リアル・ファンタジー:オンライン
眼前に佇むのは人の何倍もの体躯を誇る
「人の身でよくぞここまで参った。その力、我に見せてみよ」
——憲信は駆け出した。
※
「どうだ、面白かっただろ?」
先輩に訊ねられ、憲信は渋々ながら首肯した。傍から見れは先輩に合わせ、無理やり頷いているように感じられるだろうが、実際には異なる。憲信はただ、あれだけ乗り気でなかったものに対して掌を返すように肯定できなかっただけだ。実際にはとても——まあまあ——面白かった。
そして幼いころから憲信を知る同門の先輩にはそんな気持ちは筒抜けだった。
「特にドラゴン、あれやばかったろ」
憲信の首に腕を回し、先輩は楽しそうにそう問いかける。
「まあ、そうっすね……めちゃくちゃリアルっていうか、動きも合理的でしたし」
「おっ、わかってんじゃねえか。おまえならって思ってたんだよな」
嬉し気な先輩に、でも、と憲信は続ける。
「あんなのよく売れましたね。俺あんまゲームしないんで知りませんけど、ファンタジーなのに現実の自分がもつ技術で闘わないといけないってのはどうなんですか」
そう、憲信が先輩から勧められてやってみたオフラインVRRPG《リアル・ファンタジー》には、スキルやレベルといったRPGで一般的な要素が存在しない。プレイヤーは自身の現実での技術をもって、リアルに創られた人や怪物と闘い、勝利しなければならないのだ。しかも数値的体力なども存在せず、現実に殺害できる方法でもってしか殺すことができない。戦闘訓練など行わない一般人にとって、これは多分にやりづらいことだろう。——憲信らにとっては異なるが。
「実は売れてねーんだよな」
「え?」
「でも面白かったろ?」先輩は笑う。「パトロンがいるんだよ」
先輩は次のように語った。
この世には憲信らのように古流武術や現代武道、格闘技に入れ込んでいる者がいる。その中には政治家や金持ちなんかも多い。そしてそういった武術にのめりこんだ者たちは、やっぱり、その力を試してみたくなるのだ。しかし現実にそういったことは行えない。そこで、政治家や金持ちの武術家はお金を出し合いそれが行える場——リアルなVRゲームを創り出した。
憲信はその行動力に呆れかえるとともに、感謝した。彼らのお陰でそれほど高くもない金銭をもって実践の場を手に入れることができたのだから。
そんな思いを抱いている憲信に、先輩はためにためていった。
「今度よう、これのMMO版がでるんだよ」
憲信の耳がピクリと動いた。
「MMOって知ってるか? 簡単にいうと、同時に複数人がひとつの世界の中で遊べんだけど」
つまり、と続ける。
「いろんな奴らと闘えんだよ」
もうすでに何人もの武術家が参加を表明している。俺は、やるぜ——。そういって先輩は去っていった。
※
憲信は悩んだ。流派では他流試合を禁じている。ゲームとはいえ、やってもいいものか……。しかし他流試合の禁止は、そもそも実力がまだない者が重篤な障害を負ってしまうことを危ぶみ定められたものである。そして、ゲームでは傷つくことはない。
そういい聞かせ憲信は《リアル・ファンタジー:オンライン》への参加を決めた。
※
《リアル・ファンタジー:オンライン》開始当日。今日やることはすべて終え、あとは寝るだけ、となった憲信は据置型VRマシンを起動した。もちろん、《リアル・ファンタジー:オンライン》を行うためである。キャラクターメイキング等の事前準備はすでに済ませてある。あとは接続を待つのみ——。
憲信のキャラクターは自身の体格、筋力等をそのまま反映したものとなっている。もちろん顔の造形に少し手を加えたりはしているが。このようにしたのには理由がある。憲信がこのゲームを購入したのは、端的にいえば武術の実力向上のためである。それにおいて、現在の自身の実力を発揮するため、およびゲーム内での経験を現実に活かすためには、現実との齟齬は可能な限り少ないほうがよい。他の武術家たちも同様に考え、行っていることだろう。
そうしているうちに接続が完了した。世界観の説明等のプロローグが流れるがスキップする。事前に確認は済ませてきた。そして、見晴らしのよい丘の上に降り立つ。向こうに見えるのは、はじめに赴くことになる街——《はじまりの街》という名称らしい——だろうか。眺めていると隣に気の良さそうな青年が出現した。チュートリアルである。
