Die Zeit heilt alle Wunden《完結》   作:ダイコクコガネ
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第三幕 彼方より来たる 其之二

 

 みち。みち。みち。みち。ぴんと引っ張られ、切れそうで切れない糸の音がする。イビルアイは自らの身体から聞こえる音を、種族的特徴によって高揚しない精神で冷静に判断した。

 端的に言って、油断したと言う他ない。

 王国の王都に潜む外道、“八本指”の持つ拠点の一つであろう場所を襲撃するために“蒼の薔薇”は秘密裏に活動していたのだが、そこで悪魔が出て来るとは思いもしなかった。

 ラキュースとガガーランは逃げ切れただろうか。少なくとも、ティアとティナは死んだだろうな、とイビルアイは上の空で思う。二人は自分と一緒に行動していたから。

 ラキュースとガガーランに魔法で緊急の合図を送ったが、本当に逃げ切って欲しいと思う。自分が為す術なく捕まり殺されそうになっている以上、それも希望的観測であろうが。

 本当に、なんでこんなことになったのだろう。“八本指”の奴らは一体、何を呼んでしまったのだろうか。イビルアイはゆっくりと引き千切られていく身体を呆然と見ながら、過去に思いをはせた。

 

        

 

「――では、交渉は成立ということで」

「……ええ。感謝します、モモンガ殿」

 冒険者組合の一室で、秘密裏に行われた会合。そこにはモモンガと呼ばれた仮面の魔術師と、王国六大貴族の一人侯爵のエリアス・ブラント・デイル・レエブンが互いに机を挟んだ対面の椅子に座って、後ろ暗い取引を行っていた。

 現在、王国の国王であるランポッサ三世は病気である。ただでさえ体調が優れなかったところに、ガゼフの悲報が重なり倒れたのだ。これを治癒するために万能薬のもとになるという薬草を求めたのだが、既にその薬草は失われていた。原因は、レエブン侯の目の前に座るこの仮面の魔術師である。

 しかし仮面の魔術師を責めることは出来ない。彼はトブの大森林で魔物を討伐しただけだ。まして、彼は評議国の冒険者であり、しかも最高位のアダマンタイト級である。王国でもっとも力のある貴族と言っていいレエブン侯であろうと、おいそれと文句を言える存在ではない。例え冒険者という権力から外れた存在であろうと、それは表向きだけだ。実際は、冒険者と言えど所属国の支配から完全に抜け出すことは出来ない。仮面の魔術師との会話は、評議国との会話だと思うべきなのだ。

 だからこそ、評議国に言いがかりに近い難癖の文句を王国が言えるはずがなかった。評議国に文句を言えるような国力のある国家は人間国家の中では法国だけだろう。帝国であろうと、そう易々と文句を言える立場ではなかった。これが現状を理解出来ていない他の貴族たちならば話は別だろうが、レエブン侯は王国の現状がよく分かっている。

 故に、レエブン侯はなんとか評議国の冒険者組合に打診した。高位の治癒系のマジックアイテムなどは存在しないか、と。第五位階以上の魔法の力が宿ったような。

 本来、こういったことは法国に頼むべきなのだろうが、しかし彼らには頼めなかった。理由は、彼の国は王国に見切りをつけてしまっていることだ。彼の国は既に王国には一刻も早く滅びてもらいたいような、そんな思考が垣間見えた。そんな相手に堂々と弱味を晒せるはずがなく……評議国という王国などへとも思っていない亜人たちの国を頼らざるを得なかったのだ。

 しかし、そんな長い寿命を持つ彼らでもこの注文は難しかった。いや、簡単と言えば簡単なのだが、特定人物の協力を避けようと思えば頼れる存在は限られる。

 例えば、永久評議員のドラゴンたち。彼らに頼るという選択肢は、最初から存在しなかった。彼らならば難なく注文をこなすのではないかという予感はあったが、そんなことは出来ない。彼らに王国に来てもらえば目立つし、そして国王を評議国へ移動させるには体力がもたない。

 よって、自由に国家間を移動できる人物――そうなると冒険者くらいで、その冒険者の中でも信仰系最高位の魔法の使い手はドラゴンだ。マジックアイテムに頼るならばそんな超希少マジックアイテムを、王国などという彼らにとっての塵のような国家に渡す希少な精神の持ち主は存在せず……いや、一人しか該当者がいなかった。

 それが、王国が苦悩することになった元凶人物。“漆黒”のモモンガである。人間ではないようだが、見た目だけならば仮面で顔を隠しローブを羽織った人間にしか見えず、彼はちょっとした道具蒐集家(アイテムコレクター)であり、王国の注文に該当するマジックアイテムを所有していたのだ。

