――では、反対に、未来に関してわくわくするようなこと、希望を感じるようなこともありますか。
科学史家の山本義隆先生が書いた『近代日本一五〇年 科学技術総力戦体制の破綻』という本が岩波新書から出ているんです。
この本は、明治時代に日本人が初めて科学技術に接して、これこそが国を強くするし豊かにする、ひいては国民が幸せになるという考え方自体が植え付けられ、それがそのままいかに150年間ずっと温存されてきたかを明かした本なんですが、読んで「なるほどな」と思ったのは、たしかに僕らって、「未来」と言われるとすぐさま科学技術の話をするんですよ。
未来とテクノロジーって自明のこととしてセットになっているんですが、これって、そう言われてみるとかなり歪なバイアスなんですよね。
なぜ未来のモビリティってことを考えるときに、自律走行車ありきで考えなきゃいけないのか、考えてみたら変じゃないですか。
だって、モビリティの問題って、それ以前にいくらでもあるわけじゃないですか。
――なぜブロックチェーンやAIのようなバズワードから考え始めるのか、と。
そうそう。
テクノロジーから考え始めるとだいたいSFになっちゃうし、リアリティのある話に落ちてこない。
で、その起点から発想されたものって、だいたいが『ドラえもん』とかに、とっくに全部描かれちゃったりするものなので、結果同じところをみんなでぐるぐる堂々巡りしてしまうハメになる。
そこに企業も悩んでいるです。
正しい科学技術に上手く乗っかっていけば、自動的に正しい未来に行けるとみんなが思っているからそうなるわけで、『近代日本一五〇年』は、まさにそのことを強く気づかせてくれる本なんです。
じゃあ、どうやって未来のことを考えるんだって、なるわけですが、最近気に入っているのは「テクノロジーの話を禁止して未来のことを考えてみよう」ということなんです。昔にテレビでお正月にやってた「カタカナ禁止ゴルフ」みたいな感じで。
で、実際、これをやってみようとすると、すごく頭を使いますし、実際面白いことってなかなか出てこないんです。
――テクノロジーの話をせずに未来を考えるとなると、たとえばどんな例があるんでしょうか。
たとえば、先日北欧で訪ねたほとんどのコワーキングスペースのトイレは、当たり前のようにジェンダーフリーだったんです。男女の性別がわかれていない。
そういう趨勢がもう抗いがたいものとしてあるのだとしたら、20年後の公衆トイレっていまとは全く違うものになっているわけですよね。
そう考える未来がもうちょっと手触りのあるものとして立ち上がってくると思うんです。
あと、例えば、今年2月に北米とヨーロッパの45のフェスティバルが、2022年までに出演者のジェンダーバランスを50:50にしようとを決めたんですが、じゃあそれを起点に「未来のフェス」を考えたら、今と全然違う景色を想像することができるかもしれない。とすれば、これから楽器メーカーやDJ機器メーカーは、女性をターゲットにマーケットを拡大していくことが可能になるかもしれないじゃないですか。
あと、これはこれはレコードストアデイのファウンダーが言っていたことらしいんですけれど、最近の傾向としてアメリカのレコードショップの店長って女性が増えているそうなんです。
で、彼女らはとにかくトイレを綺麗にしとけってスタッフに言うらしいんですね。すると、メイクを直したいときに女性がレコードショップに立ち寄りにくるようになって、それで売り上げが伸びているという話があって、なるほどねと思うんですよ。
未来のレコード屋は女性の仕事かもしれない。それっていまと多分全然違う景色だし、想像するとちょっと楽しいじゃないですか。