憲信はチュートリアルを終え、《はじまりの街》へと向かった。どうやらこの丘は街の一部らしい。造られた一本道を通り街中に入ると、多数の人を見ることができた。憲信が現れた瞬間、皆一斉にこちらを向く。その《圧》に、憲信は思わず息を詰まらせる。想像以上に実力者揃いらしい——憲信は自然と笑みを溢していた。
憲信は周囲を観察する。目線はすでに外れているが、彼らが皆憲信を、いや、お互いを観察しているのは手に取るようにわかった。皆、見極めているのだ。はじめての相手はだれにしようか、と——。
観察してわかったことだが、どうやら相手を決めた人はその人に話しかけ、了解をとって街の外へと移動しているようだ。通行の邪魔になるからだろうか、システム的には可能であるはずだが、この場で戦闘は行わないらしい。憲信も相手を探して目をさまよわせていると、後ろから声がかかった。
「よかったら一緒にやりませんか?」
そこにいたのは、憲信と同じ高校生くらいの少女であった。西洋風の胸当をつけ、腰には片手剣を差している。白い長髪が目に映える。
——あんまり強そうじゃないな。憲信は第一印象としてそう思った。筋力がありそうには見えないし、身長や体重も平均程度に見える。胸は大きそうだが……それは関係ないだろう。視線や声音にもどこか緊張が見て取れる。何か武術をやっているようにはとてもではないが見えない。
だが、と憲信は気を引き締める。見た目で敵を判断するな、というのはよくいわれることである。実際、ヨボヨボの老人が剣をもったとたん覇気に溢れかえる、なんて武術の世界ではありふれたことだ。
「OK。
油断のない目つきで憲信はそう応えた。
彼女の名前はユキアというらしい。特に流派名は名乗らなかった。匿名の世界であるし、いわないのが一般的なのだろう。憲信も自身のゲーム内での名前、タケダ——武田謙信からとった——だけを名乗る。そしてこの世界が大変現実的であるとかの話をしながら街を囲う城壁の外へ出た。そこは草原になっており、遠くには立合を行っているのだろう人影も見受けられる。
「それじゃあ
適度に城壁から離れたところで足を止め、ユキアと向かい合う。間合は一足一刀。油断なく見つめながら、腰の剣——日本刀——の鯉口を斬った。憲信は抜刀があまり上手ではない。その隙を狙われるのは大いに避けたいところである。そうした憲信に対し、ユキアはどこか戸惑った様子だった。なぜかはわからないが、いまが好機、と流れるような動作で憲信は抜刀した。剣を下段に構える。
ユキアはまだ動かない。
「……? どうしたんだ? 剣を抜かないのか?」
憲信は思わず訊ねた。それに対する返答は、なんとも憲信を驚かせるものだった。
「? まだここで抜かなくてもいいんじゃありません?」
憲信は愕然とした。抜刀した憲信に対しユキア自身はまだ抜かなくてよいといっているのだ。つまり、いまのところ憲信に対しこの片手剣を使うほどの実力は感じられない、と。
沸騰しそうになる頭を憲信は必至に抑える。ならばその剣、抜かせてみようではないか——。
憲信は体を前傾に懸け、剣先をぐるりと回転させる。腰を入れ、右袈裟を振る。憲信の剣先は吸い込まれるようにユキアのこめかみへと向かう。ユキアはまだ動かない。彼女の瞳はまるで、驚くあまり何も考えられていないかのように呆然としており——
憲信の剣先は何事もなく側頭部を割り裂いた。
ユキアは死んだ。
※
しばし呆然としていた憲信だが、剣をもったままのことに気づき納刀する。ゲームだからか血はついていなかった。いったい彼女はなんだったのだろうか……、憲信の脳内が疑問で溢れかえる。そんな憲信に、城壁に背を預けていた一人の青年が歩み寄ってきた。その気配からただならぬ実力を感じる。とっさに抜刀しようとした憲信を止め、青年はためらうように告げた。
「あの娘なんだけど……もしかして、遊びにきてたんじゃないか?」
※
青年の言葉はすとんと憲信の胸に落ちた。そう考えれば納得いくことがいくつもある。彼女が強そうに見えないことだとか、モンスターが近くにいないここで抜刀を行わなかったことだとか。そして納得するとともに憲信の胸に罪悪感が溢れ返る。憲信は決めた。
謝りにいこう。
