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それはちょうど、若葉ちゃんが廊下で友達とおしゃべりをしている時だったので、若葉ちゃんはすぐに会長達に発見されてしまった。
「高道さん」
「はい?あっ!」
若葉ちゃんは会長達の姿を見て、顔を強張らせた。若葉ちゃんと一緒にいた子達がそろそろと離れていった。
「高道さん、貴女いい加減にしてくださらない?どこまで瑞鸞の名を貶めれば気が済むの?」
「え…、私がまたなにかしましたか…?」
若葉ちゃんが恐る恐る尋ねた。その言葉に会長の目が吊り上がった。
「なにか、じゃないわ!貴女、今日自転車で登校したそうね。瑞鸞の生徒が自転車で登校なんて、いったいなにを考えているの?!」
廊下で様子を見ていた生徒達がざわめいた。
若葉ちゃん、自転車で登校したのか…。
「すみません…。あの…自転車通学は特に校則違反ではないので大丈夫かなって思って…」
「校則?!自転車で通学する生徒など瑞鸞にはいないから、今までは規則にする必要がなかっただけよ!なんてみっともないことをしてくれたの!」
「すみませんでした…」
若葉ちゃんは頭を下げた。
周りの生徒達の何人かも自転車で通学したという若葉ちゃんに不快な表情を浮かべている。私の隣で芹香ちゃん達が「自転車…?!」と眉をひそめた。
「高道さん、貴女まさか毎日自転車で登校していたんじゃないでしょうね」
「違います!ただ今日はたまたま朝から電車が事故で止まってしまっていて、このままじゃ遅刻しちゃうと思って、だったら自転車で行こうと……。いえ、本当にすみません…」
家から自転車って、若葉ちゃんの家は学院の近くじゃないよね?どれだけの距離を自転車漕いで来たんだ?!凄いな若葉ちゃん。って、感心している場合じゃない。
若葉ちゃんは会長に批難され、しゅんとなっていた。
それを見ながら、会長はわざとらしく大きなため息をついた。
「高道さん、貴女、入る学校を間違えたようね?自転車で通学なさりたければ、ご自宅の近くの公立高校にでも入ればよろしかったのではなくて?」
「申し訳ありませんでした…」
「とにかく、二度とこんなみっともない真似はしないでちょうだい。貴女の行動には目に余るものがあるわ。これ以上瑞鸞の名に泥を塗るようなことをするなら、覚悟しておくのね」
「本当にすみませんでした!」
会長の取り巻き達が「成績がいいからって天狗になっているんじゃないの?」「立場を弁えなさいよ」と口々に文句を言う中、若葉ちゃんはひたすらぺこぺこと頭を下続けた。確かに瑞鸞で自転車通学はまずかったけど、なにもそこまで言わなくても…。
「高道、どうした?!」
廊下での騒ぎを聞きつけて、同志当て馬が走ってきた。
「あら、貴方はなに?」
会長が同志当て馬を睨みつけた。
「俺は生徒会役員の水崎です」
「そんなことはもちろん知っているわよ。その生徒会の役員が何をしに来たと言っているのよ」
「学校の問題を解決するのが、生徒会の仕事ですから」
同志当て馬が厳しい表情で言い返した。
しかし自分よりもかなり体の大きい同志当て馬を前にしても、会長は怯むことなく鼻でせせら笑った。
「まぁ、ずいぶんと自信がおありになるのねぇ。たかが生徒会の分際で。調子に乗るのもいい加減になさい!」
「なっ…!」
「やめてやめて水崎君っ、私が悪かったんだよ。本当にやめて」
若葉ちゃんが慌てて同志当て馬の腕を引っ張っり、小声で必死で止めた。若葉ちゃんとしては、これ以上騒ぎを大きくされるのだけは避けたいようだ。
「すみませんでした。今後一切自転車に乗ってくるようなことはしません。今日は本当に申し訳ありませんでした」
若葉ちゃんがもう一度しっかり頭を下げると、会長もふんっと鼻を鳴らして矛を収めた。
「二度目はありませんわよ」
「…わかりました」
会長は冷たい視線を若葉ちゃんと同志当て馬に向けた後、踵を返した。そのまま廊下を戻る途中、私の姿を見つけて会長が微笑んだ。
「まぁ麗華様!ごきげんよう」
「ごきげんよう、
うわっ、見つかっちゃった…。
「麗華様も野良犬が紛れ込んで大変だと思いますけど、なにかあったら私達にすぐにおっしゃってね」
「まぁ、ほほほ…」
野良犬って…。
思わず頬が引き攣る。野次馬達の注目を集めて、胃がキリキリしてきた…。同志当て馬、睨むな。
「ピヴォワーヌに今日、新しい茶葉が入ったそうなの。放課後はぜひサロンにいらしてね」
「はい、楽しみにしておりますわ」
会長は鷹揚に頷くと3年の教室に戻って行った。
会長達の姿が見えなくなると、後に残された生徒達は今の件について各々騒ぎ始めた。若葉ちゃんは瑞鸞ブランドを驕っている子達から「恥晒し」などと詰られていた。若葉ちゃんはその子達にも謝っていた。
同志当て馬はそんな生徒達から若葉ちゃんを庇い、いったいなにがあったんだと尋ねた。
「実は今日、自転車で登校しちゃって…」
「自転車?!なんだってそんなことを」
「朝電車が止まってて、振り替え輸送でも間に合いそうになかったの。で、皆勤賞逃したくなくて、つい…」
「…皆勤賞は遅延証明もらえば平気だったんじゃないか?」
「あっ!」
若葉ちゃんはがっくりと項垂れた。若葉ちゃん、皆勤賞の代償があまりに大きすぎるよ…。
その日、若葉ちゃんは人目を憚るようにこっそりと自転車に乗って帰って行った……。
ピヴォワーヌの会長の逆鱗に触れたということで、若葉ちゃんへの風当たりがてきめんに強くなった。特に聞こえよがしの陰口が酷かった。
若葉ちゃん、大丈夫かな…。平気な顔をしているけど、きっと内心はつらいに違いない…。
そんな時、若葉ちゃんが放課後にひとり、瑞鸞の森に入って行くのを発見した。
瑞鸞には緑がとても多く、その深い緑は瑞鸞の森と称されている。そんな瑞鸞の森の奥は鬱蒼としていて、汚れるのをを気にして入って行く生徒も少ないのに、いったい何をしに…。
ハッ!と私の頭の中に、“樹海まんじゅう”が浮かんだ。まさか?!