 ――つまり、神代の時代のマジックアイテム。高位の治癒魔法の巻物(スクロール)を所有していたのである。

 当然だが、交渉は難航した。モモンガはちょっとした人間贔屓ではあったが、しかしこの希少マジックアイテムを渡すほどの好感度など、自分や評議国とは無関係の王国国民に抱いているはずがなく。王国はそんな希少アイテムと交換出来るようなマジックアイテムなぞ持っていないのだ。他国民どころか種族さえ違う存在に、感情による訴えが効く筈もない。金銭で釣るしかなかった。

 だが肝心のモモンガが、金銭でさえ靡かない。当たり前だ。彼はアダマンタイト級冒険者。王国が用意する金銭などたかが知れている。よって交渉は難航するしかないのだが……この交渉に時間をかけられない理由をレエブン侯は抱えていた。……他の貴族に交渉が漏洩する危険性を。

 王国の危機的現状を認識出来ていない他の貴族にことが露見すれば、当然彼らは口々に好き勝手なことを言い始めるだろう。「我らが献上せよと命令しているのに、冒険者風情が何様だ」――と、このようなことを。そうなれば、当然評議国が黙っていない。王国が先に口出しをしてきたのだから、評議国の口出しを止める方法もない。そうなった時どうなるか――火を見るより明らかだろう。

 よって、レエブン侯はこの交渉を最速で纏める必要があった。悩むレエブン侯を見かねてか、そこでモモンガが提案してきたのが王国の秘宝についてだった。

 曰く、幾つか目の前に持って来てくれないか……と。

 断るのは簡単だ。しかし、その時点でこの交渉には先が無いだろう。王国の四宝物は大切だが、国王の命には代えられない。レエブン侯は国王その人に断って、モモンガの前へ現物を差し出した。

 モモンガはその一つ一つに魔法をかけ、調べていき――興味を引いたのだろう一点。魔化された鎧さえもバターのように切り裂く魔法の剣、剃刀の刃(レイザーエッジ)を指差して告げた。

「これと交換しましょう。このマジックアイテムならば、巻物(スクロール)と交換してもかまいません」

 全て根こそぎ持って行かれると思っていたレエブン侯は、この提案に一も二もなく飛びついた。他には目もくれず、この魔法の剣だけを選んだ理由は気になるが、しかしそんな疑問は後回しだ。今はただひたすらに、時間が惜しい。どの道自分たちが差し出せる物なぞたかが知れている。これで良しとするしか他無い。

 そうして交渉は成立し、それぞれ物品を交換する。なんとか首の皮一枚繋がったことに、レエブン侯は内心で安堵した。

 ……現状、王国は危機に瀕している。エ・ランテルで起こった事件は幸いレエブン侯の領地に近いため、連日冒険者たちを集め話を聞いたり、自分の領地の兵士たちで下位のアンデッドを討伐したりしているが、それでも解決の目処は立たない。唯一助かったのは、エ・ランテル付近がレエブン侯の領地と、そして王派閥のペスペア侯の領地に近かったことだろう。

 王国は王派閥と貴族派閥に分かれ、日夜権力闘争を続けている。レエブン侯は両者の間を行ったり来たりしてバランスを保ち、なんとか王国の維持に努めているが実際は第二王子を次期国王に推していた。しかし肩入れしているのは王派閥だ。貴族派閥は主に第一王子を推しているのだが、論外だ。王国を保とうと思えば、第二王子以外あり得ない。外からは帝国に侵略され、内では権力闘争。そして“八本指”という裏組織に表まで侵食されているこの状況。頭の悪い第一王子に王位を継承させれば、王国は滅びるだろう。

 故に、今最も重要なものは時間だ。ひたすらに時間が欲しい。それがもっとも得難いものだとは分かっているが、ただ時間が欲しく、惜しかった。国宝の一つを渡してでも、今はランポッサ三世にまだ国王として君臨してもらわなければ困る。第二王子に王位を継承させる準備がまだ整っていない。

「では、私はこれで失礼します」

「ええ……今回は無理を言いました。モモンガ殿」

 レエブン侯に別れの挨拶を告げ、モモンガが部屋を出る。一人残されたレエブン侯は、椅子に深く身体を沈め、深い溜息を吐いたのだった。

 

 

「――出て来た」

 冒険者組合の奥から出てきた漆黒の戦士に、目敏くティアとティナが反応する。もっとも、彼は目立つのですぐに誰でも気づいただろうが。

「モモンガ!」

 イビルアイが手を振ると、それを見つけた漆黒の戦士――モモンガは、“蒼の薔薇”の集まっているテーブルへ歩み寄って来た。

「すまんな。こんなところまで呼び出して」

 イビルアイの言葉に、モモンガが溜息を混ぜて返事をする。

「まったくだ。俺が何処にいたと思っている? エリュエンティウだぞ? そこから評議国まで帰って来てくれなんて言われた挙句、王都まで来てくれなんぞ……俺でなかったら何ヶ月かかったことやら」

