって聞きました。僕、頑張って作れるようになりますね!」
誰だ!雪野君に変なことを吹き込んだヤツは!
雪野君の誤解を解こうと言葉を尽くしたけれど、雪野君は「今は牛の絵に挑戦です」と聞く耳を持ってくれなかった…。
ミルクで牛の絵って、まぁ、合っているといえば合っているけどさぁ…。