私は慌てて若葉ちゃんの後を追った。早まらないで、若葉ちゃん!
すると若葉ちゃんが庭師さんと一緒にいるのを見つけた。瑞鸞には樹木医の資格も持っているという、専任の庭師さんがいる。その庭師さんと、若葉ちゃんはなにやら袋を片手に楽しそうに話していた。あれ?
しばらくすると若葉ちゃんは庭師さんに手を振り、笑顔で元来た道を帰って行った。
私は若葉ちゃんの姿が見えなくなったのを確認して、庭師さんに近づいた。もしかしたら若葉ちゃんを止めてくれたのかもしれないし…。
「お仕事中に申し訳ありません。今の子は、ここでなにをしていたのですか?」
「えっ!」
庭師のおじさんが驚いた声をあげて振り向いた。
「あぁ驚いた。こんな場所に生徒が来るとは思わなかった。今の子って、若葉ちゃんかい?山菜摘みに来ただけだよ」
「…山菜?」
「この森にはいい野草がたくさん生えていてね。それを時々採りに来てるんだよ。たらの芽、ぜんまい、茗荷、わらびなんかをね」
「そんなものが生えているんですか?!」
知らなかった!瑞鸞に食べ物が生えていたなんて。
「たくさん生えているよ。みんな興味がないのか気づかないのか、わざわざ採りに来る生徒は初めてだけどね。去年からよく若葉ちゃんが野草図鑑を手にうろうろしてたから、声を掛けてみたら食卓の彩を探しにって言われてね~。面白かったからおいしい野草が生えている場所を教えてあげるようになったんだ」
「それは…問題にはならないのでしょうか?」
「所詮は勝手に生えている野草だからね。手入れされている花を採るのはダメだけど、野草なら学校側も特に文句はないようだよ」
「まぁ、そうですか」
若葉ちゃんに窃盗容疑がかからなくて、ひとまずホッとした。
「今日はてんぷらの材料を採りに来たんだってさ。本当は茗荷が一番の目当てだったらしいけど少し時期が早かったね。茗荷を薬味に冷奴を食べたかったって言ってたよ。しょうがないから茗荷は来週もう一度様子を見に来るってさ。キクラゲも探してたなぁ。春雨サラダにして食べたいって」
「…………」
……いじめを苦にどころか、若葉ちゃん、瑞鸞学院を満喫中。
「若葉ちゃんは自分でもハーブやプチ野菜を育ててるから、その栽培方法なんかもよく聞きに来るんだ。この前はミントが大量繁殖して大変なことになったらしいよ。それでミントティーを作ってみたって、水筒に入れて持ってきてくれたよ。いやぁ面白いねぇ、あの子は」
そう言って庭師のおじさんは笑った。
でも私には心配なことがあった。いくら学校側が黙認していても、こんなことがピヴォワーヌやアンチ若葉ちゃんの生徒達に知られたら、益々若葉ちゃんの立場は悪くなるんじゃないかな。野菜も買えない貧乏人とか叩かれそう…。決して若葉ちゃんの家は貧乏なわけじゃないんだけどさ。
「あの…、彼女が山菜摘みに来るのはいいと思いますけど、出来ればこのことはほかの生徒に聞かれても内緒にしてあげてもらえますか?問題視する人もいるかもしれませんから…」
「ん?そうかい?まぁもしかしたら良く思わない人間もいるかもしれないね。じゃあこれはここだけの話にしておこうか。せっかくの若葉ちゃんの楽しみを台無しにしちゃ可哀想だからね。そういや若葉ちゃん、冬には寒い中、七草粥を作るからって春の七草を採りに来てたこともあったなぁ。新鮮でおいしい七草粥が出来たって喜んでいたよ、これで一年無病息災ってね。風流だね」
「七草粥ですか…」
これを風流だと言っていいのだろうか…。新鮮な七草粥を食べるために、学校でたくましくも野草を摘む女子生徒…。
どうやら若葉ちゃんは私が考えるよりもはるかに図太い根性をしているようだ。いや、若葉ちゃんが楽しそうでなによりです…。
君がため春の野に出でて若菜つむわが衣手に雪は降りつつ──