「読者は馬鹿じゃありませんよ。説明をくどくどすることが読者に対するサービスだと思ったらこれは大間違いで、説明するよりも大事なことがその作品にあるなら、説明は捨てちゃってもかまわないと思いますよ」
京極夏彦先生を講師に迎えた3月講座ルポ第4部は、みつときよるさんの作品『彼女アレルギー』の講評を取り上げます。
◆みつときよる『彼女アレルギー』(40枚)
蝶にアレルギーを持つ、吾妻美国(あづま・よしくに)は、くしゃみや鼻水に悩まされていた。蝶に接した覚えはない。新たなアレルギーを起こしているのかと調べてみても反応がない。クラスで席替えをして以来のことで、どうやら斜め前の席に座る、本宮菜野花が原因であるようだ。菜野花は自宅で蝶を飼っているらしい。菜野花も世話をするため、鱗粉が制服についていたのではないかと言う。美国は菜野花に、不意に触れてしまい、強いアレルギー反応を起こしてしまう。
美国が小学生のころまで、妖精蝶と呼ばれる知能を持つ蝶が売り出されていた。今はもう販売停止になり、重大な欠陥があったとして流通していた蝶も回収されている。当時妖精蝶は流行し、友人の中に飼っている者もいたが、蝶を飼っている飼い主に対して、過剰なアレルギーを起こしたことはない。
訝った美国は菜野花を尾けて菜野花の自宅に行こうとする。電車に乗ってたどり着いた田舎町は、蝶がやけに多かった。菜野花の消えた方向に向かえば向かうほど、蝶の数は増えていく。アレルギーに耐え切れず足を止めると、蝶は一層まとわりついてきた。気づいた菜野花が戻ってきたが、美国を助けようとした菜野花の手を、美国は混乱のあまりに振り払ってしまう。
美国は近所の家で目を覚ます。菜野花の知り合いだという女は、美国に食事を振舞う。水を飲もうとした美国のグラスを、女は倒し「もう来ない方がいい」と言う。グラスには白い粉が沈んでいた。美国はかつて妖精蝶が販売停止になり、回収された理由と、菜野花や女が本来回収されるべきだった妖精蝶を隠れて世話をしていることに気づく。
◆京極氏の講評
みつときさんは、この分類ではどうなりますか?
■現状
A 小説が書いてみたい
A´ 小説家になりたい
B 小説を書くのが面白い
C なかなか小説家になれない
D 小説家です
■動機
1 模倣
2 渇望
3 自己顕示
4 承認欲求
5 生活苦
6 学究
■対象
イ 自分
ロ 知人
ハ 同人
ニ 好意的な読者
ホ 不特定多数
(みつとき氏「現状はCで、動機は2と4です。対象は、ニからホを目指しているところです」)
はい、ではデビューしてはいないけれども、小説家予備軍ということでいいですね。了解しました。なかなかなれないということは、賞に応募したりもされているわけですね。
この『彼女アレルギー』ですが、タイトルにちょっと出オチ感がありますよね。実際に彼女アレルギー! という話なんですね。いいタイトルですから、このままで悪いということはないんですけども、「彼女アレルギー」で何かが起きるというお話ではなくて、結果的に「彼女アレルギー」だよという話なので、ここはもうちょっと考えてもいいかもしれませんね。たとえば『犯人は山田』というタイトルのミステリで犯人が山田だったという感じで……いや、それは面白いかもしれないですけどね。
文体も非常にまとまっていて読みやすいし、可読性に優れた面白い小説です。
ただ、〈ニ〉から〈ホ〉を目指しているということですが、一定以上の年齢の方はそんなに視野に入っていないように感じます。ある程度若い層を対象とした書きぶりではあると思えますが。
いわゆる、ライトノベルに近い書きぶりですね。
