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靖国神社は薪にすらならない

報道によれば、昨年12月26日午前4時ごろ、靖国神社の「神門」が一部燃えたらしいですね。警視庁麹町署が非現住建造物等放火容疑で捜査を開始したそうです。

火をつけた人物がいる。各所でその背景や意図がさっそく詮索の的となっているようです。だがそんなことさしたる問題ではありません。人殺しの神社である靖国が燃えてしまったとしても、これから人が殺されるリスクが減りこそすれ、誰かが死んでしまうわけではないからです。そもそもいずれ廃絶すべき神社なのだから、つるはしでたたき壊したあとに、どうせ燃やすしかないのです。

ほんとうの問題は、靖国が燃えてしまわなかったことにあります。冷え切って動かなくなったこの手足を温めることすらしなかったことにあります。せめてそれくらいの役に立てばいいのに、靖国神社は薪にすらならなかったのです。

ネット上では、この出火事件を契機にさっそく在日外国人へのヘイトスピーチが吹き荒れています。靖国神社が自らを支えるものとして140年にわたって耕した言説がまたもや靖国を守り続けているのです。幾千万の人命を奪いながら成長し、創立以来、侵略戦争を賛美し、帝国主義と植民地主義を開き直ることで排外主義と男根主義の強固な礎であり続けている靖国神社がいまだに燃やされていないこと。今日の今日までこの神社が打ち倒されていないこと。これらこそが真摯に問われるべき問題です。

2012年1月3日 ヘイトスピーチに反対する会

テーマ : 社会ニュース
ジャンル : ニュース

コメント

Secret

No title

ええと…
これはヒドイヘイトスピーチだな。
正体見たり。HP主は以後、ヘイトスピーチを反対するなどとズレた寝言をこかないように。(笑

天皇制がいやなら憲法改正することです。

天皇陛下がいたから戦争があったのでしたら、反対解釈として陛下がいなければ戦争は無かった事となります。しかし当時の国際情勢として日本が戦争に巻き込まれない確率は無いに等しく、日本の戦争した時期こそ違いがあるかも知れませんが、戦争自体選択の余地はありません。そんな当時の日本の天皇陛下の批判は魔女狩りの魔女を探す行為でしかないように思います。また日本人に脈々と息づいてきた制度を私的リンチに等しい思想で批判する事は、日本の将来の為になるとはとても思えません。そんな思いを強くしました。

事実の指摘

昭和二十五年だったかに国会決議でいわゆる戦犯の方々の名誉がかいふくされています。この決議は共産党も含めて全会一致です。この決議を提案したのが、社会党の議員です。あと日本は北朝鮮の分も含めて韓国に払っております。
間違えないでくださいね。通行人こそ偏ったイデオロギーに毒されていますよ。

No title

名無しさんへ。

どうも、私の稚拙な議論に付き合っていただいてありがとうございました。通信教育学部文学部史学科の学生さんはあまり出て来なくなってしまいましたが、まあインターネットでの掲示板での事なので、こういうことは数多あるのでしょう。
最後の投稿分は??の連続で、正直意味不明なのですが、きっとそちらから言わせれば「あなたこそ意味不明なのです」となるのでしょうから、これまた水かけ論になってしまうのでしょう。
私忙しいので、議論はこのへんで終りにしようと思っていまして、途中ですいませんが、よろしくお願いします。
まあ、今回の議論で、別段意見を変更する部分はなかったのですが、個人的には天皇制解体・明治革命総括党というアイディアを頂いて、それはありがたいと思っております。やはり討論は実りがあるのですね。ありがとうございます。
今後は、実験的に繁華街で「天皇制解体!」というゼッケンを私服の上につけて、CCDカメラと他の人のカメラで自分を記録して、何が起きるのかを観察してみたいなぁと思いました。また、その結果をyoutubeで投稿して、どんな反応があるのかも観たいなと思いました。ちなみに本当にただ歩くだけです。
まあ、多分ボコボコにされたりもするのでしょうが、そういう極端な反応以外の、その他の反応はどのようなものなのか、それを知りたいと思いました。
最後に、戦争責任の追及に関してですが、国家間のは放棄されていますが、朝鮮民主主義人民共和国の民間人(まあ、民間人という定義自体曖昧ですが)の請求権は放棄されていなかったと記憶しています。戦争責任の追及は、それゆえ、完全に終わったとは言えないと考えております。
では、まだ寒さが続きますので、お身体ご自愛ください。またの機会に議論出来ることを望んでいます。
その時こそ私の主張をあなたに認めさせますけどね!!
ではでは。失礼します。

またまた子供みたいな(爆)


西暦2009年11月12日(皇紀2669年)御即位20年をお祝いする「国民祭典」は素晴らしかった。政界・経済界は言うに及ばず、科学者・芸能界やスポーツ界に至るまで各界から、国民も多く皇居に馳せ参じお祝いをした。北朝鮮のように強制されていない国でのお祝い。日本及び日本の国民統合を象徴する人物の祝い事だから当然ですね。被災地への行幸時も、お姿を拝見しただけで涙を流している人、被災少女を抱きしめる皇后陛下に、どれだけ国民は勇気づけられたか分かりません。日本は陛下の存在がある限り心を失う事は無いと感じられる出来事ではないでしょうか。国民が支持し信頼するからこそ成り立っている関係。それは皇紀2672年の今も日本人の血となり肉となり脈々と息づいているのです。

さて通行人は「あなたは天皇制を支持しますかと聞かれた事は無い」から天皇制は国民から支持されていないとの事ですが、正気ですか?わざと書いてるにしても余りに発想が貧困で噴飯ものです。



日本人民自体の戦争責任の追及は終わってないとの事ですが、まずは国際的に終わった事にはお互い異論は無いわけですね。

そこで日本人に対する戦争責任ですが、一度処罰の対象になっているので二度目はありません。これは刑罰に於ける普遍的な考え方であり、独自な考えではありません。ひとつの行為により複数人に対しての侵害が発生した場合、「同種類の観念的競合」として科刑上一罪となります。同一場所で複数人を逮捕監禁した場合、一罪であり複数人分罪が増える事が無いのと同じです。天皇陛下の問題は国際的に解決した以上、同じ罪で再び処断することは、刑罰的に許される事ではありません。天皇の戦争責任が、ひょっとしてあったとしても、処断されているので二重に処罰をする事になり、許されない事となります。従って天皇の戦争責任の追及は無意味です。もし行うのであればそれは私的リンチであり、宮顕さんを目指すのであればそれはそれですが、そのような言いがかりを付け天皇制に文句を言うような不健全な言動は改めて戴くようお願いします。

No title

都合の悪い時にだけ連合国とか持ち出してくるなよな。
ムキー!!
フギャー!!
俺が猫なら今頃君の顔は傷だらけだぞ!!

No title

>東京裁判に於いて日本の処罰は確定しました。
それは連合国との関係でしょ。日本人民自体の戦争責任の問題追求は終わっていませんよ。

>また天皇は国民の支持により成り立っている事
どのような事実をもってそれは判断されるのですか?国民投票でもしたのですか?それとも憲法が国会議員の多数で可決されたからですか?私は一度も「あなたは天皇制を支持しますか?」などと質問されたことはありません。また、世論調査=支持ではありませんよね?いつ、どの時期に国民が天皇を支持する判断を示したのか、是非証拠を提示してください。
植民地経営に関しては、後藤新平が台湾でしたことを知っているのですか?「ヒラメの目をタイの目にすることは出来ない」という意味を知ってのことですか?満州鉄道の鉛線に何を植えたのか知っているのですか?
ベトナムで何をして、何人死んだのか知っているのですか?200万人餓死させていますよ。
ちゃんと事実に向き合ってください。

通行人が言っているのはフィクション、わたくしが言っているのは史実です。通行人よ、寝言はやめろ。

>つぎはぎだらけの行政権力


権力を一極集中しないこととする民主主義国家に於いては、憲法の三権分立のように、権力を分散させる手法が大切です。そして絶対的な君主も従わなければならない高次な法に人類は長い時間をかけてたどり着きました、マグナカルタなどに代表されます。非合理だと批判しますが、民主主義の経費ですので仕方ありません。

しかし、植民地支配が分からなかったから内地と同じように統治したと言う意見には爆笑と言うか、ただのイチャモンレベルなので残念です、余りに説得力がありません。植民地には当時の幕府の役人等相当数の人間が訪れています。高杉晋作はその状況を見て、日本の植民地化は絶対阻止しなければならないと決心し同行者と共に帰国したとあります。知らなかったのではなく、しなかった。日本は植民地の惨状をよく知っていたが故に内地と同じ統治をしたのです。知らなかったなどと思いつきのような理由付けは止めた方が良いと思います、根拠としてあまりにも弱いです。
また事実だけど証拠が無い。などと理由も極力止めた方が無難です。ナチによりジェノサイトなども連合軍が来る前に証拠を消す作業をかなり緻密に行っていますが、数々の証拠が出ています。全ての証拠を全て消し去る事などいくらなんでも不可能に近い。日本に関する証拠のみ出てこないのは、証拠が無いと言う事です。南京事件に於いて用いられている写真は、その全てが違う写真だと断定されています。そう、写真による証拠が何もないのです。慰安婦問題でもそうですよね。


通行人の話は、あちこちに飛ぶので分かりにくい。

そうそう価値基準ですか?そんなもん日頃から考えて生きてません。社会主義や共産主義に於いては、思想教育など洗脳する為に必要な手法なのでしょうが、一般人にとっては通常不要です。ただ共通の価値観はあるように思います。それは日本人としての価値観であり、震災時に見られたような価値観でもあります。日本人以外に共通するものもあるし、しないものもあります。

天皇に戦争責任があるかないか。天皇はマッカーサーの前で「全て自分の責任」だと述べられています。しかし東京裁判に於いて日本の処罰は確定しました、その中に陛下は含まれていません。それが裁判所の判断であり決定です。それを受け入れた日本は、その判断に従うだけの話です。それが国際ルールなのです。また機関説を採るだとか採らないだとか、どの説を採るかは理論構成で問題になるだけで、困れば折衷説になるだけの話で、向学上の遊びに過ぎません。また天皇は国民の支持により成り立っている事、事実は認めなければなりません。支持されていない勢力はいるにはいる程度のものと認識しています。

ちなみに明治革命だとか昭和維新など意味不明です。一般に通用する用語をお選び下さい。

No title

明治革命を総括するということ、明治革命の革命思想と実体をキッチリと総括すること。天皇制を解体することはこの一環です。それは総体として明治革命を越えることです。昭和維新も平成の改革も明治革命を総体として越えられていないから駄目なの。天皇制はね、明治革命の象徴なの。だから問題なの。日本人的にはね。

