143
音楽に合わせて、私達はくるくると回る。身長差があるのに雪野君は頑張ってちゃんとリードしてくれる。まだ6歳なのに凄いぞ!
「雪野君はダンスが上手ねー」
「本当ですか?僕、背が低いから麗華お姉さんは踊りづらくないですか?」
「そんなことないわ。雪野君がリードしてくれるおかげで、私とっても楽しく踊れているもの」
「えへへ。僕も今凄く楽しいです」
可愛い~っ!こんな天使ちゃんと踊ることが出来るなんて、私は幸せだ!
ステップを踏みながらホールを移動すると、キラキラした目の麻央ちゃんや愛羅様と踊る円城と目が合った。円城は一瞬雪野君と踊る私におっという顔をしたので、後で大切な弟になにしてくれてるんだって苦情を言われたりして。
でも雪野君が「僕、早く背が伸びないかなー。牛乳が嫌いだからかな」なんて可愛いこと言うので、その瞬間円城のことなどスコーンッと彼方に消えていった。背が低いのを気にするなんて、やっぱり男の子なんだなぁ。小学1年生だし背なんてこれからいくらでも伸びるのに。むしろ今の可愛い雪野君のままでいて欲しいくらいだよ。
雪野君の琥珀色の髪が光に透けて輝いている。
私は雪野君のリードに合わせてくるりと回転した。
雪野君の体調も考慮して、私達は1曲だけ踊るとワルツの輪から出た。
頬を少し上気させた雪野君はプラムジュースを、私はノンアルコールのフローズンマルガリータで喉を潤した。おいしーい!
「雪野君、大丈夫?疲れていないかしら」
「平気です。麗華お姉さんは?」
「私はまだまだ元気ですわ」
この夏のジョギングのおかげか、私は休み前よりも体力がついた気がする。明後日は夏の集大成として三原さんと皇居に行くのだ。走れるかなー、5キロ。私みたいなの、本格的なランナーばかりの皇居では完全に場違い扱いされそうだ。
「でも雪野君はまだ1年生なのにワルツがお上手ね。ずいぶん練習したのではなくて?」
「そんなことないです。兄様に比べたら僕なんてまだまだです」
そう言って雪野君はまだ踊っている兄を見た。
「あら私は充分だと思いましたけど」
むしろ雪野君が円城くらいそつなく踊れたら、そのほうが怖い。
「雪野君はもう宿題は終わった?」
「はい。ほとんど7月中に終わらせてしまったので、あとは涼しい別荘に行ったりしていました」
「まぁそうなの!雪野君は偉いのねぇ」
「暑くて外に出られなかったので、やることがなかったんです。わからないところは兄様が教えてくれましたし」
「円城様が」
前から思っていたけど、円城はなにげに弟思いだよな。
「はい。兄様も忙しくてあまり家にはいなかったんですけど…。あ、兄様だ」
ダンスを終えた4人が衆人の注目を集めたまま、こちらにやってきた。
「兄様!」
「雪野」
円城が給仕に合図して飲み物を頼みながら、雪野君の頭にポンと手を置いた。
「雪野、吉祥院さんに迷惑をかけていないか?」
「そんなことないもん」
雪野君が不服そうにちょっと口を尖らせた。おぉっ、こんな雪野君を見るのは珍しい。やっぱり実のお兄さんには甘えてるんだな。
「麗華ちゃん、久しぶり」
「お久しぶりです、愛羅様」
愛羅様が笑顔で声を掛けくれた。本当に久しぶりだ。直接会うのは、確かあの鏑木失恋事件以来か。たまにメールを送りあったりはしていたけど。
「麗華さん、お久しぶりね。私のこと、覚えていてくれているかしら」
「もちろんですわ、優理絵様」
こんなに素敵な優理絵様のことを忘れる人なんているわけがない。優理絵様はふふっと微笑んだ。
鏑木は「雪野、元気だったか!」と雪野君の頭を豪快に撫でた。髪をぐしゃぐしゃにされた雪野君は嫌がって手を払おうとしているが、鏑木は面白がって離さない。やめろ!力加減の出来ないバカが!雪野君の細い首が折れる!
私が止めるより先に、愛羅様と優理絵様が雪野君を魔の手から救出して、ふたりで乱れた雪野君の髪を整えた。鏑木は優理絵様に「なにをやっているのよ、雅哉は!」と怒られていた。やーい!