「う……すまん。お前が転移魔法を使えて助かった」

 モモンガの嫌味混じりの言葉に、イビルアイは素直に謝罪している。ラキュースはそんな少ししおらしいイビルアイの様子に、驚いた。ティアやティナ、ガガーランもラキュースと同じ反応をしている。イビルアイは基本的に、誰に対しても偉そうな態度を崩さない。こうも素直な反応を返すとは、少し意外ではある。

 もっとも、一応は古い(・・)知人ではあるため、そういう反応を返しただけかも知れないが。

「あの……エリュエンティウに行っていたんですか?」

 ラキュースはおずおずとモモンガに声をかける。今まで知らなかったが、モモンガは一応冒険者にとっては大先輩にあたる年齢と経験値を持つし、それにそれほど深い仲ではない。もっとも深い仲であるイビルアイでも友人の友人という薄い繋がりなのだ。ラキュースの口調は敬語になってしまう。

 しかし、モモンガも初対面に近い相手に対しては年下であろうと丁寧な口調で返すのか、イビルアイに対するような嫌味混じりの気安い口調でラキュースには返さなかった。

「ええ。ちょっとばかし縁がありまして……まあ、十年に一度会いに行く程度の仲なので、また十年程度は間を空ける予定ですけど」

「はあ……」

 エリュエンティウの住人と何の関係があるのかは知らないが、随分と顔の広い男のようだ。イビルアイも初耳だったのか首を傾げている。

「でも、助かったぜモモンガさん。アンタがわざわざこっちまで足を運んでくれなきゃ、ちょっと困ったことになっちまっただろうからな」

 ガガーランの言葉に、ラキュースも慌てて首を下げた。

「本当に、その件についてはありがとうございました。無理を言ってしまって……」

「かまいませんよ。いい物々交換でしたし。まあ、アレで治らなければさすがに私もお手上げなんですが」

「貴重な巻物(スクロール)を吐き出させたんだ。きっと治るだろうさ。誰かは知らんが」

 イビルアイはそう言うが、しかしこの場の全員なんとなく王国の誰が治癒を必要としていたのか察している。ここまで躍起になっているのだ。ただの貴族ではありえず……それに、ラキュースは友人であり第三王女であるラナーから少しだけ話を聞いていた。その友人の彼女に頼まれたから、ラキュースはイビルアイに頭を下げてモモンガに王国まで来てくれるようお願いしたのだ。

「そういえば、出来れば私が王国にいることは秘密でお願いしますよ。私の種族的に、帝国と違って王国を出歩くのは厳しいものがあります」

「ああ、分かっている。お前が異形種だということは、調べると分かるからな。王国では亜人種でさえ、冒険者であろうと歩けんだろう。秘密にしたい気持ちも分かる」

 王国は帝国と違ってそういった寛容さは持ち合わせていない。同じ異形種(・・・・・)として、イビルアイもモモンガの苦労は避けてやりたいのだろう。

「ええ。誰にも言いません。内緒にしておきます」

 ラキュースはモモンガの言葉に頷いた。ラナーにも教えたい気はあるが、モモンガは気分を害するだろう。組合経由でマジックアイテムが送られたことにして、モモンガのことはラナーにも告げないつもりだ。

「ところでモモンガさんよ、アンタこれからどうするんだい? 評議国に帰っちまうのか?」

 ガガーランの問いにモモンガは首を横に振る。

「いえ、少し別の用事があります。それが済んでから評議国に帰りますよ」

「なんだ? 他の用事があったのか?」

 イビルアイの質問に、モモンガは頷いた。

「ああ、この後カウラウとちょっと会って来る。カウラウの奴、探し物をしているらしくてな……彼女は俺よりは使える魔法系統が少ないから」

「なるほど。それなら確かにお前の力がいるだろうな……あの婆は死霊術特化だから、お前ほど幅広く魔法系統を行使出来ない」

「ああ……うん、そうだな……」

 なんだか微妙に言い淀んだような返事をするモモンガに、ラキュースは首を傾げる。しかし意味が分からないのであまり気にしないことにした。

「それじゃあ、モモンガさんはこれからリグリットに会いに行くんですね。私たちにとっても知り合いなんです。もしよかったら、リグリットに会ったらまた私が会いたがっていたって、伝えてくれますか?」