No title

そんなの知ってますよ。輔弼という部分が重要なのもね。でもそのせいで結局それぞれの省庁、特に陸軍省の暴走が進んだのではないですか?それを止めるのが元老であったという実体こそ、重要で、そのようなつぎはぎだらけの行政権力はまともじゃありませんよ。非合理的過ぎるのです。
あとね、天皇が日本の最高責任者であったこと、ということはね、当たり前のことなの。天皇の名の下に戦争したんでしょ?大日本帝国や日本のために天皇が必要というなら、それは天皇機関説にあたるので、天皇主義的には反動ですからね。
天皇機関説自体が反動的であるという結論なのですから、天皇が最高責任者であるというのは常識なのです。
なので今からでも教科書に「天皇は戦争責任があるにも関わらずそれから逃れ、反共的立場に立つGHQはこれを利用した。天皇は、戦後一貫して自分は戦争に反対したと虚偽の弁明を繰り返し、かっての部下がA級戦犯とされたことに関しても、沖縄戦での犠牲者に対しても、シベリアへの抑留者に対しても、原爆投下に対しても『仕方のないことだった』と述べている」書くべきでしょう。これが事実なのですから。
日本の植民地経営にしても、現地のことを考えてそうしたのではなく、植民地経営が分からなかったから、内地と同じようにしたまでの話なのですよ。
台湾での武力弾圧とか知ってて言ってんの?大東亜共栄圏とかマジで信じているのは頭悪すぎだぞ。資料が消却されたから証明あんまり進んでいないけど、大東亜共栄圏が嘘だったことは、従軍した人々が一番知っているでしょう。あとね、ある人々がある時代を肯定したからといって、それを肯定するのはどうなの?例えばロシアではスターリン時代を良かったといっている人が多いんですけど、それを肯定して良いの?あなたの価値基準は何?何なの?その価値基準のベースになっているものは何?イデオロギーとは思想の科学という意味ですが、一応社会科学的な背景、経済学なり市場なり、共同体論理なりの論理性が必要ですよ。今はね、近代社会なの。仲間内の主観だけでOKじゃないのよ。
だいたい歴史的事実が間違っているでしょ。
天皇に戦争責任がなかったとあなたは思うのですか?単なる象徴とかだったら、別に大日本帝国の一条に書く必要ないだろ。あとね、日本国民が天皇を望んだなんてのは嘘だからね。江戸時代、天皇は庶民とは無関係だから。それとね、本当の尊皇派は水戸学派で、明治革命以前に粛清されているからね。薩摩と長州は明確に天皇機関説ですよ。伊藤博文なんてそんなの分かりきっていたよ。元老院の手先が天皇なんだよ。それをありがたく思ってしまうのは、島国村社会であることから来る容易に洗脳されてしまう環境にあるんだよ。だからこういうふうに何年たっても湧いてくる。だから天皇制は解体し、皇族は自称しても良いし、民間化されるから当然市民権は適用されるけど、天皇制のひどい歴史は、これも博物館にしっかりと展示しなければならないだろう。そうだ、皇居は江戸博物館と天皇制博物館にして、京都の御所もそうしよう。さあ、新しい日本を作ろう!天皇制なんて捨てちまったほうがFTAやTPPや道州制より市場に良いかも。日本の改革は天皇制の解体から!天皇制解体党を立ち上げるしかない!!そんで政策の第一項目は、女性天皇制の容認。インパクト強すぎる。。みんなから批判されそうだww。でもインパクト重要だからね。政治に必要なのは金なので、金を稼ぐぞ!カンパなんてあてにならないから要らん。誰もカンパしてくれないし。国民ではなく、薩長の官僚たちが天皇制を作ったのですから、天皇とは、官僚制的天皇絶対主義で、その官僚を元老が調節していたのです。しかし、その元老の調節が効かなくなり、省庁がそれぞれの利益を追求し、なんと、関東軍は上官の命令に背いて勝手に軍隊を出してしまいました。今の中国にも少し似ているのですが、共産党独裁の方が、実はコントロールは効きます。一方の日本人は洗脳完了していたので、積極的に軍部の暴走を支持します。憲法破壊の橋下みたいですね。天皇制の解体は共産主義運動とはリンクしますけど、それ以上に日本が良い国になって欲しいという気持ちと、多くの日本人に個人としての幸福をより追求できるようになって欲しいという願いがありますし、そして何よりも、戦争や国家の政策が産み出した悲劇と、悲劇に対する総括です。それは大切だと思いますよ。なぜって、それがあれば、私たちの共同性は、より開かれて、より積極的なものになるからです。私は共同性は否定しません。ただその中身があまりにもデタラメでインチキでカルトで、人に迷惑をかける代物であるとしたら、またその共同性というものの機能についての議論が難しいとしたら、それは批判します。天皇制はまさにそれでしょ。でも、こんなことするくらいなら、勝手に個人主義で生きる方が良いのかもしれませんけどね。外国に行くとか。でもね、そういう能力がないということも事実なのですが、別にね、好き嫌いじゃないから。自分の住んでいる場所を出来るだけ良いものにしたいということだから。たまたま日本に生まれて日本に住んでいるだけ、と思っているよ。感謝もしていないし後悔もしていない。良いと思うこともあれば、悪いと思うこともある。その上で知ったことを元に考えている。まあ、きっとあなたと同じだ。でも結論が全然違う。知識が違うから。そして物の見方が違うから。でも事実は事実。
天皇に戦争責任はあり、天皇はそれを果たさず、国民もそれへの追求が弱かった。靖国は国家が作った戦争と死略を賛美する神社で、そんな神社が今でも神社として機能していることは異常であり、恥ずべきことであり、即刻閉鎖され、その忌まわしい事実を批判することを目的とした博物館にするべきです。

No title

そんなの知ってますよ。輔弼という部分が重要なのもね。でもそのせいで結局それぞれの省庁、特に陸軍省の暴走が進んだのではないですか?それを止めるのが元老であったという実体こそ、重要で、そのようなつぎはぎだらけの行政権力はまともじゃありませんよ。非合理的過ぎるのです。
あとね、天皇が日本の最高責任者であったこと、ということはね、当たり前のことなの。天皇の名の下に戦争したんでしょ?大日本帝国や日本のために天皇が必要というなら、それは天皇機関説にあたるので、天皇主義的には反動ですからね。
天皇機関説自体が反動的であるという結論なのですから、天皇が最高責任者であるというのは常識なのです。
なので今からでも教科書に「天皇は戦争責任があるにも関わらずそれから逃れ、反共的立場に立つGHQはこれを利用した。天皇は、戦後一貫して自分は戦争に反対したと虚偽の弁明を繰り返し、かっての部下がA級戦犯とされたことに関しても、沖縄戦での犠牲者に対しても、シベリアへの抑留者に対しても、原爆投下に対しても『仕方のないことだった』と述べている」書くべきでしょう。これが事実なのですから。
日本の植民地経営にしても、現地のことを考えてそうしたのではなく、植民地経営が分からなかったから、内地と同じようにしたまでの話なのですよ。
台湾での武力弾圧とか知ってて言ってんの?
大東亜共栄圏とかマジで信じているのは頭悪すぎだぞ。
資料が消却されたから証明あんまり進んでいないけど、大東亜共栄圏が嘘だったことは、従軍した人々が一番知っているでしょう。
あとね、ある人々がある時代を肯定したからといって、それを肯定するのはどうなの?例えばロシアではスターリン時代を良かったといっている人が多いんですけど、それを肯定して良いの?
あなたの価値基準は何?何なの?
その価値基準のベースになっているものは何?
イデオロギーとは思想の科学という意味ですが、一応社会科学的な背景、経済学なり市場なり、共同体論理なりの論理性が必要ですよ。今はね、近代社会なの。仲間内の主観だけでOKじゃないのよ。
だいたい歴史的事実が間違っているでしょ。
天皇に戦争責任がなかったとあなたは思うのですか?
単なる象徴とかだったら、別に大日本帝国の一条に書く必要ないだろ。
あとね、日本国民が天皇を望んだなんてのは嘘だからね。江戸時代、天皇は庶民とは無関係だから。
それとね、本当の尊皇派は水戸学派で、明治革命以前に粛清されているからね。
薩摩と長州は明確に天皇機関説ですよ。伊藤博文なんてそんなの分かりきっていたよ。元老院の手先が天皇なんだよ。
それをありがたく思ってしまうのは、島国村社会であることから来る容易に洗脳されてしまう環境にあるんだよ。
だからこういうふうに何年たっても湧いてくる。
だから天皇制は解体し、皇族は自称しても良いし、民間化されるから当然市民権は適用されるけど、天皇制のひどい歴史は、これも博物館にしっかりと展示しなければならないだろう。そうだ、皇居は江戸博物館と天皇制博物館にして、京都の御所もそうしよう。
さあ、新しい日本を作ろう!
天皇制なんて捨てちまったほうがFTAやTPPや道州制より市場に良いかも。日本の改革は天皇制の解体から!天皇制解体党を立ち上げるしかない!!
そんで政策の第一項目は、女性天皇制の容認。インパクト強すぎる。。みんなから批判されそうだww。でもインパクト重要だからね。政治に必要なのは金なので、金を稼ぐぞ!カンパなんてあてにならないから要らん。誰もカンパしてくれないし。

