­
コンテンツへスキップ

川崎戸手教会:日本キリスト教団

川崎市幸区の多摩川の土手にある小さな教会です。
メニュー
  • ホーム
  • アクセス
  • 集会案内
  • 一週一言
  • 報告と予告
  • イベント
  • リンク
  • 問合せ

タグ: 関田寛雄

30年史のために(12) 開拓伝道基盤としての「戦責告白」[1] 関田寛雄

2004年9月19日 / コメントする

 (4) 言葉との出会い 敗戦を迎えた時、父は栄養失調で倒れ、 片肺はほとんど機能せず、病床に臥していた。父の…

続きを読む →

30年史のために(11)開拓伝道基盤としての「戦責告白」[1] 関田寛雄

2004年9月12日 / コメントする

(3)敗戦後の模索 8月15日、敗戦。「軍国少年」は一挙に虚脱に陥った。 何も手につかない。学校へ復帰したもの…

続きを読む →

30年史のために(10) 開拓伝道基盤としての「戦責告白」[1] 関田寛雄

2004年9月5日 / コメントする

桜本教会での大韓川崎教会との交わりは私にとって第二次大戦中の日本基督教団の罪責とその責任の自覚へと深く導かれた…

続きを読む →

30年史のために(9) 戸手開拓伝道に向かって 関田寛雄

2004年8月29日 / コメントする

桜本から戸手に移り住んで気付いたことは、「土手下」と言われる戸手四丁目河川敷に多数の在日コリアンの人が集中して…

続きを読む →

30年史のために(8) こひつじ保育園 関田寛雄

2004年8月22日 / コメントする

1965年頃のある冬の日、妻の政枝が所用で桜本伝道所の近くに 出掛けた時、3才位の女児を連れ、背中に生後一年未…

続きを読む →

30年史のために(7) 戸手三丁目八番十二号 関田寛雄

2004年8月15日 / コメントする

長男の喘息を癒すため少し環境の良い所に移りたいという 希望を持った時、最も力強く相談に乗ってくれたのは繆とよ姉…

続きを読む →

30年史のために(6) 繆とよ姉のこと[2] 関田寛雄

2004年8月8日 / コメントする

とよ姉はどのような経験でキリスト教に導かれたのか、これもとよ姉から聞いた断片的な物語から辿って見よう。 戦後の…

続きを読む →

30周年史のために(4) 川崎桜本での25年 関田寛雄

2004年7月25日 / コメントする

関田寛雄 川崎桜本での25年 桜本での教会形成については、ここで詳述するわけには行かないが、最小限の事を述べて…

続きを読む →

30週年史のために(3) 川崎桜本へ 関田寛雄

2004年7月18日 / コメントする

川崎桜本へ 関田寛雄  青山学院教会を辞任した私は、大学院に入学し青山学院高等部の聖書科教師の職を紹介され(こ…

続きを読む →

30周年史のために(2) 初任地の教会にて 関田寛雄

2004年7月11日 / コメントする

初任地の教会にて 関田寛雄  青山学院教会という教会は青山学院というメソヂスト・ミッションの作った学校の歴史と…

続きを読む →

投稿ナビゲーション

1 2 次へ »

アクセスマップ

最近の投稿

  • わたしの時(マタイ26.17-20)
  • 2018年6月10日 報告と予告
  • 南北の和解
  • 2018年6月3日 報告と予告
  • 2018年5月27日 ポトラックパーティー(川崎教会)

アクセスカウンター

  • 53417総閲覧数:
  • 32今日の訪問者数:
  • 2現在オンライン中の人数:

人気の記事

最も訪問者が多かった記事 10 件 (過去 7 日間)
  • ホーム 281
  • 南北の和解 11
  • 2018年6月3日 報告と予告 7
  • 2018年5月27日 ポトラックパーティー(川崎教会) 6
  • 集会案内 5
  • 30年史のために(12) 開拓伝道基盤としての「戦責告白」[1] 関田寛雄 5
  • 2018年6月10日 報告と予告 5
  • アクセス 4
  • 30週年史のために(3) 川崎桜本へ 関田寛雄 4
  • わたしの時(マタイ26.17-20) 4

アーカイブ

N
Powered by WordPress | Theme by Themehaus