青年にお礼をいった憲信は駆け足で城壁の内側に戻る。向かう先は死者の復活する地点、ゲーム開始時の丘である。街中を駆ける憲信であるが、突然横から声を掛けられた。
「そこの君。一手お相手頂いてもよろしいかな?」
声の主は西洋鎧を着こみ、横手にハルバードをもっていた。声からして男性のようである。相手したいところやまやまなのだが、いまはそんな暇はない。
「すみません、いまちょっと急いでるんで——」
「ほう、私の誘いを断ると。ほう、ほうほう……」
憲信が断りの言葉を述べかけるが、鎧の男がそれを遮る。彼はしばらく顔を俯かせていたが、突然ハルバードを構え、突を入れてきた。
「それは許せませんねえ!」
憲信は後に跳び退き受身をとって立ち上がる。突を逃れた憲信だが、突然のことに疑問を呈する。
「な、なにするんですか! というか街中で闘うのは——」
「周りを見てみたまえ」
鎧男はまたもや憲信の言葉を遮り応える。追撃の様子がないので憲信は周りに視線をやってみた。すると——
「みんな、闘ってる……!」
先程は戦闘を始めるにあたり街の外まで出ていたのだが、どうやらそれは最初だけだったらしい。皆もう、待ちきれずに街中で闘い始めている。
「そういうことです」鎧男は笑って続ける。「私も、待ちきれないんですよ。……お急ぎのようですが、この先を通りたければ私を倒してから行くんですねえ!」
鎧男が一気に間合を詰めてくる。抜刀の暇はない。憲信は突のタイミングを見極め、ハルバードの左に体を競りこませる。そうして無刀捕に入ろうとしたのだが——
「ッ!」
鎧男は腰を捻り、鎧を纏ったその腕をこちらの顔面に振り抜いてきた。とっさに受身をとり攻撃を逃れる。滑らかに立ち上がり抜刀しようとするが、鎧男はすぐそばにまで迫っていた。今度は袈裟懸けに振り抜いてくる。右袈裟だ。左袈裟、右袈裟、……。連続での袈裟に、憲信はタイミングを見計らい——
「ッ!」
鎧男が左袈裟を仕掛けた瞬間、左に競りこむ。両手で鎧男の左腕を押さえる。体重をかけるが、鎧を着こんだ人間に勝てるはずもなく、すぐに押され始める。
……だが、問題ない。憲信の狙いは袈裟を止めることではない。狙いは——
憲信は全力を懸け鎧男の右膝を横から蹴り抜いた。鎧男は足を崩され体を傾かせる。何とか立て直そうとしているようだが、鎧を着こんだ状態では難しい。憲信は一気に体重をかけ、鎧男を押し倒した——。
大きな音を響かせ、鎧男は倒れた。衝撃の瞬間、憲信は手許からハルバードを奪い去る。鎧甲でなく、ただの和服の憲信は身軽で、すぐさま立ち上がることができた。そして、ハルバードの先を兜の覗き穴に定め——
「私の負けのようですね」
——突き刺した。
西洋鎧の男は死んだ。
※
西洋鎧の男を倒した憲信。疲れながらも丘に向かって駆けていく。すると道の先から声を掛ける人物が現れた。先程のことを思い出し、憲信はすぐさま抜刀する。
「そこのボク。ちょっとばかしこのじじいに付き合ってくれんかね」
そこにいたのは背の曲がった老人だった。しかし、憲信は油断しない。こういった人物が実は強かった、というのは現実に経験している。
「……なんですか?」
老人を注意深く観察しながら憲信は応える。武具は特になさそうだが……。老人は笑う。
「『なに』とは。ボクもすでに気づいておるじゃろう」
老人は憲信の剣に目をやりそう応える。やはり、か……。
そうして近づいてくる老人であるが、ふと憲信の斜め後ろに目をやり声を上げた。「お?」
つられて見る憲信であるが、すぐさま失態を悟る。憲信が目を反らした隙に、老人の手許には鎖鎌が現れていた。大方背中にでも隠していたのだろう。老人は分銅をぶんぶんと振り回し、投合してきた。
憲信はとっさに剣を斜に構え、それを防ぐ。鎖が刀身にぐるぐると巻き付く。
「——ッ」
すると老人はどこにそんな、という程の怪力でぐいぐいと鎖を巻き取っていく。しっかりと柄を握る憲信であるが、だんだんと向こうに引っ張られていく。そしてついに耐え切れず、憲信は剣を手放してしまった。老人を越え、向こう側へと剣が放り投げられていく。
老人が鎖を巻き取る。そこにきて、憲信は失策を悟った。老人が剣を後へ放り投げた瞬間、分銅がこちらへ来ることのないその瞬間こそが好機だったのだ。あのとき間合を詰めれば、鎌という危険はあるものの組打へもっていけたのに……!
