「チバニアン」はラテン語風だそうで、何か重厚な響きがある。日本の研究チームが千葉県の地層を基に、地球史の一時代をそう名付けようと国際学会に申請している
▼英語で各都道府県の人や物を何と呼ぶのか、調べたことがある。東京は「トウキョアイト」らしいが、聞き慣れない。「アキタン」「ナラン」などは別の意味に聞こえてくる
▼その点、沖縄は「オキナワン」ではっきりしている。王国の歴史や独自の文化、あるいは米軍絡みで話題になるからかもしれない
▼私にとっては、出身地を日本語で何と呼ぶかが一番難しかった。「本土」も「内地」も、沖縄を「外」として区別する含意がある。だからかぎかっこをつけて言い訳してみたり、「他府県」と呼んでみたり
▼沖縄の人にならって「ヤマト」と呼ぶ人もいる。思想史研究者の鹿野政直さんもそうしていたという。しかし、政府の基地押し付けを見て「欺瞞(ぎまん)性を日ごとに強く意識せざるを得なくなり」、自らも「隠れなき抑圧性をもつという意味で」本土という言葉に戻した(新城郁夫さんとの対談「沖縄を生きるということ」)
▼迷走した末、私も本土という言葉を使う。その言葉が生まれた差別の歴史と現在を直視することから始めるしかない。「寄り添う」ポーズや言葉は当事者としての責任をあいまいにする。(阿部岳)