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体育祭の練習に手芸部に塾や習い事、そして学園祭に出品するベアたん作製と私は今めちゃくちゃ忙しい。
特に体育祭の練習は体力を使うので家に帰ると疲れて眠くなってしまうのだ。だからベアたんが全然進まないよーっ!
手芸部員の誰かにベアたんの相談をしようかとも思ったけれど、みんなウェディングドレス作りと自分の出品制作とで手いっぱいだ。むしろ私が手芸部で一番暇だ。
私もなにか手伝うべきだよな~、でもやれることがあまりないんだよな~と悩んでいたら、今回副部長になった浅井さんに、「御大はどっしりとかまえていればいいんですよ」と言われた。
御大…。私、御大なんだ。そのうち大御所様とか呼ばれる日が来たらどうしよう…。
手芸部唯一の男子部員、南君はドレスの刺繍に大活躍だ。
「南君は本当に刺繍の腕前が素晴らしいですわねぇ」
「それほどでもありません。ただ小さい頃からやってただけで…」
私が褒めると南君は照れくさそうに否定した。いや、これは謙遜せずに誇っていいレベルだと思うよ。
「あの…ところで南君、貴方、璃々奈から丁稚などと呼ばれているって本当?」
「えっ、あぁ、はい」
南君の目がちょっと泳いだ。
なんてことだ!あのバカ璃々奈!
「ごめんなさい。私今まで知らなくて。あの子ったら南君になんて失礼なあだ名をつけるのかしら。私からやめるようにきつく言っておくので許してくれる?本当にごめんなさいね」
「いえっ、別にイヤじゃないですから!いや、最初はイヤでしたけど、でも今はわりと気に入っています。はい」
「え、気に入ってるの?!」
南君には被虐の趣味が?!
「えっと…、古東さんが僕を丁稚と呼ぶようになってから、今まであまり話したことのない子達からも丁稚って声を掛けられるようになって、友達も増えたんです。それに丁稚の前は見習いって呼ばれそうになったんですよ。南雷太だから略して見習いねって。見習いに比べたら丁稚のほうがいいと思いませんか?」
「どっちもどっちだと思いますけど…」
「そうですか?でも僕は丁稚のほうがいいと思うけどなぁ」
……南君、君洗脳されてやしないか?まぁ、本人がいいって言うならいいけど。
「もし南君が璃々奈に困っていたら、いつでも私に相談してくださいね?」
「そんな、大丈夫ですから。あ、でもそしたらひとつだけ…」
「なにかしら?」
南君は刺繍針を弄びながら下を向いた。
「古東さん、手芸好きな男ってどう思ってるんでしょう…」
え……?
私と円城のお揃いのタオル事件は、鏑木の「俺も秀介から借りて気に入ったから買ってみた」という一言でさらに激化し、瑞鸞女子達に円城、鏑木とのお揃いタオルブームを巻き起こしている。今じゃ瑞鸞の女子のほとんどがあのタオルだ。
雪野君に「あのタオルは円城様もお使いでしたのね?」と話を向けると、「気に入りませんでしたか?ごめんなさい…。とても使い心地が良さそうだったので、兄様にも一緒にプレゼントしたんです…」としゅんとされてしまったので、慌てて「とっても気に入ってるわ!」と打ち消した。
優しい雪野君は、大好きな兄様にもプレゼントしたかったのか。それならしょうがないよね…?うん。
夏休みのジョギングで自信のついた私は、今年の体育祭で100メートル走に出ることにした。三原監督に毎回言われている通り、しっかりストレッチをしてから練習をする。学校が始まった今は週末しか走っていないけれど、100メートルならきっと楽勝だ。
しかし走れるのと速いのは別物だった。まずい…。私、あまり足が速くない。でも立候補したからには頑張らなくっちゃ!
何度目かの練習の時、私は若葉ちゃんと一緒になった。どうやら若葉ちゃんも100メートル走に出るらしい。
私と若葉ちゃんがコースに並ぶと、若葉ちゃんと同じクラスらしき子が「わかってるよね…?」と囁いているのが聞こえた。うん?
そして私達が走り始めると、あきらかに若葉ちゃんのほうが途中まで速かったのに、最後で突然失速した。えっ!どういうこと?!
私がゴールすると、「速かったですわ、麗華様!」などと周りがちやほやしてくれたけど、これってさ、完全に八百長だよね…?
そんな!スポーツマンシップはどこいった?!八百長で勝っても私嬉しくないよ!
