プリキュアは見ないが、話題になったセリフに違和感を感じた。なんせお姫様になれると言われているキャラが、一番美人だからだ。性別男という設定なだけで、女性より美人な男じゃねえか。仮に男として生きてもたくさんのものを得られるようなキャラに自分を偽らなくてもいいよ、とか言うんだ。偽らなくても女装男子として成功しそうな顔貌だろうよ。サークルの姫になれるわ。
これがシグルイのガマみたいな造形だったら、底なしの絶望である。
そもそもあのプリキュアの話をLGBT全員へのメッセージと捉えるよりは、「先富論的多様性内の格差を認める物語」として捉えるほうが心穏やかでいられる。
twitterあたりでは女装男子が凄まじい勢いで勢力圏を拡大しているが、厚盛カメラと角度と贅沢にモノを言わせた資本主義の遊びにしか見えないぜ。それでも似合わない人々は、鋼鉄以上のハートを持つか諦めるしか無い。子供に自分を愛そうというメッセージを残すなら、プリキュアのアンリ君の造形をもっと一般人寄りにすべきだっただろう。
しかし、趣味だけでなく自己の多様性を認められる世の中になってきたし、それができる人向けに「お姫様になれる」と言うことが悪いわけじゃあない。ただ容姿の上澄みに通用する自由のメッセージってだけで、ブサイクや僕のようなゴツい男がやったらグロ画像認定と自己愛に対する強烈な批判しか生み出さないわけで、ネット社会の今なら多数の悪意に殺される未来が待っている。あるいはネタキャラ化される。
「お姫様」となった「ノーマルの男の子」が、
「君のために、僕を変えることは出来ない」
「僕は、僕の心を大切にする」
「僕の人生は、僕のものだ」
「君も、君の心をもっと愛して」
を「古いジェンダー観」に向かって説得を試みます。
キャラの造形からしてノーマル男子ではない。圧倒的に頂点辺に位置する恵まれた男子である。あれぐらいの美形なら女装世界でもゲイ世界でも承認されまくるだろうさ。スケートの実力もあるみたいだし。
他人との関係性が切れない社会の中で、自分を肯定して生きていくのは適材適所を見分けるしかない。中性的な男性ならお姫さまにもなれるだろうが、極端に似合わない人にはお姫さま願望をやんわりと諦めさせ、もっと別の素晴らしい何かを見つけることを勧めた方がよろしかろうと思う。
もし自分の子供が女性になりたいの、と言い出したらどうあるべきか。「お前は俺の子供だ、女性に見えないゴツ男になるから無理だ」とか言うべきか。お姫さまになれるよ、とは言えなさそうだ。ただの気持ち悪いおっさんと言われながら生きていく人生になるのがわかっていて、その歩みに手を貸す覚悟なんてない。
プリキュア見てたら「おい、やめろバカ」ってなりそうだ。そりゃ偽りじゃない自分を出して生きていけるならよいかもしれないが、現実はそれさえツラの皮の厚さが必要で、LGBTに限らず割と誰でも自分を偽って生きているのだ。心の中の肯定だけでは全ての人が満足できない。そして他者からの承認を求めるが、たいていの人は手に入らず初めてその時傷つくのだ。傷つけられたときにようやく、諦めていたほうが楽だったかもしれないという後悔に襲われる。自分の能力を高める系の願望なら努力もできるが「姫になんてなれるわけねえだろ」という他人の正直な感想からはどうしようもない。お姫とは自分の心の中だけで構築できるものじゃない。だから女装願望とかだったら、もっとなんか違う物語があっただろうって思っちゃうんだよな。姫を象徴的シーンとして選ぶかよ。 自分を決定づけるのは自分かもしれないが、その決定が他人によって決まる、みたいなことがある。
子供の頃から自己承認と肯定を促すというのは現代的だ。だが世の中どうやったって手に入らないものってのがあって、その割り切りをどうすりゃいいのよってのが実はすごく人生の器用さみたいものが必要なところがある。無我の境地にたどり着けなければ、嫉妬や執着にとらわれて何倍も苦しむ。心を縛ってはならないがコントロールする方法こそが重要だな。
まあ3-4歳向けのただの20分の物語にそこまでこだわっても仕方ないか。
長々と書きすぎたが、要はお前はお前が決めるっていうのは夢見すぎというか実質不可能というか、環境依存があるので気をつけましょうってことです。
アンリ君はお姫さまになれると思います。