映画「デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!」:レディプレイヤー1鑑賞後もうひとつの後遺症。15年前からネット世界での冒険は恒常性を保てない!?
- 2018.06.10
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- カズマたんの指をチュッパチュッパ, 映画
レディプレイヤー1鑑賞後の症状その2
後遺症その2・今度は「デジモン」が観たくなる
VR(バーチャルリアリティー)の世界での冒険を描いた映画「レディプレイヤー1」
同じような世界観の内容から、レディプレイヤー1を鑑賞したあとは「なぜだか、サマーウォーズも観たくなる」ということで、前回、以下のようなブログを書いた。
映画「サマーウォーズ」:かかったかな? と思ったら「レディプレイヤー1」鑑賞後の後遺症。サマーウォーズを観ることで、IoT10年の進化を見る!
そして、サマーウォーズを鑑賞すると、観たくなるのは「デジモンアドベンチャー」
それも映画版「ぼくらのウォーゲーム!」だ。
映画「サマーウォーズ」と「デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!」には大きな共通点がある。
それは、両作品とも細田守が監督を務めているということだ。
VR世界・・・というか、ネット内の世界の描き方が、両作ともたいへん似ている。
そもそも、サマーウォーズという作品自体が「ぼくらのウォーゲーム!」のリメイク的なポジションにあたる作品であったりもする。
上映当時は「子供向け」という括りで、あまり話題にならなかった「ぼくらのウォーゲーム!」だが、正直たいへんおもしろく、映画としての完成度はかなり高い。
それでは「デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!」の魅力について語っていこう。
ぼくらのウォーゲームを語る
タイトル「ウォーゲーム」の由来
魅力について語る前に、タイトルの「ぼくらのウォーゲーム」の意味だが、この映画の作られる以前「War Games(邦題:ウォー・ゲーム)という1983年の映画があった。
コンピューター制御の核ミサイルを巡って、ハッカー少年がトラブルを起こす映画で、当時は「こんな少年でも、世界を滅亡においやる危険性がある。コンピューターは危険だ」的な話題が、世間を瞬間的にだが席巻したカルト的な映画だ。
映画「デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム」でも、同じく核ミサイルが関わってくる。
作品的なリスペクトおよびオマージュとなる作品として、デジモン映画にこのようなサブタイトルはつけられた。
前作映画も凄かった
さて、デジモン映画だが「ぼくらのウォーゲーム!」は2作品目にあたる。
初上映は2003年3月。サマーウォーズが2009年なので、6年前。レディプレイヤー1からは15年前の作品となる。
前作の映画のタイトルはズバリ「デジモンアドベンチャー」
2009年の作品で、コチラもまた評価がたいへん高い。
その後放映されるTVシリーズの前日譚的な内容で、上映時間も20分ときわめて短いのだが、映画的なおもしろさをふんだんに詰め込んだ、映像的にも音楽的にもエンターテイメント的にも傑作のひとつといえるだろう。
平成ガメラシリーズおよび「シン・ゴジラ」でも特撮技術監督を務めた樋口真嗣も、この映画に強い影響を受けているほどだ。
それほどに、この映画の世界はデフォルメされていてリアルだ。
ちなみにこの映画が細田守にとってのアニメ映画初監督作品。
これまで培ってきた映像技法や演出を「これでもか!」というほどに魅せてくれている。
40分という上映時間に濃密に詰められた「全て」
1作めの映画「デジタルモンスター」の上映時間は20分と短かったが、2作めとなる「ぼくらのウォーゲーム!」も40分と、映画としては短い。
これは、同時上映として大人気漫画アニメ「ONE PIECE」があったためでもあるが、この短さこそが最大の魅力だ。
短いからこそのテンポの良さと、無駄のなさ。
かといって「あれ? もう終わり」というそっけなさは全くなく、どちらかといえば倍の1時間20分くらいの映画を観たくらいの充実感にひたれる。
40分でハナシをまとめるために、この映画では主要キャラである「8人」のうち「4人」しかメインの活躍はない。
だからといって、その他の4人をないがしろにしているわけではなく、物語が終盤へと向かい、緊迫感がピークに達する状況を演出するためのキーパーソンとして活躍する。
「世界の終わりまであと10分という時間の中で、人間はどのように過ごすのか?」
戦いに直面するメンバーと、そうでないメンバーを完全に色分けることで、このメッセージが画面を通して色濃く浮き立たされるのだ。
TVシリーズを観ていなくても大丈夫
ここまで読んで「でも、この映画を観るためには、TVシリーズも観ないといけないんでしょ?」と思う人は多いと思う。
答えは「NO」だ。
なぜ、そう言い切れるのか?