ライトノベルの定義は非常に曖昧ですが、現在ラノベと呼ばれているジャンルとは違うものと考えたほうがいいです。ラノベはライトノベルの略ではあるので、混同されている方も多いでしょうけど、ラノベは、今やラノベです。「ラノベって若い人が読むものでしょうに」と考えているお年寄りの方もいらっしゃるかもしれませんが、そんなことはないです。ラノベ読者は、今やほぼ親爺です。固定読者は齢を取りますから。「可愛らしい萌え絵がついてるのがラノベだろうが」という人もいますけど、もうそんなこともないですね。一般文芸にもその手の装幀は侵食してきてますし、既に「萌え」も死語になりつつありますしね。いずれにしろラノベは一時期隆盛を極めましたが、既にだいぶ青息吐息になっています。つらいことですけど、仕方ないですね。これは作品の出来不出来のせいではなくて、制作システムの問題ですね。構造的に長くもつスタイルではないし、それは最初からわかっていたことなのに、そこに目をつぶって縮小再生産を繰り返したあげくの現状ですから、これは編集側の責任だと思います。
一方でライトノベルというのは、もっと大きな枠組みです。90年代の造語ですが、それに相当するジャンルはそれ以前からずっとあるし、それらはいまだに読み継がれています。多分これからもあるでしょう。むしろ多様化していく可能性もあります。定義は曖昧ですが、大雑把にいえばジュブナイルよりは上の、若い層に向けて書かれた小説ということになるでしょうか。ラノベのシステムとはまったく違う形で書かれたライトノベルは山のようにありますし、それらはラノベと違ってどんどん新しい読者を獲得していっていますから、これがなくなることはありません。
そうしてみると、この小説は現状、ライトノベルの枠に収まる書かれ方をしていると思われます。そういう認識でよろしいですよね?
主人公はじめ、ほぼ高校生しか出てきませんしね。高校生しか出てこないから若い人向けというのは短絡的ですけども。高校生しか出てこないお年寄り向けの小説だってあるわけですが、少なくともこの作品は老人が昔を懐かしめるようなタイプの小説ではないようですね。
たとえば、主人公はアレルギーですから、くしゃみをします。それが「ふぃいっくしょん! くっしゅん、ふうぇええっくしょ!」と、平仮名で書かれていますね。こういうオノマトペは、使ってはいけないとは言いませんが、取扱いには充分注意が必要ですね。擬音を使わなくても充分表現できるはずですし、それをするのが小説ですからね。ただ、読者を若めに限定した場合はアリです。だから、〈ホ〉の「不特定多数」を目指さないのであればOKです。でも〈ホ〉を目指すんだったら、ちょっとそこは考えないといけないところでしょうね。
僕は新人賞の選考もやらされたりするんですけど、一時期増えたんですよ、擬音が。「ドカーンと爆発した」「バリバリバリ、と雷が落ちた」とか。別に「バリバリ」を書かなくても「雷が落ちた」と書いてあれば、雷の音がしたくらいのことはわかりますし、バリバリなんて音しないでしょうに。とにかくそういうのが増えてきて、1ページまるまる擬音の戦闘シーンなんかもありました。「ズキューンバキューンドキューンいたーい」、何だかわからないですよ。漫画と違って、書き文字じゃないし、絵もないし。
もちろん、効果的な使い方をする分には擬音も全然アリです。たとえば、折口信夫の『死者の書』(角川ソフィア文庫など)だってそうです。そちらは字面も音も計算されていて、文体も壊さず、格調まである。そういうものとは違いますね。
別に「ふぃいっくしょん!」が悪いわけじゃないんですよ。軽くて明るい青春小説なら構わないんです。ただ、一定以上の年齢層の読者や、あるいはこういう表現に対してそれこそ「アレルギー」を持っている読者というのも多くいらっしゃるということは忘れないでください。作者がどういう計算をしようとも、こうしたオノマトペはそうした読者を退ける表現ではあるんです。それを避けたいならば使わないか、使うにしても、もっと考えて使わなければいけないですね。
それからもうひとつ。主人公の「吾妻美国(あづま・よしくに)」という名前ですね。美しい国と書いて「よしくに」。友だちは、飯坂温とかいて「いいざか・ゆたか」。ヒロイン的な女の子は「本宮菜野花(もとみや・なのか)」ですか。
