megamouthの葬列

長い旅路の終わり

巷説IT企業奇譚

山伏

他社に派遣されているエンジニアたちが月一回の帰社日にオフィスに集まってくると、社長の隣にいかめしい山伏が立っていて、集まった社員を水晶玉のようなまん丸な瞳でねめつけていたので、皆驚いた。

社員とは対照的に社長は上機嫌の様子で、件の山伏のほうに手をひらひらさせながら言った。
「今日から、この会社のコンサルタント的なことをしてもらう方でね、不動院八山坊さんです。」
紹介された山伏は、見開いた目を微動だにさせず、集まった一同を見回して、ただ、うんっと持っていた錫杖をカーペットにうちつけた。
錫杖の先からシャラン、と安っぽい音が鳴って、社長以外の全員が、この会社はもうダメだ、と、ため息をついた。

「では、八山坊さん。何から始めますか?」
と期待を込めて社長が尋ねると、山伏はようやく口を開いた。
「人が去り、残った者も皆ほうぼうに出稼ぎにでかけておる。」山伏は懐から4枚の手鏡を取り出した。「まずは、自然と人が去りゆくこの場所を清めねばなかろう」

と4枚の手鏡をオフィスの東西南北に正確に据えるように、さらには誰も手に触れぬところが良い、と言うので、数人の社員が手伝って、それらは全てロッカーの上とか、天井近くの棚に苦心して据え置かれた。作業中、数人は、転職を考え始めていた。

それらが終わると、社長が満面の笑みを浮かべて言った。

「これまで当社はSES業務を中心として、皆さんには他社に出向していただいておったわけですが、ひとまずは、腰を据えて技術力を高めたい、と思うわけです。なので、各自は契約が終わり次第、会社に戻ってきてもらうことになります」

その言葉に皆が驚いた。
今までは嫌な現場に当たって不平を訴えても聞く耳をもたず、契約終了日を迎えて、せめて違う現場へ、と社員が懇願するも、それを無視し、先方の言われるがままに契約を延長し、社員を現場に放り捨ててきた人間と同じとは思えぬ言いようではないか。
スマホで転職サイトへの登録を密かに行っていた社員も、この言葉にはその手を止めざるを得なかった。

「しかし、そんなことをして経営は大丈夫なんですか?」
営業が不満げに尋ねた。社長は笑みを崩さず、山伏のほうを向いた。山伏は大喝するように大きく口を開いて
「それは経営者の仕事である。社員は自分の仕事に精をだすのが本分。なあに給料は毎月ちゃんと出る。皆安心して帰って来るが良い」
野太い声をオフィス中に響かせて、また錫杖を打ち鳴らした。シャランという音が今度は清らかな響きを奏でた。

勉強

約束は守られた。例え出向先の担当者が激怒しても、社長は契約終了後の社員の撤収を主張して譲らず、また相当の好条件で業務の持ち帰りを提案されても、それを固辞するのであった。

契約が切れた社員が不安顔で月一度しか訪れたことのないオフィスに集まってくる。
驚くべきことに、そこには人数分の最新のMacBookProが用意されており、オフィスの旧態依然とした事務机は取り払われ、瀟洒な円卓や、ソファーが配置されていた。

社長によると、皆それぞれに、目標を決めて自由に勉強して良い、ということであった。
困惑顔の社員も、そういうことなら、と買ってそのままにしていた技術書を開いたり、憧れていた資格の取得に向けてオンラインワークショップを受けたりすることにした。

その様子を山伏は黙って見ている。思えば、最初に見た時から全く動いていないのではないか、とさえ思うほど、山伏は微動だにしない。
しかし誰しも慣れというものはあるもので、その異様な風景にも不思議を感じなくなってくるのであった。

疑念

そうした日々が続き、月末の給与が問題なく支払われるのを皆が確認すると、今度はその金の出処が気になってきた。
人売稼業を辞めた以上、売上は全くない。しかし、給料は払われている。驚くべきことに社会保険や厚生年金も、である。

SES業務がなくなったことで、暇をもてあました営業が、社長の後をつけてみる、と言い出した。
これは何か後ろめたいことがあるに違いないと踏んだのである。

ある晩のこと、営業が後をつけているにも気づかず、社長はいつもの帰路とは違う道程に歩みを進めた。しめた、と営業がさらに後を追うと、やがて、社長は、街の中にポツンと残された小さな森に入っていった。
昨夜の雨で地面が泥濘んでいるが、革靴が汚れるのも厭わずに社長はどんどん森の中に進んでいく、その歩みが不意に止まった。
営業が夜目を細めると、どうやらそれは、打ち捨てられた小さな社の前のようであった。