No title

そんなの知ってますよ。輔弼という部分が重要なのもね。でもそのせいで結局それぞれの省庁、特に陸軍省の暴走が進んだのではないですか?それを止めるのが元老であったという実体こそ、重要で、そのようなつぎはぎだらけの行政権力はまともじゃありませんよ。非合理的過ぎるのです。
あとね、天皇が日本の最高責任者であったこと、ということはね、当たり前のことなの。天皇の名の下に戦争したんでしょ?大日本帝国や日本のために天皇が必要というなら、それは天皇機関説にあたるので、天皇主義的には反動ですからね。
天皇機関説自体が反動的であるという結論なのですから、天皇が最高責任者であるというのは常識なのです。
なので今からでも教科書に「天皇は戦争責任があるにも関わらずそれから逃れ、反共的立場に立つGHQはこれを利用した。天皇は、戦後一貫して自分は戦争に反対したと虚偽の弁明を繰り返し、かっての部下がA級戦犯とされたことに関しても、沖縄戦での犠牲者に対しても、シベリアへの抑留者に対しても、原爆投下に対しても『仕方のないことだった』と述べている」書くべきでしょう。これが事実なのですから。
日本の植民地経営にしても、現地のことを考えてそうしたのではなく、植民地経営が分からなかったから、内地と同じようにしたまでの話なのですよ。
台湾での武力弾圧とか知ってて言ってんの?
大東亜共栄圏とかマジで信じているのは頭悪すぎだぞ。
資料が消却されたから証明あんまり進んでいないけど、大東亜共栄圏が嘘だったことは、従軍した人々が一番知っているでしょう。
あとね、ある人々がある時代を肯定したからといって、それを肯定するのはどうなの?例えばロシアではスターリン時代を良かったといっている人が多いんですけど、それを肯定して良いの?
あなたの価値基準は何?何なの?
その価値基準のベースになっているものは何?
イデオロギーとは思想の科学という意味ですが、一応社会科学的な背景、経済学なり市場なり、共同体論理なりの論理性が必要ですよ。今はね、近代社会なの。仲間内の主観だけでOKじゃないのよ。
だいたい歴史的事実が間違っているでしょ。
天皇に戦争責任がなかったとあなたは思うのですか?
単なる象徴とかだったら、別に大日本帝国の一条に書く必要ないだろ。
あとね、日本国民が天皇を望んだなんてのは嘘だからね。江戸時代、天皇は庶民とは無関係だから。
それとね、本当の尊皇派は水戸学派で、明治革命以前に粛清されているからね。
薩摩と長州は明確に天皇機関説ですよ。伊藤博文なんてそんなの分かりきっていたよ。元老院の手先が天皇なんだよ。
それをありがたく思ってしまうのは、島国村社会であることから来る容易に洗脳されてしまう環境にあるんだよ。
だからこういうふうに何年たっても湧いてくる。
だから天皇制は解体し、皇族は自称しても良いし、民間化されるから当然市民権は適用されるけど、天皇制のひどい歴史は、これも博物館にしっかりと展示しなければならないだろう。そうだ、皇居は江戸博物館と天皇制博物館にして、京都の御所もそうしよう。
さあ、新しい日本を作ろう!
天皇制なんて捨てちまったほうがFTAやTPPや道州制より市場に良いかも。日本の改革は天皇制の解体から!天皇制解体党を立ち上げるしかない!!
そんで政策の第一項目は、女性天皇制の容認。インパクト強すぎる。。みんなから批判されそうだww。でもインパクト重要だからね。政治に必要なのは金なので、金を稼ぐぞ!カンパなんてあてにならないから要らん。誰もカンパしてくれないし。
国民ではなく、薩長の官僚たちが天皇制を作ったのですから、天皇とは、官僚制的天皇絶対主義で、その官僚を元老が調節していたのです。しかし、その元老の調節が効かなくなり、省庁がそれぞれの利益を追求し、なんと、関東軍は上官の命令に背いて勝手に軍隊を出してしまいました。今の中国にも少し似ているのですが、共産党独裁の方が、実はコントロールは効きます。
一方の日本人は洗脳完了していたので、積極的に軍部の暴走を支持します。憲法破壊の橋下みたいですね。
天皇制の解体は共産主義運動とはリンクしますけど、それ以上に日本が良い国になって欲しいという気持ちと、多くの日本人に個人としての幸福をより追求できるようになって欲しいという願いがありますし、そして何よりも、戦争や国家の政策が産み出した悲劇と、悲劇に対する総括です。それは大切だと思いますよ。なぜって、それがあれば、私たちの共同性は、より開かれて、より積極的なものになるからです。私は共同性は否定しません。ただその中身があまりにもデタラメでインチキでカルトで、人に迷惑をかける代物であるとしたら、またその共同性というものの機能についての議論が難しいとしたら、それは批判します。
でも、こんなことするくらいなら、勝手に個人主義で生きる方が良いのかもしれませんけどね。外国に行くとか。でもね、そういう能力がないということも事実なのですが、別にね、好き嫌いじゃないから。自分の住んでいる場所を出来るだけ良いものにしたいということだから。たまたま日本に生まれて日本に住んでいるだけ、と思っているよ。感謝もしていないし後悔もしていない。良いと思うこともあれば、悪いと思うこともある。その上で知ったことを元に考えている。まあ、きっとあなたと同じだ。
でも結論が全然違う。
知識が違うから。そして物の見方が違うから。
でも事実は事実。
天皇に戦争責任はあり、天皇はそれを果たさず、国民もそれへの追求が弱かった。靖国は国家が作った戦争と死略を賛美する神社で、そんな神社が今でも神社として機能していることは異常であり、恥ずべきことであり、即刻閉鎖され、その忌まわしい事実を批判することを目的とした博物館にするべきです。

天皇陛下ご自身の靖国神社の参拝をやめられたのは、A級戦犯と呼ばれた方々が祠られているからではありません。中曽根さんが自分がした参拝を公式参拝だと言ってからです。A級戦犯は関係ありません。中国は朝日新聞のご注進があってからです。間違えないでくださいね。

参政権ですか?日本はアジアで最も進んだ民主国家のひとつであり。参政権も欧米と比べても遜色はありません。100年前自由の国アメリカにも女性参政権はありませんでした。隣国である中国、北朝鮮は未だに選挙権すらありません。まして北朝鮮は世襲だとかは、もはや論外でしょう。韓国も民主化されてまだまだ日が浅いのは否めません。

そもそも歴史的に参政権なるものは一足飛びに全ての国民に参政権が与えられるのではなく、段階的に与えられてきたのが世界的な参政権の流れです。日本にも女性に選挙権が無い時期もあっただけの問題で、段階的に進歩し、そして今に至っています。今も参政権が与えられていないのであれば、政府を糾弾するのも良いかと思いますが、今はアジアで最も進んだ民主主義国家になっていることは否定しようのない事実です。

そしてその民主国家の意志は天皇を国の象徴として戴くことにも現れ、主権者である国民が天皇制度を認めている。それが民主国家と言うものなのです。国民が天皇制を支持している事が全てでしょう。それが嫌なのであれば、共産主義運動の一環として憲法改正の運動をすればいかがなのかなと思います。

ちなみに、人命より祖国が大切なのではなく、祖国の為に。兵士より家族が大切なのではなく、兵士は家族や人の為に命を捨てて守ろうとするのです。わざわざ論旨を変える程気に障るんでしょうか。日本には今も震災で庁舎に残り避難の放送を繰り返した遠藤さんのように自らを公の為に犠牲にする人々が脈々と息づいているのです。

大日本国憲法を勉強されてはいないようですが、各国務大臣は所轄の行政権につき天皇を補弼(ほひつ)する旨が定められています。要するに政府内で混乱や対立を起きた場合にのみ天皇が介入し問題を解決するような条文構成にもなっています。(共産系の先生方の解釈は違うようですが)日常のほとんどは天皇は同意権で、その決定権を持ちません。その証拠に最も権威のあった明治天皇ですら、普段は政治に積極的に関与する事は無かったと伝えられています。そのような天皇の政治との関わり方は「昭和天皇伝」や「京都の近代と天皇」等多くの記述が残されています。

たぶん通行人さんは自ら天皇について調べたのではなく、他人が言うがまま天皇制を批判するようになったんだと思われます。でないと余りに勉強不足です。それは共産主義のお仲間なのかも知れません。ヨドバシカメラやらアッツ島やら、何を批判の対象としているのか、ちょと分かりませんでしたが、今日の文章読んでちょっと分かりました。批判の為の批判です。なにせ日本の粗探しです。

国家の歴史はそれぞれであり、侵略を繰り返してきた国も数多くあります。今国際的には中国の侵略行為が問題となり、日本は竹島や北方領土など深刻な問題があります。当時の列強は植民地支配が悪いなんて考えてもいません。当時の日本は欧米列強の単に植民地を増やす政策に比べると、かなり違いがあります。日本の政策は大東亜共栄圏であり、日本の予算を使い実現しようとしました。自国の予算を使うなど植民地では考えられない時代に日本の政策は確かに共栄でした。中国・韓国・北朝鮮以外はそう認めてもくれています。

天皇制について批判するのであれば、大日本国憲法について批判するのであれば、一度条文を読んでから批判しても遅くはないと思いますよ。

A級戦犯がいるから靖国に行かない天皇は酷い奴だ

自分はオメガ級戦犯なのに、国民が言うこと効くということでGHQからお咎めなし、自分の代わりに戦犯になった東条英機等を、祭っているという理由から靖国に行かない。おかしいだろ?本当は東条英機が嫌いだったとか、あんまりふざけすぎだろ。大人の言うことじゃ、まして一国の君主が言う言葉じゃないぞ。
デタラメ過ぎるんだよ。
天皇も、国家も、神社も、右翼も、それを黙認する民間人も。
酷すぎるの。

大日本帝国は民主主義国家ではありません

どうも。
まず女性に参政権がなかったので、大日本帝国の民主主義は非常に制限されたものでした。その上治安維持法と国家総動員法によって著しく制限されていました。また大日本帝国憲法の最初には、日本国は天皇がこれを治める国であると規定しており、天皇の国であることは明白です。国民は臣民とされ、憲法をありがたくいただく存在でした。だからこそ、天皇に逆らえば問答無用でぶん殴られ、不敬罪で牢屋にぶち込まれる訳です。本当に戦争に負けて良かった!!
風土とか良く分かりませんが、治安良いのは良いことですよね。自分もそう思います。特に最近良いですよね。統計的にも戦後直後と60年代が多いですから。「三丁目の夕日」の頃の日本は今と比べても、物凄く犯罪が多い時代ですので。でも、その背景には、高度経済成長とそれに取り残される人々の存在もあったのではないかと推測します。犯罪と階級の問題は複雑ですが、相関関係は高いというのが犯罪社会学の常識だと思います。
人命よりも祖国が大切で、兵士よりもその家族が大切ということですが、その結果優秀なパイロットを失ったわけですから、全く自業自得ですね。ちなみに捕虜になるくらいなら自決しろ、という風土はどう解釈されているのですか?降伏を否定し、場合によっては玉砕を強制したことはどう理解すればよいのでしょうか?
アッツ、テニアン、などのオホーツク諸島での玉砕って何の意味があったのですか?
教えてください。
だいたいミッドウェー海戦で敗北した段階で、もはや制空権と制海権を取れる算段は消失しているのです。
なぜ戦争をその段階でやめなかったのですか?
なぜ負ける戦争をズルズル続けたのですか?
なぜ勝てない戦争で特攻攻撃をしたのですか?
人命軽視じゃないですか?
すぐ負ければ良かったじゃないですか。
そうすればもっと憲法あなたの都合の良いようになっていた可能性高いですよ。自分は複雑ですけど。
でも、それで救われる命があるなら仕方ないと思いますけど。
天皇は「降伏しよう」と言いましたか?それとも得意の「そう思っていたに違いない」と慮るのでしょうか?
勝てない戦争をズルズル続けた責任は、天皇にもあるに決まっているでしょ!!
常識的に考えてみてください。
日本は戦争に対して戦略もなかった。
海軍の某大将はもって1年とした。でも、この某大将は中国侵略には積極的に加担している。新しい兵器の性能を試したいから。戦略なんてないよ。海軍がリベラルなんて真っ赤な嘘だ!ふざけるなNHK!右翼とも共闘出来るよ!(笑)。
勝てない戦争をズルズル続けた国家の上層部は、本来その国民が銃剣で処刑するべきで、それが世界の常識。天皇制が戦後GHQによって活用されたのは、国民がそれをしなかったからです。
明治を作った人々は天国でほくそ笑んでいるだろうね。元老による調整という、非常に原始的な国家制度を作ったのに、当の国民がそれを真に受けて国家と宗教を一体化させたのだから。
まったくこれだから島国は!!
島国根性のバ○ヤロー!!
TPPとFTAで、一旦壊滅したほうが良いんじゃないか?と思ってしまうのですが。
ですがですよ、祖国結構、先祖結構、蒙古斑結構、人類皆兄弟なので、先祖といえば、世界の人々はほぼみんな共通の先祖で、勝手に何代遡って、ここまでは先祖で後は他人とか決めないでね。ということで、カピパラとも共通の先祖なわけなので、仲良くしよう。
つまりです。勝手に自分の家で祀ってろ、ということです。靖国神社の模型でも、家に祭っていれば良いでしょう。戦艦大和みたいにね。
靖国神社は、国家神道という、まあ大日本帝国が作った負の遺産でしかないわけよ。あんなの戦後直ぐに接収して博物館にすれば良かったんだ。
先祖はそれぞれ勝手に大切にするなり、しないなりしてください。でもそれを他人に強制するな。
ましてや国家が国家としてそんな変なことするな。教育にも持ち込むな。
ちゃんと働き、税金を納める。失業時には失業保険を得て、雇用の拡充を求めてデモをすることもある。
それで良いじゃないか。
靖国は模型にして欲しい家庭に配布する。もしそれでOKだったら、私から社会民主党と共産党と民主党にメールで請願してあげるよ。まあ無視されるけどね。
少しくだけてしまいましたが以上です。

