サイバーパンクの傑作として名高い『スノウ・クラッシュ』、ナノテクの発達によって変容した文明社会を描き出す『ダイヤモンド・エイジ』などでその名を世界に轟かせたニール・スティーヴンスンによる本格宇宙SFがこの『七人のイヴ』である。
早川書房からのリリース文では『マイクロソフト創業者のビル・ゲイツが「思考を喚起する圧倒的な面白さ」と自身のブログで絶賛。また、任期中のオバマ前大統領が夏に楽しんだ1冊だと公表したことでも話題となった全米ベストセラーです。』とあり、え、それは本当にSFなの? と疑問に思ったぐらいだったが、月が突如として7つに分裂して以後の、人類の存亡をかけたサバイバルを描く純然たる傑作(今のところ)SFで、政治色が強いわけでもないのでその点については安心してもらいたい。
原書は厚い一冊だが、邦訳版は3分冊、3ヶ月連続での刊行になるようだ。読み終えた今「うおおお頼むから早く続きを読ませてくれええ」と渇望しているような状態だが、二段組なこの1だけでも300ページ近くあるのでさすがにこれはしょうがない。
あらすじとか
どうせ完結時にまた改めて記事を書くので、まだまだプロローグにあたるこの巻の紹介はさらっといこうと思うのだが──本書の最初の章は「月がひとつだった時代」。その第一文からして徹底的に魅力的で、頭がおかしくなるほど惹きつけられる。
何の前ぶれもなしに、はっきりとした理由もわからぬうちに、月が破裂した。満ちていく途中の、あと一日で満月という日のことだった。協定世界時で05:03:12。のちにこの時刻はA+0・0・0、あるいは単に〈ゼロ〉と呼ばれるようになる。
何の前ぶれもなしに、月が破裂! 最初にその現象に気づいたのはアマチュアの天文家だったが、当然ながらそれ程の大自体なのですぐに世界中に知れ渡り、いったいなぜそんなことが起こったのか。その結果として何が起こるのかがしきりと議論されることになる。7つに分裂した月は〈セブン・シスターズ〉と呼ばれ、一つ一つに名前が与えられるわけだが、月の各片はほかの欠片を、その質量と距離に応じた強さで引っ張っており、ごちゃごちゃと寄り集まって、時にはお互いぶつかることもある。
世界中の科学者がそうした状況を計算した結果、月の欠片同士がぶつかった場合ほとんどは細かい欠片へと分裂することになり、7つから8つ、8つから9つへとその数が増していくと、衝突の可能性はさらに高くなっていくとしている。その衝突量は指数関数的に増加していき、ある一点を超えたタイミングで、何百では済まない、何兆もの破片が地表へと降り注ぎ、地球へと壊滅的なダメージを与えることになるのだ。
統合参宮本部議長が口を開いた。「ハリス博士、私はずっと兵站をやってきた男でね。つまり、物資を扱ってきた。地下にもぐるなら、どのくらいの量の物資が必要かが問題となる。ひとりの居住者につき、ジャガイモは何袋、トイレットペーパーは何ロール必要になるのか。要するに私が聞きたいのは、その〈ハード・レイン〉が終わるまでにどのくらいの時間がかかるかだ」
「私の計算したところでは、今から五〇〇〇年後から一万年後のあいだのどこかです」
地上を壊滅させる〈ハード・レイン〉までは計算上では約2年。アメリカ合衆国大統領は、宇宙開発をしているほかの国々の首脳に向けて、人類の遺伝的、文化的遺産を載せて宇宙へと飛び立つ〈箱舟〉をつくることを提案し、数々の問題を抱えながらも世界が一つの目的に向かって歩みだすことになる。つまりこれはSFで時折扱われる、ノアの箱舟物(地球が壊滅的な状態になり、人類が別の惑星を目指す系の物語)に連なる物語なのだ。別の惑星を目指すわけではないというところはちと違うが。
だがしかし、舞台は恐らく時代としては近未来程度で、現代と比べ技術力に優位があるわけではなく、箱舟を作るまでの道程がまず厳しい。すでに軌道上に浮かんでいる宇宙ステーションを核として、冗長性のためにも分散アーキテクチャーを採用し、小さな機体が複数集まって機能する宇宙船のアイディアは〈クラウド・アーク〉と名付けられ、分散した宇宙船がドッキングする為の推進力はどのように調達すべきなのか、アークに搭乗させる人間を世界中からどう選ぶべきか、また何人載せられるのか──といったことが技術的にはハードに、筆致としては軽やかに議論されていく。
勝算のない戦い
まだ冒頭なわけだけれども、とりあえずこの『七人のイヴ Ⅰ』を読んでいてぐっとくるのは、登場人物の多くが自分たちのやっていることが本当に人類を未来に繋ぐと無条件に信じ切っているわけではないところだ。確かに日々、〈クラウド・アーク〉の設計をして、少しでも早く製造を進め、宇宙空間での実験と必要なものの開発、採取を進めてはいく。地球の人類が全滅したあとも種としての存続をはかるために。
だが、実際問題、現代の人間と対してかわらない技術しか持たない人たちが、宇宙空間に放り出されて、5千年なり1万年なりの地球に再び住めるようになるまでの長期間を生き延びることができるのだろうか? 食料が〈クラウド・アーク〉の中で完全に自給自足できるかどうかすらわかっていないのに? 彼らが頑張っているのは地球で人類が全滅した後、ほんの僅かな期間宇宙で人類を生かすだけの試みなのではないだろうか? 人の魂に刻み込まれた最後の考えや気持ちは──ほんの僅かなあと完全に消滅してしまうのではないだろうか? など無数の疑問が登場人物を苛んでいく。
箱舟物のSFというとそもそも地球を出発しなければ話が始まらないので、「完全な自給自足ができる循環システムをもった宇宙船はなんとか作れました(もしくは最初からある)」となっていることが多いのだが、この『七人のイヴ』の場合「食料の自給自足ができる宇宙船が本当に作れるかどうかわからないというか勝算はほぼないと思うけどがんばりますわ」という状態で進むので、その絶望感が半端ないのだ。
おわりに
〈クラウド・アーク〉に乗り込む専門家の一人も、勝算はほとんどないと考えているうちの一人であるが──、いざ彼に期待を寄せる全人類を前にして、自分が宇宙へと飛び立とうという時にそんな冷笑的な態度をとることもできない。人類に対して、その輝かしい遺産を将来へと届けてみせると力強く断言しなければならない。その二律背反の状況によってドラマが生まれ、物語をぐいぐいと強烈に牽引していく。
物凄くいいところで終わっていることもあって、今沸き起こってくる気持ちとしては、早く続きが読ませてもらいたいと、ただただそれだけだ。1巻の時点ではまだあまり表面化しているわけではないが、解説の牧さんによると今後人類間に不可避的に発生する異質性が対立と抗争に繋がっていくようなので、それがまた楽しみだ。