もちろんこれでかまいません。もっとすごいキラキラネームの人は現実にいっぱいいます。ですから、リアリティがないとは言いません。ただ、小説というのはすべてにルビがついているわけではないんですね。固有名詞の場合は慣例的に初出で1度ふられるだけです。そうすると、読み進めていくにつれ、読者が「これ何て読むんだっけ?」と、なりかねません。他の読み方をしてしまうこともある。「美国」というのも、「びこく」とか「みくに」とか読んでしまいます。「菜野花」にしても「なのはな」と読んでしまいがちです。もし植物の菜の花が出てきた場合、「菜野花」との違いは、「ノ」が漢字か平仮名かだけですね。「温が温泉に入った」とか、「温が温かい」とか、ちょっとややこしいことになりますよね。文字と音とがシンクロしないというのは、読書をする上でかなり大きな障害になります。そういう、まぎらわしい名前が頻繁に出てくるのであれば、少し書き方を考えたほうがいいでしょう。テクニックはいくつかあります。せっかく可読性の高い文章で軽快に綴られているにもかかわらず、固有名詞が出てくるたびにひっかかりができてしまうのは、大変にもったいないです。そこは充分に気をつけていただきたいですね。
組み立て方もよく練られていますし、文章のテンポもいいし、このままでももちろん構わないんですが、より多様な読者に向けて発信したいなら、そのあたりには気を配ったほうがいいかもしれませんね。
さて、この小説には「妖精蝶」という蝶が出てきます。
遺伝子操作されていて、知能が非常に高く、ペットとして売り出され大流行したものの、今は販売禁止になっているという設定です。いわゆるSF的な設定を持ったガジェットですね。
この架空の蝶はいろいろな意味で小説の核です。複層的に出来事の原因となり推進力となって物語は構成されているわけです。これなしでは話が始まりません。つまりガジェットとはいえ、かなりウエイトの高い要素ではあるわけです。
ですから、もう少しだけ設定を作り込んでおいたほうがいいかもしれません。精密にしておいたほうが作中のリアリティは構築しやすいですね。架空なんですから、作り放題ですし。
たしかに知能が高い蝶というのは面白いアイテムです。調べたわけではないですが、前例はあまりないのではないでしょうか。最近こういうSF的なガジェットを使った小説も増えています。最近の風潮として、「それなり」の、もっともらしいエビデンスが要求されることが多いですね。最近のSFは手続きが結構厳密なんです。もちろん小説は作りごとですから、学術的な根拠なんかは必要ありません。ましてSFが書きたいわけじゃないのでしょうから、作中のリアリティを保証する「それなり」の説得力さえあればいいんです。
ただ、この小説の場合は「遺伝子操作」の5文字で担保されているだけなんですね。これはちょっと弱いかもしれませんね。〈ホ〉を目指すなら特に気にしてほしいです。
ただ、作り込んだ細かい設定のすべてを小説に盛り込む必要はありません。表に出ない設定は俗に裏設定などと呼ばれたりしますが、あれは別にわざわざ作るものではないですね。書くために必要ないのならまったく作ることはないです。本来は書くためには決めなくてはいけないけど、書く必要がないものごとです。ですから、書かなくてもいいんですが、もう少し精緻な設定が用意されていれば展開もスムーズに理解できるようになると思います。
たとえば、妖精蝶は遺伝子操作した動物を商品として販売していたのですから、これ、いろんなところにひっかかってきますよね。問題になる可能性は非常に高い。だから最終的に販売は禁止されてしまっているわけだけれども、禁止されてしまう過程だとか、発売に至る過程とか、そのへんはちょっと脇が甘いかもしれません。遺伝子操作に倫理的な問題があるのはたしかですが、人工的に作られたものでも新種の昆虫ですからね。禁止して絶滅させることにも倫理的な問題は発生します。これ、2世代3世代と代を重ねるにしたがってどんどん知能が発達して行くわけですよね。その設定は作中で説明されています。その特性が発売禁止につながった大きな理由のひとつなんでしょうけど、そのあたりがきちんと示されていれば、もっと面白く読めたと思います。もちろんくどくど書くことはないんだけれど、細かい設定というのはそういうところも保証してくれます。