まずヨドバシカメラの派遣社員の件は存じません。しかし行政の手の届かない所で行われている事について遺憾だとは思いますが、それが日本の風土とか言う人命軽視からの流れだとするには無理があります。

日本の風土は東日本大震災で世界が驚き、日頃批判的な記事しか書かない中国の新聞もその美徳を誉め讃えたように、自分の命が危険に晒されていても謙虚に誠実に行動する風土がある事は、私のみならず世界が知っています。ただ100%ではありません。

命を粗末にする文化などは、民主国家にはあり得ません。もちろん日本でもそうです。赤紙一枚で命を奪われるなど歌の文句なのかも知れませんが徴兵制を導入している国では今でも普通に行われています。世界の中で日本が特別に安易な手段で行っていたわけでも無く、ただ赤色だっただけの話です。

また兵器は勝つための手段であり、軽量化を図り戦闘機としては、コックピットに防御の弱点があった事は否めませんが、その根底は生命を軽視したのではなく、祖国を守る事を重視したからであって、祖国には父や母、妻や子がいますから、自分の身を捨てても守ろうとした結果だと理解してます。製造過程では、かなり紛糾したそうですから。

宮顕の個人的なリンチ殺人を国家の戦争による殺人と同列に話すのはいかがなものかと思います。殺人犯も言ってました。国だって人を殺している。まさかそんなレベルで同列に論じているわけではないでしょうが。

共産党に対する迫害(?)はソ連の国家戦略に起因するもので、冷戦状態の当時としては生きるか死ぬかの問題ですので、国の対応は致し方無いのかも知れません。しかし一般人を巻き込んだのであれば、その共産党員が謝罪をすべきであり、国の取り締まりに責任を押しつけるのは筋が違います。

靖国は先祖崇拝する信仰で日本の伝統的な神道です。亡くなった人の魂と共生していくのであり、死んだ人間を大事にするとか生きてる人間を大事にしないなどの観念はありません。

日本の伝統の否定は、共産主義の得意な民族弾圧ですよね。チベットと同じ。ダライ・ラマをどう思うか聞きはしませんが、ダライ・ラマは靖国に参拝されています。

ちなみに右翼のような言葉を私は使うことができませんので、悪しからず。

追伸

しかし「不正な投稿だと判断されました」という表示がたくさん出て、○をたくさんつけてしまいました。言論の制限というのは、本当に面倒くさいですね。節度は大切ですけど、文脈を判断してもらいたいです。機械に文句言っても仕方ないですが。
失礼しました。

靖国神社こそ人命軽視の象徴です(下)

人命軽視といえば、過労○というのも異常ですよね。どんだけ長時間労働が横行しているのでしょうか?あなたはヨドバシカメラで派遣社員がどんな仕打ちされたか知っていますか?日本には(世界中ありますが)いじめという酷い社会現象があり、それは往々にして人をして自○に追い込んでいます。いじめられて自○する人なんて世界にもそうそう居ませんよ。自殺者の大小は気候や日照時間との関係などがあるので一概にはいえません。もしかすると、日本の人命軽視というのも、そのような理由によるかもしれないからです。しかし、やはりあなたが恐らく支持するところの「大日本帝国」は人命を軽視していましたよ。もしあなたが人命を大切にするというならば、靖国こそは人命軽視を肯定している神社です。
あなたも靖国に反対するべきです。英霊を称えるのではなく、人間を英霊にすることを止めなければなりません。人が死ぬことを肯定するのはいけないことです。そこに拘るべきなのです。なぜ死んでしまったのか?どうすれば死なずに済んだのか?そのことを深める必要があるのです。簡単に「死んだのは死んだんだからあとはしっかり供養」では、供養している人の勝手な主観だけが一人歩きしているですよ。なぜ死んでしまったのか?自分がそうだとしたらと考えると、本当に嫌です。命を軽視しないでください。まあ、あなたは多少理性的でしょうから、そのような衝動的に自殺とかはないでしょうが。本当に職場とかでいじめとかに会ったら、迷わずに左翼系の労働組合に相談してくださいね。最近は左翼も冷たいので、意外とちゃんと相手にしてくれないですけど、意外と共産党系の労働組合はしっかり対応してくれますから。命あっての人生ですし、自分あっての相手ですからね。あなたも命を大切にしてください。
まとまらずの長文失礼しました。

靖国神社こそ人命軽視の象徴です(中)

人命といえば、こんなに自殺者の多い社会というのも、命が粗末にされている社会であることを証明しているのではないでしょうか?
「F×ck you!」とか「A×s Hole!」とか「B×t ch!」とかは聞きますが「D×e!」とかはデスメタルでしか聞きません。それに比べ日本社会では、すぐに「死○!」とか「あいつ死○ば良い」とかいう言葉が出てきます。このような社会的「風土」というのは何故なのでしょうか?日本を愛するという名無しさんに是非解説していただきたい。ちなみに日教組は「死○ば良い」とは言ってませんので、それだけはよろしくお願いします。むしろ反対なことを言っていたように思えます(日教組といえば、やはり良くも悪くも金八先生です。調べればすぐに分かりますよ)。
私は、生きている人間を大切にしています。死んだ人間よりも、生きている人間をです。あなたは死んだ人間を大切にするべきとお考えのようですが、生きている人間を殺さずにするのが、命を大切にすることで、神風特攻隊や、無謀な特攻攻撃、捕虜となるのは恥ずかしいことであるという異常な主張、それに背くものへの制裁、銃殺を行った国家や軍隊をなぜに擁護するのでしょうか?あなたは本当に戦争を知っているのでしょうか?
また軍隊以外でも治安維持法、そして国家総動員法という法律の下で、共産党員に外套を貸しただけで戦後獄中で疥癬にまみれて死んだ三木清とかをどう思うのですか?そのことをアメリカ人のジャーナリストが知ることで、はじめて日本の政治犯が釈放されたのですよ(日高六郎さんがこれについて書かれていますよ)。共産党が戦前、宮本顕治等がリ○チで人を殺したことも、それはあってはならないことです。しかし、確認したいことは、日本は国家として、そのような人命軽視を平気で行っていたのです。

靖国神社こそ人命軽視の象徴です(上)

名無しさん返信ありがとう。何故にゴッドファーザーが出てくるのか、正直理解に苦しむのですが、何故か面白い文章で、愉しませてもらいました。でもヤクザ(マフィア)映画を例えに出されても・・・。「仁義なき戦い」をアメリカ人が批評して「この監督と脚本家はク○イジーだ」とか言われても「あ、いや、ちょっと待って・・・」となるでしょう?いや、ボケとしてはかなり面白いんだけどね。
それで、まあ総括ね。
私は赤軍派ではない、ただの共産主義者(苦笑)なので、総括=死とは思いません。またもしそうだとしたら、まず自分が赤ヘルでも被って靖国神社で切腹しなくちゃいけなくなるので、自分の醜い内臓を他人に晒すのは、公衆衛生上よろしくないし、何より、私のような貴方様から言わせれば「反日左翼亡国朝○人シ○人日本から出て行けこのア○バ○ブサヨキ○ガイ」が聖なる靖国を穢してしまうので、多分お互いにますます気まずいことになってしまうと思いますので止めましょう。
というわけで、総括=死は良くないということはお互いに合意したということに強引にしておきます。
次に、生命の問題ですが、これは少し真剣に言いたいです。
戦中の日本ほど命を粗末にした社会は中々ありません。赤紙一枚で自分の命が奪われるのです。
貴方は死んだ人を無駄死にしたと判断する私の判断を「死者への冒涜」とし、またそれに赤軍派の総括=死というものを付加して、私が人の生命を軽視していると、自分の解釈ですが、主張されますが、それは私の主張の歪曲です。
話は少しずれますが、あなたが考えるように、確かに左翼や共産主義者は生命を軽視してきたと私も思います。歴史の必然性、歴史法則、党の絶対性の名の下に死んだ、殺された人々は、世界を見渡せば確実に日本の侵略戦争の犠牲者よりも多いでしょう。そのことの総括は必要です。ですが、それは左翼の問題であり、共産主義者とその関係者、被害者の問題です。日本の問題、靖国の問題ではありません。機会があれば、是非、そのような問題についても議論・討論するのはやびさかではありませんが、共産主義・社会主義に興味・関心・関係のない人を相手にして行っては相手に失礼です。なのでここでは行いません。でも重要な指摘だとは思います。
で、話を戻しますと、私が靖国や戦争に拘るのは、まさに人間の生命がとてつもなく軽んじられてしまうからです。
例え話ですが、ゼロ戦の話はご存知でしょうか?ゼロ戦は空中戦での高い格闘能力を有していましたが、その格闘能力を有するために、コクピットへの防弾装置を犠牲にし、軽量にしていました。wikipediaにも載っています。人命を尊重するという気風は日本の軍隊は低かったと思います(一般に軍隊というもの自体がそのような傾向を強く有しているとは思いますが)。神風特別攻撃もそうですし、沖縄への大和の出撃もそうでしょう。自分が不思議に思うのは、普段は命命と騒ぐくせに、いざとなると安全基準とか簡単に変更してしまうその無神経さです。今回の原発災害でもそうでしたね。アメリカの方がルールをしっかり決めて、かなり厳密に対処しています。ルールに対するモラルが日本人は低いのかなと思います。

「総括」左派のよく使う言葉のひとつですね。「現在的状況を総括できてない」「過去を総括できてない」等々便利な言葉です。しかし総括できた人を見たことも聞いたこともありません。赤軍派的には総括は死を持ってすべきこととなるのでしょうか。

靖国を総括の対象にしているようですが、祖国を守ってくれた方々は靖国に居られます。通行人やらが毎日生活できているのも祖国があって始めてできるもので、実質ソ連・中国・朝鮮半島に侵略されていても不思議ではない歴史を日本は持っています。総括などと簡単な事のように言いますが、できはしないでしょう。靖国の方々を英霊と弔う人々を忌み嫌う心を持つのであれば、日本の理解は不可能です。さすれば日本の総括も不可能です。日本の歴史を総括云々言ってるのに、日本の文化を素通りできるのでしょうか。それともそれ程底は深くは無いのでしょうか。

韓国は日本批判する時に使う言葉があります「日本に良くなってもらいたいから批判をする」などと、通行人も同じ論理展開のようで、そんな事本気で考えていないでしょうし、総括して日本を良くするなんて不毛な事をするより、特段総括は必要ない事に気付くべきですね。「総括」と言うような言葉の文言に酔うのは左派の特徴ですが、なにせ実益がありません。管内閣でも総括するとの言葉がありましたが、何もしてやしません。左派らしいと言えばそれまでですが。

