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若葉ちゃんが自分のせいで嫌がらせを受けているというのに、サロンでお茶を飲む鏑木はご機嫌だ。噂では今日も若葉ちゃんに話しかけていたらしい。バカめ。
私がいつものお気に入りのソファで抹茶ロールを食べていると円城がやってきた。
「吉祥院さん、この前の学園祭では雪野の相手をしてくれてありがとうね」
「こちらこそ雪野君に来てもらえて嬉しかったですわ」
学園祭が終わってからまだプティに行っていないけど、雪野君は元気かな?
そのまま円城と雪野君や学園祭についての他愛のない話をする。
「雪野は最近、自分もやってみたいってラテアートに凝っているんだ」
「まぁ、雪野君がですか?」
「僕が飲まされるんだけどね。一番簡単だからって、実の弟が描いた大きなハートの浮かぶコーヒーを毎朝飲むのは微妙な気分だよ」
円城は困ったものだという顔をしたけれど、小さい雪野君が一生懸命ハートのラテアートを作っている姿を想像して、私は心の中で身悶えした。
でもラテアートといえば、唯衣子さんに円城が作ってあげるとかなんとかって言ってたよな~。唯衣子さんのこと、この流れで聞いても平気かな。
「そういえば、中等科の桂木君も学園祭に来ていましたわね。女の子とご一緒に」
「あぁ…」
私が話を向けると、円城は思い出す様なそぶりをした後、少し面白そうな顔をした。
「僕と唯衣子のこと、なんだか噂になっているみたいだね」
「そうみたいですわね」
「それで、吉祥院さんも興味があるんだ?」
「い~え、私は別に」
なんだか私がゴシップ好きみたいに思われるのは癪だ。いや、本当は興味あるけども。
「何人かの子に聞かれたから答えたけど、唯衣子は親戚なんだよね」
「そうなんですか」
その話は私も耳にした。でも親戚にしては~っていうのが私を含む大半の感想だ。
「それでも唯衣子は僕の彼女なんじゃないかって言われているみたいだけど」
「そうですわね。私もそんな話を聞きました」
「唯衣子は僕の彼女じゃないよ」
えっ、そうなの?でもアホウドリ桂木は唯衣子さんは恋人って言ってたぞ。
「あれ、意外?」
「ええ、まぁ。桂木君がそのようなことを言っていたものですから…」
と、こっそりアホウドリのことをチクってみる。
「あー、あいつは昔から唯衣子に心酔しているからなぁ…」
そう言って円城は苦笑いした。心酔。うん、確かにそんな感じだった。
「彼女ではないんだけどね」
「はい」
「婚約者なんだ」
「はいいっ?!」
婚約者?!円城に?!
私が思わず目を見開いて全身でびっくりを表現すると、円城が吹き出した。
「“はいいっ?!”って、吉祥院さん、今凄い顔してたよ。もしかして信じちゃった?」
「はあ?」
嘘なの?!どっちなの?!私をからかって遊んでいるな、この根性悪!
「正確には婚約者“候補”」
「候補?」
「そ。なんかね、歳が近いこともあって、そんな話が昔からあるんだ。あくまでも正式な話ではないから、候補」
「へぇ…」
婚約者……。
「うーん…」
家に帰ってからも、なんだかずっとモヤモヤする。なに、この置いてけぼり感。
私達はまだ高校生なのに、すでに結婚を現実として考えている同級生がいるということに、地味に動揺している。特に円城は初等科からずっと一緒だったから、なんだか複雑だ。
私にとって結婚なんて、遠い遠い先の将来の話としか考えられない。
「将来かぁ」
私はベッドの上をごろごろと転がった。
目先のことばかり考えて、将来のことをあまり真剣に考えていなかったな。このままお父様とお兄様が頑張って没落を回避し、会社を盛り立ててくれれば、私は家族を養う心配もせずにやりたいことをやれるわけだ。
しかしここで問題が。私には特にやりたいことが、ない。なんという夢のない話!
でも子供の頃から培われた習性か、堅実な職業に就きたいという思いが強い。間違ってもアイドル目指します!なんて夢は持たない。公務員が理想だけど、吉祥院家の令嬢が地方公務員なんて、許してもらえなさそう…。今度堅実な職種を、いろいろ調べてみるか。
将来か…。
ちっ、円城のせいで重たい気分になっちゃったじゃないか。
次の日学校へ行くと、昇降口で鏑木が若葉ちゃんに話しかけていた。周りの目を少しは気にしろ、鏑木!
若葉ちゃんは私に気づくと、私があげた上靴をアピールするように軽く跳ねて足をポンポンと前に出した。それを見て鏑木が「なんだ高道、タップの練習か?」と言った。
ブレないバカに安心した。
週末、久しぶりに図書館に行く。ベアたん制作でしばらく来られなかったけれど、ナル君はいるかな~。って、いた!
私は資格の本を手に、運良く空いていたナル君の隣の席に座った。
ナル君は問題集を解いていて私の熱い視線には気づいていない。あぁ、どこか個人情報のわかるものはないか。
真横を向いてじろじろ眺めるわけにもいかないから、本を読むふりをしながら限界まで横目で見る。こんな時に横にも顔があったなら。今こそ出でよ、人面疽!
ペンを転がしてみようかな。少女マンガではこういうところから恋のきっかけが生まれることがよくあるし。
いや、なにをやっているんだ、私。私が今日図書館に来たのは、ナル君目当てなのは否定しないが、将来を考えるためにいろいろ調べるためじゃないか。
将来の安定のためには、資格を取るのがいいんじゃないか?税理士、会計士、弁護士…。うーん、私にはムリそうだなぁ。私は通帳を見るのは大好きだけど数字に弱いし、人の人生を背負う覚悟もない。さて、どうしたものかなぁ。福利厚生のしっかりした公務員がベストなんだけどなぁ。
すると隣に座るナル君が、クリアファイルからはさんであったプリント類を机に出し始めた。これは、個人情報ゲットのチャンス?!
必死で盗み見た学校のテストの問題らしきプリントに、国立付属高校の名前があった。
その学校は、葵ちゃんと同じ!今度こそ運命か?!
さっそく葵ちゃんに連絡を取ろうと携帯を出すと、愛羅様から“雅哉に新しい恋?!”というメールが届いていた。