「……どうも……いつも八山坊様には……お世話になっております……」
「……はい……あくまで世のため人のため……はい……それでは先月と同じくコインチェックに……」
話し相手の姿は見えない。声も聞こえない。営業からは社長がボロボロになった社の前でブツブツと独り言を言っているようにしか見えないのである。

「ありゃ、いかにも様子がおかしいぜ」
と営業は翌日、その様子をヒソヒソ声で皆に語った。

数日後、社長から件の営業の退職が発表された。
彼と親しい人によると会社都合退職にしてもらった上、3ヶ月分の給料に相当する退職手当をもらったらしく、円満に退職していったらしい。
そこに何か後ろめたい事情を察する者もいるにはいたが、今の環境が申し分ないこともあって、エンジニアたちは不審がりながらも、社長を問い詰める気も薄れるのであった。


やがて、勉強の成果が出始めた。aws認定ソリューションアーキテクト、Oracle Gold、ITステラジスト、情報セキュリティスペシャリストなど、社員たちは数々の資格をものにしていった。

その結果を聞いた山伏は満足そうに目を閉じると、錫杖を振るった。その時は既にオフィスの床はデッキプレートに改装されていたので、シャランという音は、重たく、力強く響き渡る。

営業

社長が3人の新入りを紹介した。奇妙に3人が3人とも同じような顔をしており、うっすらとした痣が、両目にまたがるようについている。
「これから、この方々に営業をお願いしたいと思います。また、下請けではなく、クライアントとの直取引。プライム案件を狙っていくことになります」

と社長はあくまで堂々と言い張る。資格をとって、少しは自信のついたエンジニア達も少し怖気づいた。果たしてそんな事が可能なのか。もし可能であっても、ひどい無理難題を背負うことになるのではないか。

しかし、予想に反して、営業は優秀であった。
すぐさま、大手の顧客を捕まえてくると、課題を見つけ出し、適度な価格を提示して、仕事をとってくるのである。

さらには課題の整理も得意のようで、これはAWS、GCEの某を使えば低コストで済むのではないですか?運用に不安があるなら、この運用専門会社と組みましょうと、最適なソリューションを提案してくる。
営業と話しが通じると、ここまで気持ちよく仕事が出来るのか、とエンジニアは驚き、また感心するのであった。

また、エンジニアに振られる仕事も中々に難しいが、チャレンジブルなものばかりであった。当然気になるのは納期である。
要件を伝えられたエンジニアは用心深く「1.5ヶ月はかかりますよ」と目算の1.5倍の期間を提示するが、「いえいえ、それではリスクヘッジになりません。3ヶ月はいただきましょう」と、十分すぎる時間が与えられるのである。

エンジニア達は喜んで、ああだこうだと開発体制を改善し、アーキテクチャを練るに練る。TDD、CIは、言うに及ばず、アジャイル、DDD思想、インフラも最低クラウド、場合によってはサーバーレス、またはコンテナ、各種PaaS、BaaSを駆使した様々なプラットフォームをまたがり、エンジニアは課題に挑戦していく。

売上も昇り調子で、それに比例して給与も上がっていく。夏になると、誰しも思いがけないことにボーナスまでも支給されるのである。


ある日、これだけの先進的な開発を行っている会社はそうはない、とエンジニアの一人が思って、企業ブログでもやってはどうか、あるいは勉強会で登壇したいと社長に提案した時のこと。

いつもは横に黙って立っている山伏が久々に口を開いた。

「無闇に有能を誇るは愚か者のすること、もし才あらばその結果をもって自ずと世に知れよう」

しかし、エンジニアは食い下がる。最近はこうやって会社の技術力をアピールすることで仕事もとれるし、人も集まるんですよ。
しかし山伏は「今で十分、人も仕事も足りていよう」と頑迷である。
そのエンジニアは困って社長のほうを見た。社長も困り顔で、黙って首を振る。諦めろということのようである。

エンジニアも黙して、ソファーに戻ろうとする。するとそっと社長が駆け寄り、耳打ちした。
「少し話したいことがあるのですよ。皆を集めてくれませんか」

企み

居酒屋に集まった一同に、社長が話しだした。

「実際ね。これだけ売上もあがっているんだけど。正直、このあたりがMAXという気もしているのですよ」

一同は一様に頷く。生産効率を高めるべく、やるべきことはほとんどやった。
営業の指定する納期は余裕があるが、逆に言えば今の頭数でこなせる仕事しか取ってきていないとも言えるのだ。

「営業を増やせばいいのではないですか?」
と古参のエンジニアが言う。
「しかし今の営業は八山坊の紹介でね。ちょっと変わった人たちでもあるから」
相性が合うかどうか、と社長は思案顔である。


「これ以上仕事を取るとなると、当然エンジニアの増員も必要ですよ。といっても、これだけ先進的な環境なら求人には困らないでしょうけどね」
とエンジニアの一人が胸をはる。

