安倍晋三は皇室&李王朝の血筋!?父方に天皇家の系譜が?!安倍晋三が李王朝の系譜と言われる理由がわかった!


岸信介が天皇家の血筋との繫がりがあるわけではなく、

もう一方の父方の血筋「安倍晋太郎」が天皇家の血をひいている可能性があるのかもしれません。

日本の皇族でありながら李王朝にとついだ「李 方子」は、自分に課せられた日本と朝鮮の架け橋としての責務を強く自覚し、祖国を離れて日本で暮らす夫を支えた。

李 方子

1921年に第一子・『晋』を出産。

晋を連れて朝鮮を訪問。李王朝の儀式等に臨んだが、帰国直前に晋は急逝。急性消化不良と診断される。

李太王を毒殺されたと考えた朝鮮側による報復の毒殺説がある一方で、日本軍部による毒殺説も流布されている。←この亡くなったとされる第一子の「晋」が安倍晋太郎では?

一方、安倍晋太郎の父親と言われる「安倍寛」の結婚相手は戊辰戦争から従軍したで陸軍のエリート陸軍大将を務めた「大島義昌」の孫である本堂静子という女性だった。

「安倍寛」と「本堂静子」

父親の「本堂恒二郎」という人物は、盛岡出身の陸軍の軍医であり、日清日露の戦争に従軍した後、陸軍軍医学校長をへて、陸軍軍医監となり、近衛師団軍医部長も兼ねた人物。

いわば、この家系は陸軍のエリート揃い。

「大島義昌」と「安倍寛」は入江一つ挟んだだけの近所の出身だったらしい。

「安倍寛」の長男「晋太郎」が生まれたのが1924年であるが、その八十日後に「安倍寛」は静子と離婚している。この離婚の原因については、「本人同士の問題ではなく、両家の折り合いが悪かった」と安倍家の家政婦は証言している(神一行著「閨閥」より)。

実はこの時期には静子の父である本堂恒二郎はなくなっており、祖父の大島義昌は健在であった。←この時に安倍晋太郎を養子に迎えた可能性があります。

ちなみに権力者の偽装死はかなり頻繁に行われる手段であります。

元々政治家を目指していた「安倍寛」を見込んで、本堂静子の祖父「大島義昌」が皇族血筋である「安倍晋太郎」を養子として手配した可能性があるのかもしれません。

反戦の政治家として軍部と闘った父方の祖父・寛

その跡を継ぎ若くして政治の道に入った父・晋太郎。

父方の両者とも「方子妃」の課せられた日本と朝鮮の架け橋としての責務を果たそうとしています。

逆に岸信介の系譜はそんな皇室の系譜に抵抗すべく、

劣等感から優生学思想に流れ、戦争推進に走ったのではないでしょうか。

いや、寧ろ中国の属国であり続けた李氏朝鮮の領土拡大にその優生学思想は利用され、

大連の満州を乗っ取り、満州国という悪魔の国を作り上げてしまったのかもしれません。

現在の安倍晋三は岸信介の娘である母親の言いなりだそうです。

<李 方子と安倍晋太郎の写真>

安倍晋太郎ー李方子

安倍日本首相の父親「私は朝鮮人だ」
日本の安倍晋三新首相の父親、安倍晋太郎(1991年死亡)元外相が普段からこのように言ったと、世界(セゲ)日報が日本の「週刊朝日」を引用して報道した。

この週刊誌は10月6日付カバーストーリーで「安倍晋三研究-家政婦が見た安倍、岸3代」という見出しで安倍首相家門の内側を特集報道した。

岸と安倍の家門で家政婦として40年を過ごした久保ウメさん(80)は、週間朝日とのインタビューで安倍首相の父親、安倍元外相が告白した家庭の内部を比較的詳しく伝えた。

久保さんは「パパ(安倍元外相)は誰にも言えないことを私には言ってくれた」とし「(安倍元外相死去直後)入棺のとき、この人の骨格を見ながら本当に日本人の物ではないと思った」と説明した。それとともに「頭からつま先までまっすぐに横になっていたが、完全に韓国人の体形だ。(安倍元外相)自らも『私は朝鮮(人)だ。朝鮮』と言っていたが、この人は朝鮮人だと思った」と回顧した。また「(政治家として周辺に)人気が高く、よってもう少し元気に活動する時間があれば、北朝鮮問題も解決したと思う。安倍元外相の死は国の損害だった」と惜しんだ。

この雑誌は安倍元外相は生前に安倍家の起源は10世紀くらいまで韓半島北で中国大陸にかけて存在した渤海(パルヘ)国に始まったという考えを持っていたが、日本での安倍家の起源は明らかではないと報道した。安倍家の起源について久保さんは「安倍家の本流は青森県だ。安倍元外相が朝鮮だと言ったが、これは今の北朝鮮ではなく、その北と吉林省の下側にあった渤海」と「11世紀平安時代の武将だった安倍が今の安倍家の祖先と一致する」と説明した。

安倍晋三首相の母方の父である岸信介元首相も安倍首相を非常に惜しんだと付け加えた。

安倍日本首相の父親「私は朝鮮人だ」

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