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2018年06月14日 13時20分 JST | 更新 2018年06月14日 13時20分 JST

なんで外国人のわたしに道を聞くの?日常に転がる差別的思考

「ザ・アジア人のわたしになんでわざわざ聞くんだろう......」と内心首をかしげました。

ドイツに住んで、もう5年。とはいっても、見た目は生まれたときから変らずザ・アジア人。日本人のなかでも「ハーフ顔」「エキゾチック」と言われる顔つきの人はいますが、わたしはそんな言葉とは無縁の、ふつうのジャパニーズ顔です。

だからドイツで道を聞かれると「なんでわたしに聞くの?」なんて思うわけですが、それはよく考えたら差別的思考なのかもしれません。

アジア人なのにドイツで道を聞かれる「ふしぎ」

とある駅で電車を待っているときのこと。

「Fährt diese Bahn nach Frankfurt?」と聞かれました。「この電車はフランクフルトへ行く?」という意味です。

そのときはふつうに「Ja(はい)」と答えたのですが、そのあとふと、「なんでわたしに聞いたんだろう?」と思いました。

道を聞かれたり、時間を聞かれたり、ドイツではいろんな人に気軽に声をかけられます。

でも、ちょっと考えてみてください。

あなたは日本で、欧米人やラテン系の人、中央アジア系の人に、日本語でなにかをたずねたことはありますか?

たぶん、ほとんどの人がないと思います。なにか聞くのであれば、見た目が日本人の人を選びますよね。

あえて金髪で鼻が高い白人に「この電車は東京駅に行きますか?」なんて聞きます?

だからわたしも、「ザ・アジア人のわたしになんでわざわざ聞くんだろう......」と内心首をかしげました。まわりには、ドイツ語を話している白人がたくさんいますから。

でも考えてみれば、これは差別的な思考なのかもしれません。

差別はよくないこと。でもわたしは「アジア人」

「差別」という言葉は、悪いイメージを伴って使われます。差別的な発言、差別的な思想。そういうものは多くの国で「悪」とされています。

そして多くの良心的な人は、「自分は差別主義者ではない」と思っているでしょう。「人種や国籍だけで人を判断するのはよくないことであり、自分はそんな人間ではない」と。

わたしだって同じです。こっちの肌の色のほうが偉いとか、この国出身の人は見下していいとか、そんなことを考えたことはありません。

でも、「アジア人であるわたしになぜ道を聞くの?」という疑問は、ある意味差別的なんじゃないか?と気づきました。

というのも、それは「アジア人の見た目をしている人間はドイツにおいて外国人である」と決めつけているからです。

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