しかし命を粗末に考える過程は日本人には馴染めません。総括などと言う程度の低い左派思想で靖国を辱める事は、死人に鞭打つ事であり許されるものではありません。その罪を憎まず人を憎む思想過程は世間に受け入れられる事は決してないと思います。どうせなら罪を憎んで世直しをしたいと考えた方が良いのではないですか?そして総括するのであれば、当時の国際情勢も勉強すれば良いと思います。もしアメリカを良くしたいと考えている人がいて、その人はアーリントン墓地を批判する。思考過程がおかしいとは考えませんか?批判の対象にピントが合っていません。キリスト教であり宗教施設で、あちこちに十字架があります。アメリカを良くしたいのであれば、他にいくらでも方法があるはずです。アーリントン墓地は批判しないなどと整合性の無い事は言わないで下さいよ。


ゴットファーザーと言うアカデミーを受賞した映画があります、その中で
「ジャプの野郎親父の誕生日に戦争始めやがった」

「日本に対して石油を止めたからね」

当然のように言い放つ。監督や脚本家達は何を想像し、どう考えていたのでしょうか。天皇陛下や靖国批判で頭に血が昇った方に、総括などできるのでしょうかね。

No title

正義の戦争なんてありませんよ。戦争を廃絶するべきです。「国権の発動する武力を放棄する」という前提が広く国民に浸透した時期があったことをもっと深く考えるべきです。
私は明治期以降の日本の政策全てを総括するべきであるという立場です。総括した後ではないと全否定かどうかは結論できませんが。
私は日本人に生まれて恥ずかしいとは今は思いませんが、靖国神社を肯定し、臆面なく戦死者を英霊などと呼ぶ人々を見ると「こんな奴らと一緒なのか」と死にたくなります。
ですがおかげで自分自身の考えを整理することが出来ましたので、恥ずかしいとは思いません。どの国も侵略の歴史や、残酷な人権抑圧の歴史はあるのですから、名無しさんが恐らく批判するアメリカの原爆投下は、別に原爆投下以外にも、メキシコに対しても、ネイティブアメリカンに対しても、侵略したわけですし、西洋的近代自体がそのような志向性を有していたわけですから、当然批判対象です。社会主義ももちろんです。でも、近代の超克(知っていますか?京都学派と西田哲学です)を唱えた日本はどうだったのかというと、まあショボイ西洋ですよ。
経済の国際化の中で、過去を振り返ることだけで良しとはなりませんが、少なくともマイナスを減らすことは出来ると思います。私たちの思考や発想方法自体の陥穽をしっかり認識し、それに新しい状況を加味することで、日本の選択や進路は非常に異なるものになるはずです。
EUと違い、私たちの国は、隣国とまだまだ距離が遠いと思います。戦争は、私は大方の左派の人々と違い、意外と簡単に起きると思います。残念ながら現実的には武力は必要でしょう。しかし、アジアの中でどう生きるのか、世界の中でどう生きるのか、という問題を、恐らく日本はこの10年以内に突きつけられるでしょう。その時急に判断することになっても、ロクな判断にならないでしょう。
国家の、社会の大きな選択は、一部のエリートに委ねられるものではありません。正確には、そのようなエリートを生み出す知的背景が必要なのです。
靖国を肯定し、戦死者を英霊とのたまい、自分たちの戦争責任を棚上げし、隣国の独裁者(天皇制だって酷いじゃないですか)と一党独裁国家を、その国民諸共愚弄しているようでは、絶対に駄目です。
ましてや、「悪いのは日教組です!」とは、国際的には幼稚園児以下です。「黙れこのバ○!」「頼むから政治や歴史に興味を持たなくて良いからTVゲームでもしてくれ」と言いたくもなりますが、このような機会に「転向」していただければと一縷の望みをかけてお話させていただいているのです。

勝つことは重要です。しかし、そのためには戦略が必要で、戦略のためには哲学が必要で、哲学のためには倫理学が必要なのです。
日本にはそれがないのです。
日本語のせいでもなく、日本人が劣っているからでもなく、たんに怠けているからなのです。
私の私見ですが、日本の近代思想(明治以降)と近代国家・社会制度はほぼ全て輸入品です(近代天皇制もそうでしょう)。その輸入の際に、輸入してきた人々が、何を見て、どう感じ、それをどう日本において表現したのかを徹底的に総点検する必要があると思います。伊藤博文が当時のヨーロッパの中で見て、感じて、表現したことはどうだったのか?今でも租税の分野では、この問題は続いていると思います。
大切なのは日本をどうするかです。
そしてそのためには徹底的に事実に則して、それを検証することが必要なのです。
また、それは同時に、日本が迷惑をかけた、または酷いことをした人々や国家に対して謝罪することでもあります。
それをどのレベルで行うかはまだ不明です。少なくとも民間が始めなければいけないでしょう。
明治からの日本を根底的に問う試みを、広範な人々との連携で行う必要があります。
このような提起こそが、手前味噌ですが、戦死された方々や遺族への、一つの現実的な弔いになると、個人的には思っておりますが、それはあくまで私個人の心の中で行うことであると思います。
死んだ人は戻りません。そして近親者がそれを受け止める時に、様々なバイアスが生じる(無駄死にとは思えないのは当たり前です)のは当然です。でも、直接的に無関係な世代だからこそ、言えることがあり、言わなければならないことがあると思います。
あなたはどう思いますか?

「勝てば官軍、負ければ賊軍」


通行人に謝りたい。それは日本が戦争に負けた事。日本が戦争に勝ちさえすれば、君のように死者の魂を踏みつけるような感性は日本人は持ち得なかった。官軍の言質に踊らされ、北教組に教えられた子供のように「日本人に生まれて恥ずかしいです」などと思想教育される事も無かった。


罪刑法定主義に言及しているので一言、罪刑法定主義は犯罪と刑罰は法律の形式により規定されていなければならず、事後法による処罰は禁止されています。これは世界共通の概念です。しかるに日本は事後法による東京裁判で処罰されました。日本は事後法さえ全て受け入れ戦争責任を取り、多くの死刑を含めた刑罰が実行されました。

通行人は、それでもまだ日本に責任を取らせようとする趣旨は何なのです?国際法上処罰の終了した国に対して重ねて責任を取らせようとする行為は、刑事学上「一事不再理の原則」に反し、人類が築いてきた刑罰の概念に反するものです。世界中敗戦国は数限りなくありますが、何度も処罰される国を知りません。日本を特別視する特段の理由が、戦争を憎むのではなく日本を憎む理由が不明瞭で感情だけのようで思想教育の根深さを感じます。いわゆる戦後レジュームです。

日本は戦後あれだけの人間を処罰され、経済協力と言う名目でも、どれだけの賠償をしているのか、罪に対して処罰が妥当ではありません。余りに過重な処罰は却って正義の概念から外れる事になります。処罰の均衡は国際社会の代表で構成された裁判官による東京裁判に定められています。従って後は、個人的な感情論に過ぎません。そして個人的な感情を国益として利用している国の意見と通行人の意見は共通しているのです。

本当に戦争に負けてスミマセン。

No title

武田泰淳など読んだこともないだろうが、読んでみてください。
↓武田泰淳「汝の母を!」
http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/novel/pdf/TakedaTaizyun02.pdf

No title

歴史を単に評価に言及するのは如何なものでしょうか?
そりゃ評価は人によってまちまちでしょう。それに異論はないですよ。でもね、やったことはやったことなのですよ。罪刑法定主義的に、実際に何をしたのかが問題なのですよ。
日本が実際にしたことが問題なのですよ。
どう思って、どう思われたかは二の次です。
神風特攻隊は、アラブでは評判良いですよね。日本赤軍のおかげということもあるでしょう。
それで良いのか?
事実は、suicidal attackです。勝てる見込みがないのに、suicidalです。まさにmadです。
それで殺される方はたまったもんじゃありませんよ。
あまりにも馬○げていますよ。
そりゃ原爆使いたくなりますよ。

アジアで日本が行ったことは、中国侵略に関しても、非常に場当たり的なもので、関東軍が勝手に戦線を拡大したら、結果的に近衛内閣も天皇もそれを容認したのです。その結果がABCD包囲網で、リットン調査団だって日本に譲歩したというのが通説ですよ。

ハッキリ言って先の戦争は無駄な戦争でした。
ですから戦死者は無駄死にです。
そして殺された民間人も無駄死にです。
この事実を認めませんか?
それが非常に腹正しいことも理解出来ます。
しかし、戦争は回避出来たし、またするべきではなかった戦争は間違いです。
ゴチャゴチャ言わずにしっかり認めることです。
国民自身がそれを認めなければ、この国は良くなりませんよ。
人間を無駄に殺して、死なせてしまったという事実をしっかり確認し、それに向き合うことからしか、この国の戦争責任や危機管理というのは、議論出来ないのではないでしょうか?
先の戦争は、日本が中国、アメリカに仕掛けた戦争です。しかも後者に関しては戦宣布告が遅れたという汚い開始です。「トラトラトラ」とか叫んでいる場合ではなく、最初から汚い戦争だったのです。
こんな戦争に付き合わされたアメリカは可哀想です。しかも戦後はたくさん日本に支援をしています。日本人はしっかりアメリカに感謝するとともに、自分たちの汚さや醜さにしっかり目を向ける時ではないでしょうか?
冷戦の開始とともに戦犯の政治利用が開始され、共産党は非合法化されました。これ異常でしょう?合法政党が非合法化されるのですよ。民主主義じゃないですよ。でも冷戦は終わりました。まあ終わったら終わったらで、今度はまた新しい敵を作って喜んでいるようですが・・・。
今こそハッキリと過去の歴史に目を向けましょう。そしてそこから学ぶことはきっと今の外交や政策にも良い影響を与えると思います。
まずは、先の戦争は侵略戦争で、無駄な戦争で、死者は無駄死にだったということからはじめましょう。それがない限り、いくら祈っても無駄です。
無駄なものは無駄なのです。

ツイッターよろしく⇒https://twitter.com/#!/fukai19870305

おお、この文章を書いている間に他の投稿が!
通信教育学部文学部史学科の学生さん、いつも参考になります。

思ったこと箇条書き

1◆反差別・反排外主義と標榜しておきながら、他の問題になると、何故『つるはしでたたき壊したあとに、どうせ燃やすしかない…』などと不穏な表現を使う必要があるのでしょう?