苦い顔をする憲信に老人はほほほと笑いかける。互いに睨みあう。分銅の回る音だけがそこに響いていた。
こうなれば! 数瞬、憲信は駆け出した。ここから何とか組打にもっていく、それしかない!
そんな憲信目掛け、老人は分銅を投げつける。憲信は全力をもって見切り、なんとかそれをかわす。しかしここで止まっていてはならない。憲信はかわすもそのまま老人へ向かって駆けていく。老人は避けられた分銅を落ちる前にすぐさま強く、一瞬だけ鎖を引くことで逆向きに進ませてくるが、憲信はこれも避ける。しかしそれは老人も予想していたか今度は鎖を手放し鎌で憲信を迎え撃つ。老人は鎌を下から振り抜いてきた。上からの攻撃に比べ、下からの攻撃というものは防ぎにくい。憲信は後退りそれを避けた——
と思いきや老人は鎌から手を離した。避けたと思った鎌が、憲信の顔目掛け飛来してくる。後に倒れ、憲信はなんとかそれから逃れる。しかし、これは大きな隙。倒れいく憲信に、老人は体重の乗った踏みをお見舞いする。
憲信は無理やり体を捻り、どうにかそれを避ける。転がりながら足払をかけ、老人を転ばせる。そのまま抱き着き、老人を地面に押さえつける。脇腹が上を向いたところで、章門に向かい、憲信は思い切り拳を振り抜いた。
「若さには勝てんのう」
あばら骨がへし折れ、肺に突き刺さった。
鎖鎌の老人は死んだ。
※
鎖鎌の老人を倒した憲信。途中に剣を拾い鞘に戻す。眼前に丘への一本道が見えてきた。それで気が緩んでいたのだろう。真横から迫る薙刀に直前まで気づくことができなかった。
「ッ!」
迫る刃に気づき、憲信はとっさに受身をとって離脱する。追撃はない。相手は薙刀を掲げながらゆったりとした足取りで近づいてきた。憲信は抜刀をして身構える。
「ふふふ。強い子は好きよ」
薙刀を掲げるのは二十代中頃の女性であった。長身であり、肩まで黒髪が伸びていた。憲信は薙刀に注視する。あれはどう見ても女性用のものではない。あれは、平安時代末期、戦場で武士が使用していたものだ——。
憲信は諦めきった心持ちで懇願する。
「急いでるので、あとにしてもらえませんか?」
「だーめ。女の人の誘いは断るなってお父さんから教えてもらわなかったの?」
女が足払を仕掛けてくる。憲信は、斬り上げる形でそれを斬り止めた。しかし、その瞬間女は右手をぐっと押し下げ切先を上げ、喉元へと突を放ってきた。憲信も、同じような遣いをもって剣先を上げ、斜に構えて突を反らす。女はそのまま、切先側が左に反れていく力を利用し、手許を中心に石突側を右から回して正中線に乗せ、突いてきた。憲信はまたもや斜に構え、なんとかそれを反らす。しかし、今度は逆の遣いをもって左袈裟を放ってきた。憲信はすばやく頭上で一回転させると、どうにか剣先に遠心力を乗せて左袈裟を斬り止めた。それに対し、今度は左右の手を持ち替え、右袈裟を放ってきた。これまた憲信は、一回転させ遠心力の乗った剣で、なんとか受け止める。このままでは防戦一方、憲信は攻撃に打ってでることにした。
しばらくこの防戦を続けた憲信。女が右袈裟を放ってきた瞬間、ぐっと間合を詰めた。薙刀の中程を打つように、腰を入れた一撃でもって斬り止める。薙刀で上下左右を入れ替えた攻撃を行うためには、相手が遠めの間合にいなければならない。これだけ近ければ別の攻撃方法を取るしかない。
女は薙刀、および体全体を引き間合を取ろうとする。しかし、憲信はそれをさせない。ぐっと前へ出て追い詰める。今度は女が防戦一方となった。このまま押し切れば——。憲信がそう考えたとき、変化は起こった。
女が左袈裟を放つ。先程と同じように憲信は、柄の中程を斬り止めに向かう。そのとき——
——女は思い切り薙刀を振り抜いた。
