ヘイトスピーチを助長するような一部オタクについて
ヘイトスピーチは人権侵害で、人権侵害する自由はない。
被害者がいることはよく理解すべきだ。
そのためにも自分の手で調べてほしい。
アニメ化直前であった「二度目の人生を異世界で」のまいん氏のヘイトスピーチによる炎上を契機に、なろう界隈である主張が目立つようになった。
「ヘイトスピーチは表現の自由として認められる」
エッセイというマイナージャンルであるが、ジャンル別ランキングにこれを主旨とする随筆が上位にある。
またなろうの根強い意見として
「批判は嫌だ」
というものがある。
ヘイトスピーチは許されるのに、批判は許容しない。
二つを合わせると一見相反するように思える。
必ずしも同じ人だけが言っているとは限らないが、同じ口から発せられる場合が多分にあると私は確信する。
一見矛盾している主張であるが、彼らの言いたいことはごくシンプルだと思う。
「俺の言うことは正しく、批判も制限もされるべきではない」
-------
2000年代のネットの所謂オタクのトレンドとして、カジュアルな中韓への差別というものがある。
これは、原初のネトウヨ思想、もしくはネトウヨ思想へ発展していくものである。
この文化は今なおオタク業界に影を落とす。まいん氏もその一人だ。
そして、まいん氏の中韓への姿勢は、決してなろうでは特殊な存在ではなく、むしろなろう内ではよくありふれた存在だろう。
現在もオタクに属する人に、中韓へのヘイトスピーチを言う側が少なくないことは忘れてはならない。
もしそのような人がヘイトスピーチの自由を訴えれば、それは果たして、表現の自由を尊重する立場からの主張であろうか。
そもそも、ヘイトスピーチは人権侵害であり、人権侵害をする自由はない。
反論したい諸氏もいると思う。だがこれは世界の共通認識だ。
調べればすぐにわかる。
-------
「ヘイトスピーチは表現の自由として認められる」と主張する人の共通点に「調べない」というものがある。主張が間違いなのは調べればすぐわかるのだから、これは真である。目の前に通信機器があり、いくらでも調べられるのにも関わらずである。
彼らは憶測で語る。
語るに必要な知識が足りないのに断定する。
もしくは結論ありきで曲解した根拠を探し、切り取って、正当化しようとする。
そんなガバガバ理論を胸を張って振りかざせる厚顔無恥さを、私は理解できない。
むしろ無知の無知故の確信が彼らの武器なのだろう。
同時に彼らの特徴として、このような反対意見に対し、攻撃的に断定的に反論するというものがある。
議論を重ね認識や認知を是正したいという目的はなく、相手の意見を理解する気はない。自分の意見を反対者に一方的に飲み込ませたいだけだ。
だが一つ忘れてはならないことがある。
彼らの根拠はガバガバであり、人を納得させたり説得したりするだけの力を持たない。
それでいて彼らは人の意見を納得する気も度量もない。
つまり彼らは正論は通じず議論も成り立たない。相手にするのはただの徒労である。
故に彼らは常勝である。相手は諦めるしかないのだ。まさに無敵だ。
ただしこのような人たちを放置したために、ヘイトスピーチがネット上に横行したという背景もある。
彼らになにかしらの対策を取らなければならないのは確かだろう。
-------
しかし何故このような高慢なオタクが生まれたのか。
これはある程度の人数のオタク同士で承認を繰り返してきたことと、オタク文化が社会的により認められるようになってきた、ということが原因だと考える。
結果、彼らに自分は多数に認められているという錯覚が生まれ、自身の考えに確信が生まれ高慢になったのだと思う。
ただ忘れてはならないのは、私たちオタクの多くが消費者であるという事実である。なろうは生産者と言いたい人もいるだろうが、人数的も性質的にもほぼ消費者側と言って問題ない。
消費者というのは、野球で言えば観客だ。野球が認められたからと言って、別に観客が偉くなる訳ではない。
自尊心は虚栄で膨らんでいるだけだ。
そして歪んだ自尊心を育くんだのは間違いなく、外部の考えや助言を受け入れず、仲間内で閉じ籠り、不毛な相互承認を繰り返したからだと考える。
痛々しいイキリオタクとも同様と考える。
-------
ヘイトスピーチは実際に被害者のいるセンシティブな問題だ。そこに想像力を欠く人間は果たして社会に生きているのであろうのか。
まいん氏は謝罪で「不快」や「いきすぎた」と言う表現をしたが、そのレベルではない。
人権侵害だ。
批判とヘイトスピーチとの区別もつかない程度の知性なのかもしれない。
ことの重大性を全く理解をしていない。
また同氏の炎上に際しても「これじゃ何も言えない」と言った人がいる。ヘイトスピーチに理解がなく被害者の被害を軽視する許されない言動だ。
またヘイトスピーチをしてしまうことについて、被害者を傷つけてしまうことよりも、制裁を受ける我が身可愛さを心配した人が多く見られた。ここでも被害者への軽視が認められる。
加えて、「ヘイトスピーチには反対だけど、表だって反対する集団や人も異常だよね」と訳知り顔で安易な相対化をしている人も多く見られる。それも調べずにイメージだけ憶測だけで語るのである。はきりと申せばこれもヘイトスピーチの危険性を理解していない、己の無知を晒しているだけである。しかも次に反対の声を上げようとする人を妨げる卑怯な言論と言えよう。不義の温床といえよう。
どっちもどっちの冷笑系が流行っているきらいがあるが、それで両論を話す者より上に立てる訳ではない。こんなことにも、どちらが正しいのか判断できない無能を晒すだけだ。しかも斜に構える自分を賢いと思い込んでいるのだから、たちが悪い。
ヘイトスピーチへの無理解を示せば示すほど被害者は傷つくことは忘れてはならない。
また、まいん氏がヘイトスピーチの無理解で身を滅ぼしたのに、自らヘイトスピーチの無理解をネット上に残していくことも意味がわからない。非常に想像力に乏しい行為であろう。
-------
またなろうやなろうユーザーにもヘイトスピーチに対する姿勢について少なからず目が向けられているのは想像に難くないだろう。
単純に同氏がなろう出身だからである。
彼の作品や言動を見に、外部のユーザーもなろうに訪れるだろう。
その時に限らないが、ヘイトスピーチを助長するかのような随筆が賛同を受けているのは恥ずべきことであり、なろう全体の良識を疑われることになる。
-------
さて、この機会にヘイトスピーチについてよく理解してほしいと心から思う。
今なお問題点を抱えている概念なのは確かだが、何も知らないのに問題点だと勝手に思い込んでいる点を挙げられても困るのである。
全てを知るのは難しいが、それで無知が許されることはなく、やはり少しは知っておかなければならない。
そのために自分の手で調べてほしい。
かといってまとめサイトは駄目である。
テレビや新聞が信頼できないからとネット情報を鵜呑みにするオタクは多いが、ネットの信憑性、調査力なんてマスコミに比べれば大きく劣ることが多い。
大事なのはリテラシーだ。
これは社会のためだけではなく、自分自身のためである。
無知は武器ではなく、身を亡ぼす罪である。
反論したい諸氏もいると思うが、まず調べてほしい。
調べていない浅はかな主張かどうか、普通わかることは、よくよく覚えてほしい。
揚げ足取りや枝葉の意見にも対応しないことは明記しておく。
そのような意見はただただ迷惑で不快なだけである。相手をしてあげる義理はない。
別に私はそういう人のお母さんではない。
そして再度申し上げるが、ヘイトスピーチには実際の被害者がいることは想像力を欠いてはならない。