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謙虚、堅実をモットーに生きております! 作者:ひよこのケーキ
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127 手芸部の丁稚

 僕は子供の頃からおばあちゃんの影響で手芸が好きだ。冬になると毎年、おばあちゃんと編み物をした。簡単な物はなんでも自分で作った。それをみんなに見せて褒めてもらえるのも嬉しかった。

 特に好きなのが刺繍。複雑な図案を糸だけで無心で仕上げていく作業は、出来上がった時の充実感がとても大きい。

 でもしばらくすると、男が編み物や刺繍をしているのは周りからバカにされることだと知った。小学校や中学校でもそれでよくからかわれた。だから僕は中学でも家庭科部には入らなかった。手芸は家でやればいいんだから。

 高校に入っても手芸関係の部活に入部するつもりはなかった。なのに志望校だった瑞鸞の学園祭を見に行った時、手芸部の展示室の中央に飾られていたウエディングドレスの見事さに、いっぺんに心を奪われてしまったんだ。

 あのドレスは部員の共同制作だと聞いた。だったら僕も入部したら作ることが出来るのかな…。


 それから必死に受験勉強をしてなんとか瑞鸞に受かることが出来た。瑞鸞は学校設備が他校とは比べものにならないくらい充実していて、僕は圧倒されてしまった。

 僕の家も公立校に通う生徒達の中ではわりとお金持ちの部類に入っていたけど、内部生達はレベルが違った。そしてその中でもピヴォワーヌと呼ばれる人達は桁外れだった。

 しかもこのピヴォワーヌという人達は、入学前から話には聞いていたけれど、学院の権力者で、サロンと呼ばれる独自の部屋を持ち、何をやっても許される、敵に回したら絶対にいけないと言われている人達だった。噂では、逆鱗に触れた生徒は退学にまで追い込まれるとか…。怖いな。同じ学年にも10人くらいいるらしい。目を付けられないようにしないと…。


 そんな新しい学校生活に四苦八苦しながらも、僕は入学前から憧れていた手芸部に部活見学に訪れた。

手芸部は予想通り女子部員ばかりで、男子部員は一人もいなかった。どうしようかな…、やっぱりやめておこうかな…。

 でも最新式の刺繍ミシンに惹かれた。僕は断然手刺繍派だけど、どんなものか使ってみたい!織機も面白そう!

 先輩方から手芸の話を聞く。楽しい。男が手芸部なんてまたバカにされるかもしれないけど、入部したいな。

 ふと、部室の奥に並べてあるトルソーに目がいった。そのトルソーの向こう側に瑞鸞の制服を着たマネキンが見えた気がした。

 好奇心に駆られてトルソーの間から覗きこむと、よく出来た等身大の縦ロールの女の子の人形がぽつんと置いてあった。と思ったら生きてた!本物の人間だ!えっ?なんでこんなところにいるの?

 その人は僕に気づかず、ずっと下を向いている。よく見ると手に持った人形に一心不乱に針を刺している。え…ブードゥー教の儀式……?

 なんだろう、危ない人なのかな…。この部、怪しいのかな…。

 ドキドキして見ていたら、後ろから部長さんに声を掛けられた。思わず「ヒ…ッ!」と小さな悲鳴をあげてしまった。


「どうかしました?」

「あの…、この人は誰なんですか…?」


 部長さんに小声で尋ねると、一瞬目を泳がせてから「2年生の手芸部員ですよ」と教えてくれた。そうなんだ…。僕はもうひとつの疑問を恐る恐る尋ねた。


「あれは、なにをしているんですか…?」


 呪術ですか?

 僕達がすぐそばで話しているのに、縦ロール先輩は集中しているのか、全く聞こえていないようで、ひたすら針を刺し続けている。


「あぁ、あれはニードルフェルトと言って、最近流行っている手芸ですよ。羊毛に針を刺して形を作るんです」


 へぇ、そんなのがあるんだ。知らなかった。


「麗華様」


 麗華様?