「その程度ならお安い御用ですよ。……じゃあな、イビルアイ。それと“蒼の薔薇”の皆さんも。また縁がありましたら会いましょう」

 モモンガはそう言って、冒険者組合を去って行く。それを見送って、ラキュースたちも椅子から立ち上がった。

「それじゃあ、私たちも行きましょう。ラナーに呼ばれているもの」

 これから自分たちは王国に潜む裏組織“八本指”の力を削ぐ行動をしなくてはならない。そのための打ち合わせをラキュースはラナーの部屋でするつもりだ。

「ああ、いい加減にヤバくなってるしな」

「これ以上の成長は危険。早急に始末をつけないとヤバい」

「同感」

 ガガーラン、ティア、ティナの言葉にラキュースは頷く。“八本指”は成長し過ぎた。危険な麻薬を王国内に蔓延させるだけでなく、帝国にさえその影響を及ぼしている。あまり放置していると、帝国が例年の戦争で本腰を入れて来てしまうだろう。王国と帝国は例年秋に戦争をしており、毎年帝国は王国の国力を最小限の労力で削って王国に犠牲を出させている。だが、麻薬が帝国に悪影響を及ぼし過ぎると帝国も戦争で犠牲が増えるのもやむなしと、本気で王国を潰しにくるだろう。今はまだ、“八本指”の影響が帝国には少ないからクレームをつける程度で収まっているのだ。

 不幸中の幸いとして、エ・ランテルがズーラーノーンの起こした例の事件のせいで潰れたために、今年帝国が王国に戦争を仕掛けてくることは無いというのがラナーの予測であるが……。しかし、王国にとっては帝国に例年通り戦争を仕掛けられた方がマシな被害である。当時エ・ランテルにいた住民は全員死亡ないし行方不明なのだ。ミスリル級の冒険者たちが潰れたのも、人間の国と隣接する場所が無くなったのも痛過ぎる。

 現在王国は、亜人種たちの国である評議国、人外魔境のアゼルリシア山脈とトブの大森林、そしてアンデッドの楽園カッツェ平野に囲まれてしまっていた。一応南部に聖王国や法国が存在するが、別の山脈がかかっていたりあのアベリオン丘陵がその前にある。この中でまともに交易出来そうな場所はもはや評議国だけであり、その評議国も現在の王国ではまともな交渉は見込めないだろう。

 ……致命的だ。もはや少し知恵が回る者なら、王国を捨てて帝国に移住することを考えるが、そのためにはやはりモンスターとの連戦をくぐり抜けなくてはならないという悪循環。冒険者たちでさえ、易々と拠点を移せない異常事態になってしまった。

 ……エ・ランテルは王国にとっても重要拠点なだけあって、冒険者組合の実力や都市の衛士たちの実力も悪い方ではなかった。だが、やはりアダマンタイト級冒険者である“蒼の薔薇”か“朱の雫”のどちらかがいた方がよかっただろう。結果論であるが、どちらかは拠点を移動しておくべきだった。王国を、友人を大切に思うならそうするべきだった。ラキュースは痛感する。自分たちの内のどちらかがエ・ランテルにいれば、こんな一手で致命的な状態にはならなかっただろう。

(……やっぱり、モモンガさんをラナーに紹介しておいた方がよかったかしら)

 評議国で権力者である永久議員の全員とも顔見知りであり、アダマンタイト級冒険者という実力のモモンガ。彼と王家に繋がりがあれば現状を何とかすることが出来るかも知れない。ラナーは異形種であろうと差別はしないであろうし。

 だが、それはラナーをよく知るラキュースだからそう思うのであって、ラナーをよく知らないモモンガにとっては別だろう。彼はラナーに自分のことを知られたら不快に思うに違いない。マイナスの感情を持った状態で親友を紹介したくはなかった。

(まずは、私たちのことを知ってもらってからよね。幸い、顔見知り程度だっていうイビルアイとも仲が悪いわけじゃないみたいだし)

 評議国の付近に行く依頼があれば、今度は率先して受けよう。そうして自分たちがモモンガの信頼を勝ち取ってから、ラナーに紹介するしかない。ラナーならば信頼出来る。そして評議国と渡りをつけることが出来れば、下手に貴族や他の王子たちもラナーを簡単に売ったりは出来まい。親友の地位は安泰というわけだ。出来ればラナーと彼女の騎士には幸せになってもらいたい。

 ラナーと評議国の間に深いパイプを繋ぎ、王国を首の皮一枚で繋げる。そのためには“八本指”の……特に麻薬部門の壊滅は必須条件だ。あれがいるかぎり、誰も王国に協力はしてこない。

(頑張らなくちゃ)

 ラキュースは自分たちと、故郷と、親友のためにより一層決意を固め、仲間を連れてラナーのもとへ指示を仰ぎに向かったのだった。

 

 

 








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