「吉祥院さん、さっきは弟の面倒を見てくれてありがとう」
円城が私に言ってきた。
「面倒とはダンスのことですか?それでしたらむしろ、壁の花だった私を気遣って誘ってくれた雪野君に、私のほうがお礼を言うべきですわ」
本当に悠理君といい雪野君といい、初等科には将来有望なプチ紳士達がいて羨ましいかぎりだ。
ほら今も遠くで初等科の女の子達がこちらをチラチラ見ている。雪野君は初等科でもすっかり人気者と聞く。私が独り占めしているのは申し訳ないかも。
その子達にお願いされた麻央ちゃんと悠理君が、代表で雪野君を迎えにきた。
「雪野君、あのね。プティのみんなが一緒にお話ししましょうって」
「はい。兄様、僕行ってきますね」
雪野君は私達に手を振って、初等科の友達のところへ行った。
「愛羅様と優理絵様がサマーパーティーにいらっしゃることは、前から決まっていたのですか?」
そんな情報は入ってきていなかったけど。
「現会長の瑤子さんから熱心にお誘いを受けていたので迷っていたのだけど、雅哉が一緒に行こうって誘ってくれたから…」
そう言って優理絵様が嬉しそうに微笑んだ。鏑木が誘ったとな!そしてこの優理絵様の反応は…。もしや本当に鏑木の恋が実ったのか?!
「なにか誤解しているでしょう、吉祥院さん」
「えっ」
円城が苦笑いで私を見た。
「俺と優理絵はなにもないぞ」
「えっ」
4人が私を見て笑った。
「雅哉がね、私を訪ねてきて、やっと気持ちの整理がついた。今まで悪かった、待っていてくれてありがとうって言ってくれたの」
心なしか優理絵様の目が潤んでいる。
「私の曖昧な態度が雅哉をあれほど傷つけることになってしまって、本当に申し訳なかった。雅哉が東尋坊に行った、樹海に行ったって話が入ってくるたびに、胸の潰れる思いがしたわ。生きた心地がしなかった…」
当時のことを思い出したのか、優理絵様の手が細かく震えた。鏑木失恋一人旅は、関係者達に相当大きな波紋を及ぼしていたようだ。そりゃ場所が場所だからな。
「雅哉が少しずつ元気になったって聞いても、私はもう合わせる顔がないと思ったの。雅哉も私を許してくれないって。でもね、この前その雅哉が会いにきてくれて私…」
とうとう優理絵様が涙を堪えきれなくなった。鏑木はすまなそうな顔で、優理絵様にハンカチを差し出した。優理絵様にとっても、子供の頃から可愛い弟と思っていた鏑木を傷つけて会えなくなった期間はかなりつらかったんだな…。
「俺も優理絵の気持ちはわかってたんだ。だけど14年の想いはそう簡単に断ち切れるものじゃなくて…ごめんな、優理絵」
優理絵様は頭を横に振った。
「でもやっと吹っ切ることができた。優理絵への恋は終わったけど、だけど俺にとって優理絵はいつまでも特別な存在だから、優理絵になにかあったら、どこにいたって必ず助けに行く」
あ、それって君ドルでのセリフだ。
そっかぁ、本当に吹っ切ることが出来たんだ。私もハイネの詩集を渡されたり面倒なこともあったけど、優理絵様も鏑木も、愛羅様も笑っているから良かったなと思えた。
「愛羅から聞いたわ。麗華さんにもずいぶん迷惑かけちゃったんでしょう?ごめんなさいね、ありがとう」
「いいえ、そんな。私はなにもしていませんわ」
「そうだな。俺はただ吉祥院と失恋の痛手を分かち合っただけだ」
おいっ!鏑木、あんたなにを言うか!
「えっ、麗華ちゃん失恋したの?いったい誰に?!」
「まぁ麗華さん、つらかったわね」
ちょっとやめて!そんな同情的な目で見ないで!相手は誰とか聞かないで!鏑木、訳知り顔で頷いてるんじゃないよっ!
円城は笑いを堪えているし、もうっ!ムカつくーっ!雪野君っ、戻って私に天使の癒しを!
皇居を半分ゾンビ状態で完走した思い出で締めくくられた夏休みが終わり、今日から2学期が始まる。
──そして始業式の朝、親しげに話をしながら登校した鏑木と若葉ちゃんに、瑞鸞が揺れた。
「麗華様、あれはいったいどういうことですか!」
「麗華様!なんで鏑木様が高道さんと!」
左右の腕を芹香ちゃんと菊乃ちゃんに掴まれた私の体も物理的に揺れた。
知~り~ま~せ~ん~。