僕と妻は結婚してもうすぐ2年、出会って3年以上が経つが、ほとんど喧嘩したことがない。妻は全く好戦的なタイプではないし、僕はガンディーに次ぐ非暴力・非服従論者として名高い。
僕の記憶では喧嘩したのは過去3回。付き合って半年で「結婚について何も言って来ないけど、あんまり何にもしないようなら考えるよ?」と脅された時と、楽しみに録画していた卓球水谷のオリンピック銅メダルをかけた試合を勝手に消されていた時と、あと一つは忘れたけれど。滅多なことでは僕も彼女も怒らないし、喧嘩をすることはない。
だがある週末の土曜日、そんな僕らの戦いの火蓋は切って落とされた。
その日は妻の実家に久しぶりに泊まりに行く予定だった。出発は11時半。僕はパソコンを開いていつものように記事を書いていた。家を出たら翌日帰るまで書けないので、出発ギリギリで完成させる記事を思いついて書き殴っていた。そして完成させる直前、妻から外が暑いから車にエンジンをつけて冷やしてきてと頼まれた。だが僕は今まさに完成間近の記事に向かって必死に書いているところで手が離せなかった。
記事が完成し、出発の時刻となった。天気は快晴、気温が高かったため車内が灼熱と化していた。妻の顔を見ると明らかに機嫌が悪い。先ほど頼まれたことを無視したからか。こういう時は下手に刺激しないに限る。腰の調子が悪いと後部座席に座る妻。食事がまだだったのでどうするか話しかけるも返事は返ってこない。空気を紛らわそうと「返事がない、ただの屍のようだ...」と口をついて出てしまったジョーク。直後にTPOという言葉が脳内をよぎるが時既に遅し。エアコンはガンガンかけているはずなのに車中の温度は心なしか3度ほど上昇した。
しばらく無言で走る僕ら。妻は明らかに怒っている。妻は怒った時はひたすら喋らない。しかし僕も怒っている空気と煮えたぎる車内にだんだんイライラしてきた。妻が怒っている原因はわかる。だが僕だってギリギリまでやりたいことをやっていたのだ。直前に頼みごとをされても困る。
だから僕は謝らなかった。妻も勿論謝ってこない。無言の空間は無限に続く。史上4度目の冷戦が始まった。いつの間にか食事も取らず実家にたどり着く。僕も妻も親の前ではいつも通り振舞うが、お互い目は合わせないし一切喋らない。会話は親を介して行う。お互い譲らない、一歩も引かない。謝ったら負けなのだ。これは冷たい戦争なのだ。
僕らの喧嘩はいつもこうだ。けして怒鳴りあうことはない、ただただ喋らない。話しかけた方が負けという暗黙のルールでもあるかのように、ただその沈黙の空間に耐え切れなくなった方が白旗を挙げる。過去の勝敗は1勝2敗と僕が負け越している。此度は絶対に負けられない。
そして1週間が経った。無論無言の戦いは続いていた。僕は負けない。言わない「ただいま」、聞くことはない「おかえり」。無言の「いただきます」、「ごちそうさま」。食べ終わったら何も言わずに立ち上がりこれ見よがしに皿洗いを始める僕。そんな僕を見向きもせず何も言わずに風呂に入り始める妻。なんと気高き卑屈な戦いなのだろう。
そして、長き戦いの末、ついに勝敗がついた。勝ったのは、僕だ。妻は今専業主婦をしているので基本的に外部の人間と話す機会がない。僕と話さないことは耐えられなかったのだろう。しかし危なかった、僕も挫けそうだった。やはり夫婦は仲が良い状態がいいに決まっている。本当はもっと早くに勝負をつけるべきだったのだ。
「ごめん、空気悪くしてたの私」
「いや、俺も悪かった」
そのたった二言で第四次僕嫁戦争は終了を告げた。それが昨日の日曜日のことだ。どちらかが謝りさえすれば仲直りは早い。それもいつものことだ。お腹が空いた僕は、その日テレビで特集されていたおかゆが無性に食べたくなり、妻にリクエストした。妻は微笑んで作ってくれた。
出来上がった記念すべき仲直り記念の晩御飯がこちらだ。
他におかずはない。おかゆは美味しく、鮭も美味しかった。確かに僕のリクエスト通りだ。だが何かが違う。妻はまだ怒っているのか、おかゆと梅干、まるで日の丸だ。終戦後の日本でも現したかったのだろうか。冷たい戦争の終わりを告げようとしたのだろうか。そうだとすると、そのセンスに僕は脱帽さざるをえない。最後の最後にやってくれる。
この戦争、もしかしたら負けたのは、どうやら僕だったようだ。
(fin)
因みに一応、喧嘩の原因となった、ギリギリに書き上げた伝説の記事を、ここに記す。