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【社説】

裁判員制度9年 「よい経験」の声広げよ

 市民が刑事裁判の審理に加わる裁判員制度が始まり九年になる。経験者の90%以上は「よい経験」と評価するのに、社会的には関心度は低い。守秘義務の鎖で経験者を縛っているからではないか。

 最高裁が今年三月にまとめたアンケートがある。裁判員に選ばれる前の気持ちを問うている。「積極的にやってみたい」「やってみたい」の合計は37%。逆に「あまりやりたくなかった」「やりたくなかった」の合計は47%。半数近くはやりたくない。

 ところが、裁判員を経験してみると、「非常によい経験と感じた」「よい経験と感じた」が96・3%をも占める。これは審理の日数、自白・否認事件にかかわらず、「よい経験」と感じている。

 残念なことは具体的にどのように「よい経験」だったかが語られないことだ。裁判が終わり感想が語られるものの、評議の秘密の壁、守秘義務の壁で、裁判員は極めて抽象的な言葉でしかモノを語れない。これでは「非常によい経験」談も世間に広がるはずがない。制度改正が求められよう。

 ただ、この九年間で裁判員と補充裁判員の経験者は三月時点で約八万三千人に上った。つまり「よい経験」がその分、社会に蓄積されているといえる。今後も「よい経験」と感ずる人も年間約一万人ずつ、増えていく計算だ。

 守秘義務、これがたとえば身近な人に話せるようになるだけでも、制度はさらに国民に近い存在になる。参加してみる-その精神こそ、もっと尊ばれるようにすべきである。

 残念ながら、審理が年々長期化し、仕事などを理由に辞退する人も増加している。制度がスタートした年の辞退者の割合は53・1%だったが、一七年は66%に。初公判から判決までの期間も昨年の平均で一〇・六日。〇九年が三・七日だからほぼ三倍となっている。

 むろん審理や評議に余裕がないと裁判が粗雑になりかねない。日程短縮ありきであっては本末転倒である。だから、長期の裁判にも市民が参加できるよう雇用主らの理解が必要である。

 もともと司法権に国民の出番はなかった。裁判員制度について一一年の最高裁判決はこう述べた。

 <司法権の行使に対する国民の参加という点で参政権と同様の権限を国民に付与するもの>

 参政権に等しい権利であるのに関心度が低いのは悲しい。もっと「よい経験」の肉声を広げる必要があろう。

 

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