インターネットは地獄ですなあと感じる機会が増えた。
ここ数年ネットの地獄はいたるところで目にしてきた。やたら炎上の着火が早くなったよねとか、コピペbotだとか、メディアモドキだとかそういうとき。しかし最近になり、新たなジャンルの地獄も頭角を表してきているような気がする。
数日前に「子供嫌いの言い分」というメッセージツイートが大きく拡散された。「公共の場で騒ぐ子供に対して何も言わないでいる親は甘えていてクソ」という主張は相当数の賛同も得ているようだった。これは先月ちょうど子供が産まれた我ら夫婦にとって「どこ歩いたら世間様は許してくれるんや…」と絶望するには十分すぎた。産後の育児アドバイスとして「子を騒がせておくことで鎮める」というのを聞いた直後なだけに、なおさら。
そして子供嫌いとタイミングを同じくして、RADWIMPSが愛国心を爆発させた歌を発表。例によって両翼がこんがらがる混沌のタイムラインを構築してみせた。それまで野田洋次郎は「音楽の才能に恵まれたほうのおれたち」的こじらせをTwitterで発露してて好きだったのに、ああそっちの取扱に行くのか残念だなと勝手ながら思った。
子供嫌いマンと洋次郎の件、それ自体はしんどいながらもよくある“物議を醸した話”だ。でも、それらを囲む世界は無限地獄さながらで、底の見えないつらみの入り口みたいだ。どちらも賛同者が共感という棒でガンガン反対意見を殴り、当の発信者は「一部に誤解を与えたのは悪かったけど理解は得られたよね」的なことを言い放ち自己解決。現場に草など生えちゃいない。
この消耗戦シリーズ。一時的なしんどさどころではない、先の見えない暗澹たる気持ちをみなさんも抱きませんか。
少し前まで、ネット炎上とはよくも悪くもひとつの敵を決めつけ、そこに向かって有象無象が激情的または愉快犯的に集中砲火し焦土化する格好だった。それが最近の騒動は火の出や広がり方も下火もすべてすっきりしない。手打ちなき後味の悪さが、当事者や通行人にじんわりと染み込んで私たちの明日に付き添う。システムがそうさせるのか加担者に想像力がないのか知らんけど、悪意まで安直に拡散されてしまっているような今日このごろが、どうもいやだな。
これから先、ウェブのコミュニケーションはどうなっていくだろう。インターネットを手に入れて以来、私は新トピックが出るたびいつも期待を込めてそう考えていた。でも、最近はそれを不安まじりで考えている。