これ、物語の段階で発売停止から相当経ってますから、かなり知能が高くなっているわけですね。でも、どの程度賢くなっているのかはわからないです。それに相当する描写がほとんどなくて、最初の世代とあまり変わらない感じに思えてしまいます。世代を重ねると知能が高まるというのは、これは充分脅威たりえますよね。そこを示されれば、菜野花ちゃんがそれを何代かにわたって保護・飼育しているという設定ももっと生きてきます。ホラー的な要素も入ってくるし、どきどきする展開になるはずなんだけど、現状は、希少動物の保護くらいの感覚なんですね。アレルギーの方が恐ろしいという感じです。
それに、その昔大流行したというのが物語の前提ですよね? でも知能は高くとも蝶ですから、越冬して何年も生きるものではないはずですね。芋虫から蛹になって蝶になり、卵を産んだら死んでしまいます。それで一頭10万円というのは高額ですよね。その金額で爆発的ヒット商品になるとは考えにくいです。妖精蝶というネーミングも、いわゆる商品名ですね。遺伝子操作された新種であれば、もうちょっとそれらしい名前も用意しておいたほうがいいと思います。商品である前に改良された新種なんですから。
この作品の主人公は、鱗粉アレルギーという設定ですね。昆虫アレルギーというのは実際にあるものですし、蝶を飼育しているヒロインとの組み合わせというのは、とても面白いです。
でも、主人公の美国くんがヒロインの菜野花ちゃんに恋してるかどうかは、よくわかりません。まあ好きなんだろうな、ということは察することができるんですけど。いや、だいたい実際の恋愛なんてそんなものですよ。よほど目が曇ってるか視野が狭くなっていない限り、「あなたしか見えないわ」なんてことは言わないわけで、なんとなくいい感じかなと思ってるくらいが普通の恋愛でしょう。だからこれでリアルといえばリアルなんですけど、『彼女アレルギー』というタイトルですからね、もうちょっと何らかの形での踏み込みがほしいという気もしますね。
とはいえ、彼の内面を書く必要はないです。現状でもさわやかで、充分いい感じですから。ただ、彼女が妖精蝶の保護者だという秘密を知ってしまって、「僕は彼女に近づけないけど、今度は胸の中がアレルギーさ」みたいな感じで終わっちゃうわけだけれども、どうもその先が知りたくなるんですよね。この小説自体が、物語のプロローグっぽく読めてしまうんです。だから、ちょっともの足りない。ちゃんと書かなくてもいいんですが、先を予感させるような終わり方にしてほしかったです。
たとえば、ラストにもうひとつエピソードを加えるという手もあるんでしょうけど、そうすると40枚では収まりませんね。妖精蝶に絡めれば、何かもうひと波乱あるとか、どんどん書けてしまう気もしますけど。これは40枚程度の小品ですけれども、このアイデアにはもっと大きめの器が合っているのかもしれないですね。
40枚のスケールに妖精蝶というガジェットはちょっと重たいのかもしれません。
このストーリーは、妖精蝶ではなくて、普通の蝶であっても充分に成り立つものですよね。単に絶滅危惧種の珍しい蝶を保護しているという運びにしても、筋書きを大きく変える必要はないですよね。蝶に襲われるくだりだってなんとでもなるだろうし、そこを切ってしまっても物語は充分に成立します。
構成に問題はないんだけれど、妖精蝶という特殊なものを持ち込むことによって、用意された骨格が貧弱に見えてしまうのかもしれません。妖精蝶を使った何か別のプロットがもういくつか用意されていて、それが主人公とヒロインの関係に何か変化をもたらすような結末やその先を見せてくれるなら、落ち着くんですけどね。
こうしてみると、妖精蝶だけでもかなり面白そうなエピソードがいくつも作れてしまう気がしますよね。これ、短編には収まりきらないくらいのネタじゃないですか?
