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若葉ちゃんは手紙を読んでくれたらしい。なぜなら私が廊下を歩いている時に脇によけてお辞儀をしてきたから。
私自身は若葉ちゃんにそういった態度を取られるのは本当は抵抗があるんだけど、会長達には恭順の姿勢を示しているということで、これで少しは風当たりが弱まるといいなぁ。
麻央ちゃんから、雪野君が梅雨で体調を崩して初等科を欠席していると聞いた。なんてことだ!可哀想に!大丈夫なのかな。体が弱いって言ってたもんな。「麗華お姉さん」と私を呼ぶ、あの天使ちゃんの可愛い笑顔を思い出して胸が痛む…。
サロンに行くと円城がいたので、思わず声を掛けてしまった。
「あの、円城様、雪野君が体調を崩して学院をお休みしていると聞いたのですが…」
「ん?耳が早いね。そうなんだ。喘息の発作で今入院しているんだよ」
「えっ!入院?!」
雪野君の病気はそんなに悪いのか?!入院って…。ちょっと寝込んでいるくらいだと思ってたのに、入院…。
私は苦しむ雪野君を想像して、顔を歪めた。
「あぁ、今回はそんなに大きな発作じゃないから。梅雨の時期には毎年なるんだ。一応大事を取っての入院」
「でも入院するくらいですから、大変なことなのではありませんか?」
「そうでもないよ。病院に入院していたほうが、発作を起こした時に対処が早いからってだけだし。それに弟は今まで何度も入退院を繰り返しているからね」
「ええっ!」
私は前世も今世も健康体で入院なんてしたことがない。救急車だって乗ったことがない。私にとって入院とは人生の一大事だ。
雪野君…。
「大丈夫だよ。本人は病室で寝ているだけだからずいぶん退屈しているみたい。僕も毎日学校帰りに病院に寄ってるんだけど、つまらない早く帰りたいって文句言ってるよ」
「そうですか…」
たった6歳の子供が、家族と離れてひとりで入院するのはきっと物凄く寂しくて心細いだろうな…。
それに夜の病院ってとっても怖そうだし…。雪野君、毎晩泣いてるんじゃないかな。
「円城様!こんなところでのんびりお茶なんて飲んでないで、早く雪野君の元に行ってあげたほうがよろしいんじゃありませんか?きっと寂しがっていますわ!」
「そんなに急かさなくても。あの子はもう入院に慣れてるから平気だよ」
「なんて冷たい!」
慣れるほど入退院を繰り返しているなんて、小さい子供なのにあんまりだ。
「きっと今頃雪野君は、雨の降る窓の外を眺めて、お兄様が来てくれるのをじっと待っているんですわ。お兄様まだかな、寂しいな、まだ来てくれないのかな、って…。うっ、雪野君っ…」
窓辺に立って外の景色を見つめる、寂しそうな小さな雪野君の背中を想像したらっ…。
「確実にDVDかゲームしていると思うけど」
「……」
「ははっ、ごめん。心配しなくても今日は雅哉も一緒に病院に行くから、雅哉が来たらすぐに帰るよ」
「まぁ、鏑木様も行かれるんですか」
お見舞い客が増えれば雪野君も楽しいに違いない。前に鏑木が雪だるまを作ってくれたって言ってたしな。なにをやっているんだ鏑木、さっさと来い!雪野君が待っている!
「遅いですわね。鏑木様のクラスはいったい何をしているのでしょう」
私はつい、片足をトントン踏み鳴らしてしまった。
「もうすぐ来ると思うけど…、ほら、噂をすれば影だよ」
鏑木がサロンの扉を開けてやってきた。遅い!
「秀介…って、お前、なに眉間にシワ寄せてるんだ?」
鏑木が円城の隣にいる私に、不思議そうな顔で尋ねた。なにが?
「吉祥院さんは雅哉が早く来ないからイライラしてたんだよ。ね、吉祥院さん」
「俺が?なんでだよ。なにか用があったのか?」
「いえ、なんでもありませんわ。それよりも早く行かないと。面会時間が過ぎてしまいますわ」
「は?」
いいからさっさと行け!でないと…。
「鏑木様―!こちらに座ってお茶をいかがですか?」
ほら来た!まんまと会長達に捕まっちゃったじゃないか!座るな!くつろぐな!
ぐお~っ!雪野君が待っているのにぃっ!イライラMAX!
隣で円城が苦笑いしている気配がした。
次の日、私は雪野君宛にお見舞いの品を用意した。前世で私が風邪で寝込んだ時に、お見舞いに従兄がくれた思い出の童話だ。それと一緒に雪だるまの絵の描いた可愛いレターセットで手紙も書いて添えた。
妙な誤解を招かないように、なるべく人のいない時に渡そうと思ったのだけれど、なかなか円城がひとりになることがないので困った。
そしてやっと放課後に取り巻きから離れて、ひとりで駐車場に向かうところを捕まえることができた。
「円城様!」
「吉祥院さん?」
霧雨まじりの小雨だったので面倒で傘も差さずに走ってきた私に、円城が自分の傘を差しかけてくれた。
「どうしたの?」
「これを雪野君に渡してもらえませんか?」
私は持っていたリボンでラッピングされた袋を円城に渡した。
「これは?」
「本なんです。入院している雪野君の退屈を紛らわせることが出来たらと思って」
「へえ、ありがとう。ちなみになんの本か聞いていい?」
「シュペッサルトの森の宿屋っていう童話です。私が子供の頃大好きだった本で」
「童話?」
「はい。えっ!もしかして雪野君は童話なんて読まないんですか?!」
しまった!今時の小学1年生はすでに童話なんて卒業しているのか?!
「いや、そんなことはないよ。雪野も本は好きだからきっと喜ぶ。どうもありがとう」
慌てる私を制して、円城が笑顔でお礼を言ってくれた。本当…?
「それじゃ、これは確かに雪野に渡しておくから」
「はい。円城様、引き止めてしまって申し訳ありませんでした。私もう戻りますね。ごきげんよう」
「うん、また明日ね。あ、この傘使って」
「平気ですわ。走ればすぐですから。では!」
円城の申し出を断り、私は校舎に向かって走り出した。
あ、若葉ちゃんに走るなって言ってるピヴォワーヌの私が、思いっ切り走っちゃった…。誰も見ていないよね?
二日後、病床の雪野君からの手紙をもらった。
“本とお手紙をありがとう。麗華お姉さんがくれた本はとっても面白くて、よふかしして読んだら夜中に発作起こしてきんきゅう処置になっちゃった。なんてうそだよ。びっくりした?
僕が一番好きなのは冷たい心臓のお話です。麗華お姉さんはどれが一番好きですか?ぼくが退院したら本の感想をいっぱい聞いてくださいね。
入院はいつものことだから平気です。この前は雅哉兄様も来てくれて、ふたりでゲームで遊びました。それから雅哉兄様はゾンビが出てくる映画のDVDを持ってきてくれたんですけど、ぼくは怖くてまだ見られません。どうしよう…。 雪野”
鏑木―――!!