通常斬り結ぶ際、特に薙刀が木製の柄の部分で斬り結ぶ際は、斬れ込みが入るのは諦めるが、両断されたりはしないよう、力を加減して斬り結ぶ。しかし、女はあえて力一杯振り抜いた。薙刀の柄と剣の物打とがぶつかる。そして、薙刀は切断された。
女はぐっと力を入れ薙刀の柄を正中線に残すと、すばやく突を放ってきた。切先はないが、それでもくらえば致命傷となる。憲信はとっさに左から右腕の外側を押し当て突を反らす。木にぶち当て、さらには一瞬で擦れたことで憲信に痛みが襲う。しかし、耐える。女は上下を入れ替えまたもや突を放ってきていた。今度は剣をもって突を反らそうとする憲信。しかし、剣が触れるか触れないかのところで女の柄はするりと滑るように横へ動き、上下を変えて左袈裟を放ってくる。これまた斬り止めようとする憲信であるが、当たる直前、またもや逃れられてしまう。これはもう杖術であった——。
またも防戦一方になった憲信。女の虚実一体の猛攻になすすべなく追いやられていく。ここで憲信は、イチかバチかの賭けに打って出た。
女の杖を斬り止めようと憲信が剣を出す。それに対し女は、剣が触れる直前で杖を翻し、反対からの攻撃を行ってくる——が、憲信は無視する。斬り止めることの出来なかった剣先をそのままに、剣先を正中線に乗せそのまま突っ込んでいく。こちらは杖が当たり、もしかしたら死ぬかもしれない。しかし、杖であるため生き残るかもしれない。一方、女の方は、防がなければ必ず死ぬ。
「ィヤアアアア!」
己を死地においた憲信の賭けは成功した。
女は杖をもって、憲信へ攻撃するのではなく、防御の姿勢をとった。憲信の突が当たる直前、剣の棟に杖を当て、攻撃を反らす。それに対し憲信は突進の勢いをそのまま、今度は柄頭を女へ突き当てる。
圧しかかるようにして、女を下敷きに憲信は倒れた。
「強い子っていいわ」
剣刃を首に当て、押し切る。
薙刀の女は死んだ。
※
薙刀の女を倒した憲信は、丘への一本道を登る。ゲーム内では、そろそろ陽が堕ちるころのようだった。丘の向こうから、赤い光が射す。もうそこで丘に出る。そのとき、陽光を遮る者が現れた。その者は丘の上に立ち、こちらを見下ろしている。
「よう……憲信」
幼女が現れた。
※
「だれ、だ……?」
警戒を露わに憲信はそう問いかける。憲信に、幼女の知り合いはいない。しかし、この幼女はなぜか憲信の、現実での名前を知っている。こいつは、いったい……?
「『だれ』、だ?」
ピンクのツインテールをした幼女は笑う。
「おいおい、だれがおまえをここに誘ったと思ってるんだよ」
まさか、憲信は愕然として見上げた。
「先、輩……!?」
幼女は頷く。驚きで声もでない憲信を前に、ひとしきり笑ったのち幼女、いや先輩はいった。「どうしてこんなナリをしているのか、驚いただろう」と。
先輩はいう。
「『敵を知り己を知れば百戦危うからず』」
それを聞き、憲信は悟った。悟ってしまった。先輩が幼女になっているのは、それはすべて『敵を知る』ための修行であるということを……! 現実の先輩は高身長・高体重の筋肉隆々の中年である。そのため、女子どもの体についてなかなか理解することができない。そして武術家にとって、敵となる可能性が少しでもある人物に対して理解が足りないことは、許せないことである。そのため、どうにかして女子どもを理解するため、先輩はその両方を兼ね備えた『幼女』としてこの闘いの地へと降り立ったのである。
現実とここまで異なる体の使用は、大変なストレスの溜まることだろう。また、仮想世界から現実世界へと戻ったとき、さっきまでとの違いにまた苦しむこととなるだろう。それでも、先輩は、武術家として極まるために、その茨の道を歩むことに決めた……! その心意気、まさに修羅!!
