コメント
何度でも言おう「正義が暴走して何が悪い」と
ヘイトスピーチ対策法、ゆくゆくは罰則を伴った規制法になるのでしょう。
その過程でこういった私的制裁、自力救済が行われるのですから、驚くような話ではないのでは?
その過程でこういった私的制裁、自力救済が行われるのですから、驚くような話ではないのでは?
No title
日本では、ヘイトクライムであると指摘されているものに、1945年の直江津駅リンチ殺人事件、1979年の上福岡第三中学校いじめ自殺事件[16]、1997年に愛知県で発生したエルクラノ君殺害事件[17][誰によって?]、2009年の京都朝鮮学校公園“占用抗議”事件[18][19]、2013年に大阪市生野区で発生し、逮捕された韓国籍の男が「日本人なら何人も殺そうと思った」「『生粋の日本人ですか』と尋ねたうえで刺した」と供述した連続通り魔事件[20][21][22][23][誰によって?]、2016年の相模原障害者施設殺傷事件[24][25]などがある。2000年の新木場事件はセクシャルマイノリティを標的にしたヘイトクライムであり、2007年にも類似の動機による暴行事件が発
ヘイトは社会的に許されない行為という立場から見て
猪野先生にいまさら憲法の条文を持ち出すのはと思いますが、憲法12条国民はこれを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉の為にこれを利用する責任を負ふ。となっております。
ヘイト行為やレイシズムがこの公共の福祉に反する事が問題の原点だと思うのですが。
シットインまでも(実力行動で不適切)という事は妥当なのでしょうか。
辺野古や多くの反対行動で行われていると承知していますが。
ヘイトの市民会館など公共の展示などの活動も社会的に許されると?
ヘイト行為やレイシズムがこの公共の福祉に反する事が問題の原点だと思うのですが。
シットインまでも(実力行動で不適切)という事は妥当なのでしょうか。
辺野古や多くの反対行動で行われていると承知していますが。
ヘイトの市民会館など公共の展示などの活動も社会的に許されると?
No title
全体主義的な憲法解釈をするようなコメントが来ましね。せっかくだからコメントしておきましょう。
公共の福祉によって人権を制約できるなどという発想は、憲法解釈として失格。
個別の人権の調整概念でしかない。
辺野古の反対行動が向いているのは国家権力。それくらいの違いはわかってから意見を述べてください。
公共の福祉によって人権を制約できるなどという発想は、憲法解釈として失格。
個別の人権の調整概念でしかない。
辺野古の反対行動が向いているのは国家権力。それくらいの違いはわかってから意見を述べてください。
好き嫌いと善悪の区別がつかない全体主義者の土人国家
ヘイトとは憎しみの事で、それは好ましい事だとは思いません。憎いからと言って殴ったり殺したりすれば当然罪になるでしょう。
しかし憎しみや嫌悪といった感情事態は罪でも何でも無く、それを法で裁く事が可能になると、逆に愛情や敬意を法によって強要出来る様になってしまう。
安倍はアメリカと絆を深めて一緒に戦争をする事が好きみたいだ。
自分の好みが正義になるとそれに反対する者は悪になってしまうので
将来日本はアメリカが行う戦争への参加(徴兵制)が義務化されてしまう。
「アメリカと共に戦うことは正義。それに反対する左翼は悪」
あ~あw
しかし憎しみや嫌悪といった感情事態は罪でも何でも無く、それを法で裁く事が可能になると、逆に愛情や敬意を法によって強要出来る様になってしまう。
安倍はアメリカと絆を深めて一緒に戦争をする事が好きみたいだ。
自分の好みが正義になるとそれに反対する者は悪になってしまうので
将来日本はアメリカが行う戦争への参加(徴兵制)が義務化されてしまう。
「アメリカと共に戦うことは正義。それに反対する左翼は悪」
あ~あw
テロリストと変わらんメンタル
正義が暴走して何が悪いって?
俺は正義、お前は悪、
俺は善人、お前はクズ、
俺が上で、お前が下、
俺には生きる価値がある、お前は氏ねよレイシスト!ゴミが!
