きょうは仕事が休みだから、酒屋めぐりをしよう。古新聞とレジ袋をたずさえて目当ての駅へ。あらかじめ電話帳で町中の酒屋を調べて、地図にマークしてある。
まず一軒目。古めかしくて、なかなか良さそうだ。奥を眺めると、ジュース瓶が山積みになってホコリをかぶっているのが見えた。はやる気持ちをおさえつつ、声をかける。「その瓶、ちょっと見せてもらえませんか」
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■収集・分類癖は昔から
15年ほど前から清涼飲料水の瓶を集めている。明治末期から製造され、1970年代に缶がとって代わるまで主流だった「リターナブル瓶」が中心だ。フタを交換して再利用する瓶で、戦後は米国文化の流入もあって多様なデザインが生まれた。これまで集めたのは2271種類、3000本にのぼる。
きっかけは、たまたま本で「ミリンダ」の瓶の写真を見たこと。70年代に人気があったフルーツ味の炭酸飲料で薄緑のMのマークが目印。懐かしいなあ。この瓶、欲しいなあ。
昔から収集・分類癖があった。2、3歳のころは大のバス好きで、車庫に通った。バスは車体の細部やエンジン音がそれぞれ違う。それらを分類して、70台を瞬く間に覚えた。次に熱中したのが貝殻。近くの海で拾い、図鑑と首っ引きで調べた。ピアニストになってからはマンホールマニアに。ツアーで各地に出かけ、44都道府県で1000種類を写真に収めた。
そんなわけで、欲しいと思ったら、手に入れないと気が済まない。まずは近隣の酒屋をしらみつぶしに訪ねた。それでも見つからず、次は沿線沿いを攻める。100店ほど当たったころ、静岡県三島市のうらぶれた酒屋で、ついに見つけた。
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■崩れかけの倉庫にお宝
夢見心地になったのもつかの間、よく見るとラベルデザインの泡の数や、リとンの間隔が、製造年や業者によって微妙に違う。コレクター魂に火がついた。ありったけの瓶を集めて分類したい。
酒屋訪問の場合、片付いていない店が狙い目だ。奥に昔の瓶が山積みになっていることが多い。いきなりだと警戒されるので、店内を見渡し「そのファンタの瓶、譲って頂けませんか」と具体名を出すのがコツ。OKならすかさず「奥も見せて」と乗り込む。
メーカーめぐりも有力な手法だ。昭和50年代の業界団体の名簿をもとに訪ねる。ほとんど跡形もなくなっていて打率は1割くらいだが、当たれば収穫は大きい。一般的な瓶のほか、個性的なデザインの地サイダー、地ジュースの瓶も手に入る。
かつてゴミ捨て場だった場所でサザエの殻や瀬戸物などに交じって、珍しい瓶が隠れていることも少なくない。
最も興奮したのは4年前、岡山の製造工場跡地を訪ねたとき。崩れかかった倉庫を隙間からのぞくと、大量の瓶が見えた。持ち主を訪ねて、譲ってほしいと頼み込んだ。何百ケースもあったから、一度では持ち帰れない。夜行列車で何度も通った。
瓶は分類して資料にまとめる。「コカ・コーラ」「三ツ矢サイダー」など主要ブランドだけで約40銘柄あり、1940年代から70年代に製造されたものは、ほぼ網羅した。
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■高度成長期の熱気
地サイダー・地ジュースは他メーカーの瓶を使い回したものが多く、前のラベルが残っているものもある。模倣品もたくさん出回っていた。「ファンタ」をまねた「ファイト」、「Bireley’s(バヤリース)」をまねた「Baiier juice」など。今では考えられないが、中小メーカーの商魂のたくましさ、高度成長期の熱気まで伝わってくる。
57年発売の初代「CANADA DRY」の瓶はアルファベット表記のみだが、2代目はカタカナ併記になる。当初は舶来物が珍重されていたからアルファベットにしたが、読める人が少なくて慌てて併記したのだろう。ラベルの変遷から時代背景が浮かび上がる。
50歳を目前に、コレクションを後世に残したいと考えるようになった。愛知県の昭和日常博物館に話をもちかけると、二つ返事で引き受けてくれた。いわく、瓶コレクターは全国にいるが、これだけ系統立てたものは例がないとのこと。
とはいえ、まだ見ぬ瓶もある。つい最近も、ずっと探していた3代目「ファンタ」を見つけたばかり。これだから収集はやめられない。
(くりはら・がく=ピアニスト)
[日本経済新聞朝刊2016年11月29日付]