(みつとき氏「実はもう連作として書いているんです」)
なるほど。連作短篇なんですか。納得しました。
連作であっても短編はひとつの作品として完結しているべきですから、そういう意味では単独の短編と変わりません。ただ、完結している作品を別の完結した作品が外側から補完するスタイルというのはあるでしょう。それぞれが補い合って別な作品を構成しているという手法ですね。しかしその場合、通底する設定はさらに精緻に作っておかなければいけなくなります。共通項が妖精蝶であるのなら、今申し上げたような点にはさらに留意して書き進めてください。
それから、そういう形で書かれた作品であるのなら、最終的にはきちんと連作短篇という形で世に出してほしいですね。ただ、わりと特殊な設定ですから、章を分かつ形にして、長編として考えてみるのもいいかもしれません。章ごとに視点人物や時代設定を変えたとしても長編小説は成立します。
他の連作の舞台がどうなっているのかは不明ですが、妖精蝶の設定が引き継がれているにしても、いないにしても、作品世界はパラレル現代か、近未来ということになりますよね。そうすると、まあ、ある程度架空の設定の説明をする必要が生じます。短編として切り出すのであれば、そこをどう処理するかという問題が発生するわけです。最悪、いちいち同じ説明を繰り返さなければいけなくなるんですね。それって作品をもたつかせる原因になり兼ねない。短編の場合は特にそうです。短いですから、設定説明の反復はとっても邪魔になります。無駄にメモリを食うんです。
それでも、書かなくてもいいものは書かなくていいです。
いや、そこは説明しないとダメだ、わからないというような指摘は、必ずされるものなんですけどね。「わかりやすく、わかりやすく書くように」、「読者がわかりませんよ、これじゃあ」、「読者には読み取れないでしょう」というような、編集者の言うことは……あんまり聞く必要はありませんね。それってサービス精神じゃなくて、PL法みたいなものです。「お客様の責任です」と書いておけばいいか、という、責任回避ですよ。新生児講習に赤ん坊を連れてこないお母さんがいて、「赤ちゃんを連れてこないでどうするんですか」と質したら「持ち物一覧に書いてなかったから」と答えたという話があります。だからって持ち物に「赤ん坊」と書かなきゃいけないでしょうか。「電子レンジに猫は入れないでください」と書いても、犬を入れる人がいるかもしれない。なら動物の名前全部かきますか。それは違うでしょう。でもそれに近いことを指示されることもあります。
読者は馬鹿じゃありませんよ。中には「中学生ぐらいの理解力しかないんですよ」みたいな暴言を吐く人もいますけど、とんでもない話ですよ。読者を馬鹿にしています。そりゃ中には理解力の劣った人もいるでしょう。いるんだろうけど、一生懸命考えて読めば誰にだってわかりますよ。なら一生懸命読んで貰えるように書くことのほうが大事でしょう。多くの読者は賢いんですよ。ですから、説明をくどくどすることが読者に対するサービスだと思っているなら、これは大間違いです。説明するよりも大事なことがその作品にあるなら、説明なんかは捨てちゃってもかまわないでしょう。繰り返しますけど、設定はきちんと決めなきゃいけないんだけど、それは全部書かなきゃいけないものじゃないんですよ。
この作品にとって、妖精蝶の性質とか来歴が必要不可欠なものかどうかといえば、必要ではあるけど、不可欠なものではないです。ほかにもっと書くところがあるなら、そこを書いたほうがいいですよね。そうすれば、ラストのちょっと足りない感が補えたかもしれないです。
さっきも言いましたが、この作品は普通の蝶でも成り立つ話なんですから、たとえそれが妖精蝶だったとしても、妖精蝶の説明の大半は捨てて良かったかもしれません。妖精蝶のくだりが他の作品に書かれているのであれば、この作品にはいりません。読者は「妖精蝶ってなんだろう」と思うかもしれないけど、ストーリーラインには関わってこないんですから、あることを前提にして、普通に書いちゃっていいじゃないですか。「妖精蝶のいる世界」で繰り広げられる、高校生のさわやかな恋物語……実はあんまり恋しませんけど、そこに特化しちゃったほうが、タイトルにも合うでしょう。それでも出落ち感はあるんだけど、そうならあんまり気にならなくなるかもしれない。よしんば「妖精蝶ってなんですか?」と読者に聞かれたとしても、別の作品読んでくださいと言えばいいでしょう。興味があればそっちも読んでくれます。
