今年90歳を迎える田中俊郎さん(仮名)は、60代後半の頃、将来が不安で仕方なかった。
「若い頃から進駐軍相手のバンドを組み、30代前半までフラフラしていたからサラリーマンになったのが遅かった。そのため、学校卒業と同時に勤めた同世代に比べて年金が少なくて、どうしたものかなと。
夜中に『もうカネが尽きた』とうなりながら飛び起きたこともあった。でも、女房が楽天家で、『なんとかなるわよ』というタイプの人間だったから、私にもそれが伝染した。なんでもプラスに捉えれば、気がラクになるもんだ。
たとえば、うちは女房に実家があったから、修繕してそこに住んだので家賃が要らない。年金は同世代に比べればマイナスかもしれないが、家賃がないのはプラス。
70歳すぎまでタバコを吸っていたが止めた。タバコを吸うカネさえなくなったと否定的に考えるのではなく、カネがかからなくなったと思えば、これもプラス。
酒量も半分以下になって、これもカネがかからないからプラス。なんでもプラスに考えていくと、『なんだ、生きるのに大してカネはかからないじゃないか』という境地に達したんだよ」
田中さんは、マイナスをプラスに変える「発想の転換」で老後の危機を乗り切った。
最近はJRが提供している『ジパング倶楽部』を愛用して、京都などに出かけているという。65歳(女性は60歳)以上は最大3割引きで新幹線を利用することができる。
「これだと、東海道新幹線の『のぞみ』には乗れない。昔は3割分ケチっていると思われるのがイヤだったから『のぞみ』にしていたけど、今はそんな気はまったく起こらない。『ひかり』で十分だよ。
乗っているとわからないけれど、『のぞみ』の通過待ちを見ていると、新幹線って本当に速いって実感する。狭い日本、そんなに急いでどこへ行く、じゃないけど、この年になって、ゆったりする旅が好きになったね」
そう言って、田中さんは遠い目をして若かりし頃を振り返るのだった。
「高校の頃まで、そこそこの進学校に通っていたんだ。仲のいい同級生2人と試験の1点2点を争って目の色を変えて勉強をしていた時期もある。
私は音楽にハマって受験勉強から脱落したけど、一人は東大に行って官僚になり、もう一人は千葉大の医学部に行って医者になった。でも医者と言っても、勤務医で働き詰め。
60歳を過ぎてすぐ、ゴルフをした後のサウナで突然亡くなった。官僚になったヤツは早くに外郭団体に飛ばされて、愚痴ばっかり言っていたが、そいつもがんで死んだ。
受験、受験で競い合ったのは、結局、何の意味があったんだろうね。出世争いだって、仕事に没頭することだって、死んでしまえば、元も子もない。
この年まで生きた私だから思うことかもしれないけど、途中で挫折した私のほうが幸せだったんじゃないか。そんな気にもなるんだよ」