「夢」。この言葉を嫌いな人はいないだろう。語る人と、語られる状況で、甘美にも、情熱的にも響く。

 しかし、私自身の経験で言えば、自分の夢を声高に語る人間には、どこか欠陥があった。「おまえらは俺の夢だ!」「不良少年の夢」「母校の教師になるのが夢だった」と、夢を大安売りしていた元ヤンキー先生は、その夢をあっさりと捨てて権力に擦り寄り、ご立派なタカ派の政治家になられた。言動も顔つきも、同一人物とは思えないほど変貌した。

 とある国道を車で走っていると、自民党の地方支部のポスターが1~2キロにわたって連なっていた。「夢を持って!」と書かれてある。大きなお世話だ。夢は他人から「はい、どうぞ」と与えられものではなく、「持つぞ!」と力んで手に入れるものでもない。悩んでいる青少年に向けたつもりだろうが、上から目線の暢気でおざなりなメッセージが腹立たしかった。

 

 「夢」という言葉が大好きだった登山家が亡くなった。2週間ほど前のことだ。栗城史多さん。かつて私は、彼を二年にわたって取材した。そして彼の言動に疑問を抱き、取材をやめた。

 「ボクの夢は、単独無酸素で、七大陸の最高峰に登頂することです」。企業や学校での講演で、必ず彼はそう語った。登山を知らない私は当初、率直に「面白い」と思った。しかも彼は自分の姿をビデオで撮影しながら登っていくのだ。そんな登山家はいなかった。三脚を立てて山に向かっていく後姿を撮り、ほどよきところで引き帰して機材を回収し、また登っていく。クレバスにかかったハシゴを渡るときは、カメラをダウンの中に包み込んだ。ハシゴの下は数十メートルの雪の谷。そこに「怖ええ!」と叫ぶ彼の声が重なっていく。栗城さんは登頂して涙を流す自分の顔まで撮っていた。

 それは、山を舞台にしたエンターテイメントだった。

 しかし、彼が念願のエベレストに初めて挑戦したとき、私は彼の事務所から提供された映像を目にして、大いなる違和感を覚えてしまった。