パソコンのキーボードは,なぜABC順・五十音順ではないのですか。
まずアルファベットのキー配列について説明しましょう。パソコンのアルファベットのキー配列は,タイプライターという機械が元になっています。英文タイプライターを作ったのは,アメリカのChristopher Latham Sholesという人で,1870年の時点ではABC順を少し改良したキー配列だったと考えられます。前半のABCDEFGHIJKLMを左から右に,後半のNOPQRSTUVWXYZを右から左に並べて,そこからAEIOUYの母音を上の段に取りだしたのが,このキー配列です。この時点のタイプライターは,大文字と数字と4種類の記号が打てるものでした。キーの数は38個でした(図1参照)。
Sholesの後ろ盾だったJames Densmoreは,このタイプライターを,シカゴのEdward Payson Porterが経営する電信学校や,ニューヨークのGeorge Harringtonが経営する電信会社に売り込みました。でも彼らは,このキー配列のままではモールス電信を受信して書き写すのに都合が悪いので,改良をおこなうようSholesに要求しました。たとえば,Iは数字の1にも使うのですが,当時の年号「1871」が打ちやすいよう8のそばに移動しました。Tは英語では2番目によく使う文字なので,捜しやすいように上の段のまん中に移動しました。SをZとEの間に移動したのは,当時アメリカのモールス符号では,Zが「… ・」で表されていたからです。Sが「…」,Eが「・」で表されていたため,「… ・」を受信しても,それがZなのかSEなのか即座に判別がつきませんでした。そこで,続く文字を受信してから,ZかSEかをすばやく打つために,ZとSとEを近くのキーに並べておいたのです。この時点でのキーの数は42個でした(図2参照)。
Sholesのタイプライターは,E. Remington & Sonsという会社から1874年に発売されましたが,この時にもキー配列が変更されました。数字の1と0を隣り合わせにするために,IがOのそばになりました。また,RがEのそばに移されたのですが,これは,英語でerやreという綴りが頻繁に使われるからだと考えられます。この時点でのキーの数は44個でした(図3参照)。
1882年にはWyckoff, Seamans & Benedictという会社が,Remingtonのタイプライターの独占販売権を獲得したのですが,この時にもキー配列が変更されました。Mが下の段に移されたのですが,これは,Sholesが持っている特許を避けて別のキー配列に変えることで,Sholesに特許使用料を支払わないようにするためでした。この結果,上から順にQWERTYUIOP,ASDFGHJKL,ZXCVBNMという現在と同じアルファベットのキー配列が完成しました(図4参照)。
つまり,初期のタイプライターではABC順を元にしたキー配列だったものが,たくさんの人がその時その時の変更を加えていくうちに,現在のパソコンのキー配列になったのです。したがって,それぞれのキーを移動させた理由はあっても,キー配列全体が1つの理由で説明できるわけではないのです。
次にカナキーの配列についてですが,パソコンのカナキー配列は,カナタイプライターという機械が元になっています。1923年に,山下芳太郎とBurnham Coos Stickneyが作ったカナタイプライターが,その源流です。山下は,日本語から漢字を追放しカナ書きだけにしよう,という活動をおこなっていて,その目的のため単身ニューヨークに渡り,カナタイプライターを作ってくれるようUnderwood Typewriterという会社に頼みに行きました。そこで,Underwoodの技術者だったStickneyと,カナタイプライターのキー配列を考えたのです。
Stickneyは,五十音の各行をそれぞれ近くに集めておいた方がキー配列が覚えやすい,と考えました。そこで,アイウエオを上の方に,カキクケコをまん中に,サシスセソをその左下に,タチツテトをそのまた左に,という形で作っていったのが,このキー配列です。それぞれのキーに2つずつ文字が入っていて,数字やセソヘケなどはシフトキーを押しながら打つしかけでした(図5参照)。
1952年に日本レミントンランドという会社が,アルファベットとカナの両方を打てるタイプライターを発売しましたが,この時にカナのキー配列は大きく変更されました。QWERTYUIOPを入れるため,小書きのィや記号などは削られました。ASDFGHJKLのために数字がいちばん上の段に移されて,小書きのァゥェォャュョなどは削られました。ZXCVBNMを入れるため小書きのッは削られ,セソヘケムメが右の方に追い出されました(図6参照)。
1964年にはIBMが,アルファベットとカナの両方を使えるコンピュータ用のキーボードを製作しました。この時,ヲが削られてソが元の位置に戻りました。また,コンマやピリオドの位置を優先したため,ヌやロは別のキーに移されました(図7参照)。
さらに1970年に電電公社(現在のNTT)が,小書きのァィゥェォャュョッを復活させて,ヲを追加したコンピュータ用のキーボードを作りました。全てのカタカナがシフトキーなしで打てるよう,ムやロや半濁点が移されました(図8参照)。この電電公社のカナキー配列が,現在のパソコンのカナキー配列です。ごく一部の記号を除いて,ほぼ全ての文字が,日本のパソコンのキーボードに受け継がれているのです。
つまり,初期のカナタイプライターでは五十音順を元にしたキー配列だったものが,様々な会社がその時その時の変更を加えていくうちに,現在のパソコンのカナキー配列になったのです。したがって,アルファベットの場合と同様,それぞれのキーを移動させた理由はあっても,キー配列全体が1つの理由で説明できるわけではないのです。