 部長さんがトルソーをどかして、縦ロール先輩に声を掛けた。

 きょとんとした顔で上を向いた先輩は、やっぱり人形のような顔をしていた。


「見学に来た1年生ですわ。麗華様がなさっているニードルフェルトに興味があるみたいですの」


 その途端、縦ロール先輩の顔が輝いた。


「これはフェルトに針を刺して作る手芸ですわ。簡単で楽しいんですのよ?それで今はレッサーパンダを作っているんです。ほら!」


 そう言って片手で持った作品を僕に向けて見せてくれたけど、二足歩行のレッサーパンダというよりも、僕にはやっぱりブードゥー人形に見える……。

 でも「ぜひ入部してくださいね!」と笑う先輩は、とても明るくて嬉しそうだったから、思わず僕も笑い返してしまった。


「麗華様は一見とっつきにくく見えるかもしれませんけど、話すととても優しくて、手芸部が大好きな方ですから、安心してくださいね?」

「はい」


 風変りな先輩もいたりして、なんだか自由で楽しそうな部だなと思った僕は、思い切って手芸部に入部することに決めた。

 でもまさかそのちょっと変わった先輩と思ってた人があのピヴォワーヌのメンバーで、しかも2年の実力者だとは、その時は想像すらしていなかった──。



 吉祥院麗華先輩の名前は、入学してしばらくすると1年の間にも知れ渡った。この学院には何人か特に有名な先輩がいて、一番有名なのは皇帝と呼ばれる鏑木雅哉先輩だ。初めて見た時には、その威圧感とカリスマオーラに気圧された。この人には絶対に逆らってはいけないと思わせる空気があった。凄い、さすが皇帝などと呼ばれている人は僕らとはその存在感がまるで違った。覇王という言葉が浮かんだ。

 その有名な何人かの先輩の中に、吉祥院麗華先輩の名前もあった。吉祥院家の令嬢で、2年の女子の最大派閥の長で、鏑木先輩が皇帝なら吉祥院先輩は女帝だと言われていた。

 僕はその話を聞いた時、とんでもない人と関わってしまったと震えあがった。

 呪いのブードゥー人形なんて作るわけがない。そんなものに頼らなくても、あの先輩は気に入らない人間はその手で簡単に抹殺出来る力を持っているんだ。

 どうしよう。まさか手芸部なんて地味な部にピヴォワーヌの人がいるとは思わなかった。それも女帝。ピヴォワーヌの女子メンバーは、だいたい部活に入るとしたら華道部とか茶道部あたりにいると聞いていたのに…。

 正体を知ってしばらくはビクビクと怯えていたけれど、そんな僕の怯えをよそに、吉祥院先輩は熱心に部活に通い、楽しそうに手芸をしていた。先輩はほかの部員達と比べてあきらかに異質な存在だとわかるけど、でも不思議と馴染んでいるようにも思えた。


「南君は刺繍が上手ですわねぇ。きっと学園祭の展示では大活躍しますわね」


 吉祥院先輩がニコニコと話しかけてくれるので、いつの間にか僕も普通に返事が出来るようになっていた。僕が学園祭には刺繍のタペストリーを出そうと思っていると話すと、感心して応援してくれた。先輩は何を出品する予定なのか聞いてみたら、困った顔で「実は私、手芸は好きですけど得意ではないんですの…」と教えてくれた。「一番好きな手芸はなんですか?」と聞いたら、やっぱりニードルフェルトだった。ならばそれを作ればいいのでは?と言えば、貧相に見えませんか?と自信なさげに聞き返された。う~ん…。


「だったら貧相に見えないくらい大きくて立派な物を作ればいいじゃありませんか」


 両手に抱えられるくらいの、と手を広げてジェスチャーをすれば、先輩はパッと顔を明るくして、「私、部長に相談してきますわ!」と飛び跳ねて行った。

 ……なんだ、ピヴォワーヌっていっても、吉祥院先輩は全然怖くないじゃないか。


 そんな風に思っていた僕だったけど、ある時部活に行く途中で同じクラスの目立つ男子達に、手芸の趣味をからかわれてしまった。こいつらには手芸部に入部したことを知られて、何度かバカにされたりしている。このままエスカレートしていったら、そのうちイジメに発展していくのかもしれないと、毎日不安だった。

 なんとかやり過ごそうとしたけれど、作りかけのタペストリーの入ったカバンを奪われそうになって、もうダメだ!と思ったその時に、突如、吉祥院先輩が現れた。

 いつもののんびりと笑って手芸をする先輩とは別人のような態度で僕のクラスメート達に対峙し、笑顔で恐ろしい忠告をした。クラスメート達はピヴォワーヌの大物の登場に泡を食って逃げて行った。

 吉祥院先輩に大事な後輩と言ってもらえて、僕は凄く嬉しかった。それにさっきの先輩は皇帝と同じ王者のオーラを溢れさせていて、別人のようにかっこ良かった。僕、先輩が卒業するまで、ずっとついて行きます!

