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Railway Writer's Mystery World
種村直樹著『日本国有鉄道最後の事件』の成立事情

ミステリー共同制作者 大須賀敏明

「実は、『日本国有鉄道最後の事件』というタイトルをずっと温めていて、トリックもプロットもほぼできあがっているんだ」

 いつ、どこで聞いたかは残念ながら思い出せませんが、この言葉を種村さんから聞いたときの驚きは今も鮮やかに胸に残っています。この作品が刊行されたのは1987年2月ですから、おそらく、前年の夏ごろ、著者と編集者という立場で種村さんと知り合ってから約5年半後くらいのことだったと思います。

 話は、これに先立つこと数か月前にさかのぼります。

 当時、私はすでに創隆社(『乗ったで降りたで完乗列車』『きしゃ記者汽車』などを刊行した出版社)を辞めて独立し、先輩と編集プロダクションを立ち上げていました。この会社がなんとか軌道に乗りだし、とりあえず生活の心配がなくなり、何か新しいことにチャレンジしてみたい――そんなふうに思っていた私は、親交が深まっていた種村さんに大胆な提案を持ちかけました。

 ――先生、ミステリーをお書きになる気持ちはありませんか。

 そのころはトラベルミステリーの全盛時でしたが、私が読んだかぎりでは、トラベルミステリーとうたいながら、少しも旅情を感じない作品が多く、不満を抱いていました(ところが、実際に書いてみると、旅情を出すためにはそれなりの描写が必要で、情景描写が多くなればミステリーとしての緊張度が落ちるということがわかりました。そのあたりのことは、あとで挙げる「朝日新聞」の書評にも指摘されています)。それで常々、全国津々浦々を巡り歩いている種村さんがもしお書きになったら、もっと旅心を刺激する作品ができるのではないか、と考えるようになり、前述の大それた提案になったわけです。

 これに対する種村さんのお返事はにべもないものでした。書く時間がない、と。

 それなら、私がお手伝いして、共同制作のような形ではどうですか、と私は食い下がりました。このとき、若干、種村さんの心が動いたように思います(今にして思えば、このときはすでに、徳間書店から鉄道ミステリーを書いてみませんか、というお話があったのですね)。

 たとえば、どんなものを考えているんだ、という種村さんの言葉に、私は「しめた」と思い、とりあえず試作品――短編――を作りましょう、と畳みかけました。

 そんなわけで、私は当時はまだ珍しかったワープロを使って「試作品」を書き始めました。

 確か青森の「ねぶた」を題材にした作品で、ミステリーというよりは、中間小説に近いものだったように思います。どんなトリックを使うつもりだったか、どんなプロットだったかまったく覚えていませんから、つまらないものだったに違いありません。とにかく、しばらくして十数ページ書きあげ、種村さんに見せました。それを気に入ったかどうかわかりませんが、そのあとまもなく、冒頭の言葉が種村さんの口からぽろりと出たのでした。

 種村さん側の事情は、ご自身でお書きになっているので、ご存じの方も多いと思いますが、知らない方のために、ざっと紹介すると、鉄道に詳しい作家の辻真先さんが「種村さんに鉄道ミステリーを書かせたらどうか」と徳間書店の編集者に働きかけ、それがきっかけで編集者の方が竹の塚の事務所に執筆依頼にやってきた、とのことです(このあたりの経緯は、辻真先さんがお書きになっている『日本国有鉄道最後の事件』徳間文庫版の解説からも少なからずうかがえます)。

 そんな事情があり、当初、「日本国有鉄道最後の事件」は、種村さんお一人でお書きになるつもりだったようです。ところが、半年後に国鉄の分割・民営化が迫っているのに筆は遅々として進まず、急遽、私と共同制作で、と方向転換した、というのが真相です。

 それからは大変でした。とにかく分割・民営化の前に刊行しなければ意味がありません。まず、種村さんからトリックとプロットを聞き、二人で何度も話し合い(もちろん、お酒を飲みながら)、内容を詰めました。その合間に、東京駅の神田寄りにあった東海道新幹線の指令室を見学したり、資料を読みあさったりしました。種村さんとの話し合いの末にプロットや章割りが決まったあと、実際の執筆は、まず私が大まかに全体を書き、場面ごとに「この沿線の模様をお願いします」「ここで、分割民営化案の成立事情を書いてください」などと、私が指示(などと言うと、偉そうですが)させていただきました。ですから、全体の執筆量は私のほうが多いのですが、トリック、全体のプロット、鉄道に関する詳細な描写・論述、などは種村さんの担当ですので、仕上がりを読めば、やはりこの『日本国有鉄道最後の事件』はレイルウェイ・ライター種村直樹でなければ書けなかった作品であることがおわかりいただけるでしょう。