それを見た社長が膝を打って、言った。
「会社から少し離れた場所にいいオフィスがあるんですよ。そこを借りて支社にして、営業もエンジニアも新しい人材はそこで働いてもらう、というのはどうでしょうね?」
各自、異論があろうはずもない。

始末

2つのオフィスが出来た。
新しい営業がとってきた仕事は、火中の栗を拾ってきたような案件が多かったが、元のオフィスである本社では、もはや業務の大半は管理であり、実装や設計を行うのは、支社に入った新入り達であった。

古参のエンジニアたちは、ソファーでくつろぎながら、昔のように設計について議論することもなく、Slackで支社に厳しく指示を出すのに専念していた。
たまに会話があるとすれば、誰と誰は使える、あいつは使えないといった話題ばかりになった。

その様子に山伏は少し訝しげであり、時折試すように、こちらを見ていることが多くなった。

「社長、八山坊には支社の話をしていないんですか?」
ある時、エンジニア改め、プロジェクトマネージャーとなった古参の一人が、社長に尋ねた。
「そういう話をするとね、ちょっと困った事になるかもしれないから……それにもうあの人立ってるだけだしね。もう気にしなくていいよ」
と言う。PMも、山伏の視線を少し煙たく感じ始めていたので、それに納得するのであった。


ある日、会社に来訪者があった、名のある銀行と大手の証券会社の男である。
社長が少し困り顔で、山伏のほうをちらと見、外で打ち合わせしましょう、と、コソコソと会社を出ていくのが見えた

なんだいあれは?と社員の一人がもう一人に尋ねる。彼は、支社で雇った派遣にTrelloのタスクを積み込んでいるところだった。
「知らないんですか?うち上場するみたいですよ?」
と彼はディスプレイから目を話さずに言う。
「おい、本当か?それは!?」
と、もう一人がいきり立った。

そこに社長が忘れ物をしたのか、戻ってきた。

「社長、上場するって本当ですか?」
その社員が猛烈な剣幕で迫ると、社長は頭をかきながら、飄々とした様子で答えた。
「いやあ、まだ決まっていないことだからね。そのうちね。そのうち。お話しますよ」
「まさか、我が社をここまでにした我々に持ち株がないってことはないですよね?ストックオプションでもなんでも、ちゃんと考えてもらわないと!」
と大声で社員は言ったので、社内は騒然となった。

「さっきから何の話をしておるのだ!」
一喝があった。山伏である。
「聞いてください。八山坊さん。社長がね、この会社をIPOしようってんですよ。それで自分の持ち株を売って、創業者利益で、たんまり儲けようとしてる。八山坊さんにも関わりのない話じゃあないでしょう?」
「あいぴーおーとかなんとか利益とか、それはなんのことじゃ」
と山伏は初めて困惑した顔をした。

「ええ、ええ、八山坊さんには関わりあいのないことですよ。八山坊さんのお金は借り入れ金ですから。出資ではありませんのでね。関係ありません。それでは私は……」
と社長は忘れた手帳を手に取り、出口に向かう。

「ちょっと待て!そういう話を勝手に進めていいと思ってるんですか!」
「いえいえ、もちろんお話はしますよ。皆さんのこともちゃんと考えていますとも」
「いいや違うね。こりゃ、自分だけ売り抜けていい目をしようって魂胆だ。
昔だってそうだ、入ってそうそう経験もない俺を、Java経験5年あるって売りさばきやがって……」
「そうだ、俺なんて次の現場ではPythonが出来るって聞いたのに、Perlだったぞ!」
ソファーから立ち上がった社員がよってたかって社長に迫って、ついには掴みあいになった。
その時ーー

シャラン。

一際大きな錫杖の音がした。
そうかと思うと、辺りは俄に真っ暗になり、立派なオフィスも、最新式のMacBookProも、コルビジェソファも、何もかもが消え失せた。


気がつくと、社長を中心として、皆が森の中の大量の落ち葉に埋もれて掴み合っている。

呆然とする一同の背後で、地の底から湧いてくるような太く低い声が聞こえた。

「やれやれ、どうにか助けてください。資本と時間さえ恵まれれば、社員皆が幸せになります。世の為、人の為、一生懸命やりますというので、気まぐれに手を貸してみたが、実際どうだ。
結局人ってやつは、何かが出来るようになっても最後は自分のことばかり、他人のことなんて考えもしねえ。ああ、これじゃあ、芝右衛門爺さんにも八幡様にも顔向けできねえ」

一同が振り返ると、月の木漏れた光の中で、小熊ほどもある古狸が、年老いてカサカサになった体毛を、ああ悔しい、とばかりに逆立てて、とぼとぼ、深山へと歩み去っていくのであった。


口語訳 遠野物語 (河出文庫)

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