「どうしたんだよ、憲信」
気づけば一歩、憲信は足を退いていた。圧されている……? ぐっと丹田に力をこめ、憲信は足を止めた。顔を上げ、キッと先輩を睨みつける。
一歩、踏み出す。
丘はもう、目の前にある。あともう少しで彼女に出会えるのだ。
もう一歩、踏み出す。
ここに来るまで、さまさまな人に立合を求められた。結局は闘うことになったが、そんな彼らに対し、彼女に会うため、と一度は立合を断ろうとしてきた。
もう一歩。
ここで引き下がって、そんな彼らに胸を張れるか……?
もう、一歩。
いや。
「ここで会ったんだ。いっちょ、
憲信は踏み出した。
※
丘の上。道の近く。憲信は先輩と向かいあっていた。姿形は幼女だが、その気迫は間違いなく先輩のもの。油断は、しない。
風が草を揺する。
互いに申し合わせたように抜刀する。得物は同じ日本刀。その抜刀する幼女姿に憲信は密かに瞠目する。剣に対し身長が短ければ短い程、抜刀しにくくなる。しかし、先輩は幼女であるにも関わらず、その一般的な長さの日本刀を苦も無く抜き放った。
だが——。憲信は確かに見て取った。
現実の先輩に比べればその腕は天と地ほどの差。勝機は、ある——。
風が吹く。
一足一刀の間合。互いに剣を振る——。
右袈裟、左袈裟、右袈裟——。何度か刃を交わらせ、憲信は確信した。先輩、いや幼女の実力は憲信と同程度。同門のため互いの戦略は重なり、何度も何度も刃がぶつかり合う。この勝負、隙を見せた方が負ける——。
幼女の頬に汗が流れる。
同程度の実力といっても、幼女と男子高校生、その体力、筋力には歴然とした差が存在する。ここで一気に決めるべきか……? そんな考えが憲信の脳裏に浮かぶ。しかし、すぐさま打ち消した。その力の差を埋めるのが武術というもの。互いが最善手を出し合っているいま、ここで打って出るのは悪手——!
今度は憲信の頬に汗が垂れる。幼女がそれを見てにやりと笑う。
幼女といえど先輩。たとえ体力・筋力が下回っていようと、その気力は憲信を超えている……!
右袈裟、左袈裟、と互いに交わらせる様子は傍から見ればなんの面白みもない申し合わせのように見えるだろう。しかし、そこには互いに隙を突こうとする幾多もの攻防があった。もし隙があれば、その剣は面、籠手、斬り上げ、太刀払、と幾多も考えうる攻撃の形をとったであろう。しかし、この精神のせめぎあいの中、どちらもが隙を伺えず、袈裟を選択する。
そのとき憲信の目に、白髪の少女の姿が映りこんだ。彼女は座り込み、その頬には涙の後が見て取れた——。
それは互いが待ち望んだ隙だった。これより、闘いは動く。
まず幼女が太刀払をかけた。憲信の剣が横に払われる。しかし憲信もさるもの。ぐっと握り、剣を離さない。幼女は太刀払を行った剣をすぐさま面に移行させる。憲信は左に捌き、なんとかそれをかわす。だが、避けられたと知るや否や、幼女は剣刃を左へ返し、憲信の方へと振り抜く。とっさに剣を構え、斬られることのなかった憲信だが、その勢いに押され、倒れそうになる。憲信は受身をとり、距離をとって立ち上がった。
しかし、幼女はすぐそこまで迫っていた。体力のない幼女、ここが最後とばかりに右袈裟、左袈裟と連撃してくる。憲信はそれを何とか防ぐのみ。このままでは、負ける——! 憲信も、最後とばかりに力を振り絞った。たとえ袈裟でこようとも弾かれない、そんな力をこめた面を。
「——ッ!」
互いの剣が一瞬弾ける。いましかない——! 憲信は剣を捨て、捨身で突っ込んだ。そして、それは幼女も同じ。互いに無手で間合を詰める。どうするべきか……。憲信の頭にさまざまな考えが浮かぶ。敵は幼女、低身長・低体重で力もない。ここは組み合い、投げ飛ばすべきか……?
