エントロピーという宇宙の原理について (本気で期待すると幻滅するが)
エントロピーとは宇宙の方向を定める原理であるといわれる。
バケツに満たした水にインクを垂らせば、たちまち拡散して、最後には平均化してしまう。
この「拡散・平均化」は、二度と元に戻すことができない。
インクではなくて、熱を考えてみよう。
空間や水中に、周囲より際立って高い熱が部分的あったとすると、それはただちに、周囲に浸透し、拡散し、平均化してゆくのは水中のインクと同じである。
熱の拡散と平均化を定めた原理が、熱力学第二法則であり、これを熱エントロピーと呼んでいる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%86%B1%E5%8A%9B%E5%AD%A6%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%B3%95%E5%89%87
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%94%E3%83%BC
私は物理学の専門家でもないので、これ以上の解説はボロが出るのでやめておくが、私はエントロピーの概念を初めて知ったとき、これは宇宙の本質に関わる原理であると直感した。
二度と元に戻らない「不可逆性」という概念が適用されるのは「時間」である。もしかしたら時間とエントロピーは同じものかもしれないと思った。
これは宇宙の「向き」を定める概念であろうとも思った。
もう少し延長して考えれば、宇宙の現象のすべてに適用できる概念であり、当然、人間や社会の根源法則としても適用できると考えた。
地球という決して大きくもない球体の上に人類は棲んでいる。たくさんの人種・民族・社会があって、たくさんの交流がある以上、人間の欲望や生活の必需が、熱と同じように社会を行き交いながら、やがて拡散し、平均化してゆく様は、熱力学=エントロピーの原理となんら変わりないのである。
ならば「経済エントロピー」という概念も成立しなければならないが、これについて触れている文章を未だに私は見たことがない。
私は30年前から言い続けているのだが……。
人間社会も、物理学の基礎に乗った建築物であることを考えれば、宇宙の根源的原理であるエントロピー=熱力学法則が、人間社会に適用されるのは何の不思議もないはずだが、物理学とは別の原理=例えば「神の意志」とかの妄想を信奉してる人たちが大勢いることと、経済を自分の金儲けに利用している連中が、ウソをついて人を惑わすことができなくなることを警戒しているのではないだろうか?
言論というのは、経済と同じで、一種の「風説」や「流行」に支配されている側面があって、誰かエライ人が新しい概念を言い出せば、その権威を信奉する連中がミーハーのようない追随して拡散してゆくのだろうが、まだエライ人は誰も「経済がエントロピーに従う」と言っていないのである。
簡単に言えば、貧乏人は金持ちに憧れ、自分も金儲けがしたいという心の劣等感=ポテンシャルを作り出し、金持ちは優越感に満ちた金儲けに飽きて、貧乏人のような純粋な愛の人間関係に憧れることで、やがて人類は平均化し、金も拡散してゆくというのが人間社会におけるエントロピーである。
貧しい国の人々は豊かになるポテンシャルが働き、豊かな国の人々は貧しくなるポテンシャルが働くわけで、ポテンシャルという概念は、「高いところにある水が低い方に落ちる力を持っている」という意味で、高いところにある金も低い方に流れ落ちてゆく力が働くと考えるわけである。
人の心も経済も、高いところにあれば低い方へ、低いところにあれば高い方へ、平均化し、拡散してゆく力の向きが存在し、別の言い方をすれば、これが時間の本当の意味であるとも考えることができる。
経済エントロピーが唯一の正しい経済原理である証拠は、中国と日本の労働者の待遇を考えれば簡単に理解できるだろう。