自分勝手な「正義(笑)」を振り回して、もはやテロリストと変わらんな。
幕末に天誅叫んで人殺しまくってた奴らと同じ。
226のアホ将校らと同じ。
在特と同じ・・・というか在特以下ですわ。
在特は「俺らとお前ら、どっちがマシなクズか」を競争してるだけやからな。
俺は正義、お前は悪、
俺は善人、お前はクズ、
俺が上で、お前が下、
俺には生きる価値がある、お前は氏ねよレイシスト!ゴミが!
自分勝手な「正義(笑)」を振り回して、もはやテロリストと変わらんな。
幕末に天誅叫んで人殺しまくってた奴らと同じ。
226のアホ将校らと同じ。
在特と同じ・・・というか在特以下ですわ。
在特は「俺らとお前ら、どっちがマシなクズか」を競争してるだけやからな。
「言論には言論、意見には意見で」
>憲法が保障する表現の自由は、言論を戦わせることは想定していても実力阻止などは想定されておらず、これでは暴力行為と同じと言わざるを得ません。
↑
「言論には言論、意見には意見で」ということなら納得。
「言論に暴力、意見には恫喝で」では民主主義が成り立たない。
>ヘイトスピーチを支持する層はほとんどいません。
↑
これはどうなんだろう。
勉強会の資料映像などでのヘイトスピーチの現場は、汚物のような言葉の羅列で、あまりにもアホすぎて、猪野先生のご指摘の通り支持層がいるなどとは信じられない。
しかし、在特会の幹部に直接会うと、ごく普通の人物で、知的な会話も成立する。
彼らのパフォーマンス部分だけを見て、それが本質であると見誤っている恐れはないだろうか?
なお、今回の記事は得心が行ったが、「弁護士の品格」についてはいまだよくわからない。
「弁護士の品格」とは、そもそも何なのだろう?
↑
「言論には言論、意見には意見で」ということなら納得。
「言論に暴力、意見には恫喝で」では民主主義が成り立たない。
>ヘイトスピーチを支持する層はほとんどいません。
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これはどうなんだろう。
勉強会の資料映像などでのヘイトスピーチの現場は、汚物のような言葉の羅列で、あまりにもアホすぎて、猪野先生のご指摘の通り支持層がいるなどとは信じられない。
しかし、在特会の幹部に直接会うと、ごく普通の人物で、知的な会話も成立する。
彼らのパフォーマンス部分だけを見て、それが本質であると見誤っている恐れはないだろうか?
なお、今回の記事は得心が行ったが、「弁護士の品格」についてはいまだよくわからない。
「弁護士の品格」とは、そもそも何なのだろう?
No title
当の親分?のアメリカでさえ44年前に徴兵制停止になってるんだが。
No title
これまであまりにもヘイトスピーチは放置されてきました。ヘイトスピーチを受ける側、また公正と信義を信じる者の我慢も限界に近いんじゃないでしょうか?
No title
私は猪野先生とは意見を異なる人間ですが、言論の自由を侵害する実力で妨害するやり方は問題だという意味で先生に賛同いたします。
>私的制裁、自力救済
これはリンチという事ですが、ヘイトだと認定されれば誰でもリンチされるという意味で危険です。
自分だけは正しくて正義だというのは「誰しもが思う事」でありその真偽性は意味をなさないと思われます。
>ヘイト行為やレイシズムがこの公共の福祉に反する
ヘイト行為の認定は相対的であり何をもってそう判断するか未だ厳密な答えは出ていません。
でていると思っている方、法律で決まっていると言われる方、いらっしゃるでしょうが
結局、「あなたが思ってるからそうである」以上の根拠はありません。
(明確な差別行為は除いて)
長くなりますが、例えば根拠として法的な解釈を持ち出される方が多いのですが(苦笑)
それで言えば法的な解釈で行政府が認めた今回のような公民館の使用許可に反対するのはNGな訳です。
法的に認められた行為なのですから、ヘイトの法的な根拠を持ち出しつつ、法に則った行政府の決定に実力行使で反対する。
これはれっきとしたダブルスタンダードになります。
誰もが自分は正義の行いをしている正しいのだから暴力的であろうがヘイトやその他を
実力行使すればいいのだ「カウンター無罪」のような事を言いだした時、それは無法地帯になり法治国家の否定に繋がります。
他の誰かが「われこそは正義だ、なのでお前を痛めつける事に全く問題はない」(公権力含む)
と叩かれても文句は言えないという事になりますよ、明日は我が身です。
どなたかは「お前は正義もヘイトも区別がつかないのか?話にならない。」と笑われるかもしれませんが
そうやって人を見下し勝手な主観で正義を定義するのはご自由ですしいくら言葉を並べても構いませんが
アナタが思っている正義もヘイトもアナタ個人(もしくは少数派)が思っているだけという可能性は少なくないんです。
我慢の限界を越えたら法律を無視しても良いのですか?