2◆もちろん我々は、過去のような不幸な戦争の時代が未来永劫無いよう、最大限努力しなければなりません。しかし余程の右翼でも「最低限の国土防衛の範囲を逸脱して」他国への明白な侵略を声高に叫ぶ輩など居るのでしょうか?平和希求という最後の一線まで否定するワケないでしょう。『琉球奪還(琉球開放)』『独島も対馬もわが国の領土』などと宣う“あの国々”は例外のようですが、普通ならそんな事世論の反発を買うはず。日本であれ、他国であれ…お互い侵略には戦うはずでしょう?それだけです。“あの国々”は単に被害妄想のようですが。

3◆また、マレーシア国定中学校歴史教科書について。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~thai/page048.html
これは旧日本軍は侵略軍、とは表記していません。
こういう事実もあることをお忘れなく。

4◆またこれは対談本として実現すれば絶対に買って読みますが、このブログ支持者の方々 vs 呉善花さんや石平さんらのような思想の知識人と堂々と論戦を戦わしてほしいと思います。このブログの管理人のように反論も聴かず、自己主張を一方的に垂れ流すのではなくてね。歴史というものは紐解く人によって見解は大きく異なるのは事実です。だからこそ多角的分析からあの時代を振り返って、極端な理想論ではなくて、リアリティのある方法で世界の永世平和を築きたいですね。


駄文失礼しました。

インドネシア、インド、パラオなどの、欧米の国々の植民地だった国々は、日本によって軍事訓練を施されています。終戦後、現地に残った日本軍人も独立戦争に参加しています。インドネシアでは独立記念日の式典に、日本軍人の格好をした方と男性一人、女性一人の計三人で国旗の掲揚をしています。
アジアは中国と朝鮮だけではありません。

事実の指摘

ある人がインドネシアなどに行って、戦争中日本が悪いことをしました。ごめんなさいと謝罪しました。そしたら、わたしたちの国々を侮辱するのかと言われた。この事実を理解してくださいね。中国と朝鮮以外のアジアの国々は、日本はアジアの国々に勇気を与えたのです。
通行人よ。靖国で会おうと言って亡くなられた方々を侮辱するのか。日本を侮辱するのか。
寝言は寝て言え。

No title

追記
戦争は忌まわしいものです。特に侵略戦争は。
アジア解放、などという高慢な理想を掲げて人を抑圧したあの戦争と体制の記憶は、忌まわしい現実としてしっかり記憶しなければなりません。
もちろん謝罪と補償も当然してのことですが。
ケリをつけなければなりません。
日本の国家主義、軍国主義、天皇主義、民族排外主義、家父長制、そして資本主義への無批判。これらに対する根底的な総括を冷静に行うことが必要であり、靖国はその材料になるべき存在です。
今の今にも拝ませる対象であってはいけません。また拝む人間を無批判的に存在させるわけにはいきません。しっかりそれらを批判的に記述することを通して、歴史の審判を自ら下す必要があります。
結論は既に出ているのです。
後はそれを認めるだけです。
右翼の諸君よ、結論を認めなさい。そして事実に対して謙虚になりなさい。
靖国神社を解体して博物館にしましょう。
それが日本のためですよ。

No title

以下21日朝日新聞朝刊より。
「戦争犯罪に問われた軍人らの靖国神社への合祀(ごうし)について、旧厚生省が日本の独立回復翌年の1953年に、公的援護制度の拡充などに応じて順を追って無理なく進める、との方針を決めていたことが同省の内部資料でわかった。~(中略)~政府は従来、国会答弁などで、戦犯合祀は「靖国の判断」とし、宗教行為である合祀には関与しておらず、政教分離を定めた憲法に反しないとの姿勢を強調してきた」
政府による靖国神社への積極的加担、つまり政教一致という憲法違反の証拠がこうして明らかにされています。
大切なのは、なぜ護国神社と靖国神社なのかということです。軍国主義と国家主義によって形成された神社だからという以外に理由はありません。
靖国神社が廃止され、博物館とならなければならない理由は、このような理由からです。
政府に靖国を買い取らせ、靖国神社職員を全て解雇し、一切の宗教的圧力を排して、歴史において靖国が果たした客観的役割を記録する博物館にするべきです。もちろん、そこでは、靖国に「思いを馳せる」人々もまた、記録され、記述される対象となります。
靖国賛同者の方々は是非、自らが記録される立場だとしたら、自分の主張がどうなのかという疑問を持っていただきたいと思います。

USA印の天皇制って何だよ?

ネット右翼諸君ならびに靖国肯定派の諸君に言いたい、2.26事件の圧殺を推進し、10万部下のシベリア抑留を自らの地位のために進んで許可し、沖縄をも自らの地位のために「飛び石」にした人物は、諸君言うところの天皇制のその最上位の地位に君する人物として本当にふさわしいのか?戦後は家父長制の象徴として、マッカーサーはじめGHQによって対日占領政策の尖兵と化した人物であり、諸君の尊敬するA級戦犯の靖国合祀に反対した人物なのだぞ。
戦後天皇制はUSA印の天皇制である。天皇は平気で権力者に尻尾を振る権力の犬なのだよ。
ワンワンワン。見ろ。喜んで尻尾を振っている。「原爆投下は仕方なかった」だって。他人事なんだね。
そんな人間を崇め奉るなんて、どこまで人の良い人間なんだろう?それともそれは口実で、自分も権力を笠に着て悪さをしたいのかい?いずれにせよ、周りが迷惑だからやめてくださいね。
天皇制も天皇も右翼も靖国も、もう日本にはいりません。国立博物館にでも所蔵されて「忌まわしい右翼的日本の歴史」として記憶されてください。
それを望んでいる戦死者も多いと思いますよ。
クワバラクワバラ……。

日本が南方の国々に行って行ったことは、現地を植民地にしていた国々の軍隊と戦ったことだよ。一部現地の方々が入っていたとしても、植民地にしていた国々の軍隊です。植民地にされた国々の軍隊とは戦っておりません。そして、現地の方々に軍事訓練を施していました。学業も奨励していました。戦後、日本軍が撤退したら、植民地にしていた国々の軍隊が戻ってきました。そして、独立戦争になります。そして南方の国々は独立しました。彼らは日本のおかげだと言っております。

そうそう

大日本帝国の「大」でした。「大清帝国」「大韓帝国」などもありますね。大清帝国は世界の中心である事から中国となり、清の属国から解放されて大韓帝国となり、今は大韓民国と称し、大日本帝国は日本となりました。

「大」の名称が気にかかるのでしたら、韓国のお友達に聞く方が先ではないでしょうか?なにせ現在でも「大」を使っている希有な国なのですから。

今の日本国民に聞かれても、その由来を調べて記載するだけになり、その名称の由来に対する意見があったとしても、当時の背景を背に考える事はなかなか困難です。また「大」の名称だから侵略戦争を始めた一因だとか考えたいのかもしれませんが、我が国の隣国は「大」の名称を称し、日本が独立を回復する直前、連合国の施政が弱くなった頃を見計らって竹島の侵略を始め、多くの日本国民を殺害・拿捕。船舶の没収は二千隻を超えるような、国際法を完全に無視し単なる犯罪国家としての名称の「大」とは意味が違いますから、そこらへん「大」の意味を韓流読みではしないで下さい。

だいたい日本の為に命を捧げた方々を悪者にし靖国をいらないと考える思想過程そのものが、中国・朝鮮半島で流行る日本を食い物にしようとする勢力の思考であり、世界の常識からずれていることを御認識下さいませ。

No title

よくもまあ、これだけ罵詈雑言を浴びせることができるものだ。国のために死んだ者の公共心や自己犠牲を顕彰するのはどこの国でも行っている。日本ではそれが靖国神社であるということだ。まともに調べずに出鱈目で品がない発言を行っているヘイトスピーチに反対する会は、その主張そのものがヘイトスピーチであることがわからないらしい。

戦争ですからいろんなことがあるでしょう。靖国で会おうと言って亡くなられた方々などが祠られています。高橋さんの方こそ彼らを冒涜しています。昭和天皇が一番戦争をお望みでいなかったのです。それで東條さんに首相になってもらった。しかし、もう後戻りはできなかった。
1951年5月3日のアメリカ合衆国上院の外交軍事合同委員会で、マッカーサーが日本は自衛のために戦争をしたと証言しています。
終戦後、インドネシアやインドに一部の日本軍人が残り、現地の方々と一緒になって独立戦争を戦った。そして戦死された方もおられますよ。彼らは現地の国立墓地に今も眠っておられますよ。現地の方々とって彼らは英雄です。

No title

個人の死の尊厳は大事なものだし、遺族の身を切られるような悲しみは世界共通のものです。その死に対して、その悲しみに対して言葉は無力です。残されたものの無念さはいつまでも心に残るものだと思います。そして戦争は繰り返したくないと日本人のほとんどがそう感じています。戦犯として処刑された多くの方は日本に平和が訪れる、その礎として、戦後の平和に発展する日本を夢見ていた方も多く居られるのは、伝え聞くところでもあります。

夏の暑い日に、靖国へ参拝するため地下鉄から、あの長いエスカレーターに乗っていると、足下から体の中に何か入ってきているような気持ちになります。日本の為に死を持って守ろうとした純粋な気持ちなのかも知れませんし、恨み辛みもあるのかも知れません。全ての国の責任は国民ひとりひとりが負うしかありません、避ける手段はほぼ残されていませんでしたが、多くの日本国民を当時の施政者は戦地へ送り、その多くを戦死させました。だからこそ、現在その施政を承継している現政府は、その死をもって国の命令に従い、日本を守ろうとした者達に最大の感謝をしなければならないのではないでしょうか?

そしてその者達の行く場所は「靖国で会おう」と言う合言葉にもあるように、靖国で慰霊されることを望んでいます。(一部異議のあるかたは裁判などで争うしかありませんね)あくまで靖国は慰霊の場所であることを私は知っています。

