東京から大阪へむかう新幹線の車内で、男女あわせて3人が斬りつけられ、一人の男性が死亡するという痛ましい事件が起きた。
亡くなった男性は、東大〜東大院卒の理系の外資系企業の研究者という超エリートだった。
各紙はこの事件を一斉に報道し、また、実父による他人事のようなコメントにも注目が集まっている。
母親は報道関係者にむけて出したコメントの中で「一朗は小さい頃から発達障害があり大変育てにくい子でしたが、私なりに愛情をかけて育ててきました。」と語っており、逮捕された小島容疑者には発達障害があったことがうかがえる。
小島容疑者の発達障害は自閉スペクトラム、いわゆるアスペルガーらしく、それは自分とまったく同じである。
この事件を受けて、発達障害の当事者会は「事件と発達障害とは何も関係ありません」といった声明を発表したりしている。だが、私は、この事件において、発達障害が因子になったことは否めないと感じている。私が感じるだけかもしれないが。
もちろん、発達障害だから犯罪をおかすわけではない。実際にデータで見ても、精神障害者の犯罪率は、一般人のそれよりも低いようだ。
上記のニュースからの引用となるが、
一般の人が犯罪を犯す割合(精神障害者を除いたわが国の人口全体のうち、精神障害のない刑法犯の割合)は約0.2%であるのに対し、精神障害者が犯罪を犯す割合(精神障害者全体のうち、精神障害刑法犯の割合)は、約0.1%にすぎない。
私は発達障害者なので、発達障害の人の集まるネット上にあるコミュニティに属している。この事件があったのち、コミュニティはこの話題でもちきりである。
「よけいなことをしでかしてくれた」とか「さっさと殺してほしい」とかそういった意見も当事者のあいだから出ている。
そして、発達障害当事者たちの関心は、裁判においてどの程度、発達障害であることが判決に関わって来るのか?である。
弁護士側は、発達障害や特殊な家庭事情をもとに情状酌量を狙って来るかもしれないが、それは発達障害当事者たちにとっては、世間感情を逆なでし、自分たちがさらに迫害されるのではないかという懸念を生んでいる。
発達障害の当事者たち、親御さんたちの多くは、発達障害者が特殊な特性を持っていても、社会に受け入れられることを望んでいる。しかし、小島容疑者によるこの事件が、発達障害とセットで報道されることによって、発達障害者への差別と迫害がさらに進むことを、多くの人が恐れている。そして、その恐れは小島容疑者への憎悪となっている。
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この事件を報道した多くのニュースに目を通したが、すべてに目を通せたわけではない。だが、小島容疑者が感じた「死にたい」という絶望感は私は非常によくわかる。
私自身、人生がうまくいかなくなり、絶望して書いたのがこのブログである。
小島容疑者は仕事が続かず、そのような自分にも絶望していたと思う。
小島容疑者を擁護するわけではないのだが、彼がおちいっていた絶望感、死を望む強い気持ちは、私は肌感覚としてわかるところがある。
殺したい欲求が自分にむかえば自殺になるし、他者にむかえば他殺となる。根底にある何かは実は同じなのだと私は思っている。
小島容疑者のまわりには、彼を理解してくれる人がいなかったのかもしれない。ここが不幸である。
彼が住んでいた家の祖母も「自殺するといって出て行きました」と言っていて、それなのに捜索願いを出した形跡もない。父親のコメントも、「長いこと会っていないのでわからない」という、ちょっと実父とは思えないほど他人事の感じで、この調子でずーっと本人が接せられてきたのだとしたら、かなり機能不全な家族だったのではないかという疑いを持ってしまう。
発達障害の当事者会は、会として「事件と発達障害とは何も関係ありません」と発表しているというのはすでに述べたが、小島容疑者が、発達障害ゆえに人間関係がうまくいかず、少年時代はいじめに遭い、就職しても仕事がうまくいかず、孤立し、仕事をやめざるをえない状態にあったのであれば、とても関係がないとはいえないだろう。
私自身、発達障害であることは、人生に大きな影響をあたえている。障害とはそのくらい大きなものだ。だからこそ社会的サポートが必要なのだが、日本はまだまだ障害者に対する理解もサポートも低レベルだ。「生きる場所がない」と何度も感じてきた。
被害者は超エリート男性で、加害者が弱者である無敵の人という、この図式がもう、ものすごくつらい。
自分もそうなのですが、発達障害者で一度でも働けた人の場合は、「働ける人物」と見なされて、金銭的な支援はなにもありません。精神障害者手帳の等級は3級となり、障害年金的なものもいっさいありません。ここでなにがしかの金銭的な支援策があれば、話はまた違ったのではないかと思えてなりません。
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かつてあったアスペルガー男性による殺人事件がある。ご存知の方もいらっしゃるかもしれないが、重い判決が出た。理由は「社会に受け皿がない」という理由だった。
司法が、アスペルガーの人は社会に受け皿がないことを認めてしまったという最低な判決だった。
小島容疑者に対しては、できるかぎり彼自身で罪を償うべきだと思っている。
反対意見ももちろんあると思うが、私は今でも、どこにも行き場のない、生きる場所が見つからない精神障害者に対しては安楽死を認めるべきだと思っている。
最後に、犠牲になられた方のご冥福をお祈りいたします。
おわり