もう一度書きますが「カウンター無罪」をやってしまったら、言論の自由という基本的人権の否定になりますよ。
ヘイトと言論の自由は違うというならば、いいでしょう議論は構いません、ですが
「アナタの私への言葉はヘイトだ、だから殴っても構わんだろう」と幾らでも暴力を肯定できるんですよ。
そういった意味でもたとえどんな言論でもその自由は保障されるべきという意味で正義の独り歩きは
必ず自分の身にも降りかかる自体にエスカレートする危険があると感じます。
>私的制裁、自力救済
これはリンチという事ですが、ヘイトだと認定されれば誰でもリンチされるという意味で危険です。
自分だけは正しくて正義だというのは「誰しもが思う事」でありその真偽性は意味をなさないと思われます。
>ヘイト行為やレイシズムがこの公共の福祉に反する
ヘイト行為の認定は相対的であり何をもってそう判断するか未だ厳密な答えは出ていません。
でていると思っている方、法律で決まっていると言われる方、いらっしゃるでしょうが
結局、「あなたが思ってるからそうである」以上の根拠はありません。
(明確な差別行為は除いて)
長くなりますが、例えば根拠として法的な解釈を持ち出される方が多いのですが(苦笑)
それで言えば法的な解釈で行政府が認めた今回のような公民館の使用許可に反対するのはNGな訳です。
法的に認められた行為なのですから、ヘイトの法的な根拠を持ち出しつつ、法に則った行政府の決定に実力行使で反対する。
これはれっきとしたダブルスタンダードになります。
誰もが自分は正義の行いをしている正しいのだから暴力的であろうがヘイトやその他を
実力行使すればいいのだ「カウンター無罪」のような事を言いだした時、それは無法地帯になり法治国家の否定に繋がります。
他の誰かが「われこそは正義だ、なのでお前を痛めつける事に全く問題はない」(公権力含む)
と叩かれても文句は言えないという事になりますよ、明日は我が身です。
どなたかは「お前は正義もヘイトも区別がつかないのか?話にならない。」と笑われるかもしれませんが
そうやって人を見下し勝手な主観で正義を定義するのはご自由ですしいくら言葉を並べても構いませんが
アナタが思っている正義もヘイトもアナタ個人(もしくは少数派)が思っているだけという可能性は少なくないんです。
我慢の限界を越えたら法律を無視しても良いのですか?
もう一度書きますが「カウンター無罪」をやってしまったら、言論の自由という基本的人権の否定になりますよ。
ヘイトと言論の自由は違うというならば、いいでしょう議論は構いません、ですが
「アナタの私への言葉はヘイトだ、だから殴っても構わんだろう」と幾らでも暴力を肯定できるんですよ。
そういった意味でもたとえどんな言論でもその自由は保障されるべきという意味で正義の独り歩きは
必ず自分の身にも降りかかる自体にエスカレートする危険があると感じます。
No title
猪野先生、先生の個人ブログにお邪魔しているにも関わらず、先日は注意事項を知らずに、HNなしでコメントを投稿してしまい申し訳ございませんでした。
ところで神原先生というお名前は大量懲戒請求のニュースで初めて知りました。ツイートを拝見してみると神原先生はお嬢様に対して「誰に対しても優しくしなさい」とだけ教えていらっしゃるとか。秀逸なブラックジョークで思わず笑ってしまいました。私にも娘がおりますが、そんなことは教え込む類のものではないだろうと思いましたし、神原先生の価値観はちょっと変わっているなという印象です。
さて、市民が市民の集会を実力阻止することが許されるとしたら、それは無法地帯と言って良いでしょう。猪野先生が法曹人としての良識から異を唱えられることは至極当然かという気がいたします。
逆に神原先生は「コイツのやっていることは公共の福祉に反する」とレッテルを貼りさえすれば、相手の権利を制限することも正当化されるという自身のお考えについて、法曹人としてどのように向き合っておられるのでしょうか。
ところで神原先生というお名前は大量懲戒請求のニュースで初めて知りました。ツイートを拝見してみると神原先生はお嬢様に対して「誰に対しても優しくしなさい」とだけ教えていらっしゃるとか。秀逸なブラックジョークで思わず笑ってしまいました。私にも娘がおりますが、そんなことは教え込む類のものではないだろうと思いましたし、神原先生の価値観はちょっと変わっているなという印象です。
さて、市民が市民の集会を実力阻止することが許されるとしたら、それは無法地帯と言って良いでしょう。猪野先生が法曹人としての良識から異を唱えられることは至極当然かという気がいたします。
逆に神原先生は「コイツのやっていることは公共の福祉に反する」とレッテルを貼りさえすれば、相手の権利を制限することも正当化されるという自身のお考えについて、法曹人としてどのように向き合っておられるのでしょうか。
さすが!