No title

>通信教育学部文学部史学科の学生様へ

これで最後にします。
自分の祖父はBC級戦犯としてインドネシアのボルネオ島で処刑されました。祖父は父に「これからは平和な日本を建設してください」と遺したそうです。私の名前は良平ですが、良い、平和な人間になって欲しいという父の願いからです。そしてその願いは、祖父が父がまだ本当に幼い頃に亡くなった事から付けられたのです。良く父からその旨を聞かされたものです。
史実は、たくさんあるのかもしれまんせが、私は私なりに祖父のしたことを調べましたよ。ここで詳しく書くことはしませんが。
ただ通信教育学部文学部史学科の学生さんに言いたいことは、出征した兵隊の中には、もう二度とあんな戦争はゴメンだし、正直天皇にも責任はある、と思っている人がたくさんいるという事実を、是非知ってもらいたいということです。「ゆきゆきて神軍」というドキュメンタリーの中で、戦後身体を悪くして、半分寝たきりの方と主人公の口論と喧嘩のシーンがあります。そこでは、戦争体験があまりにも過酷過ぎて、思い出すのも嫌だという話も出てきます。
百人いたら百通りの戦争体験があるのでしょう。私の知り合いでも、90過ぎて比較的元気な中国戦線で戦っていらっしゃった人がいます。砲兵で弾を運んで装填する係だったとのことです。その方は農家出身なのですが、「いや、でも戦場になった農家の人は大変だったよ」と述べておられます。現実は「大変」どころの話ではないのですが・・・。
戦争の現実を知ることは、どんどん難しくなってきています。特に悲惨で残酷な出来事は、人間忘れたいものですから。ただ、そういうのを十把一唐揚げにしてしまう議論は、通信教育学部文学部史学科の学生さんにとっては「英霊に対する義務」となるのかもしれませんが、僕には現実的に生きていた人間の、現実の経験に基づく実感、に対する冒涜であると思うのです。
あなたの心の中の美しい「英霊」をどうするのかはあなたの自由です。しかし、現実に生きていた、そしてまだ生きている人の、現実の経験と、現実の実感を、あなたの「主観」だけで断定しないでください。
私の祖父は祖母に対して死ぬ前によく手紙を出していました。あの世で再び契りを交わそうと書いていました。子供2人を残して死んでいく気持ちは、想像するだけで胸が痛くなります。あなたも人の親になれば分かると思います。「お国のために」なんて簡単に割り切れませんよ。遺族年金は階級制に基づき支給されるので雀の涙ほどです、どれだけ辛酸をなめた思いをしたかと祖母は良く語ります。あと、祖母は戦争後半には戦争に勝てないと理解していました。どんどん物資がなくなっていく中で勝てるわけがないと理解していたようです。でもそれを口に出したら「非国民」と罵られるのでとてもじゃないけど言えなかったとも言っています。通信教育学部文学部史学科の学生さんはどう思いますか?
最後に、祖父は現地の反日武装ゲリラを掃討する作戦の中で民間人を死傷させたことが理由で処刑されています。そして、日本がその地域を占領した理由は石油の確保であり、戦争終了後も永久的にその地域を確保することを決定していました。もっとも戦況が悪化していく中で、「戦後は独立国家として承認する」と口先だけは唱えていましたが。その地域はオランダが占領しており、華僑の方々がそのオランダに仕える形で(植民地経営で良く利用される間接統治という方法です)石油を支配していたそうです。当然現地では、華僑に対する反発はそれなりに強かったです。そのような世情を利用することはよくあったでしょう。
これが第二次世界大戦の全ての史実ではありませんが、少なくとも「大東亜の解放」なんてのは嘘です。日本に侵略されて殺された人々を考えると、私は祖父を手放しでありがたくは思えません。私の父や祖母が悲しんだように、私の祖父が殺した人の家族は悲しみ、場合によっては無関係な人も殺されているかもしれないからです。
これらの話は、私が私の思想を形成する前に聞いた話です。まあ、このような事実があるからこそ、私は日本の侵略戦争の原因追求を、ほぼ勝手にしているわけですが。
あと、有名な話だと、ベトナムで日本軍の占領時代に何百万人と餓死者が出た話がありますが、きっとそういうこともご存知ないのですよね?
だいたい日本政府が承認しているだけで1600万人の日本以外のアジア人民が死亡しています。これが史実です。日本人は300万人です。このような事実を知らない、そして教えようとしない日本社会は、やはり異常です。あなたは知っていましたか?日本人の犠牲者の数を、どこで死んだかを?私結構言えますよ。またあなたは知っていますか?日本人が殺したアジア人の犠牲者の数を、どこで殺したかを?また、どのような理由で、どのような殺され方をしたかを?中国戦線では毒ガスとか、バンバン使っているんですよ。
史実を知らないのは一体誰なのでしょうか?
まったくもう取り返しがつかないかもしれませんが、頼むから自分で現実をしっかり見てください。これは何よりも道徳的な退廃なのですよ。社会的、個人的なね。それは駄目なことなのです。社会を退廃させるのです。なのでお願いします。しっかり史実と向き合ってください。

日本のために亡くなられた方々などが祠られているのが靖国神社。今の日本を代表しているのは首相です。その首相が靖国神社を参拝することは当たり前のことです。首相の仕事の一つです。これも議論する?馬鹿なこと言わないでくださいね。偏ったイデオロギーに毒されるとああなるのでしょう。困ったものですね。

史実通りに歴史を学べば、高橋さんみたいにはなりません。英霊を冒涜しないでくださいね。

追伸

あと、余談ですが、神道や皇室を礼賛する立場から「大日本帝国」という名称について聞きたいのですが、こんなゴリゴリの西洋近代的名称を神聖な神の国の名前にするのってどうなんですか?国家の名前は重要ではないのでしょうか?何か自分的には西洋思想でゴリゴリに重武装しているような印象を強く持つのですか?本論とはあまり関係ないのですが、よろしければご回答ください。
失礼しました。

No title

>通信教育学部文学部史学科の学生様ならびに投稿タイトル「あらあら」を投稿された方へ
お二人とも返信ありがとうございます。簡単に返信させていただきます。

まず通信教育学部文学部史学科の学生様へ。「全国戦没者追悼式もありますが、誰がなんと言おうと、首相の靖国神社参拝は義務です」という発言には、自分から相手との議論を放棄してしまっているようにしか見えません。学生なのですから、もう少しディベートや議論をしっかりする作法を是非身に付けてください。たんに情緒的、感情的な論理では他者を説得するどころか、自分の主張の間違いにさえ気が付かなくなりますから。まあ、このような電脳空間での意見の応酬は、鷹揚に、寛容にするのが一番ですので、あまり構えずに議論すれば良いと思いますよ。通信教育学部ということで、きっと忙しいと思いますので、暇な時にでも、「反靖国派」の主張の、論理的な部分だけでも勉強してみてください。

さて、投稿タイトル「あらあら」を投稿された方へ。
そうですか、私は「マルクス読みのマルクス主義」ですか。いやー、なぜか嬉しいです!というのも、自分のマルクス理解、もしくは共産主義・社会主義に対する「こうあるべき!」という考えが間違いであれば、是非訂正したいと考えるからです。なので是非あなたの「マルクス理解」を「『マルクス読みのマルクス主義』者」であるところの「私」に講釈願いたい。なので出来れば本名を名乗ってね(笑)。
と、冗談はほどほどに。
まずあの、別に私自身は宗教否定していませんよ。共産主義者ですが(笑)。だって信じるのは人の自由ですから。あと、信じるということは素晴らしい面も持っていると思いますよ。それが反転した時には恐ろしいですが。まあ、それらを身を持って実践しているのが共産主義者というところも、非常に「イタイ話」ではあるのですが。共産主義自体限りなく宗教に近いと思います。そもそも思想と宗教の違いって何なのでしょうね?厳密にはないような気が・・・。
貴方の宗教観は、それはそれで綺麗なメルヘン世界で、何か青山某氏の主張を聞いているみたいで、少し楽しいのですが、宗教観論争は、少し私には高尚すぎるので勘弁してください。いや、これもきっと日教組のせいでしょう(笑)。
皇室典範は皇室を対象にしている典範ですよね?当たり前ですが(笑)。そもそも皇族なり、皇室になってしまうこと自体がおかしいのです。一般的な家族と一緒にするのは間違いです。ある特定の家族を国家ならびに国民統合の象徴にしていること自体が、おかしいという主張でもあるのです。ご理解戴けるでしょうか?
貴方や、通信教育学部文学部史学科の学生様の主張に整合性をもたせるためには、まずは日本国憲法の政教分離を変え、「日本は神道ならびに、神道を祀る天皇が治める神の国である」と変えなければなりません。ほぼ朝鮮民主主義人民共和国と同じです。あ、歴史の「長さ」が違うか・・・。
あなたたちの主張の根幹にあるものが、非常に情緒的なものであることは理解出来ました。ただ、そのような情緒というのは、常に歴史的な、社会的な環境の中で再編されるものであるし、そうあるべきではないでしょうか?神道も皇室礼賛も良いですが、それは国家権力とは無関係な場所で行っていただきたい。私自身、そうしていただければ、世界でも珍しい文化の一つとしての「日本文化」を堪能したいと思います。能とか歌舞伎には興味があります。
私自身は明治以降の日本は批判、否定されるべきであると思っております。日本だけではないですが。政治体制として、また近代的な国家として、国家と天皇の関係、国家と靖国の関係を考えれば、あまり難しい問題ではないと思うのですが・・・。恐らく論点や出発点が全く違うのでしょう。まずはそのことを確認する必要があるのかな?と思います。
失礼しました。

あらあら

宗教を認めない共産主義を学習した方が、日本の神道をどう考えているのか想像もつきませんが、日本人は古来より、山・川・海・草を始め、風や雷など自然の中から様々な現象に神を感じて来ました。その長い時間の中で神道は成立し、神話の神々だけでなく歴史上の人物をも祀っています。


祖国の為に命を投げ出した魂がいらっしゃいます。神道から彼らが祀られる事に対してなんらの疑念も持ちません。その方々の遺書には「神として靖国神社に祀られ同胞より拝しられるとはなんたる幸福であろう」等、靖国に魂があることを告げる遺書は数限りなくあります。
全国戦没者追悼式について何も触れないのは不自然らしいですが、当然でしょう。彼らはそこにはいないのですから。しかし靖国から歩いて10分程度の武道館での式典ですから、もし靖国が主催するとしても高齢者や空調の関係から会場は武道館が良いとは考えています。

ちなみに遊就館は遺品などを展示する施設です。「兵器を祀る神社です」と今更ながら最高のジョークを思いついたらしいですが、前提そのものが間違っているため、おバカタレントのレベル以上になれていないのが残念です。また韓国人と共に笑ったらしいですが、韓国人も祀られています。韓国では自国の戦争犠牲者に対してもそんなレベルなのでしょうか。



皇室典範には身分の離脱が定められており、国民なりたければなれます。いい加減な事を記載するのは良くないですね。
出自を選べないのは皇室だけの話ではなく、金持ちの親や政治家の親を選べないのと同等のレベルであり、ことさら差別問題に論点をズラすのは、差別のデフレであり、差別の大安売りのようで、本当の差別に対する感覚が鈍くなっているのではないかと思います。




靖国の判例を根拠にするのであれば、最高裁判例以外では難しくありませんか?高裁の判例では、法律の世界では一般的に説得力が弱いのが通例です。



インド・インドネシア・ミャンマー・フィリピン・マレーシア・タイ・ネパール・エジプトの首相は大東亜戦争の日本の働きに感謝の意を表しています。白人と戦った日本軍を解放軍だと教育している国も複数あります。
その評価の違いは何なんでしょうか?特別に中国や朝鮮半島に対する政策が違っていたのでしょうか?国の方針が地域によってバラバラだったのでしょうか?