自分のエピソードを元に、説明していこう。
2003年当時のエピソードと感想
2003年当時、自分には8歳の息子と7歳の娘がいた。
息子のほうが、そこそこデジモンが好きで、毎週日曜日に朝からTVを観ていたのだが、自分はほとんどスルーしていたので、内容はほとんど知らなかった。
「ぼくらのウォーゲーム!」の初見は、もちろん息子絡みであった。
息子にレンタルDVD屋でせがまれ、デジモンの映画を借りることに。
以前、前作の映画「デジタルモンスター」は観ており、そのときの感動を覚えていたので、ぼくらのウォーゲーム!には期待もあったが、不安もあった。
それは、TVアニメシリーズの内容のせいである。
20分の映画「デジタルモンスター」を観た自分は、大いにTVシリーズも期待していたのだが、そこにあったのはいわゆる普通のお子様向けアニメであった。
キチンと観てないので、あまり評価はできないが、映画とTVの落差にガッカリして、ずっとスルーしていたのを覚えている。
よって、TV放映終了後の映画「デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!」は、TVシリーズの延長線上であるということから、かなり子供向けに特化した「進化と必殺技をいっぱい見せればいいんだろ! オモチャ売れろ!」的な、マーケティング色の濃いものではないか? というのが、鑑賞前の感想であった。
だが・・・
観始めて、それは一気に吹き飛んだ。
そして、観終わった後「この監督すげぇ!」と興奮したのを覚えている。
これが映画のチカラ。映像で魅せるキャラクターと物語の歴史
前述した「TVシリーズも観なきゃいけないんでしょ?」に対しての返答「NO」であるが、映画サマーウォーズを思い出して欲しい。
サマーウォーズが映画として完成度が高い部分として「複雑な人間関係」を、特にモノローグや注釈をつけて説明していないところにある。
キャラクターの雰囲気や、話し方、立ち振舞や、集合した時の立ち位置などで、キャラクターひとりひとりの歴史を観る側にわからせてくれる。
サマーウォーズではそれを20人分以上やっているわけだから、デジモンの8人くらいどうってことない。
開始から5分くらいで、物語の歴史と、キャラクターの半生は観ている側に伝わっている。
わざわざ過去映像とかを流してモノローグをつけなくても「過去のハナシ」は短く描けるのだ。
初見のときの自分は前作映画「デジタルモンスター」に登場した、主人公の少年とその妹しかキャラクターを把握していなかったが、ぼくらのウォーゲーム!を鑑賞早々に、各キャラクターの主人公との関わり方やポジション、性格が把握しきれた。
唯一「ピンクのテンガロンハットを被った女の子」だけ、よくわからない存在だったのだが、きっとオタサーの姫的な存在なのだろう。
初見でも、すんなりと入れることは間違いなしなので、怖がらずに鑑賞して欲しい。
映画を通して2003年という時代を見る
インターネット・パソコン 時代の変化を感じてみよう
いま現代、映画「デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!」を観るにあたって、鑑賞ポイントのひとつとして、当時のパソコンやインターネット文化に触れるというものがある。
上映当時の2003年といえば、パソコンのOSはWindows XPで、Windows CEというモバイル用の短命なOSも併用されていた時代。
1998年に登場したAppleのモニター一体型パソコン「初代iMac」が女性を中心に人気を博し、2001年には「iBook」というiMacのデザインラインを引き継いだノートパソコンが発売され、同じく人気を呼んだ。
劇中のメインキャラクターの少年が、iBookに酷似したノートパソコンを所有しており、当時のiBookのポピュラーさがよくわかる。
