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学園祭が終わった直後から、瑞鸞では“皇帝2日続けて高道若葉の手作りクッキーを食べる!”と、“円城様に謎の女の子現る!”の話で持ちきりだった。
おかげで私の周りも騒がしい。
「麗華様、どう思います?あの鏑木様が手作りのお菓子を進んで食べるなんて。しかも2日目にはテイクアウトもしたそうですわ!」
「テイクアウト?あのクッキーは売り物ではなくて、お茶請けとして出されるサービス品という物だったはず…」
「そこは鏑木様ですから…。でもクッキーの味がことのほかお気に召したというわけではなさそうですの。あのクッキーは数人で作ったらしいのですけど、高道さんが作った物だけ持って帰ったそうですわ」
鏑木…。露骨すぎるな。
「2日目に鏑木様がいらした時に、クッキー作り担当の子達が全員自分の作ったクッキーをお出ししたんですって。でもその時も高道さんの作ったクッキーしか食べなかったとか…」
「それはまた…。きっとよほど高道さんの作ったクッキーが、鏑木様のお口に合ったのでしょうね?」
「なにを暢気な。麗華様、しっかりなさってくださいな!」
菊乃ちゃんが目を吊り上げる。しっかりって言われてもなぁ…。
「今朝も鏑木様が廊下で高道若葉に声を掛けていましたわ…」
「私も鏑木様が円城様に会いにクラスに行くと、いつも高道さんにも声を掛けると同じクラスの子から聞いたわ」
「それってまさか本当に…」
「ちょっと、滅多なことを言わないで!」
あやめちゃんの言葉に芹香ちゃんが耳を塞いだ。
「麗華様?鏑木様からなにか聞いてはいないのですか?」
「なにか、と言いますと?」
「ですから、高道さんのことに関して、とか…。ピヴォワーヌのサロンでそういった話は出ませんの?」
「特にはありませんわねぇ」
芹香ちゃん達がはーっとため息をついた。ごめんなさいね、使えないヤツで。
「でも鏑木様が恋をするのは自由では…?」
「麗華様、なんてことを!私はイヤです。鏑木様が誰かひとりのモノになるなんて!これは瑞鸞の女の子達みんなが思っていると思いますわ!」
「それは大げさでは…」
「いいえ、そうなのです!」
菊乃ちゃんがきっぱり言い切り、ほかのみんなもその通りだと頷いた。まぁ鏑木はアイドルと同じような存在だから、ファン心理としてはそんなものなのかなぁ。
「もし仮に鏑木様に好きな人が出来たとしても、その相手は私達が納得できるかたでないと。優理絵様なら誰もがしかたがないと思えましたけど、高道さんでは誰も納得できないと思いますわ」
「そうよねぇ。だいたい家柄だって釣り合わないし顔も普通じゃない?唯一の特技は勉強くらい?」
「イヤだ、もしかして高道さんって玉の輿狙いで瑞鸞に入学したんじゃないの?なんてさもしい!」
いやいや、勝手に若葉ちゃんを玉の輿狙いの性悪女にしないであげて。
「高道さんはそんな悪い子ではないんじゃないかしら…?」
「あら、麗華様は私達より高道若葉の味方するのですか?」
「そういうわけではありませんけど…」
まずい、ヘタに庇うと火に油を注ぎそうだ。しかも私の足元にも火がつくかもしれん。
「ところで、円城様のことですけど、あの女の子はいったい…」
あやめちゃんがなんともいえない顔をして円城の名前を出すと、全員が顔を見合わせた。
「ずいぶんと親しげでしたわね…」
「円城様と腕を組んでいたわ」
「しかも円城様をシュウなどと呼んでいたし…」
「その円城様も唯衣子と名前で呼んでいましたわ」
「まさか…」
あやめちゃん達は苦い顔して“彼女では?”という最後の言葉を飲み込んだ。
「麗華様はどう思います?」
「さぁ…。私にもわかりませんけど」
桂木少年は「唯衣子さんは円城さんの恋人だから」って言っていたけどね。でも本当かどうかわからないし…。ただアホウドリ桂木がなんで今まで私に突っかかってきたのか、これで理由はわかった。桂木が唯衣子さんを見る時のあの憧れの眼差しときたら。完全に骨抜きにされているな。まぁ気持ちはわかるけど。
会ったのはほんの少しの時間だったけど、唯衣子さんのあの独特の雰囲気。水面に揺れる月のような危うさ。
芹香ちゃん達もなんとなく気づいているのか、若葉ちゃんの悪口を言っている時のような勢いがない。
うん、あの人は怖い。たぶん私では勝てない。
「ところで麗華様。麗華様の撮影会をしていたあの男の子達はなんなのですか?」
「舌ったらずなのかしら。“麗華さんこっち向いて~”が“麗華たんこっち向いて~”に聞こえたのだけど…」
そこはあまり触れないでください…。
考えなしでバカな鏑木のせいで、若葉ちゃんへの女子達の嫉妬がますます高まっている。すれ違いざまに「ブス」「調子に乗るな」などと言われているのを何度か目撃した。若葉ちゃんは全く気にしていなさそうだったからよかったけれど。