歴史認識問題は外交カードに過ぎません。日本は当然ながら米国とも歴史認識は違う、イギリスとも違う、増してや中国や朝鮮半島とも違う。そしてそれぞれの国で、それは当然なのです。

日本は日本を守るために戦った。マッカーサー等複数その正当性は認めています。



若干の感想

戦争に、もし本気で反対するつもりが少しでもあれば、今現実に起きている戦争に対して運動すべきであるのは当然です。日本は戦争終わって60年以上経過しています。その日本が、自衛隊しか持たない世界では類を見ない日本が、いつ戦争をするか分からないなどと現実離れした考え方で、浮き世じみた運動ばかりするのは変です。本気で戦争に反対してはいないのでしょうね。口だけ平和主義者はなかなかやっかいです。なにせ平和と言う事言葉で、戦後平穏に暮らしている人を攻撃し罵る、恨みを焚きつけ、マッチ・ポンプ的な活動を行う。そして現実には戦争で毎日犠牲者が出ているにも関わらず平和を守っている気になり、なんの反撃もしない旧日本軍を攻撃する事にエクスタシーを感じている。


今も難民が生まれています。明日食べるものもありません。日本が好きだから、日本が良い国になって欲しいから批判すると言う人もいますが、もし日本に罪があるとしても、日本の再生を考えるのではなく、日本を強請りたかりの対象にしか考えていないのが良く分かります。日本を再生する為に必要なのは、なんの私心もなく祖国の為に死んでいった大多数の靖国に眠る方々が日本再生のヒントなのです。




ちなみに「マルクス読まずのマルクス主義」のような印象を受けました(笑)

靖国神社には坂本竜馬など幕末の方々も祠られています。戦死した方だけではありません。全国戦没者追悼式もありますが、誰がなんと言おうと、首相の靖国神社参拝は義務です。両方にでることが一番いいです。世界中の方々が参拝しています。参拝していないのは中国の方々だけです。いちゃもんつけないでくださいね。公式かどうか聞くこと自体がやぼです。

通信教育学部文学部史学科の学生様へ

>通信教育学部文学部史学科の学生様へ

ご返信ありがとうございます。
首相の靖国参拝は「祖国の為に亡くなった方々に対する慰霊行為」として「当然の義務」ということですが、そもそも靖国神社の8.15イベントって民間宗教団体の非公式的なイベントですよね?公式なイベントとして政府主催で全国戦没者追悼式というものがなされていませんでしたっけ?私の勘違いでしょうか?
「祖国の為に亡くなった」のかどうかは知りませんが、日本政府、そして昭和天皇が主導した戦争ですから、政府が全国全没者追悼式を行うこと自体は当然だとは思います
通信教育学部文学部史学科の学生様の主張ですと、「祖国の為に亡くなった人を慰霊するのは首相の義務」ということですが、政府主催の全国戦没者追悼式については何も触れないのは、あまりにも不自然ではないでしょうか?あなたの頭の中に、はじめから「靖国神社に参拝するのは当たり前」(あとは、それに反対する「左翼」は頭がおかしい!!とも思っているのでしょうが・・・)という前提があるからではないでしょうか?
靖国神社という神社は、非常に変な神社です。神社の中に大砲や潜水艦など、非常に物騒で、普通に考えると全く神様とは相容れないものを置いており、一民間神社であるにも関わらず、菊の紋章がベタベタと、それも悪趣味な成金的な金色であちこちに装飾されています(私の友人の韓国人も笑ってました。「なんで神社に潜水艦を飾っているんだ?」って。考えると笑えますよね。「兵器を祀る神社です」というジョークは流石にとっさには出ませんでした)。私はもちろん天皇制反対主義者(皇室は手切れ金を払い、「臣民」という名のファンと一緒に好きにすれば良いと思います。憲法に規定があるのは、生まれながらに人生の選択権がない国民を作ってしまうので、大・大・大・大・大問題です。同じ国民として許せません><!!でも、これ左翼的にはかなりソフトで、石原的に言わせれば「真ん中よりやや右」なんですよ!?)ですが、このような天皇家の紋章を、たかだか一民間宗教団体が勝手に使うのは、それこそ不敬罪ではないでしょうか?あ、そう考えると、全ての「右翼」の方々もそうなってしまうのかもしれません。
あと、国が戦没者の名簿を譲渡したことは政教分離の原則に反することが大阪高裁判決では示されていると思ったのですが、正直、そのへん詳しくないのですが、また一般に公開されているというのは、調べてみたけど見当たりませんでした。宜しかったら根拠なり言質を教えていただけませんでしょうか?ちなみにその裁判の告訴人は遺族です。
靖国は戦死者を神様として祀る神社です。そもそも戦死者を英霊と、つまり戦死者を神様と祭ること自体、MAD!としか表現出来ませんが(なんて怖い話なのでしょうか?バイオハザードじゃあるまいし。死んだ後も軍神って、あまりにも酷いです)、それを嫌がっていた人は当事者も含めて多数いるでしょう。敵前逃亡で処刑された話は「ゆきゆきて神軍」というドキュメンタリー(youtubeで見れますよ)での話以外にもたくさんあるでしょう(ちなみに「ゆきゆきて神軍」では処刑は戦後されています)。水木しげるだって、靖国になんて絶対祭られたくないと思っていると思いますよ。声に出さないだけで、そういう人たくさんいると思いますよ。
でも、そういうの全部無視して勝手に神様にしてるんですよ、あそこの一民間宗教団体は。
戦死者を「勝手に神様」にするインチキくさい一民間宗教団体に、何故政府が名簿を譲渡する必要があるのですか?また、全国全没者追悼式があるにもかかわらず、一国の首相がこのようないかがわしい神社に「公式」参拝する意味ってあるのでしょうか?
小生には全く分かりません。理解出来ません。通信教育学部文学部史学科の学生様教えてください。
あと、最後の「日本から出ていて」は、恐らく「日本から出て行け」の間違いだと思いますが、学生さんなのですから、それも日本文学関係なのですから、しっかり勉強してこのようなことがないようにしてくださいね。私は学生時代はもちろんマルクスとレーニンの学習が多かったですが、先輩左翼のおじさん(おじいさん)に谷崎潤一郎の「文章読本」を日本語の練習のために読むように進められました。この機会に全ての日本語利用者と日本語に興味ある方に薦めたいと思います。
言論・表現・思想の自由は良いことだと思います。靖国神社や右翼の皆さんが勝手に菊の紋章を付けられるのも、「表現の自由」があるからですもの。私がマルクスとかレーニンを学習出来たのもそのおかげですし。でもそれが1600万人アジア人民と300万人日本人民のむごい犠牲の上に成り立っている事実を考えると、手放しでそれに胡坐をかくのは自分としては嫌です。やはり天皇制の戦争責任の追求と、靖国神社や右翼のような戦争翼賛勢力を日本から徹底的に一掃する必要があることを、再び、否、三度、四度・・・と、固く固く思いなおします。また、侵略戦争によって犠牲を受けた、そして今もなお補償されないがゆえに、受け続けいる人々への謝罪と補償をなす必要が絶対にあるとこれまた固く固く思います。
通信教育学部文学部史学科の学生様ならびにマーシー様如何でしょうか?

あらっ

マーシーさん言い掛かりつけられていますね(笑)
少し考えてみれば、総理の参拝は、祖国の為に亡くなった方々に対する慰霊行為として、どの国からも批判されるようなものではありません。
戦争犠牲者の遺族に対しても、精神的擁護と言う社会福祉として重要な使命もあります。


総理大臣が公費を使う(?)などと事実に反する言い掛かりも、なかなか作戦が卑しく嫌なのですが、私費で賄っている現実として、憲法で定める政教分離に反することもありそうにありません。公費で玉串料を支払った場合には、違憲の判決が出ているので、公費で賄ってる地方議員すらいないのが現実です。

戦没者名簿は、国民に公開されているものです。国の情報は秘匿するのが例外であり、原則すべて公開される、それが我が国の情報公開法です。


靖国は慰霊の地であり、当時の日本の歴史認識を明らかにしている場所であり、日本の国策に対する方針転換を狙っているなどと言い掛かりをつけるは笑止ですな。主義主張の違いを見つけて、方針転換を狙っているなどとは、まともな見識ではありますまい。

他人が特定の神社に、好きで行っているのですから、いくらそれが不快だと言っても、他人の自由でしょう。それとも、禁止する権利がどこかにあるのでしょうか?日本では、独裁的な権限を個人は持てないシステムになっています。日本は民主主義国家ですからね。

日本のために亡くなられたので、首相が公式参拝することは、首相の義務です。それにいちゃもんをつけるのなら日本から出ていて。

No title

マーシー様へ。
ではその一民間宗教法人への信仰・参拝に際して、総理大臣が公務で、しかも参拝料を公費から支出するのは如何なものでしょうか?
また一民間宗教法人に対して、厚生省(現厚生労働省)が戦没者の名簿を譲渡していたことは、国家による個人情報の一民間宗教団体に対する行為として如何なものでしょうか?しかも遺族に断りもなしに、また場合によっては断られているにも関わらず、「神」にまつりあげ、石に名前を彫るのは如何なものでしょうか?確かに第一義的な責任は総理大臣や行政にあるのでしょうが、そもそもにおいてそのような役割を担うために作られている施設であり、それを積極的に担い、さらに再び国家や行政をして、方針転換させようと目論む一民間宗教団体とは如何なものでしょうか?

事実を以て語ろう

今の靖国神社は国からの税金が一円も支出されてない、純然たる民間宗教法人だし、信仰・参拝する自由もしない自由もある。

あなた方は日本国憲法20条に定められた、信教の自由を特定の団体にだけは認めない「差別」的態度をとられるよう。
また、人殺しの神社と、まさに「神道」への宗教弾圧的ヘイトスピーチを垂れ流し。

はい、ヘイトスピーチを推進する会に名前変更しては如何

賛同します。

声明に激しく同意します。
と同時に、反国家主義、反天皇主義、反帝国主義、反侵略主義、反差別主義、的民族主義を形成する必要が自分はあると思います。もちろん個人主義全然OKな上でです。
沖縄の問題、福島の問題は、基地や軍隊、原発の可否の前に、ある種の共通項を持つ集団として、その負担を一部に集中させて良いのかという問題であると考えています。そう考えると、基地や軍隊、原発の可否の前に、まずはそこからどかさないとね、ということになると思います。その共通項というのを、自分は「民族」であって良いと思っています。
自分は反差別主義は、この「民族」の内容と定義を巡るヘゲモニー闘争であると思います。在日日本人として自分も僅かに奮闘する所存でございます。
これからの活動のますますの発展を祈願しております。
失礼しました。

No title

日本で寄生して日本人に侮辱して居座り続ける
祖国が嫌いなのですか?
プライドなんて捨てましたよね?

お願い!

燃えなかったと言って、次は発泡スチロールのステルス戦闘機「飛雲」(線香?(爆))で靖国を攻撃しないでね。

No title

今、警察のほうで防犯カメラの映像を解析してるから犯人はすぐに判明するよ。
その時こそ全世界が朝鮮人の蛮行に馬鹿笑いする日だよ。

やはり日本の魂は強いねぇー!防炎でも無い木を燃やそうと思って燃えないんだもの、放火したトンマは今何処。


しかし正恩くんは16歳で論文を発表と来たもんだ
ヾ(^▽^)ノ

恥ずかしくないのかな

(。・_・。)ノ

ヘイトスピーチに反対する会やなくて、ヘイトスピーチを推進する会や。おんどれは日頃から言論の自由や弱者を守れ、差別をなくせと謳うわりには、やることは反日で日本人を貶めとる。靖国神社を潰せだとふざけるな、日本から出ていけ!

靖国神社を侮辱する反日左翼の連中は日教組に洗脳された愚か者。アジアの国々を植民地にして、苦しめたと。もう一度歴史の勉強し直せや、反日プロバガンダの韓国、北朝鮮の歴史観から目を覚ませ。靖国神社を取り壊せと主張するなら、東京から出ていけ、いや日本から出ていけ。地上の楽園、北朝鮮にでも移住しとけよ。

靖国が人殺しの神社?あんたらは場かですか?あんたらが史実と言っているのはフィクションですよ。
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