高所順応(標高に体を慣らすこと)のため、栗城さんがアドバンス・ベースキャンプからC1(最初のキャンプ地)まで登った映像を見た。8000メートル級の山を登るときは、いきなりアタックを仕掛けたりはしない。ベースキャンプから登ったり下りたりを何度か繰り返し、体を慣らす必要がある。初めてC1に登る彼の自撮り映像は、数分の短いものだった。かつてどこかの登山隊がこのルートを登ったときに残していったザイル(クライミング・ロープ)を掴んで登っていた。このザイルがボロボロで、栗城さんは「クーッ!」と苛立った声を上げている。
あらかじめ断っておくと、「単独」の解釈は登山家によってマチマチで、世界の登山界が協議して定義付けたものはないそうだ。他の登山家が残したものを使うことを良しとせずザイルも一から自分で張る人もいれば、そこにあったものは遠慮なく使用するという人もいる。栗城さんは後者だ。
栗城さんがC1から帰ってきた後の映像に、リュックを抱えた二人のシェルパが山を上がっていくカットがあった。その次のカットは時間が随分と飛んで、二人が下りてくるカットだった。そこに栗城さんはいないが、シェルパは通訳ら数人のスタッフと何やら話している。
私は映像の意味するものがさっぱりわからなかった。しかし、しばらくして謎は氷解した。再び栗城さんがC1に登る場面に変わっていた。初めての時よりスムーズだ。表情も生き生きとしている。体が順応してきたのもあるだろう。だが彼自身が撮影するカメラが自分の手元をとらえた瞬間、私は「あっ」と声を上げていた。
ザイルが新しくなっていたのだ。そうか、シェルパが登ったのはこのためだったのか……。
自分の手で付けたものではない。しかし彼が「栗城隊」と呼ぶそのスタッフが、隊長が登りやすいようにとザイルを張る。これは明らかに「単独」登山を逸脱しているはずだ。動画配信にこだわり「面白くする自信がある」と出発前に豪語していたのは、まさかこういう工作も含んだ言葉だったのか?
すぐに彼を問い質したかったが、この時はまだエベレストに挑戦中だった。結果は敗退となったので私は自分の胸に収めたが、仮に登頂に成功していたら、彼はそれを本心から喜べるのだろうか?
帰国したらとことん話し合いと思ったが、彼は私にその機会を与えなかった。翌年の再チャレンジのため、スポンサー探しにすぐに全国を駆け回った。そのエネルギーには驚嘆させられた。登山は山に行くことができて初めて成立するのだ、と気づかされた。当たり前だが、これはすごい芸当だ。彼は登山家である前に、イベントの企画者であり、演技者なのだ。
彼の登山に対する興味は失ったが、私には二年越しのテーマがあった。彼には、フィアンセがいたのだ。