連作短篇なら安心です。必要ないものは削除しましょう。妖精蝶がどんなものかわからなくても、このストーリーは面白いじゃないですか。その代わり、足さなければいけないものを足しましょう。そうすればちょっと喰い足りない読後感も補われます。そのほうがこの作品は落ち着くんじゃないでしょうか。いずれ、ラストは一考の余地があると思います。他の連作がどうなっているのかも気になりますが。
(みつとき氏「この前までの話は書いたんですけど、ここから先はまだ考えてないんです。でもこれを書いたことで、別のラストも考えたんですが、ひとつの作品に収めるには唐突すぎると思ったので、この形で終わらせました」)
なるほどなるほど。スパッと切り上げたんですね。そのほうがウジウジ考えて直し続けるより全然いいです。判断は速ければ速いほどいいです。間違ってたら直せばいいんだし。その、別のラストも作品化できるわけですね。
他の作品にも美国くんが登場するのかどうかはわかりませんが、主人公なのによくわからない性格で、そこがいいですね。友だちの温も結構いいやつですよね。「こんなやついねえだろ」というようなエキセントリックなキャラクターが出ていないので、そこはとても好感を持ちました。キャラは立てるものじゃなくて、物語の中で「立つ」ものです。もしかしたら、このまま書いていったなら「化ける」キャラかもしれません。
いろいろ言いましたが、これも〈ホ〉を目指しているということだったからで、この作品がそれ以外を対象としているのなら、実はあまり言うことはないかもしれないと思うんですよね。
不特定多数に向けて書くというのは大変なんですよ、本当に。
最近は、〈ホ〉は「危ないから狙わないでいいです」という風潮すらありますからね。「あなたのファンにだけ売れれば成功ですから〈ニ〉でいきましょう」という人もいます。「いいんですか? それじゃ先細りですよ」と言っても、「それでいいんです、売れるうちに売り逃げです」みたいな残念なことを言う。「新規読者の開拓とか考えなくていいんですか」と聞いても、「いや弊社にはそんな体力もうないです」みたいな。
寒い感じになってます。でも、それではいけないですね。
僕のような年寄りは、先が長くありません。読者も、淋しいことにどんどんお亡くなりになっていきます。その分、新しい読者を獲得していかなければいけません。新陳代謝は必要です。傾向の違う読書活動をされている方々にも、読書の幅を拡げていっていただきたいし、本なんか読んだことがないという人にも読んでいただきたいですよね。〈ホ〉を目指すことは大事なことです。ただハードルは高いです。不可能かもしれません。
そうすると、ステップとしてまず〈ニ〉を目指し、しかる後に〈ホ〉に移行するのが堅実だと思われるかもしれません。でも、そうでもないんですよ。〈ホ〉を狙っても〈ニ〉になってしまいます。それで大成功ですよ。〈ニ〉を書くのだってそりゃ大変ですからね。よしんば〈ホ〉に近いものが書けて、どーんと売れたとしても、次からは〈ニ〉になっちゃいます。だから〈ニ〉でも充分ではあるんですよ。というか、なかなか書けませんよ、〈ニ〉だって。
ベストセラーって、1度に100万部ぐらい売れたりしますよね。100万部ってすごいんですが、でも読んでいただけるのは1割くらいですよ、ざっくり。残りの90万部は、ステイタスとして飾られるだけか、積ん読か、読まずに売られるか、もしかしたら捨てられるか、という運命にあります。買われてはいるけれど読まれてないんです。で、読まれてる10万部のうちで、きっちり楽しんで読んでくださる人というのは、そうですねえ、3割ぐらいでしょうか。だから結局、〈ニ〉でいいんだということになるんでしょう。コアな読者を大事にしたい、これは間違ってはいません。
それはしょうがないです。本は元々そのくらいしか売れないものなんです。いまの書籍流通の仕組みができて、120年くらいですかね。その間、そんなに本が売れた時代なんかないですからね。ほんの一時期、特異点があっただけです。
