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10月第4日曜日の今日 西尾の天竹(てんじく)神社にて棉祖祭がありました

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海を渡って伝えられた棉にちなんで船神輿が担がれ古式の道具を用いて棉を打つ儀式が行われる

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1200年前 この地に漂着した崑崙人を祀っているという。そもそも崑崙とは?

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どうも中国西部の山岳少数民族を云うらしいのだが…

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六国史の一つである「日本後紀」巻八 桓武天皇の条にはつぎのような記載がある。
是の月(八月)三河の国に一人の男が小舟で漂着した。背を布で覆いとくび(褌のようなもの)を用い袴はつけていない。
左肩に袈裟のような紺の布を着け年齢は二十歳ぐらいだろうか、身長は五尺五寸(167センチくらい)
言葉は通じずどこの国の者かわからない。大唐(中国)の人たちがこれを見てみんなが崑崙人だと云う。
後に熱心に中国語を習い自らを「天竺人」だと云った。常に一弦琴を携え弾き その歌声は哀調を帯びている。
その携え来る物の中に草の実のようなものがあったが 訊けば綿の種だという。これが我が国が綿が伝えられた最初


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この崑崙人は各地に棉栽培を伝えた後 僧侶となり近江の国分寺に入ったと伝えられています。
村人たちは日本の綿業の繁栄をもたらした崑崙人の徳を偲び 棉祖の神として川原寺から遷された地蔵堂に産土神として
この崑崙人を祀るようになりました。以来「天竹神社」では棉を尊ぶ祭事として毎年10月第4日曜日に古式ゆかしい
綿打ちの儀式「棉祖祭」が開かれるようになりました。この日には古式の道具を用いて棉を打つ儀式の他
崑崙人が小舟で漂着した故事に則って「船みこし」も奉納されます。

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*「実」を収穫して種を取り除いた段階までが「棉」打ってほぐしたものが「綿」というように区別するそうです。

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神事の始まりに降っていた小雨もあがり綿のような雲が浮かんでいました

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