先に手を打ったのは幼女だった。幼女は帯から何かを抜き取る。それは……懐剣! 無手どうしと考えていた憲信にとって、これは完全に想定外。
幼女は笑う。
幼女は懐剣を振り抜く。憲信の左手が、手首から先が斬り取られる。
「ッ!」
しかしこれだけではまだ死に至らない。危機的状況だが……いや、これは好機……! 憲信は痛みを我慢し、腰を入れ、右手で幼女の水月に突手を入れる! 完全に決まった。幼女が吹き飛ぶ。
憲信は剣を拾い、幼女の許へと歩いていった。たとえ先輩といえど、完全に入った突手の前にもう立ち上がることはできないようだ。
憲信は幼女のそばへ立つ。幼女は笑っていた。
「強く、なったな」
首を刎ねる。
幼女の先輩は死んだ。
「先輩……。最期、手ェ抜いたでしょ」
※
手首からぼたぼたと血が垂れては、地面に触れて消えていく。はじめは吹き出るくらいの勢いだったのだが……。出血多量、やばいかもしれない。ふらふらとした足取りで憲信は進んでいく。向かう先は、白髪の少女。
そばに着く。しかし、どういったものやら……。
「あー」
コホンと、わざとらしく咳ばらいをする。彼女が、こちらを向く。
「ど、どうしたんですか!?」
憲信の左手を見て、彼女は驚く。たしかに、いきなり目の前に左手首から先を失くし、血を垂れ流す男が現れたとすればそれは驚くというものだ。
いきなり自分を殺した男、そんな奴でも怪我をしていたら心配する。そんな彼女に憲信は思わず笑みをもらす。
ちょっといいか、と憲信はその場で腰を下ろした。立っていられなかった。
「泣いてたの、俺のせいだよな」
目が霞む。彼女の顔が見えない。けれど、言葉を紡ぐ。
「ごめんな。ユキアも、闘いにきたのかと思って」
彼女が何かをいう。けれどもう、何も聞こえない。
視界が、狭まっていく。
「ほんとに、ごめん」
憲信は死んだ。
※
あのあと憲信はすぐさま復活した。場所は、そのまま丘の上。つまり、復活地点にて復活した。そしてよく見れば周りには、ユキアだけでなく西洋鎧の男、鎖鎌の老人、薙刀の女、幼女の先輩もいた。
憲信は笑った。ここに用事があるから命懸けで闘って勝ったのに、負ければ一瞬で到着できたとは。……穴があったら入りたい。落ち込む憲信をユキアが慰める。
二人は話し合い、そして憲信は許してもらった。死んだ後ユキアは丘の上で泣いてしまったが、しばらくしてこのゲームの特徴に気づいたのだという。どうやら丘の上で、チュートリアルを終えてすぐや、復活してすぐの人が闘いだしたらしく、なんだかおかしい、と。そしてこの場に現れた怖くなさそうな人——なんと鎖鎌の老人のことであった——に話を聞き、ついに理解した。なぜ憲信に殺されたのかも。
そうしてこのゲームの事情をしったユキアであるが、いきなり殺された恐怖が尾を引き、続けるかどうかをここで座り込み悩んでいたのだという。
憲信はそれを聞きまたもや謝ったが、ユキアは笑ってそれを許した——。
あれから一ヶ月。週二三回というペースで憲信は《リアル・ファンタジー:オンライン》を続けていた。活動場所はいまだ——これは憲信だけでなく、皆なのだが——《はじまりの街》である。皆、このゲームに対人戦をしに来ており、ストーリーを進めようだとか、次の街へ行こうだとかを考えていないのだ。次の街に行こう、なんて誘っても「いろんな奴が来るからここのほうがいい」と袖にされるだろう。
こうして今日も街中に闘いが溢れかえる。店先のテーブルに着きながら、憲信は闘いの様子を眺める。ほう、ああいうやりかたもあるのか——
「ねえタケダくん、聞いてる?」
ユキアの声に、はっと向かいの席に向き直る。
「ごめんごめん。ちょっと気になって」
もう、とユキアは頬を膨らませる。こんな武術家たちの中にあって、彼女だけは
「でね。その街の前にはこーんなおっきなモンスターがいて——」
武術家たちと立合い、ときおりユキアの話を聞く。そんな世界をとても——けっこう——憲信は気に入っていた。