 部室に着くと、先輩はすっかりいつもの先輩に戻り、新品の男性用靴下を持って「ここに狸の刺繍をしたいから教えて欲しい」と言ってきた。なんで靴下に狸?その疑問に先輩は「嘘つき狸への嫌がらせ」と答えてくれた。僕が狸の刺繍を教えてあげると、「全部に付けてやる…」とぶつぶつ唱えながら先輩は未知の生物の刺繍をしていた。雲上人の先輩のセンス、凡人の僕には理解できないみたいです…。




 次の日に隣のクラスの古東さんに呼び出された。古東さんといえば、中等科からの外部組だったのに派手に行動して内部生の敵を大勢作った時に、「中途半端な連中に文句を言われる筋合いはない!学力も財力も私より劣る二流どもが!」と返り討ちにして、自分の派閥を作り上げたという、気が強くて有名な女子だ。怖い。呼び出される心当たりがない…。

 そんな不安でいっぱいの僕に、古東さんは尊大に顎を上げて、「麗華さんの後輩ならしょうがないから私が守ってあげるわ。貴方を苛める人間がいたら言いなさい。私が潰してあげるから!」と上から目線で宣言してきた。びっくりして理由を聞いたら、なんと吉祥院先輩の従妹なんだそうだ。仲がいいんだねと言ったら、全然仲良くないわよ!と怒られた。

 吉祥院先輩と古東さん、このふたりの後ろ盾を得てしまったおかげで、僕をからかっていたクラスメートがすっかり静かになった。

 気が強くて我がままなお嬢様だけど、自分の庇護下に置いた人間はきっちり守る古東さんの周りには、いつも男女混合の仲間がたくさんいる。たまに僕もそこに交ぜてもらえるようになった。

 古東さんに「最近麗華さんが太ってきているわね。丁稚、貴女麗華さんに太ったわよと伝えてちょうだい」と命令されたけど、先輩にそんなこと言えるわけがない!

 全力で断ったら、「なら私が言ってくる!」と教室に乗り込んで行きそうになったのを、周りの子達が「お願いやめてー!」と必死に止めていた。古東さんは「だって麗華さんが…」と口を尖らせた。古東さん、先輩のことが大好きだよね?

 その古東さんから僕は丁稚と嬉しくないあだ名を付けられた。最初は「貴方、南雷太って言うんでしょ。だったら略して見習いね。今日から見習いと呼ぶわ」と言われ、そんなあだ名イヤだと言ったら、「じゃあ見習いだから丁稚」とさらにろくでもないあだ名にされた。切ない…。でも僕のあだ名が丁稚になってから、声を掛けてくれる人が増えた気がする。強力な後ろ盾がいるから丁稚でもパシリにされることはないし、みんなが僕を覚えてくれる。だったらまぁ、丁稚でもいいかな…?


 新しく出来た情報通の友達からの噂では、吉祥院先輩はあの皇帝から恋の詩集やピアノ演奏のプレゼントをされ、皇帝の親友の円城先輩とは相合傘で帰ったりプレゼントをもらったりして、とても華やかな学院生活を送っているらしい。さすがだなー。

 窓の外を見ると、先輩らしき人とそのお友達が、鳩の群れに襲われていた。たぶん僕の見間違いだと思う。あの吉祥院先輩が、そんな目にあうはずがない。



 僕ら外部生は、生徒会役員の先輩達から入学当初からよく気にかけてもらっていて、この前も「内部生や特にピヴォワーヌとトラブルになったらすぐに相談してくれ」と言われたので、「僕には吉祥院先輩がいるから大丈夫です!」と胸を張って答えた。

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