また、パソコンの描写といえば、当時のパソコンは「ショックに弱い」ことが当たり前であった。
私も、事務所のパソコン本体を、置き場所がないからと机の下に設置していたのだが、ことあるごとに足で蹴ってしまいフリーズさせていたことがある。
劇中でも、主人公の少年が、戦いに熱中し、やらかしてしまうシーンがあったりする。
今でこそ、パソコンはかなり頑丈だが、当時はこのシーンを観ながら、
「やべぇやべぇ! ぜったいフリーズするって!!」と、思いながら鑑賞し、まさにそうなっていた。
現代の子供たちにとっては「え、なんで?」というシーンになってしまいそうだが、その際は「むかしはね・・・」という説明を入れてあげて欲しい。
まだネットスラングが世間に出ていない時代
また、ネット上のコミュニケーションツールとして「Eメール」がメインなのも時代を感じさせる。
今であれば、TwitterやLINE、Facebookになるのだろうが、劇中では「Microsoft Outlook」の進化版のようなメールソフトを使用して、メールのやりとりをしている。
また、サマーウォーズでは散見された「ネットスラング」的なものも存在しない。
あくまで子供向けアニメということから、そういう部分は排除されたのかもしれないが「そういえば、インターネットを始めた頃って、こんなにピュアな文章打っていたな・・・」的な懐古心に駆られてしまう。
たしかに当時「オマエモナー」や「厨房」など、そこそこのネットスラングは存在していたが、あくまでそれらはネット内でのみ通用するもので、それらがメディアに飛び出してきたのは2年後である2005年に放映されたドラマ「電車男」あたりからである。
サマーウォーズの「カズマたんの指をチュッパチュッパ」に至るまでの6年間のあいだに、ネットの世界はえらく汚れてしまったものだ・・・と感じざるを得ない。
いつからか人工知能は敵ではなくなった
思い返せば2003年当時というのは、映画「マトリックス リローデット」が上映された年でもある。
マトリックスは、ネット社会が繁栄した後、人類が反乱を起こしたコンピューターにより支配され、実際は培養槽のなかで生きさせられながら、仮想現実の世界で人間は暮らしているという物語。
インターネットが作り出す未来の姿に、世間は期待もあれば不安もあった。
いま現在、世界の企業がこぞって研究をしている人工知能(AI)が、当時は空からやって来る大魔王のごとく、諸悪の権化ともいえる存在であった。
またまた映画の話になるが、同年2003年は映画「ターミネーター3」が上映された年でもあったりする。
もちろん「ぼくらのウォーゲーム!」の敵も、人工知能(AI)的な存在で、そのココロに感情や迷いはなく、ただただ増殖を繰り返し、データを食い尽くしていく。
あれから15年経って製作された映画「レディプレイヤー1」と、それ以前の映画での大きな違いは「人工知能が敵でない」ことだ。
レディプレイヤー1にも人工知能は登場するが、敵として描かれるのではなくトリックスター「神的な存在」として描かれている。
むしろ敵は現実世界の人間で、これはもう怪獣映画や、ホラー映画が一周回ったのと同様「結局、人間がイチバン恐ろしい」的な落とし所に辿り着いたわけだ。
映画というものは、その時代の世間の感情を大いに反映してしまうエンターテイメントだ。
「人工知能と共に繁栄を目指していこう」としている現代の人類が、これから作る映画はどのようなものになっていくのであろう。
個人的にはリブートされる「ターミネーター」シリーズのシナリオが、どのようなものになるのか? 気になるところである。
デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム
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