 本書の主人公たちの国鉄再建に関するスタンスは、国鉄の民営化には賛成するが、分割には反対するという「非分割・民営化」です。これは種村さんの持論であり、その根拠・理由については、本書にも書かれていますので、ここでは触れません。ただ一つ、私が強調したいのは、種村さんが「この作品は公共企業体・日本国有鉄道への弔辞である」とおっしゃっているように、この作品が何よりも、消えゆく国鉄への尽きない愛情を表現したものであるということです。ミステリーという観点からすると瑕疵があり、実際、「ミステリー」としてはどうか、と書評にも書かれました。しかし、次の「朝日新聞」の書評が、何よりも、この作品の本質をずばりと語ってくれています。

国鉄分割民営化をテーマにした異色のミステリーが登場した。種村直樹の『日本国有鉄道最後の事件』(徳間書店・六八〇円)である。著者は鉄道と汽車旅もので知られる人。"姿を消す国鉄とそこで働く人々への哀惜"がこの初めてのミステリー執筆の理由という。もちろん、ミステリーとしては荒削りで緊密さが持続しないし、意外性にも乏しいが、あえてフィクションという形式(大須賀敏明との共同制作)をとってまでこの問題に取り組んだ姿勢を買いたい。

分割民営化が大詰めの六十一年暮れ。名古屋の中京旅客鉄道株式会社の将来を固める重要会議出席のため東京駅から下り「ひかり41号」に載ったはずの実力者たち、有名経済学者と自民党長老、経済界の重鎮の三人が名古屋駅に到着しなかった。ノンストップの新幹線車中から消えたのだ。分割民営化反対派の仕業か? でもいったい誰が、どうやって……。

これより先、一人のフリーカメラマンが分割民営化に群がる財界人たちを追っていて政府首脳も交えた"談合"の場を突きとめ、極秘資料も撮影することに成功した。が、その日から怪しいグループに脅迫され、フィルムを大学の先輩の国鉄中堅幹部にあずけた直後、れき死体となって発見された。

ミステリーファンとしては乗客消失のトリックあたりに注目したい所だろう。さすがにレイルウェイ・ライターらしく新幹線運行上の仕組みや技術への知識をフルに使って楽しませてくれる。

何のための"犯行"か――著者は登場人物たちを借りて、分割民営化しか道はなかったのか、新体制移行の裏に不正はないのか、などと問い、改めて国鉄を愛する素顔をのぞかせる。

(「朝日新聞」1987年3月24日朝刊)

 この書評は匿名ですが、のちに、東京創元社の編集長(当時)戸川安宣さんがお書きになったものであることがわかり、たいへん勇気づけられました。これをきっかけに、東京創元社の叢書「鮎川哲也と13の謎」――辻真先さん、北村薫さん、折原一さん、宮部みゆきさんなど、錚々たるメンバーにまじって!――の1冊として『長浜鉄道記念館』が生まれるのですから、二重の意味でありがたい書評でした(余談ですが、現在、私は東京創元社からお仕事をいただき、辻真先さんのミステリーの校正などもしています。縁とはありがたくも不思議なものです)。

 なお、ミステリーは、種村ファンには、あまり歓迎されませんでした。余技に精を出すのはやめて、本来の鉄道紀行に専念してほしい、というのがその大きな理由です。しかし、ミステリーが種村さんの鉄道ものへの入り口になったという若者も出てきたという事実を胸に、共同制作者たる自分を慰めています(笑)。

 国鉄を知らない若い人たちに読んでいただき、種村さんの国鉄への思いを知っていただければ、そして、JRグループの本州三社の成功に隠れがちな分割・民営化の影の部分にも思いを馳せてもらえれば、望外の幸せです。

(この文章の内容については、いっさいの責任は大須賀にあります。また、文中の辻真先さんの「辻」は、正しくは、しんにょうにもう一つ点がありますが、ワープロにない文字のため、略字を使用しました。ご了承ください)




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