でも、10年、20年かけて100万部売れた本は、ほとんどがちゃんと読まれています。時代を超えて読み継がれる本は、〈ニ〉からはどこかハミ出しているものです。〈ホ〉の要素がなければ、長く読まれることはないです。1度にどーんと売れたいなんて趣味の悪い夢を見るのじゃなくて、100年読まれる作品を生み出すつもりで書くほうが、〈ホ〉には近付くかもしれませんね。
今回のテキスト提出者は、みなさん不特定多数の人に自分の作品を読んでもらいたいという、志の高い方々でした。とても心強いことです。これからも精進して、ぜひ傑作を書き上げてください。
※以上の講評に続き、司会をつとめた黒木あるじ氏との対談形式で、「プロット」の構造と「あらすじ」との違いや、職業作家としての心構えなどについてお話していただきました。その模様は、本サイト内「その人の素顔」にてアップいたします。
【講師プロフィール】
◆京極夏彦(きょうごく・なつひこ)氏
1963年、北海道小樽市生まれ。94年『姑獲鳥の夏』で衝撃的なデビューを飾る。96年『魍魎の匣』で第49回日本推理作家協会賞長編部門、97年『嗤う伊右衛門』で第25回泉鏡花賞、2003年『覘き小平次』で第16回山本周五郎賞、04年『後巷説百物語』で第130回直木賞、11年『西巷説百物語』で第24回柴田錬三郎賞を受賞。その他に『鉄鼠の檻』(97年度本格ミステリーベスト10第1位)『絡新婦の理』(同第2位)等。山田風太郎賞選考委員、世界妖怪協会・世界妖怪会議評議員を務める。
姑獲鳥の夏 (講談社文庫)
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魍魎の匣 (講談社文庫) ※第49回日本推理作家協会賞長編部門受賞
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嗤う伊右衛門 (中公文庫) ※第25回泉鏡花賞受賞
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覘き小平次 (中公文庫) ※第16回山本周五郎賞受賞
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後巷説百物語 (角川文庫) ※第130回直木賞受賞
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西巷説百物語 (角川文庫) ※第24回柴田錬三郎賞受賞
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鉄鼠の檻 (講談社文庫) ※97年度本格ミステリーベスト10第1位
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絡新婦の理 (講談社文庫) ※97年度本格ミステリーベスト10第2位
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ヒトごろし (新潮社)
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書楼弔堂 破暁 (集英社文庫)
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ヒトでなし 金剛界の章 新潮社
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虚実妖怪百物語 序
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旧談 (角川文庫)
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書楼弔堂 炎昼
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数えずの井戸 (角川文庫)
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