40年前の中国と日本は、雲泥といってもいいほどの格差があり、日本は豊かであった。しかし、今では逆転してしまって、中国人の生活水準は、日本人を超えている部分もある。日本人は、三食満足食べられない子供たちが激増しているように、自民党政権のおかげで、本当に悲惨で貧しく、凄まじい格差社会に変わってきている。
これは竹中平蔵・小泉純一郎・安倍晋三が作り出した格差社会ということもできるが、日本人が中国人と比べて相対的に貧しくなってゆく事情は、中国人が日本人に追いつきたいという強烈なコンプレックスで無我夢中に働いてきたこと、日本人が昔のようにがむしゃらに働いて優越感に満ちた地位に上がりたいという要求が消えて、生活水準が相殺されていったとも考えることができる。
もう十分に、両国の生活水準は差がなくなってきているので、後は、社会全体の美しさ、清潔さ、住みやすさ、ストレスのなさなどの要素で平均化してゆくポテンシャルが残っているが、生活水準がこれ以上、逆転する理由も失われたことになる。
日本では自民党馬鹿政権のおかげで、庶民の生活は塗炭の苦しみだが、唯一の救いは、庶民レベルで、過去数百年、鎌倉仏教の遺産としての、道徳的水準の高さがあって、この魅力に釣られて世界中の人々が日本に好感を持って観光に押し寄せる風潮が生まれ、とりあえず、観光産業は好調をキープし、死にかけていた地方も息を吹き返している。
私の住む中津川市でも、馬篭から妻籠なんか行くと、もの凄い数の外国の若者が歩いていて、みな楽しそうだ。
昔あった贅沢セレブなんて低俗下劣な価値観には目もくれずに、若者たちは、日本の自然豊かな田舎の風景を満喫しながら、五平餅や豆腐、蕎麦に舌鼓を打っている。
「ああ、全世界で若者たちの価値観が変わっているんだ」
と私は思う。昔なら=私の若い頃なら、高級車やスポーツカーに、派手な娘を乗せて、大都市の繁華街を走ったり、闊歩したり、怪しい施設に出入りしたりする、いわゆるセレブ生活に憧れる若者が多くて、貧しい身なりで山ばかり歩いていた私には、はるかに遠い連中ばかりだったのに、今では、外国の青年たちが、高級車やセレブ生活など目にもくれず、緑豊かな田舎の癒やしの景色のなかで、ひたすら歩きくことに喜びを感じている。
若者たちは、格差社会におけるコンプレックスに束縛された日常を拒絶し、自然と融和した農村風景のなかで大声で笑ったり、美味しい郷土料理を食べたりする自然な人生を楽しむ価値観を見いだしているのだと私は確信した。
これなら、私もついてゆけるのだ。
もう一度エントロピーに戻ると、人類社会全体が、資本主義による格差のコンプレックスに苛まれた人々を大量生産してきたわけだが、今、そんなものには目もくれず、人間にとって根源的に解放された社会を求めることの大切さを理解する人々が増えている。
経済的な豊かさではない、心の豊かさにおけるエントロピーが、全世界の新しい価値観に変わりつつあるのだと私は思う。
人々は、豊かな生活水準ではなく。豊かな心を目指して格差を解消してゆくのだ。
竹中平蔵は、究極の格差社会を作り出し、若者たちの命を戦争で使い潰してボロ儲けを企んでいる人間だが、それも、若者たちが、セレブ生活に憧れるコンプレックスに洗脳されることが前提であって、人間にとっての本当の価値が、心の豊かさ、自然の豊かさを愛でることのできる心のゆとりであることに気づいた若者たちの前では、格差など何の障害にもならない。
貧乏なら貧乏なりに楽しめる生活があり、人を笑顔にできる人生がある。これに気づいた若者たちにとって、竹中平蔵の新自由主義など、人を苦しめて、差別して喜ぶ人間のクズに過ぎない。
本当の価値は人々の笑顔を見ることである。この価値の前に、経済格差など何の意味があるだろう。もう誰もセレブなんかに憧れない。車なんか中古の軽自動車で十分だ。農業に役立つ軽トラが一台あれば十分だ。
派手な高級ブランド衣類なんか誰も欲しがらない。野山を駆けまわっても汚れても丈夫な木綿の服と、肉体を支えてくれる健全な汚染されない食品と水があればいい。寒い夜をしのがせてくれる家と布団があればよい。
何よりも、あなたの暖かい笑顔があればよい。