人気球団の試合チケットが入手困難なプレミアチケット化することは珍しくなく、巨人、広島カープ、そしてソフトバンクなどのチケットはなかなか手に入れることができませんが、最近は横浜ベイスターズの試合チケットがプレミア化しています。
横浜ベイスターズは今でこそ有名なチームになりましたが、もともと広島カープや巨人のように強力な戦力を持っている訳でもなければ、豊富な資金源を持っているわけでもありませんでした。
横浜ベイスターズの2011年から2015年までのセ・リーグでの順位は、6位、6位、5位、5位、そして6位とずっと低空飛行を続けており、なおかつ選手の年俸総額は12球団中、常に最下位争いをしていたことはよく知られています。
それでも横浜ベイスターズが日本でもっとも人気のある球団の一つになれたのは「野球に力を入れなかった」からで、その背景には『スポーツビジネスの教科書』の著者で横浜ベイスターズ初代社長の池田純氏の改革がありました。
テレビでのプロ野球の視聴率は右肩下がりの傾向にあり、この10年間でプロ野球ファンの総数は1000万人規模で減少しました。
野球の人気が落ちてきている背景にあるのは、サッカーやバスケットボールの人気が高まっていることに加えて、現代には昔と違って野球以外にも娯楽が溢れていることも影響しているのでしょう。
そうした時代の波は横浜ベイスターズにも影響を与えました。
横浜の人は熱しやすく冷めやすいというように、1998年に優勝した時にはものすごい数のお客さんで賑わったのだそうですが、次第に客足が遠のいたと言います。
そもそも野球というスポーツは本当に不思議なスポーツだと言えます。
約3時間の試合の中で実際にボールが動いている時間は平均5分強しかなく、これは言い換えれば、試合の入場チケットを買うことはたった5分間のプレーのために数千円を払っているようなものなのです。(1)
もちろん、ひと昔前であれば、球団経営は一流選手の一流のプレーを見せるというスタンスで成り立っていたのかもしれません。
しかし、野球人気が下がり続けている中、野球だけを見せていたのでは、日々減少し続けるパイを他球団と奪い合う消耗戦は免れないでしょう。
そんな中、横浜DeNAベイスターズの初代社長である池田純氏が就任したことでベイスターズは大きく変化しました。
縮小していくプロ野球市場で生き残るため、池田氏は横浜ベイスターズの来場者層を年10回以上訪れるヘビー層と、年1回程度しか訪れないライト層に分け、熱狂的な野球ファンではないライト層に重点を置いてアプローチを始めたのです。
横浜という街は古くからの港町であることも影響してか、昔から住んでいる古い住民がいる一方で、「3日住めばハマっ子」という言葉があるくらい住民の入れ替わりが激しい流動性の高い街として知られています。(2)
そのため横浜ベイスターズは永続的にファンを増やし続けるために、退屈なイニング間に「バズーカタイム」を導入し、ガトリングガンを荷台に積んだトラックをグラウンドに走らせ、客席に向かってプレゼントなどをバズーカ砲で何十発も打ち込むなどの演出を始めました。
さらに横浜スタジアム限定のオリジナルクラフトビールも成功を収めています。
ビールがメインで「野球はつまみ」と言う男性客の声も増えてきているのだそうで、中には横浜スタジアムを「大きな居酒屋」と呼ぶ人もいるんだそうです。
このようにして横浜ベイスターズは、本拠地である横浜スタジアムを単なる野球場ではなく、総合エンターテインメントの場に姿を変えました。
横浜ベイスターズは野球にエンターテインメント性を付け加えただけでなく、横浜市民を巻き込んだムーブメントを生み出すために、徹底した地域密着を掲げ、「横浜」のチームであることを全面に押し出す必要があるという結論にたどり着きました。
ウェブ上で約1万人もの横浜市民に対して横浜の街に関する調査を行ったところ、横浜市民の多くが「オシャレで開放的な港町」としての横浜に誇りを持っているという調査結果を得たのです。(3)
そして、横浜市民が抱く街のイメージカラーに合わせて、ユニフォームのカラーを横浜ブルーに変更しました。
「横浜に根付き、横浜と共に歩む」というコンセプトを打ち出した横浜ベイスターズはさらにユニフォームの「DeNA」のロゴを外すという大きな決断も下したのです。(4)
一般的に球団は親会社の「広告塔」としての役割が大きく、観客から見れば企業の操り人形に見えてしまう側面があると言えるでしょう。
基本的には企業と消費者の間には「金銭」を介した関係性しかないため、そこには感情が宿らず、チームが試合で勝てなくなってくるとあっという間に観客は離れていってしまいます。
ところが、自分が愛着を持って住んでいる横浜となれば話は別で、人は自分と関連性の強いものに対しては感情が動かされるものなのです。
横浜ベイスターズが横浜市民の顔として、地域社会を巻き込んでいく戦略は実はすでに戦国時代に実践されていたと前述の池田氏は著書『空気のつくり方』の中で述べていました。(5)
池田氏によると、戦国時代に秀でた経営的センスを持った将軍は、領民の尊敬を集める城をつくり、その城を中心として地域社会を巻き込むことで城下町を作り出したと言います。
そして国を守るために戦にでる武士たちは、街を代表するアイコンのような存在として人々の尊敬を集め、民衆は自分が育てた米や野菜を武士に手渡し、戦に送り出しました。
これは現代の横浜ベイスターズに重ね合わせれば、横浜スタジアムは横浜市民にとっての城だと言えますし、ベイスターズの選手たちは横浜を代表する武士だと言えるでしょう。
そういった意味において、横浜ベイスターズが横浜の街を象徴するチームとして、街全体を巻き込む姿は、城下町のあり方そのものだと言えるのかもしれません。
さらに横浜ベイスターズの地域密着戦略はこれだけで終わらず、なんと横浜スタジアムを買収することによって球団と球場の一体経営化を成し遂げたのです。
横浜ベイスターズがこれまで借りていた横浜スタジアムを買収するという行為は、個人に例えれば、マイホームを買うことと同じことで、これまで賃貸だった家を持ち家にすることを意味するのです。
裏を返せば、横浜ベイスターズがこれからも横浜に根ざして活動していくことを表す意思表明でもあると言えるでしょう。
企業の広告塔としてのプロ野球は将来的には縮小せざるを得ないのでしょうが、そんな中で球団が生き残る道は、横浜ベイスターズのように地域を巻き込んで野球以外のところで付加価値をつけることだと言えます。
野球のような試合数の多いスポーツの場合、仮にチームがどんなに強くても少なからず負け試合はあるもので、むしろリーグ下位のチームともなれば負ける試合の方が多くなってしまいがちです。
そんな中、決して強豪チームとは言えない横浜ベイスターズが今日も大勢の観客を集めているという事実は、この先のスポーツ観戦のあるべき姿が横浜スタジアムにあることを意味しているのかもしれません。
【参考書籍】
(1)池田純『スポーツビジネスの教科書 常識の超え方 35歳球団社長の経営メソッド』(文藝春秋、2017)Kindle
(2)Number編集部『Number(ナンバー)949号』(文藝春秋、2018)Kindle
(3)池田純『空気のつくり方』(幻冬舎、2016)Kindle
(4)池田純『空気のつくり方』(幻冬舎、2016)Kindle
(5)池田 純『スポーツビジネスの教科書 常識の超え方 35歳球団社長の経営メソッド』(文藝春秋、2017)Kindle