Hi! I’m using Scrapbox.
Scrapbox is a place for putting information.That information is bigger than memos and is smaller than articles.
という感じで英語で書いていこうと思ったのですが、二行目で面倒になったのでやめます。Google先生、ありがとうございました。
さて、Scrapboxは、「走り書きメモ以上、記事未満」の情報を置いておくために使っています。一行だけのフレーズを書き留めたメモでもなく、かといってこの記事のようにしっかりまとまった文章でもない。その中間みたいな存在です。ここではそれを断片記事と呼ぶことにしましょう。
私の断片記事が集まったプロジェクトは、たとえば以下です。
私は着想を、とりあえず一行だけのメモとして書き残し、それを使って記事を起こすことが多いのですが、上のプロジェクトではその走り書きメモを「多少」だけ肉付けし、保存しています。
で、その「記事」と「断片記事」って何が違うのだろうか、というのが本稿のテーマです。
アイデアの含有量
仮に、一行だけのメモに含まれる情報の量を、1アイデアと呼ぶことにします。これはあくまで主観的な量なので、周りの人からの評価はまったく関係ありません。自分が面白いと思ったものが一行だけのメモには一つだけ含まれている、という感触です。
私が記事を書くときは、だいたい2〜3アイデアをそこに含めます。言い換えれば、三つくらいの走り書きメモを組み合わせて一つの記事を構成します。2000字程度の文章ならば、その「組み合わせ」はツール上では行わず、単に頭の中で処理することが大半ですが、感覚としては「一つの面白いアイデア」だけでなく、それと関連する(あるいはそれを支援する)別のアイデアと絡めて一つの文章に仕上げています。
そのような組み合わせを用いることで、面白く読める(と期待できる)記事を書く、というのが私のブログ執筆です。
記事によって構成される本
そのように書かれた記事は、複数集めると一冊の本になります。これまでも、エッセイ集や短編集のようなものを作ってきました。日々ブログで記事を更新し、それを組み合わせて本を作る。効果的なやり方だとは思います。
しかし、それがうまく進まないこともあります。たとえば、『「目標」の研究』という本は、これまでの執筆活動によって生まれた原稿がベースになっていますが、一冊の本にまとめる段階で、大きく手を加えました。単純に言うと、重複が多すぎたからです。
一つひとつの記事が2〜3アイデアで構成されるのは良いとして、私は長く目標に関する記事を書いていたので、そのアイデアに重なる部分が生まれていました。あの記事でもこれについて書いているし、別の記事でも似たことを別の表現でも書いている、ということがたくさんあったのです。そのまま一冊にまとめたら、実に「ぬるい」本に仕上がっていたことでしょう。
よって、いったん原稿に含まれているアイデアを、バラバラに分解した上で、選別し直し、そこから構成を組み立てることになりました。
単純に考えて、記事の数が多ければ多いほど、そして記事に含まれるアイデアの量が多ければ多いほど、この構成作業はハードになります。≪断片からの創造≫の文脈で言えば、配列によって意味を固定化すると、その全体が断片として機能し始める分、その断片を構成していたミニ断片が容易に扱えなくなるのです。
そこで、Scrapboxです。
より大きな構造へ手を伸ばす
「倉下忠憲の発想工房」では、1アイデアを1アイデアのまま保存するようにしています。こうすると、上記のような選別作業なく、新しい構想を作り上げることができます。
たとえば、「幸福論」のページには、小さな断片がたくさんリンクされていますが、これらはそのままで全体を構成する一部になりえます。分解のような過程を必要としません。
『「目標」の研究』に関しては(たいへんながらも)一応作業を成し遂げることはできましたが、もし構成する記事が5倍程度もあったならば、作業が複雑になりすぎて、おそらくお手上げだったでしょう。その点、「断片記事」であればダイレクトに構成作業に入れます。
つまり、小さいままで保存しておき、それ以上のサイズに固めないことで、より大きな構造にチャレンジしやすい、という可能性が想定できるわけです。
少しややこしく
とは言え、上記はあくまで単純化した話です。
たとえば、「再構成」の作業がわずらわしくても、そこには何かしらの役割があるかもしれません。いったん中くらいのサイズでアイデアを固める段階で、書き手の私に新しい知見が生まれ、それがより大きな構造の構想に影響を与える可能性は無視できません。言い換えれば、再構成を経て生まれる本と、ダイレクトに組み上げらる本が同質であるという保証はないわけです(もちろん、ダイレクトの方が良い本ができる、という可能性もあります)。
次に、「別に本にしなくても、もうScrapboxのままでいいじゃん」という別の切り口も考えられます。「再構成」の作業が煩わしいと言うならば、そもそも「構成」すらも煩わしいとなってしまうでしょう。書き手が一つ上の粒度での意味を固めることなく、その辺は読み手が勝手にやってくれたらいい、という姿勢です。
これも一つの考え方ではありますが、その二つが同質の情報摂取になる保証はどこにもありません。むしろ確実に違うと言ってよいでしょう。その差異に優劣をつけるのは、情報摂取の目的です。著者が固める一つ上の粒度の意味が重要なのかどうか。おそらくそうした判断が必要でしょう。
さいごに
ともあれ、「倉下忠憲の発想工房」では、より大きな構造を目指して断片を集めています。その目標地点は、もしかしたら「本」よりもさらに大きいかもしれません。
何ができるかは現段階ではまったくわからないわけですが、少なくともそれを試してみようと思えるだけの可能性がScrapboxからは感じられます。
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