「純粋に何の思想的な意味も、右も左もなく、この国のことを歌いたいと思いました」

お、おう・・・。

確かに開き直ったように右だー、左だー、というのは実にくだらん。
僕もこれだけネトウヨを攻撃しているのに、友人から「ヤマカンは右翼だと思ってた」と言われた。
もうどっちでもええわ。

右か左かではなく、個々人がどういう倫理観・美意識なのかの方が寛容だ。
そもそもそんなカテゴライズがもう古い。


それはともかく、これはもうよしりん先生他、「保守」の在り方を問う論者では当たり前の考え方となっているが、真の「保守」とは建国以来、いやそれ以前から続く日本の風習や伝統を「いい形で」継承するのが本当の姿であり、いや、日本人の在り方として自然なのだ。
それを明治以降急誂えでできた国体や国家・国旗・国歌に限定して持て囃すのは、何とも中途半端で舌足らずだと言わざるを得ない。

因みに国旗・国歌が法律上認められたのはつい20年前だ。憲法には明記されていない。


今年維新150年だが、あたかも「維新後からが本当の日本!」と言いたい輩が多すぎる。
それが本当の保守、本当の日本人だと考えるのは、いささか薄っぺらくてバカバカしいと感じる。


かつてさだまさしが『防人の詩』を発表した。
映画『二百三高地』の主題歌だ。
映画のテイストもあって、発表当時は「戦争賛美の歌だ!」と批判を喰らった。

しかしこの歌詞の主要部分には『万葉集』が引用されている。
「海は死にますか、山は死にますか」
日本人の伝統的な死生観を見事に詩的に表した一節だ。

だから日本人のDNAレベルまで刻み込まれた記憶を呼び起こすような名曲となった。


日本をどう感じ、どう考えようがそりゃ人の勝手だが、少なくともそこに「歴史」が伴っていない考えは、日本の本来の姿をちゃんと見ようとしているのか?
そこには疑問を呈したい。