八百長で負けるように言われた若葉ちゃんは気にしたふうでもなく普通の顔をしている。でも私は気にするよ。だって八百長だよ?今は練習だからいいけど、本番でこれをやられたら大問題だ。
私は思い切って若葉ちゃんに声を掛けた。
「あの、高道さん」
「はい?」
若葉ちゃんは私に声を掛けられて驚いた顔をした。
「今、わざと負けましたわよね?」
「えっ、いや~」
若葉ちゃんは困った顔で周囲に目を動かした。私の取り巻きを含め、みんなが注目しているのがわかる。
「わざと勝ちを譲られても私は全く嬉しくありませんわ。高道さんも変に気を使わず全力で走ってくださって結構よ。それで負けたのならそれが私の実力ということなのですから」
「あー…、はい」
せっかくの体育祭に八百長なんて持ち込まれたら、みんなだって楽しくないだろう。私だったイヤだ。それにそんなことを知ったら、あの体育祭バカが怒るぞ。
みんなも納得してくれたのか、そのあとの練習では私はしっかり負けた。
そして後日渡された100メートル走のグループ分けでは、私のグループに私より遅い子達が集められていた。あぁ接待走…。
毎晩、眠い目を擦りながらベアたんのパーツに針を刺す。途中、鏑木家から月見の会のご招待を受けたけれど、もちろんお断りだ。そんな時間あるもんか。私にとって月見とは、見るものではなく食べるものです。今年もしっかり食べました。
鏑木家の月見の会は行かないけれど、せっかくなので私の部屋にも薄を飾って塩豆大福を食べてひとりお月見。風流だねぇ。
明日は週末で学校も休みだから、今夜は夜更かしして頑張ろうかな。
ここしばらく私が家に帰ると、毎日すぐに部屋に閉じこもっているのを気にしてか、お父様が様子を見に来た。
「麗華が最近食事の時以外に部屋から出てこないから、お父様は心配しているんだよ」
「それは申し訳ありません。ですが私はこの通り学園祭の準備で忙しいのですわ」
私は手を止めずに返事をした。するとお父様はなにを思ったのか自分も手伝うと言い出した。娘とのコミュニケーションを図ろうとしているらしい。私が前からニードルフェルトをやっているのを見て、自分にも出来ると思ったようだ。
「どれ、お父様はこの胴体をやってみよう」
「出来るんですか?お父様に」
「なぁに、簡単だよ。まかせなさい」
しかし自信たっぷりに請け負った狸は、とんでもなく不器用だった!
「お父様!針が折れて中に入り込んでしまったではありませんか!あぁっ!胴体がひしゃげてるっ!」
「おおっ、すまん!なに、こうやれば」
「やだぁっ!もう、触らないでっ!ここ、へこんでるっ!わーんっ!」
ふざけんな、狸!半分まで出来た胴体が台無しじゃないかっ!なんなの、これ!どうしてくれんの!
「出てってっ!」
私は半泣きで部屋から狸を追いだした。もうやってらんないっ!ふて寝だ、ふて寝!
ドアの向こうから「お父様が悪かった、麗華、許しておくれ」などと聞こえてきたけど知るもんか!狸は罰として月の桂を伐りに行ってこいっ!
私は頭から布団をかぶった。もうこんなんじゃ、絶対に間に合わないっ!もうやだっ!
次の日、朝からお父様の秘書の笹嶋さんが訪ねてきた。
「麗華お嬢様、なにか問題が起こったとか…」
どうやらお父様は娘を怒らせた尻拭いのため、出張中のお兄様の代わりにわざわざ休みの日の笹嶋さんを呼びつけたらしい。なにやってんだ、狸!
「お休みの日に申し訳ありません、笹嶋さん」
「いえ、お気になさらず。それでその手芸というのも見せていただいてもよろしいですか?」
私は平気だと何度も辞退したのだけれど、ぜひと言われて渋々リビングにベアたんパーツを持ってきた。
「なるほど、これですね…」
笹嶋さんはひしゃげた胴体をあれこれ見分すると、「これお借りしますね」とニードルを持ち、へこんだ部分に羊毛フェルトを次々と継ぎ足していった。ええっ!
そしてお父様が力を入れすぎてひしゃげた部分も上手く元に戻し、図案を見ながら笹嶋さんはあっという間に胴体を完成させてしまった。
「凄いっ!」
「恐れ入ります」
さすが有能秘書!手芸も難なくこなすとは!
胴体さえ完成していれば、あとは手足と顔だけだ。手足はほぼ出来上がっている。ということは、これで学園祭に間に合う?!
「ありがとうございました!笹嶋さん!」
「いえ。これくらいたいしたことではありませんよ。ではお嬢様、これでお父様と仲直りしていただけますね?」
「…はい」
妻子との休みを返上して助けに来てくれた笹嶋さんの顔を立てて、私はお父様を許すことにした。しかし笹嶋さんにはなにかお礼をせねば。お中元にたくさん贈られてきた乾物でもなんでも持って帰ってくださいな。あ、お父様のお酒もいいわね。奥様にはフランス製の超高級入浴剤をどうぞ。汗がたっぷり出て保湿効果も高いので、これからの季節にお薦めですよ?あとお子様にはお菓子ですね。
「それと笹嶋さん、休日手当はしっかりと請求してくださいね?」
「お嬢様はわりと庶民的なことをおっしゃる…」
笹嶋さんは両手にお土産をたくさん持たされ、私とお父様に見送られ帰っていった。
「お父様、こんなことでいちいち秘書のかたの手を煩わせるのは金輪際やめてくださいね」
「わかった…」
「休日手当以外に臨時ボーナスも、ですわよ」
「わかった…」
「もちろんお父様のポケットマネーですわよ」
「わかった…」