朝、私がいつもより早く登校すると、靴箱の前に若葉ちゃんが立っていた。一応朝の挨拶くらいはしたほうがいいかな~と近寄ってみると、靴箱を開けた若葉ちゃんが困った顔をしていた。
「ごきげんよう、高道さん。どうかなさったの?」
「えっ」
振り返った若葉ちゃんの手には、インクで黒く汚された上靴があった。
「あー…、なんか真っ黒になっちゃってて…」
「……」
誰かにやられたんだ。酷い。
「とりあえずスリッパを借りたらどうかしら。その靴を履くわけにはいかないし。購買が開いたら新しい靴を買えばよろしいわ」
「う~ん、これ、洗っても落ちないですかねー」
「…どうかしら。黒いから残ると思いますわよ。水彩絵の具とかではなさそうですし。墨汁かしら…」
「さあ。でも落ちないとなると、困ったなぁ。新しい靴を買うのは痛いなぁ…」
そうか。私達なら汚れたらすぐに新しい上靴を買い替えるけれど、庶民の若葉ちゃんにとっては痛い出費に違いない。特に瑞鸞の学用品は高いから。
「悪口とかは全然平気なんですけど、この手の嫌がらせはダメージが大きいなぁ。う~ん、やっぱりシミ抜きで落ちないかなぁ。うっすら黒くてもこの際いいんだけど」
私はふと思い出した。私にも汚れて買い替えた上靴があったと。
「あの、私が持っている少し汚れている上靴、よかったら高道さん使います?」
「えっ!」
とりあえずスリッパを履いた若葉ちゃんと、私はロッカールームに移動して、自分のロッカーから袋に入れて奥にしまっておいた上靴を取り出した。
「これなんですけど」
「えっ、これ?!全然汚れてないけど?」
「汚れているのは靴の裏なんです…」
ひっくり返して見せたけど、一見するとなにも汚れていないように見える。
「きれいですけど?」
「…実はこれ、鳩の糞を踏んづけちゃったんです」
「鳩の糞…?」
「ええ」
私は重々しく頷いた。
あれはぽかぽかした昼下がりだった。お友達と食後のお散歩をしながら、あぁおなかいっぱい、いい天気だな~とよそ見をしていた私はぐにゅっと見事に糞を踏んづけてしまったのだ。しかも落としたてホカホカだったので、ズルっとちょっと滑った。
「あぁっ!麗華様が糞を踏んでしまったわ!」
「麗華様!とりあえず洗いましょう!」
ショックで軽く現実逃避しそうになっている私を、みんなが水道まで連れて行ってくれたので、そのへんにあるブラシを使い擦って洗った。底がゴム地だったので割とすぐに落ちて、その後で消毒スプレーもしたけれど、やっぱり気持ち悪いし周りから鳩の糞を踏んだ靴を履いていると思われるのが嫌で、そのまま購買に新しい靴を買いに行ったのだ。
「一応ちゃんと洗って消毒もしてあるんですけど…」
「…これ、本当にもらっちゃっていいんですか?だって新品同様にぴかぴかですよ?」
「ええ。でも鳩の糞を踏んだ靴ですわよ?気分はあまり良くないですわよね?」
「いいえ、全く」
若葉ちゃんはきっぱりと言い放った。
「見た目は全然汚れていないし、むしろ凄くありがたいです。あ、でもサイズが合うかな?私結構足のサイズ大きくて。23.5なんですけど」
「…私は24ですわ」
「あれ?じゃあぴったりかな?」
若葉ちゃんはえへへと笑った。
良かった。若葉ちゃんの役に立てたなら、私が鳩の糞を踏んだことにも意味があったね!
「これ、昨日のうちにやったのかしら…」
それとも朝早く来てやった?今もどこかで見ていたりして…。
「どうでしょうねぇ。あ、サイズは丁度いいみたいです!ありがとうございます!」
「いえ、鳩の糞付きですからお気になさらず…。でも偶然早く登校して良かったですわ」
今日は図書室で苦手な授業の予習をしておこうと思ったのだ。
「そうですね。おかげで私は前よりきれいな靴をもらえちゃったし。なんてラッキー!」
どこまでも前向きな若葉ちゃんであった。
「高道さんもずいぶん早くに来ていたけれど、今日はなにかありましたの?」
「あぁ、私は遅刻しないように毎日早めに家を出ているんです。電車通学だと時々人身事故とかで電車が止まっちゃうんですよ~。皆勤賞を逃したくないですからね!」
そう言って若葉ちゃんは握りこぶしを作った。
あ~、電車はそういう心配があったね、そういえば。前に若葉ちゃんが自転車で登校したのも確か電車が止まったという理由だったはず。そして皆勤賞への熱意が凄い。やはり粗品目当てでしょうか?
「でも皆勤賞でしたら遅延証明をもらえば平気なのでしょう?」
「そうなんですけど、それは私にとって逃げっていうか。それに授業もきちんと出たいですしね」
おおっ、偉い!さすがは学年トップ3に入る秀才。
そろそろ誰かが来そうなので、私は若葉ちゃんに別れを告げて自分の教室に行った。