沖縄県宜野湾市新城の普天間第二小学校(桃原修校長)の運動場に、米軍普天間飛行場所属のCH53E大型輸送ヘリが重さ7・7キロの窓を落下させてから13日で半年がたった。事故後、同小では米軍機接近の際、運動場にいる児童が指定の3カ所に避難する状況が続く。事故で中止していた運動場使用を再開した2月13日から6月8日までの間、避難回数は527回に上る。避難の度に体育の授業や遊びが中断する異常な学校生活に、同小は「早く正常な状態に戻したい」と頭を抱える。(中部報道部・勝浦大輔)
「逃げて下さい」。7日の2校時、体育の授業の終わりを告げるベルが鳴った直後だった。飛行場からオスプレイが離陸し、運動場に沖縄防衛局が配置する監視員が指示。児童は一斉に校舎の「半地下」と呼ばれる場所へ避難した。
プールの授業中でも指示があれば水から上り、ひさしの下に逃げる。多い日で1日20回以上。「避難は大変」と、児童がポツリとこぼした。
同日は、平和学習で来校した石垣市の海星小学校との交流会もあった。海星小から第二小への質問に、6年学級が答える。「飛行機が落ちてくるかもしれないから、避難訓練している」「外で遊べるけど、避難がある。(米軍機が)連続して飛ぶと遊べなくなる」「沖縄から基地をなくしてほしい」。率直な思いを次々と口にした。
市教育委員会によると、同小PTAが6カ所の設置を求めている屋根などの避難用工作物は、2学期が始まる9月1日までに4カ所の設置を予定。併設する幼稚園への設置を求めている残り2カ所についても、検討を続けるという。
第二小は「このままいつまでも避難はできない」との考えだ。だが米軍機が飛ぶ現状は変わらず、葛藤は続く。