自分は根っからの保守派で左翼嫌いではあるのだが、
それなのにこのブログを見に来たくなる理由は
まさにここにある。
党派性に捕らわれない、冷静な視線に感服です。
それなのにこのブログを見に来たくなる理由は
まさにここにある。
党派性に捕らわれない、冷静な視線に感服です。
流石
本のタイトルだったか何かで、「おサヨク様は言論の自由がお嫌い」とか何とかいうのを見たとき、「ウマい!」とヒザを打ちました。たとえ間違った考え方であっても表明する自由は認められるべきですよね。
右にも、言論の自由がお嫌いな方はお見受けするので、左ばかりではないのですけれど、実力阻止や罰則導入で悪い言論を抑圧してしまえという姿勢を露骨に示されると、そういう勢力に権力を握られたら怖いナアと思いますもの。
共謀罪で国民に目を光らす安倍政権が、モリ・カケであれほど横暴でも支持率が40%あたりで下げ止まる背景には、もっと窮屈な政権ができるよりはマシという、比較優位論がありそうな気がします。
いずれにしましても、猪野先生の、常識的なバランス感覚はいつもながらお見事です。
右にも、言論の自由がお嫌いな方はお見受けするので、左ばかりではないのですけれど、実力阻止や罰則導入で悪い言論を抑圧してしまえという姿勢を露骨に示されると、そういう勢力に権力を握られたら怖いナアと思いますもの。
共謀罪で国民に目を光らす安倍政権が、モリ・カケであれほど横暴でも支持率が40%あたりで下げ止まる背景には、もっと窮屈な政権ができるよりはマシという、比較優位論がありそうな気がします。
いずれにしましても、猪野先生の、常識的なバランス感覚はいつもながらお見事です。
No title
>今回の川崎市で起きた実力阻止行動は、力をもって他の言論を潰すというやり方です。
猪野さんのこの批判には同感です。ヘイトに反対である(当然ですが)ならば、同じように講演会で対抗すればいいと思います。しかし、公共施設では反原発や共謀罪反対、反安保法制などはもちろん、護憲活動でさえも講演会や研修会が反政府的と見なされれば規制されつつある現在の風潮には懸念を感じます。この実力行使は規制に格好の口実を与えることになりますね。実力行使でヘイト講演会を阻止するかより、いかにして言論の自由を確保するかが問題でしょう。
川崎市には当然、このヘイト講演会に反対する講演会も認めてほしいものです。
猪野さんのこの批判には同感です。ヘイトに反対である(当然ですが)ならば、同じように講演会で対抗すればいいと思います。しかし、公共施設では反原発や共謀罪反対、反安保法制などはもちろん、護憲活動でさえも講演会や研修会が反政府的と見なされれば規制されつつある現在の風潮には懸念を感じます。この実力行使は規制に格好の口実を与えることになりますね。実力行使でヘイト講演会を阻止するかより、いかにして言論の自由を確保するかが問題でしょう。
川崎市には当然、このヘイト講演会に反対する講演会も認めてほしいものです。
No title
ぜひ、憲法12条を再読され、ヘイトスピーチが表現の自由の濫用にあたるかどうか、そしてこれに対抗する社会が国民の不断の努力によって形成されるべきではないか、議論する必要があるのではないでしょうか?